「白夜には『四天王』がいるんだ。
機界のリゼルド、鬼妖界のユヅキ、霊界のピア、そして我らが幻獣界のオーレル!
……でもオーレルってイマイチパッとしな……」

「――なぁぁぁんだとおこンのオオカミ少年がーーーーーーーーーーーッッ!!!」

 怒鳴り声と共に飛んできた大玉のスイカがオルフルの青年の頭にクリーンヒットする。
 ひっくり返ってしまった青年とつい一瞬前まで話をしていた桃色の髪の旅人は、目をまんまるくしてこの騒動の犯人――スイカを投げた後の見事なフィニッシュポーズのまま、憤怒の形相を浮かべているひとりの少女を見やった。





マ マ レ ー ド ・ ボ ー イ






「……それで。あんな大騒ぎになるまで街中(まちなか)で大喧嘩をしたと、そういう事ですか」
「……ごめんなさい」

 叱られ、少女はしゅんと肩を落とし、うなだれる。
 そんな彼女の頬に最後の絆創膏を貼ったオーレルは、嘆かわしいとばかり盛大にため息をついて救急箱の蓋を閉じた。

「僕が楽しみにしていた初物のスイカをダメにしてまでこんなことをして……。
いいですか? キミは仮にも女性なのですよ!? キサナさまを見習って少しは淑女のたしなみというものをですね……」
「だって悔しかったんだもんっ!」

 レディとは何かを説こうとしていたオーレルの言葉を遮り少女が叫ぶ。
 静かにしなさいと怒鳴りかけて。けれど、顔を上げた少女の瞳に涙が滲んでいるのを見て、さすがのオーレルも思わず言葉を失った。

「いっつもそう! 街の人たちはオーレルのこと好き勝手言ってばかりで!
皆がすごいすごいって言うリゼルドだって、オーレルがメンテしてあげなきゃ動けないんだよ!?
任務で遠くに行くユヅキといつでも連絡取り合えるのだって、オーレルが作った通信機のおかげなんだよ!?
オーレルだってこんなにこんなにすごいのに、何で皆うわべばっかり見て勝手なことっ……!」
「ちょ……ちょっと。お、落ち着きなさい、
「そりゃ確かにオーレルは戦ったりとか出来ないよ? 外におつかいに行って魔物に遭った時なんてうわああああとか叫びながら私の後ろに隠れたりするし、そういう時はさすがに私だってこのイヌ畜生めか弱い女の子を盾にするな馬鹿者がイヌ鍋にしちまうぞコラとか思うよ!?
だけどオーレルは見えないところでいっぱいいっぱい頑張っててオーレルがいなかったら白夜の皆だってどれだけ困るか……」
「……ちょっと一部聞き捨てならない言葉が混ざっていた気がするのですが……!?」

 小さな拳を握り締め涙ながらに訴える少女――に、あまりにストレートに褒められて最初は顔を赤くしていたオーレルだったが、その後飛び出してきたこれまた淑女らしくない暴言にぴくりと頬が引きつる。
 その真意を問いただしたいところだったが、未だ鼻をすすっている彼女を詰問するわけにもいかなくて。ずり落ちた眼鏡を直した彼は、やれやれと再びため息をついた。

「……いいですか、? 別に僕は」
「……オーレルだって、白夜にとってかけがえのない人なのに。なんでみんな、わかってくれないのかな……」
?」

 振り上げていた拳を膝の上に降ろして。急に静かになってしまった少女に、オーレルが訝しげな顔を向ける。
 うつむいたまま、はちいさく唇を噛んだ。

「それに……オーレルがいなかったらさ、私なんて今、生きてもいなかったんだよ?」

 ぽつりと呟かれた言葉に、オーレルの瞳が懐かしそうに細められる。

「……そういえば、そんなこともありましたね」

 今ではすっかり我が物顔でオーレルの家を占拠しているこの少女――との出会い。

 まだそんな昔のことではない筈なのに。彼女と過ごすようになってからの毎日があまりに慌しくて賑やかで、何だかもう随分と長い時間が過ぎているような、そんな気がしていた。




