「うーん……。
あのね、そのお芋、この前あっちのお店で買った時は10こで1000バウムだったから、今日もそのつもりで来たんですけど……」
どうしようかなあ、と少女は目の前の店主と数軒先の八百屋とを見比べながら、さも困ったように小首を傾げて可愛らしくため息をつく。
――結果、狙った芋は少女の言い値でお買い上げとなり。
傍でそれを見ていた青年は、思いがけない少女の一面に目を丸くするのだった。
Oneday × Holiday
駐屯地から半時ほど馬を走らせた場所にある小さな町。商店が立ち並ぶ賑やかな中央通りを、黒髪の少女と栗色の髪をした青年が肩を並べて歩いていた。
――物資の補給……食料の買出し。今や黒の旅団にとってはなくてはならない炊事担当であるについて町に出かけるのは、いつも決まって特務隊隊長の役目……というより彼が頑として他の者の同行を許さなかったのだが、今日に限ってイオスにはどうしても外せない用事があり。
水面下における壮絶なるジャンケン大会の末、名誉ある代打同行の座を勝ち取ったのは、よりひとつ年上になるこの青年だった。
晴れた空。なだらかな下り坂。眼下に見える町並み。
川沿いの丘陵地にあるこの町に吹く風は水と緑の息吹をたっぷり含んで、軍隊生活で疲れた心を爽やかにゆるやかにほぐしてゆく。
「テテー。こーら、ちゃんと前見ないと転んじゃうよー?」
露店で買ってもらった林檎飴を片手におおはしゃぎで前を駆ける護衛獣を少女が笑いながらたしなめる。 テテは一度振り返るとばつが悪そうに首を傾げたのだが、すぐにまた嬉しそうに飛び跳ね出した。
「それにしても……さっきはびっくりしたよ。
値切りうまいなあちゃん」
青年の言葉に少女は恥ずかしそうにうふっと笑い、でもですね、と続けた。
「値切りに関してはイオスさんの方がすっごいですよ。
女の店員さんのいるお店に行くと、絶対買ったものと同じくらいの量をおまけでもらってきますもん」
あの麗しき隊長殿が目を合わせてにっこり笑えば、大抵のおかみなど一発で落ちる。
笑顔と共に大量の戦利品を奪取する上司の姿が簡単に想像できて、青年は声を上げて笑った。
「あの人の営業用の笑顔は最強だからなあ」
「ですよねえー」
頬を赤らめて見送るお店の人を見てると、ちょっと悪いような気持ちになっちゃいます、とは肩をすくめてみせる。
――張り詰めた日常から解放されたせいか、この町ではよく笑い、よくしゃべった。
そんな、普段とは少し様子の違った少女の横で、おのずと青年の顔にも笑みが浮かぶ。
歳が近いということもあり、もともとと青年は旅団の中でも仲が良い方だった。色々な話もたくさんしたし、料理や洗濯を一緒にすることもあった。だから、青年は彼女のことはもうじゅうぶんよく見ているつもりだったのだけれど。
それでも、この町にいる時の少女は、それこそ歳相応の女の子というか――無理のない雰囲気で、彼が知らない一面がたくさんあって。その会話や笑顔、ひとつひとつが青年にはとても新鮮で――心が弾んだ。
軍の外に出れば、この子はこんな無邪気に笑うのかと。
それを今まで独り占めしていたあの上司に、少し、嫉妬する。
***
「――あれ。
なんだろう、あの行列?」
一通りの買い物を終え、せっかくだからと町を散策していた途中。公園の一角に連なる行列を青年は不思議そうに指差す。 対する少女は物知り顔でああ、口を開いた。
「えっと、なんか評判のクレープ屋さんみたいです。
季節の果物をいっぱい使って美味しいみたいで……いつもね、並んでるんですよ」
の説明に青年はへえ、と頷く。
言われてみれば確かに香ばしく甘い匂いがあたりに漂っている。クレープワゴンの列に並んでいるのもいかにもこういうものを好みそうな少女やカップルばかりだ。
自然に止まってしまった足。何の気はなしに横を見れば、の視線はそのワゴンに向けられていて。その表情と先程の彼女の言葉をもう一度思い出した青年は、なるほどねと口許をほころばせた。
――列に並んでいるのは少女達――そしてここにもお年頃の女の子が、ひとり。
「……ちゃんはさ、あれ食べたことあるの?」
「えっ?
