会議中のルヴァイドに代わり、上司の執務室で書類処理に追われていたイオスを、お茶にしませんかとが訪ねて来た。
おりしも時刻は午後三時。休憩するにはちょうどいいかと思ったイオスは、ペンを置くと備え付けの応接セットに少女を案内した。

しかし、彼女から差し出された包みを前に首を傾げる。

「……これは?」






チ ョ コ と 戸 惑 う 冬 の 午 後







「あ、その、チョコレートです。今ね、街で人気のお店のなんですよ」
「へぇ……。
でも、何もこんなきれいにラッピングしてもらうこともないだろうに」
長方形の箱を包むのはざらりとした質感の深紅の包装紙に金色のリボン。まるでプレゼントみたいじゃないかとイオスが言えば、はリボンが可愛かったのでついプレゼント用なんですと言ってしまって……などと恥ずかしそうに笑った。

リボンが欲しくて……なんて、女の子だなあと思いながらイオスが包みを開ける。精緻な飾り模様で縁取られた箱の中には、ナッツやココアパウダーを纏った丸いトリュフが並んでいた。
人気の店のものなだけあって、確かに美味しそうである。

2つのカップにが紅茶を注ぎ終わったのを確認してから、イオスが蓋の開いたチョコレートの箱を彼女の方へと向ける。先に好きなものを選ぶように促したのだが、何故か少女は慌てたように首を振ってそれを拒んだ。
「あ、あの。イオスさんお先にどうぞ」
「え?」
意外なの反応に、イオスが不思議そうに首を傾げる。

――わざわざ城下に下りて自分で買って来たくらいなのだから、相当食べてみたかったのだろう。てっきり瞳を輝かせてどれにしようか選び出すとばかり思っていたのに。

「何でだ? 君が買って来たんだろう? 先に選べばいい」
それにこういう時はレディファーストだろうとイオスが少女の前へと箱を押しやる。しかし、は困ったように眉をひそめた。
「いいんです。とっ、とにかく、イオスさんからどうぞ!」
そう言って、箱をイオスの方へと押し返す。
「――……?」
奇妙な頑固さを見せる少女に、イオスが不信気な表情を浮かべてその名を呼ぶ。それでも、彼女はお先にどうぞと同じ言葉を繰り返してうつむいた。その頬が何故か少し紅く染まっている。


(女の子の考えることは、よくわからない……)
これも年頃の女の子特有の「気まぐれ」というやつなのだろうか。
ふう、とイオスの口から小さく溜め息が漏れる。

の態度は解せないものの、せっかく二人きりのお茶の時間をつまらない言い争いで潰す気はイオスにはない。
彼女がそこまで言うならまあいいかと、箱の中からココアパウダーをまぶしたトリュフを選んでひとつつまんだ。
食べてみて下さい、と少女に言われるままに、一口大の丸い菓子を口に入れる。わずかな苦味の次に甘いクリームの味が口いっぱいに広がり、品の良いブランデーの香りがすっと鼻に抜けた。


――美味しい。


元老院主催の会議や晩餐会に呼ばれ、デグレア城専属コックのチョコレート菓子も何度か口にしたことのあるイオスだったが、このトリュフはそれにもひけを取らないだろう。



「――どう、ですか?」
その味に感心しきっていたイオスは、ふいに耳に届いた少女の声にはっと顔を上げた。
が、どこか神妙な面持ちでじっとこちらを窺っている。
男のくせに真面目な顔で甘いものなんか食べているところを見られたことがなんだか気恥ずかしくて、イオスは慌てて含んでいたチョコレートを飲み下した。
「あ、ああ。美味しいよ、すごく」
甘さもくどくなくて、後味もいい。人気があるのもわかるよとイオスが言うと、はよかったと言ってどこか安心したように小さく笑った。
そのまま紅茶を入れたティーカップを両手で包み込んで、ぽつりとつぶやく。

「…あ…のね、イオスさん」
「うん?」
「今日って、何日ですか?」

唐突なの質問にイオスが目を瞬いた。
……何を、いきなり。

「は?
今日は……2月14日だろう?」
「そうです……ね。
14日、ですよね……」

イオスの答えを復唱したは、視線を落としてじっと紅茶の水面を見つめている。


「……」
「……」


あまりに脈絡のない会話に、少女の意図が掴み取れず困惑するイオスと、うつむいたままのの間におかしな沈黙が流れること――たっぷり10秒。


「――おい、?」
沈黙に耐え切れなくなったイオスが口を開く。名を呼ばれて、ははじかれたように顔を上げた。
「あ、はっ、はいっ!?」
「はい、じゃないよ…何なんだ一体。ちょっと今日、おかしいぞ」
チョコを先に選ぶのを拒んでみたり、いきなり日付を聞いてきたり。かと思えばぼうっと手元を見つめて黙り込んだりして――彼女の行動はどうにもちぐはぐで、イオスには訳がわからない。
どこか身体の具合でも悪いのかとイオスが問う。しかし、は大慌てで首を横に振った。
「だ、大丈夫です!
すみません……午後ってなんか、ぼけっとしちゃうんですよね」
そう言ってあははと笑い、少女は取り繕うかのようにぎこちない手つきで紅茶をひと口飲んだ。
「ぼけっと、ねぇ……」
確かにうららかな午後には気も緩むかもしれないが、それにしたって限度があるだろう。 呆れたような色を浮かべるイオスの瞳と目が合うと、はカップに口をつけたまま居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。