***




 ――あれは、数年前だっただろうか。

 任務からの帰り道。オーレルは、砂礫の荒野にひとり佇むこの娘を見つけた。
 ……というより、崖から身を投げようとしている彼女を同行していたリゼルドと共に止めたのだ。
 もがき、ひたすら虚空へと手を伸ばす少女を必死に押さえつけて。何故こんな事をと声を荒げるオーレルに、少女は絶望しきった瞳でこう言った。

「だってわたし、なにもわからないの。
……からっぽ、なの」

 なんと、少女は一切の記憶を持っていなかった。
 ――自分の名前すら、彼女は知らなかったのだ。

 確かに皆、最初は何も「わからない」。けれど彼女のそれは尋常ではなかった。

 何もわからず、少女は気がついたらここにいたという。何日、何ヶ月、真っ白の記憶と心を抱えたまま、白夜の世界をたったひとりで彷徨い続けて――流し続けた涙すら乾いた頃、ついに彼女は死という結末を望んだ。
 放っておいたら少女はまた死を選んでしまう。途方に暮れたオーレルは、彼女をキサナの元へと連れて行ったのだった――……。




***




「キサナさまが私にって名前をつけてくれて、ここにいなさいって言ってくれて……それでようやく私は頑張って生きて行こうって気持ちになれた。
それからも……オーレル、本当は人付き合いとか面倒なこと嫌いなのにさ、行くあてのない私のことこうして自分の家に置いて面倒みてくれてるし」
「ま、まあそれはその、一応僕にはキミを拾った責任というものがありますからね」

 捨てイヌを拾ったらちゃんと最後まで面倒見るのが人情というものでしょうと言われ、動物扱いされたはむうっと頬を膨らませる。
 悔しくて思わず「わんわんわんッ!」と犬の鳴き真似で威嚇してみたら、目の前のオーレルの顔がみるみるうちに歪められていった。

 ――「情けない」。灰緑の瞳が強くそう訴えている。

 まるでこの世の終わりでも見たかのような、嘆きの極みだとでも言いたげなその表情。それがなんとも可笑しくて――次の瞬間、さっきまでの涙はどこへやら、はぷっと吹き出してしまった。

「あ、あははっ! オーレル変な顔ー!」
「全くもう……。何なんですか、キミは……」

 泣いたり吠えたり笑ったり。相変わらず喜怒哀楽の激しいこの少女に、ほとほと呆れ果ててしまったオーレルはがくりと肩を落とす。

 ――とてもじゃないが、これが一度は死を望んだ人間だとは思えなかった。

(最初は本当に心細そうで、あまりに可哀想だったから引き取ったというのに……)

 それがこんなじゃじゃ馬になるなんて。どこかで教育方針を間違えたのだろうかと、オーレルの口からまたしてもため息がもれる。
 露骨に疲れた表情を浮かべる気難し屋の青年。そんな彼を見つめるの口許が嬉しそうにほころんだ。

「……死にたがってた私がこんな風に騒がしく笑うようになったのだって、オーレルのおかげなんだもんね」
「――え?」

 まるで心を読んだかのようなタイミングで発せられたの言葉にオーレルは驚いて顔を上げる。
 目が合った少女は、まだ少し潤んだ瞳でくすくすと笑った。

「だからね。オーレルは私にとってかけがえのない人で、恩人なんだ。
だから……オーレルのこと悪く言われると、すごく、悔しいの……」
「……

 悔しいんだ。もう一度そう繰り返して、は泣きそうな顔で笑う。
 彼女が向けるまっすぐな感情をどう受け止めたらいいのかわからなくて、オーレルは困惑した。

 普段はあんなにも騒々しい少女がこんなに儚く笑った時、一体どうすればいいのかなんて。そんなこと、彼は知らない。山のように読んできた書物の中にもそんな知識は一切書かれていなかったからだ。

 行動も感情も何もかも、先が読めなくて未知数で。毎日毎日新しい問題を起こして、でもその答えはオーレルですらわからないという、どこまでも不思議な存在――それが、彼にとってのという少女だった。
 自分のことをこんな風に想ってくれるのも、彼女が初めてなのだ。



(本当に……不思議な人ですよ、キミは)