あ……いえ、ええと、ないですけど……」
「そっか」
それじゃあ、と言いながら、青年はきょとんとしている少女の肩をぐいぐいと押し、そばにあったベンチに無理矢理彼女を座らせる。その横に自分が手にしていた買い物袋をどさりと下ろして、
「じゃあ、ちょっとここで荷物みててね」
そう言い残し、彼女が何か言い返す間もなく青年は行列のほうへと走っていって。
「あ、あのっ……!?」
取り残された少女は、どうしようとひとり途方に暮れてしまった。
***
「はい、どうぞ」
十分後。目の前に差し出されたのはまだあたたかい焼きたてのクレープ。
は戸惑いがちに青年を見上げた。
「あの……」
「どの味がいいか訊き忘れてたから、とりあえず苺のにしてみたんだけど。
苺、好きだったよね?」
「は、はい。好きですけど……。
ああ、ええと、お金……!?」
「いいんだいいんだ、このくらいおごらせてよ。
ほら、人気の店なんだろ? せっかく来てるし時間もあるし、食べてみなくちゃもったいないじゃないか」
そう言って、青年は恐縮している少女ににっこり微笑む。
ややあって、もようやくクレープを受け取った。
ありがとうございますと小さく頭を下げて、直後はたと気付く。
――クレープは、ひとつ。横に腰を下ろした彼の手は今、空だ。
「あのっ!
これ、私だけ……?」
慌てる少女に青年はああ、と向き直った。
「うん。
俺は甘いものってあんまり得意じゃないもんでね」
女の子から見たら付き合い悪い男だよなーと言ってカラカラと笑う青年に、は目をまるくする。
てっきり、彼も食べてみたいと思ったから買いに行ったのだとばかり思っていたのに。まさか、自分のためだったとは……。
自分はそんなに物欲しそうな顔でもしていたのだろうか。恥ずかしくて申し訳なくて、一気に頬が赤く染まった。
「ごっ、ごめんなさ……!」
「何で謝るの? 俺が勝手に買ってきたんだし、いいんだって。
ほら、そんなことより食べてみてよ」
出来立ての方が美味しいだろといって、青年は困り果てている少女を促す。
どうにも申し訳なくて胸がいっぱいなのだが、せっかく買ってきてもらったものに手をつけないのもさらに申し訳なくて、――確かにこの手の中にある菓子はとてもとても彼女好みでそれは美味しそうで――その強く甘い誘惑を拒む術など彼女は持ち合わせていなくて。
いただきます、とまたぺこりと頭を下げて。 はおずおずとクレープにぱくついた。
(……わ)
端の皮はパリパリ。けれど中は甘くふわふわの生クリームとカスタードクリーム。
一見くどそうだが、薄くスライスされた生の苺の酸味がそれらをほどよく引き締めている。
口の中いっぱいに広がる、甘酸っぱく幸せな味。 ……大好きな味。
「……ちゃん、顔ゆるんでる」
久しぶりに食べたクレープにひとりご満悦だったは、横から聞こえた忍び笑いにはっと我に返る。 ……甘いものを食べている時の自分がそれはそれは気の緩んだ表情をすることに自覚のある彼女は慌てて口の端についたクリームを舐め取り顔を伏せたのだが、そんな少女の姿を青年はただ嬉しそうに眺めていた。
「その様子じゃ相当美味しいみたいだね」
「お……美味しいです、けどっ!