「……まあ、いいけど、ね」
ふう、と再び溜め息ひとつ。
気を取り直すかのようにイオスも熱い紅茶に口をつけた。
「ほら、チョコレート。君も食べるんだろう?」
そう言ってイオスが箱を指差す。今度は、も素直に頷いて並ぶトリュフへと視線を移した。

「えーと、うーん……」

箱に残っているトリュフは9個。各々デコレーションの違うそれを前に、真剣な顔をしたがどれにしようかきょろきょろと瞳を動かしている。

(別に、どれかひとつしか食べられないわけじゃないんだから、あんな真剣に悩まなくてもいいのに)

迷うの姿を、紅茶から立ち上る白い湯気越しに眺めるイオスがくすりと笑う。
テーブルの向こうのそんな反応には気付かずに、ややあっては銀色のアラザンをあしらったトリュフを選ぶと、形を崩さないようにそっと箱からつまみ上げた。
口許まで持ってきたところで、ひと口で食べようか半分ずついこうかちょっと迷ってから、意を決したようにえいっとそのままひと口でぱくついた。


ぷちぷちしたアラザンの歯ごたえと共に広がるやわらかくて甘いチョコレートクリームの味。中心部に苺ジャムが入っていたようで、甘さの中に感じるその酸味がこれまたいいアクセントになっている。


(わあぁ、おいしいよぅ)


城の女官達から評判を聞いて行ってみたお店だったが、噂にたがわぬ美味しさで。
やはり買いに行って正解だった。緩む頬がとめられない。


……イオスにも、食べてもらえたし。今日はかなり、いい日かもしれない。


――甘くて、おいしくて。なんかどうしようっていうくらい、幸せ。










「――かわいい」





「……?」
口の中いっぱいに幸せを頬張ってご満悦だったの耳にイオスの声が響く。視線を上げれば、テーブルに頬杖を付いたイオスが楽しそうに目を細めてこちらを見つめていた。

(今イオスさん……可愛いって、言わなかった?)

聞き間違いではないと……思う。しかし、一体彼は何を指して可愛いと言ったのだろう?
ここはルヴァイドの執務室だ。テテもいないし、可愛らしいと呼べるようなものはない気がするのだが。

チョコレートを飲み込むのも忘れて不思議そうな顔できょろきょろと辺りを見回し始めた少女をくすくす笑ってイオスが言った。


「君のことだよ、君の」


「――っ!?」
えぇ、と素っ頓狂な声を上げそうになって。しかし、まだ口にトリュフを頬張っていたことを思い出したは慌てて口を手で塞いだ。
(わっ、わたし!?)
一体…一体彼は何を突然そんなことを言い出すのだ。
何か言い返したいのだが、口の中に残るトリュフのせいでしゃべれない。とにかくこれを食べきってしまわなければと思うのだが、いきなりのことに動揺してしまって口の中が乾いて、うまく飲み込めない。

しかし、うろたえる彼女を尻目にイオスは言葉を続けた。

「そういうふうに……甘いものを食べて、すごく嬉しそうにしてるの顔、本当に可愛いなって思って」

さらに告げられたとんでもない言葉に、は一気に耳まで赤く染めた。
(な、なに……いきなりっ……!?)
心臓がばくばくして息が詰まりそうで。もはや飲み込むどころの騒ぎではなくて、ここは紅茶でチョコレートを流し込んでしまおうとカップに手を伸ばすのだが、恥ずかしくて目の前がぐるぐるして、うまく取っ手をつかめない。
やっとのことでカップを手にしたものの、零さないように口をつけるので精一杯。
もっと上品に飲みたいのに――動揺する身体は云う事をきかず、彼女の意思に反してごくりと喉が鳴ってしまった。



「もっとも――……」



そんな彼女の動揺を、わかっているのかいないのか。
わざと、なのか。




「――はいつでも可愛いけどね」




……あと一瞬、イオスの言葉が早かったら。は盛大に紅茶を吹き出していただろう。

すんでのところでトリュフごと含んでいた紅茶を飲み下して。震える手でカップをソーサーに置いた。
ちらり、と。イオスの顔を盗み見れば、満足げに微笑むルビーの瞳と目が合って。は慌てて視線をそらした。