 ――ややあって。オーレルは、桜色の唇を悔しそうに尖らせているの横へと腰を下ろした。

「……オーレル?」
「いいですか、
言いたい奴には言わせておけば良いんです。放っておきなさい。
それに、僕がユヅキ達に比べて圧倒的に弱くて、対外的な面では全くの役立たずだというのはまぎれもない事実ですからね」
「オーレル! だからオーレルはそんなことっ……!」
「いいから黙って聞きなさい。
……ですが、僕だっていつまでも言いたい放題言われているつもりはありません。
召喚術の研究だとか機械文明の解明だとか、自分を高めて白夜の役に立つ力を手に入れて……それで皆に認めてもらえるよう、これでも日夜努力しているつもりですよ。
今はまだ、時が来ていないと。それだけのことです」
「オーレル……」
「――それに」

 まだ何か言いたげな少女を制して、オーレルはぽつりとこう言った。

「別に、誰ひとり今の僕を認めてくれていない訳ではないのですしね」
「……?」

 言葉の意味が解らず、はきょとんとする。

「オーレル?」
「……で、ですから…・・・!」

 不思議そうに首をかしげて、少女はオーレルの服の袖をくいくいと引っ張り解説を求める。
 口をへの字に曲げて、オーレルは怒ったようにぷいとそっぽを向いた。

「オーレル? わかんない……」
「ですからっ!
――す、少なくとも、キミは僕を認めてくれているのでしょう!?」

 今はそれでじゅうぶんですよ、と。そう言ってオーレルはソファから立ち上がる。
 に背を向けた彼は、急にばたばたと慌しく動き始めた。

「――ああもう、いつまでもキミのおしゃべりに付き合っている訳にはいかないんです! リゼルドの修復も途中だしキサナさまへの報告も色々あるし読まなければいけない本もたまっているし、こう見えても僕は今すごく忙しくてですね……!」

 テーブルの上に積み上げられていた書類やら本やらを抱え込みながら、オーレルはものすごい勢いでひとりぶつぶつとあれこれ文句を口にする。
 けれど。ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、ふさふさしたオーレルの白い耳の先がほんのりと赤く染まっているのをは見逃さなかった。

(……オーレルってば)

 ――それは、だけが知っている秘密。
 いつもすました顔をして小難しいことばかり口にする彼は、照れくさくなるとこうしてそっぽを向いて普段の何倍もの早口であれこれ文句をまくしたてて――けれど本当は、隠したその顔は真っ赤に染まっているのだ。

(私でもちゃんと、オーレルの支えになれてるって……思っていいのかな、これは)

 相変わらず背を向けたまま、オーレルはお小言を呟き続けている。
 そんな彼を見つめるの胸に、何かとてもあたたかいものがじんわりと広がっていった。


 涙の跡が残る頬をごしごしと両手でこすって。腰を上げたは、そのまままっすぐにオーレルの背中へと抱きついた。

「……えへへ、オーレル大好き!」
「ん、なッ……!? は、離れなさい、ってええ?? す、好きって……好き!!??」
「んー、いつもながらオーレルってふかふかだねえ、気持ちいいーやっぱり好きー」
ーーーーーーーッ!?」

 手にした本をばさばさと落としてうろたえるオーレル。とんでもない状況に混乱し、冷や汗をかきながらそれはもう気の毒なほどに赤くなったり青くなったりしながら手をばたつかせるのだが、当のはそんな彼になんておかまいなしにぎゅうっと抱きつく腕に力を込め、オーレルの柔らかな背中に幸せそうに頬ずりを繰り返した。

「誰が何て言ったって、私は絶対にオーレルの味方だし、オーレルのこと大好きだからね……」

 いつもお説教ばかりだけれど。憎まれ口叩き合ってばかりだけれど。例えばこうやって、が怪我をしたと聞けば白夜の仕事を放り出してでも家に戻ってきてくれる――そんなオーレルが本当は誰より優しくてあたたかいことを、はよくわかっていた。


 ……だから。かっこわるいと言う人がいたって、パッとしないとか言う人がいたって。にとってオーレルは、生きる道を与えてくれた、何より大切で、誰より大好きなヒーローなのだ。


「でででですから何度も言うようにキミは仮にも女性なのですからッ! このようにいきなり人に抱きつくとかすすす好きだなんて軽々しく言ったりとかそんなことは淑女として言語道断でしてそこのところをキミはちゃんと理解してっ……」
「よーし! それじゃあ、スイカ駄目にしちゃったおわびに、今日の晩ご飯はオーレルが好きなローストチキンにしてあげよう!」