もう、そんなに見ないで下さいよ……!」
「だってあんまり美味しそうに食べるから」
そう言って青年はクスクスと笑う。
――旅団の台所事情に本来甘いものなど存在しない。けれど、いつだったか――買出しに出た者が偶然商品のおまけでもらったという菓子を何の気はなしにこの少女にあげて、けれどそれを口にした時の彼女の幸せそうな笑顔があんまり可愛かったものだから……以来、用事で街中に出たものは必ずお土産に菓子を買ってくるというのが密かな決まりごととなっているのだった。
軍人が、しかも本国では一応精鋭部隊として一目置かれている―― 一般兵士からはある意味「怖れられて」もいる――自分達が、買出しのたびにこっそり菓子屋を覗いているなんてあまり知られたくないことだが、嬉しそうに顔を輝かせるこの子の笑顔が見れるかと思うと、それはなんとも楽しい買い物なのだ。
不器用で孤独な軍人の集まりでしかなかった自分達にそんな楽しみを覚えさせてしまったことがどれだけすごいことなのか。彼女には想像もつかないのだろうけれど。
恥ずかしさを誤魔化すためだろうか、ちょっと怒ったように頬を膨らませつつもクレープをかじる少女の横顔を、青年はもう一度見やった。
ちろりと覗く赤い舌が白いクリームを舐めとる。こちらの視線を感じているのだろう、口を動かす動作はどこかぎこちない。こくんと動く、華奢な喉。
――あの人には敵わなくても。それでもそれなりに近くにいた、つもりだったのだけれど。
――けれど本当は、こんな近くでその存在を見るのは今日が初めてだったということに、改めて気付かされて。
小さな唇が菓子から離れたのを確認した彼は、ふいにクレープに添えられた少女の手に指を伸ばした。
「……ひとくち、味見」
「……え?」
急に両手をつかまれて驚いた少女が顔を上げる。
見開かれた黒い瞳がゆっくりと一回、瞬きをする間に。
青年は、少女の手の中にあるクレープを一口、拝借した。
「――!!」
ふわり、と一瞬、の鼻先を青年の柔らかな髪がかすめる。どきん、と心臓が跳ねた。びっくりして息が止まる。
けれど彼女が何かを言う前に、青年の顔は少女の指先から離れた。
「……甘いなあ」
ごくん、と頬張ったクレープを飲み込んで、青年は笑う。でも美味いな、と付け加えて。
「ちゃん?」
目をまん丸にしたまま硬直している少女に、青年は不思議そうな顔を向ける。
――まるで、何事もなかったかのように。
「あ……。
い、いえ、なんでも……」
「どうしたの? もう食べないの?」
一瞬前の出来事なんか微塵にも気に留めていない、もしくは気にすることでもない、とでも言うように、青年はごくごく自然に、動きの止まってしまった少女をただ不思議そうに見つめた。
――クレープを持つ彼女の指先が、ほんの少し震えていることになんて……そう、気付いていないかのように。
「……ちゃん?」
再び問われた彼女は。
「いえ……た、食べます、よ」
しばらくじっと、手元のクレープを見つめていたのだけれど。
促され、再びゆっくりと――そしてどこか、おそるおそる――その甘い菓子に唇を寄せた。
もぐもぐと動く少女の頬が、夕暮れ時でもないのに紅く染まっていることに。
その原因が何なのか気付いていながらも、青年はわざと気付かないふりをしてやり過ごす。
――少女の横にいる護衛獣の目がすっと冷たく細められたのにも、まあ知らん振りを通して。
途切れた会話。微妙な沈黙。
ふたりが座るベンチの脇を、子供達が楽しそうに駆けてゆく。高らかな笑い声。
見上げた空は青く青く澄んでいる。
再び彼が少女に視線を戻すと、彼女はやはり俯きながらぼそぼそとクレープを食べていた。
はらりと落ちた黒髪がかかる横顔は、いまだ薔薇色に上気したままで。
――こんなことをしたとばれた暁には、さてあの金髪の上司に一体どんな形相で槍の矛先を突きつけられるのやら、と思いながら。