なんでどうして、彼の目元はあんなに優しげに微笑(わら)っているのだろう。


鼓動が跳ねる心臓が、痛い。









「……だ……」

火を噴きそうに熱い顔を上げられないままに。やっとのことで、が口を開いた。

「だめ…ですよ。そういうこと、簡単に、言っちゃ……」
視線をテーブルの上に落としたまま、消え入りそうな声でつぶやく。
「そういうこと、言ったら……その
――女の子は、勘違い、しちゃいますよ」

あんな優しい笑顔で、可愛いなんて言われたら。愚かとわかっていても、期待をしてしまう。
彼にとっては何でもない言葉なのかもしれないが、言われる方からすれば、とてもとても、意味を勘ぐりたくなる――重い言葉なのだ。

そこのところを、わかって、いるのだろうか……このひとは。



ふう、と。の言葉を聞いて、イオスが今日三度目になる溜め息をついた。
吐息の音に、少女は一瞬ぴくりと握り締めた手を震わせて反応したが、やはりうつむいたままで。
「勘違い、ね」
やれやれと肩をすくめて。イオスがゆっくりと紅茶のカップを手にとった。
「別に、構わないよ」
どういうことだろうと、彼の言葉の意味を図りかねたがようやく顔を上げる。テーブルの向こうに座る青年は、よく晴れた冬空を映す窓の外を眺めながらぽつりとつぶやいた。





「――誰にでも言ってるわけじゃ、ないからね」




そう言って、どこか緩慢な動作で手にした紅茶をすする。





(……誰にでも言ってるわけじゃ…ない…?)




まるで今日の天気でも語るかのように、何気なく告げられた言葉。




けれど、それは――――……。














「……あ、ああああのっ! こ、紅茶!紅茶おかわりしますよね!?
ちょっと淹れて来ますねっ!!」

降りてしまった沈黙を無理矢理打ち破るかのように突然そう叫ぶと、はまだたっぷり1杯ぶんは残っているティーポットを掴んで立ち上がり、ばたばたと部屋の外に飛び出して行った。


バタン、と勢いよく閉まるドア。目に見えてうろたえながら走り去った少女の後姿に、あんなにおたおたしながら走ったりして大丈夫だろうか、なんてことが頭をよぎる。けれど、それは自分のせいなのだということを思い出してイオスが苦笑した。


「ちょっと……露骨だった、かな」


――別に、今ここで口説くつもりではなかったのだけれど。幸せそうにチョコを頬張る彼女の笑顔があんまり可愛くて、かわいくて――気が付いたら口が動いていた。
もっとも、鈍い彼女のことだ。今日は殊更ぼけっとしていたようだし、イオスの言葉の意図をどこまでわかっているかは甚だ疑問だが……。


まだ、彼女にこの想いを伝えるつもりはない、のに。ふとした日常の出来事に揺さぶられて、思わず口が滑りそうになってしまう。


もし、今……あの細い手首を捕まえて、抱き寄せて、耳元で好きだよと囁いたら、あの少女はどんな顔をするのかと。そんなことを考えている自分に気が付いて、イオスは参ったなと天を仰いだ。
目の端に入る、窓の外の寒そうに澄んだ青空が妙に眩しい。


――重症だ。











給湯室に駆け込んで、とりあえず湯を沸かすべくヤカンを火にかけて。それでも動悸がおさまらなくて、はともすればへたり込みそうになる身体をぐっと足に力を入れることでなんとか支えた。

――勘違いしても構わない。誰にでも言っているわけじゃないからね。

イオスの言葉が、頭から離れない。




――今日は2月14日。元の世界ではバレンタインデーだ。
リィンバウムにバレンタインという習慣はなかったが、ちょうどおいしいチョコレートの噂を聞いて思わず買いに走ってしまった。イオスに渡したくて。
もちろん、イオスはバレンタインデーなど知らない。2月14日に渡されるチョコレートにどんな意味があるのかも知らない。
それでも、彼にチョコレートを食べてもらうことで、誰にも知られずに…伝えられない自分の想いを昇華しようと思ったのだ。ただそれだけで満足だったはずなのに。


ひっそりと、あんなお菓子に気持ちを託しているような臆病な自分に、彼の言葉は、あまりにも……。





ヤカンからは、熱くて白い湯気がしゅんしゅんと煩く音を立てて立ち上っている。火を止めて、茶葉の用意をしなければと思うのだが、なんだか身体が動かない。


このあと、一体、どんな顔をして彼のところに戻ればよいのだろう?


木枯らしの吹く窓の外はあんなにも寒そうなのに。どうしようもない熱が頬から、引かない。







なんでもなかったはずの冬の午後。
けれど、二人の間の境界線に、どちらからともなく…なんの準備もなくいきなり一歩踏み込んでしまって。

――勝手に揺れるこの想いに、ただ戸惑い途方に暮れる、冬の午後。



END

back