 ご機嫌な声でそう言って、はオーレルから身体を離す。

「ちょっとキミは人の話を聞いているんですか……って、え? ローストチキン?」

 それまで猛然とお小言をまくしたてていたオーレルが、の言葉に急にぴたりとその動きを止める。
 ようやく無理矢理の抱擁から解放された彼は、ゆっくりと背後の少女に向き直った。

「……ロ、ローストチキンって、あの、この前作ってくれたあれですか?」
「そうそう。あの骨付きのお肉使ってレモンママレードのソースかけたやつね。
オーレルあれ好きでしょ? 今日は色々迷惑かけちゃったし、おわびにうんと腕ふるっちゃいますので!」

 頑張っちゃうよーと言って、はえへんと胸を張ってみせる。
 夕食が大好物だと知らされて、オーレルの頭からはまだまだ言ってやろうと思っていたお説教の言葉がすっかり吹き飛んでしまった。
 無意識のうちにごくりと一度喉が鳴る。口には出さないが、明らかに嬉しそうに目を輝かせ始めたオーレルの肩を、くすくす笑いながらが叩いた。

「ほら、まだお仕事残ってるんでしょ? 本部に戻らなきゃ。
その間にご飯作っておくから、さめないうちに帰ってきてねっ!」
「――あ、ああッ!? 
そうでした、新しく来た放浪者達との話が途中でっ……!? ああもうキミのせいですよっ、大事な話だったのにーッ!」

 大変だ大変だと言って、オーレルは床に散らばった書類やら本やらをごちゃまぜに抱え込み、ばたばたとリビングを飛び出して行く。
 慌しく玄関の扉を開ける音がしたと思ったら、オーレルは何故か再びリビングに顔を覗かせて。きょとんとするに対し、彼はこう言った。

「ちゃ、ちゃんと戻ってきますからね!? いいですか、先に食べてたりするの無しですよ!?」

 キミは食い意地が張ってますから心配なんですよ、なんて。わざわざ戻ってきたと思ったらこれまた失礼なことをのたまうオーレルに、はイーっと歯を剥きだして見せた。

「はいはいわかってますよーだ。いってらっしゃーい!」

 再び大きな足音をたてて家を飛び出して行くオーレルを見送ったは、こみあげる笑いを抑えきれないままにキッチンへと向かう。
 散々お小言を並べていたくせに、好きな料理の名前を出しただけでころっと態度が変わってしまう――そんなオーレルの単純さもは大好きなのだった。


 ああいうところが「わんこ」っぽくて可愛いのよねとか――実はそんなことを思っているだなんて、これまた彼には絶対に秘密だけれど。


 エプロンを身につけ、は戸棚から今晩のメニューであるローストチキンのレシピが載った本を取り出す。
 そうして、ぱらぱらとひと通りページをめくったあとで改めて本の表紙を見やった彼女は、ちょっとばつが悪そうに肩をすくめるのだった。

「……あのチキンのレシピ……これ参考にしたってバレたら怒るだろうなあ……」

 うふふとひとしきり笑ってから。さて、頑張る家主様のために私も頑張りましょうと呟いて、はテーブルの上に材料を並べ始める。
 白夜一気難しくて近寄りがたいと常々言われる青年宅のキッチンに、少女の楽しげな鼻歌が響いた。



 ――やっぱり記憶は戻らないままで、自分がどこから来たのかも、未だ彼女はわからない。

 それでも、こうしてオーレルと一緒に笑って過ごす日々が、の中に大切な思い出としてひとつひとつ重ねられていって。そうして出来ていく新たな「記憶」が、はたまらなく愛おしかった。




 
***





「――ちょっと!? 
ななな何ですかこの『わんこのための手作りごはん★ペットと一緒にごはんを食べよう♪』とかいう本はーッ!?」
「わー見ちゃダメーッ!
だ、だってだってオーレル、その本のレシピ元にして作るといつも美味しい美味しいって食べてくれるからやっぱわんこなんだなあって……!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!(犬用ーー!!??)」



*END*

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