二月にしては暖かい、よく晴れた休日の午後。
 水色のリボンできれいにラッピングした小箱を宝物のように胸に抱えて、は廊下を歩いていた。


 今日は白天の節三の月、十四日――元の世界ではバレンタインデーだ。


 箱の中身はチョコレートケーキ。二週間前からルヴァイドに特訓を受けていたスペシャルレシピだ。
 ふわふわのスポンジの間にラズベリージャムを挟み、ビターチョコとホワイトチョコでコーティング、仕上げはちょっとゴージャスに金粉をまぶした。 何度も練習し、城専属のショコラティエもうなるような味と見た目に仕上がった大満足のケーキは、ルヴァイドからも花丸をもらった彼女の最高傑作。

 今日が何の日なのか、事情を知る師匠に笑顔で背中を押され、は足早に彼の部屋を目指す。
 箱を開けたら彼はどんな顔をするだろう。 手作りだと言ったらきっとすごく驚いて、――それから、きらきらした瞳を細めて優しく笑ってくれるだろう。
 チョコレートをかけたふわふわのマシュマロみたいに甘い、だけが知っている、特別な笑顔。


 嬉しい。楽しい。……しあわせ。


 スキップしたくなるのを一生懸命我慢して、はようやく彼の部屋の前へとたどり着く。
 だが、その扉が少しだけ開いているのに気がついて、あら、と彼女は首をかしげた。

 几帳面な彼にしては珍しいこともあるものだなあと思いながらそのままドアをノックしようとして――は、楽しいからこそ沸き上がってしまったほんのちょっとのいたずら心で――ただ無邪気に、こっそり彼の部屋を覗き込んでしまった。





ビ タ ー ・ ス ウ ィ ー ト ・ チ ョ コ レ ー ト デ イ






「――おいビーニャ! 貴様いつまでそうしている気だ!」

 白天の節最後の月とはいえ北国であるデグレアの冬はまだまだ終わりが見えない。
 だが、今日は久しぶりに青空が広がり、檸檬色の日差しがやわらかに降り注いでいた。

 そんな貴重な休日の昼下がり。特務隊隊長の執務室にイオスの怒声が響く。

 うららかな青空さえ泣き出しそうな程につめたい視線を投げかけられた同席者――ビーニャは、怒鳴られても肩ひとつすくめることなく、ソファに寝そべったまま媚びるようにイオスを見上げた。

「いいじゃん、今日はお休みなんでしょー? そんなに焦ってお仕事しなくたって平気だよォ。
それよりほら、イオスちゃんもこっちで一緒にお茶飲もうよォ。これねえ、レイム様から特別に分けてもらった超珍しい紅茶なんだよー!」

 そう言ってようやく起きあがったビーニャは、先程メイドに用意させた紅茶をカップに注ぎ、溢れそうなほど大量の蜂蜜を入れる。
 どろどろになった琥珀色の液体をさも楽しそうにスプーンでかきまぜるその姿に、イオスは色んな意味で目眩を覚えた。

 ――スルゼン砦の件で、急に提出を求められた報告書があり、それにはレイム直属の召喚師であるビーニャのサインが必要だった。城内を駆けずりまわり、ようやく見つけた少女が「イオスちゃんの部屋でお茶飲みながらならお仕事してもいいよォ」などと言うものだからやむを得ず執務室に入ることを許してみれば――このザマだ。

「――ビーニャ! ほら、たった十枚、ここに貴様の署名を入れるだけなんだよ! さっさとしないか!」

 イオスが最終通告とばかり精一杯声を荒げる。
 時計はもうすぐ三の刻を示そうとしていた。急な仕事で昼食を一緒にとれなかった代わりに、イオスはこの部屋でお茶をしようとと約束しているのだ。そのためにも一刻も早く目の前の少女をここから追い出す必要があった。


 ほんの一瞬、時計を気にしたイオスの視線。だが、ビーニャはそれを見逃さなかった。


「……なぁにぃ。イオスちゃん、これって夜までに出せば間に合うんでしょー? なぁんでそんなに急がせるワケー?」

 意味ありげに語尾を伸ばしながら、ビーニャはふと扉の方を見やる。
 苛ついていたイオスが閉め損ね、ほんの少しだけ開いている扉。指一本分の隙間をしばし見つめて――少女は猫のようにつり上がった瞳をすっと細めた。
 黄金色の双眸が妖しくゆらめく。

「そうだ! ねえイオスちゃん、チョコ食べようよ~疲れた時には甘いもの、って言うでしょ!」

 唐突にソファから立ち上がったビーニャは、素っ頓狂な提案をするなり持ち込んでいた大きなポシェットから妙に可愛らしくリボンをかけられた平たい箱を取り出す。せっかくのきれいな包装紙をびりびりと破くと、そこにはイオスも知っている有名なショコラティエのチョコレートが並んでいた。
 ますます訳のわからないビーニャの行動に、甘い菓子を目の前にしてなおイオスの頬がひきつった。