まあそれでも、そうなったらちょっと受けて立ってみてもいいかなあとか。そんなことを考えている自分にほとほと呆れてしまった青年は、やれやれとひとり肩をすくめた。
***
駐屯地へと戻る頃には、すでに西の空は茜色に染まっていた。
買い込んだ荷物を馬の背から降ろしていると、ふいに背後から少女を呼ぶ声が響いた。
「おかえり、」
「――イオスさん!」
柔らかな笑顔とともに迎えられ、少女は荷物を抱えたまま嬉しそうにイオスのもとへと駆け寄る。
息を弾ませる少女の手からひょいと荷物を取り上げた特務隊隊長は、その中身を覗き込むと嬉しそうに微笑んだ。
「あ。これ、中央通りのチーズ屋の……?」
「はい。
そのクリームチーズ、イオスさん好きだったから……」
「ああ。これ、パンにつけて食べると美味いんだよな」
覚えててくれてありがとうと言って、イオスはの黒髪を優しく撫でる。
イオスの大きな手をおとなしく受けながら、少女は照れくさそうに目を伏せた。けれど、その口許は幸せそうに微笑んでいる。
彼女を見下ろすイオスの紫玉の瞳が愛おしそうに細められて。
そんな少女と上司のやり取りを、取り残された青年はなす術もなくただ見つめることしか出来なかった。
心地よい夢の世界から無理矢理引きずり戻されたような、そんな虚脱感が彼を襲う。
――このふたりの間に、一体どんな感情が流れているのか。
直接言われなくても、この様子を見ればそんなこと、もうじゅうぶんすぎるくらいによくわかった。
今日、彼女は自分だけの為にたくさんたくさん笑顔を見せてくれた。けれど、あの上司に向ける少女の笑顔は――それとは比べ物にならない程に、幸せそうで、可愛らしくて。
――それだけで……すべてを、思い知らされる。
青年は誰にも悟られないようにそっと、小さくため息をつく。
心のどこかが、少し、痛んだ。
「――ああ、ご苦労だったな。
もういいぞ、あとは僕が手伝っておくから。休んで来い」
「はい」
青年の心の奥底なんて知らないイオスが、ひとり突っ立っている部下に労いの言葉をかける。
湧き上がる感情を押し殺して返事をした青年は、普段と何ら変わることのない笑顔を作って見せた。
「じゃあちゃん、今日はお疲れ様」
そう言ってに手を振り、上司に一礼した青年は馬の手綱を引いてひとり踵を返す。
けれど、離れ出した背中を慌てて少女が呼び止めた。
青年は驚いて振り返る。
「あのっ!
――あれ、ごちそうさまでした」
「……あ」
イオスのすぐ横であの菓子の話題を出されて、青年のポーカーフェイスが一瞬崩れる。
幸い、染まった頬は夕暮れの光で誤魔化すことができたけれど。
面食らったように瞬きを繰り返す青年に、はちょっと恥ずかしそうに口を開いた。
「ほんとはね。
――ずっとあれ、食べてみたかったんです」
前に何度か見かけた時から気になっていて。
けれど恥ずかしくて――食べてみたいと言えなかったから。
だから、ありがとうと。
イオスが横にいるこの場所で。けれど少女は彼のためだけに、笑った。
「……?」
何のことだ? とイオスが怪訝そうに眉根を寄せる。
問われ、うーんとしばし首を傾げた彼女は。
「……ええと、ナイショです」
ね? と青年に同意を求めながら口の前に人差し指を立て、悪戯っぽく笑う少女。
思いがけない展開に一瞬あっけにとられてしまった青年だったが、みるみるうちにその心にこらえ切れない楽しさがこみ上げていった。
この子は、なんて素敵なことを言ってくれるのだろう。
「……だね」
秘密だよねと言って、彼は少女に微笑む。
その言葉に、イオスの口が露骨にへの字にゆがめられていくのがなんとも愉快だった。
――いちばん近くには、いられないけれど。最高の笑顔は、手に入らないけれど。
それでも今日はとりあえず……この内緒事だけでじゅうぶんかなと、そう思う。
「それでは、失礼します」
不満そうな様子の上司に鮮やかに微笑み返して、青年はくるりとふたりに背を向ける。
夕焼けの駐屯地をひとり歩く彼の口から、楽しげな口笛がもれた。
*END*