「はぁ!? 何を言って……! そんなことよりこの書類を」
「なによ、これ今すっごく人気で有名で超行列してて滅多に手に入らないんだからね! 買うの超大変だったんだよー! それを分けてあげようって言ってるのに食べないつもり?
ひどい、イオスちゃんつめたーいっ! 乙女の敵ー!」

 メイドに命令し取り寄せたため自分では一秒たりとも並んではいないのだが、ビーニャはさも苦労したとばかり大げさに嘆いてみせる。
 様々に凝った形のチョコレートの中から真っ赤なハート型のものをひとつつまむと、ビーニャはそれを呆れて二の句が継げないでいるイオスの口元に差し出した。

「これ食べてくれたらちゃんとお仕事する。約束するからほら、ね!
休日出勤のご褒美と思ってつきあってよ!」

 そう言って、ビーニャは可愛らしく小首をかしげてみせる。
 彼女の意図が分からず、甘えるように見上げてくるふたつの瞳の奥底を探っていたイオスは、たっぷりの時間を置いた後、盛大にため息をつき、肩を落とした。

「……絶対、だからな……!」

 怒りに満ちた声音でつぶやくと、イオスはあーんとばかり目の前に差し出されたそれではなく、箱の中から一番地味で小粒なトリュフをつまみ、口に放り込む。
 むう、と唇をとがらせたビーニャだったが、イオスの白い喉がチョコレートを飲み下したのを見届けるとそれはそれは嬉しそうに笑み崩れた。

「ねえねえ、美味しかった? 美味しかった!?」
「…………ああ。
ほら約束だ! さっさと仕事を……」
「ねえちゃん、聞こえた? イオスちゃん、チョコレート美味しかったってー!」
「――え?」


 イオスとの会話を遮り、突然扉に向かって信じ難い言葉を吐いたビーニャに、イオスの思考が停止した。


「ねえ、隠れてないで出てきたらぁ?
盗み聞きなんてお行儀ワルーイ。キャッハハハ!」

 甲高い笑い声がおさまると、ためらうようにギギ、と重い苦しい音を立てて扉が開く。
 そこには――身を縮ませた黒髪の少女が立っていた。

 時計はぴったり、三の刻。
 彼と彼女が約束をしていた時間だった。

「…………!?」

 茶器と、お茶受けのお菓子だろうか、小さな箱を手にしたまま硬直しているを見て、イオスが思わず腰を上げる。

「ち、違うんだ! 仕事で、こいつがサインをしなくて、それで……!」

 彼らしくもない惨めな言い訳をしながら慌てるイオスの横で、ビーニャはさらに追い打ちをかける。

「あれえ? ちゃんもお菓子もってきたの? あ、もしかしてチョコレート?」

  ビーニャの言葉に、固まっていたがはっと瞳を見開いた。

「やっぱりそうなんだ! でもごめんねえ、先にイオスちゃんと食べちゃったからもういらないよォ。
……ああ、そういえば。何かルヴァイドちゃんと話してなかったっけ? 今日、えーっと十四日って、ちゃんの世界ではチョコレートを好」
「なんでもありません!」

 勝ち誇ったように胸を張り、朗々と並べられるビーニャの言葉をの声がかき消した。
 彼女らしくもない、強張った声音。隠しきれない動揺を全身に滲ませながら、は戸口から一歩、後ずさる。

「お、お仕事の邪魔してごめんなさい。出直してきますね」
!? 待っ……!」

 イオスの静止を最後まで聞くことなく、今にも泣き出しそうに顔をゆがませながら、少女はぺこりと頭を下げ、廊下の向こうへと小走りに去っていった。

!」

 慌てて扉へと駆け寄るイオスの背中をビーニャの笑い声が撫ぜた。

「キャッハハハハ! やあだもう、ちゃんたら何をあんなに動揺してたんだろうねえー?
あー、もしかしてえ、アタシとイオスちゃんがいい感じなの見てショックとか受けちゃったのかも?
キャッハハハハハ!」

 ぼすりと音を立ててソファに座り込み、足をばたつかせながら笑い転げるビーニャ。
 ややあって。ゆっくりと振り返ったイオスの表情を見て、彼女は不思議そうに大きな瞳を瞬いた。

「なぁにぃ、イオスちゃんたら、そんな怖いカオしちゃって――キャッ!?」

 突然乱暴に両手首を捕まれ、有無を言わさぬ勢いでソファに押し倒されて、さすがのビーニャも驚いて少女らしい悲鳴を上げる。
 だが、あどけない表情もつかの間、すぐに彼女は挑むように真上にあるイオスの顔を見上げた。

「……やだイオスちゃん。どうするつもり?  変なコトされたらアタシ泣いちゃうわよー?」

 男に組み敷かれてなお軽口を叩くビーニャをイオスは厳しい顔のまま黙って見下ろす。
 怒りの言葉を並べるかと思いきや、次の瞬間、彼はクッとおかしそうに口の端を歪めた。

「そうだな。あの子に対してだったら、このまま乱暴に抱いて泣き顔を見るのも悪くないが……
――貴様相手じゃ全くそんな気も起きない」
「なっ……!?」

 真正面から侮辱され、ビーニャが初めて絶句する。

 怒りか、哀しみか。小刻みに震えるビーニャをソファに残したまま、イオスは彼女から離れた。

「もういい、貴様の署名なしで書類を出す。 何かあったらお前が仕事を放棄したせいだと議会に伝えるからそのつもりでいろ。
さあ、 今すぐここから出て行っ――」

 扉を指さそうとした所で、いきなり背後から腰に手をまわされ、今度はイオスがソファへと倒れこむ。

「なっ……!?」


 引きずり込んだイオスの上に馬乗りになったビーニャは、舌なめずりをして赤い唇を濡らし――哂った。


「その気にならない?? じゃあ、その気にさせてあげようカァ?」
「おい、貴様何を考えてっ……! 退け、どかないかっ!」

 もがくイオスを押さえつけて。赤く染めた指先が、白い首筋を這いあがる。
 折れそうに細く青白いビーニャの身体。一体どこにそんな力があるのか、イオスの首を抑える手も、腰を挟み込む脚も、軍人であるイオスが本気で突き飛ばそうとしているのに、まるで重い鎖のように彼の身体を絡めとったまま逃げることを許さない。


「ビーニャ! いい加減にっ……!」
「――悪いけど。アタシ、泣くよりも、泣かせる方が好きなのよ」


 笑い転げていたビーニャの双眸に、これまでとは違う影が落ちる。
 怒鳴るイオスの唇に、つめたい唇が重なった。





◆◆◆  




 たっぷり二人ぶん。ポットになみなみと注いであった紅茶をこぼさないように気をつけながらなんとか人気のない回廊にたどり着いたは、トレイを床に置くなりそのままずるずるとしゃがみこんでしまった。

 張り裂けそうに痛む呼吸がようやく落ちついた所で、何があったのかを思い出し、目頭が熱くなる。

「なん、で……」


 滲む視線の先には、夢見ながら一生懸命作ったチョコレート。


 ――執務室にイオスとビーニャが二人きりだった。それももちろんショックだった。だが、仕事上何か必要なことがあったのだろう、イオスが望んで彼女を招いたわけではないことくらい、も理解できる。  だから、それだけなら我慢できた。――でも。

「バレンタインのこと、なんで、知って……」

 あの時。ビーニャはもうずいぶん前からが扉の向こうにいることに気づいていたのだろう。それでわざと、チョコレートを食べさせてから自分を呼んだのだ。  
 しかも、ただ偶然チョコレートを持っていたわけではない。彼女は最初から、何故今日チョコレートが必要なのか、その意味を知っていて――最初から全て、わざと、仕組んだのだ。

「なんで、なんでなんでなんで……っ!」

 今日のために何度も何度も練習した。イオスに食べてもらうことだけを夢見て一生懸命作った手作りチョコレート。 宝物のように大切なチョコレート。それを土足で踏みにじられて、の喉から嗚咽が漏れる。


 どうしてこんなことに――……!


 咄嗟に、チョコレートの箱を目の前の泉へと投げ込もうとして。腕を振り上げたは、その姿勢のまましばらく動きを止めて……再び、想いの結晶を胸に抱きしめた。
 膝に顔を埋め、小刻みに肩をふるわせる。ややあって、彼女はゆるゆると顔をあげた。

 虚空を見つめる瞳に湛えられる、かなしみの涙。だが――それは、一滴たりとも零れてはいなかった。
 きつく引き結んでいた唇から、低い声が漏れる。


「泣くな。 ……別に、負けたわけでもなんでもないんだから」


 言い聞かせるような独白の後、は強張った表情のまま立ち上がる。


 ――そう。ただお茶をするタイミングがあわなかったというだけで、自分とイオスの間に何かあったわけでもない。 ビーニャが割り込んできたわけでも、とられたわけでも、なんでもないのだ。


 だから、泣かない。泣く必要なんてどこにもない。  



 ――泣いて、あの女(ひと)を悦ばせたりなどしてやるものか。



「……イオスさんは、わたしのもの、なんだから」



 絶対に、譲らない。 闇夜のように深い決意を込めて、はそう呟いた。



END

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