こんなシーンのある映画があった気がする。
 それはそれは格好良い男の人が、それはそれは高級そうなブティックの試着室前で恋人が出てくるのを待っているのだ。

 ――もっとも、今一緒にいるあのひとは、恋人でも何でもないのだけれど。だから、彼の恋人でも何でもない自分にとって、今この状況はとてもとても図々しいというか贅沢というか、本当に恵まれすぎている時間なのだけれど。 

「いかがですか? お客様」

  カーテンの向こうから声が掛かる。
  緊張をほぐすためすう、と息を吸い込んで、少女が手元のカーテンを引くと。

「あ、それいいな。すみません、やっぱりこれも一緒にお願いします」

  値札も何も確認しないまま似合うというだけで購入を決めてしまうイオスを前に、どうしたらいいのかわからないはただ曖昧に笑うことしか出来なかった。




リボン





「あの、イオスさん。
本当にいいんですか? こんなにたくさん……」
「だからいいんだって何度も言ってるじゃないか。
服は絶対に必要なものなんだし、僕らはいつでも自由に街に出て買い物が出来る立場でもない。買える時に買っておかないと困るだろう?」
「そ、そうなんですけど、でも」

  本当に言いたかったのはいくらなんでもこれは買いすぎだとか、おそらく決して安くはないであろうその金額をイオスが支払おうとしていることについてとかなのだが――。他にも色々言いたいことはあったものの、男が会計中に女の子があれこれ口出しするんじゃないとばかり追い払われてしまったは、亀の子のように首をひっこめてイオスのそばから離れた。


  ――ファナンとトライドラの中間にある交易街。物資の補給のため立ち寄ったこの街で、いきなりイオスに「そういえばそろそろ新しい服がいるだろう」と言われ連れてこられたのは落ち着いたたたずまいのブティックだった。
  まだリィンバウムの「物」に対する価値観や金銭感覚が今ひとつ掴みきれていないだったが、それでもイオスに引っ張られるまま入ったこの店のふわふわの絨毯の感触、そして優雅にいらっしゃいませと頭を下げる店員の反応に即座に悟ったのだ――ここは間違いなく「高級店」なのだと。
  以前ゼラムで買ったものがまだじゅうぶん着られるし、何もわざわざこんな高そうなところで服を買う必要はない。だが、ここはやめましょうとが言う前に、イオスはこんなことを言ってのけたのだった。

「すみません、彼女に似合う服を何着か見繕って欲しいんですが」

 ――店に入ってすぐ。店員に向かって余裕たっぷりに微笑んでこんな台詞を言う人が現実に存在するなんては知らなかった。
 映画の中ならいざ知らず――とりあえずこれは並大抵の男に許される言動ではない。……たぶん。
 けれど、イオスにとってはこんなこと何でもないらしく。
 ほんの少し頬を染めた若い女の店員が慌てての採寸を始める。こうして少女は抵抗する間もなく服をとっかえひっかえされ、あれよあれよというまにイオスセレクトによる「購入決定服」が山積みとなっていったのだった。




***




「ありがとうございましたー!」

  店員一同に満面の笑顔で見送られ、イオスとは大きな紙袋を抱えて店を後にする。
  ワンピースにスカートにブラウスに……一体何着買ったのだろうか。生まれてはじめての贅沢すぎる買い物に、ははぁ、とため息をついた。

「どうした? 気に入らなかったか? それ」
「えっ!? あ、い、いいえっ! そんなことないですないです!」

  慣れない事をした疲れから出たため息だったのだが、イオスはこれを別の意味で受け取ったらしい。
 瞳を曇らせる彼には慌ててぶんぶんと首を横に振った。

「これ、刺繍とかすごく可愛いし着心地もよくって……本当にありがとうございます」

 今が身にまとっているのはつい今し方買ったばかりのワンピース。せっかくだから新しいのに着替えて行こうとイオスが勧めたのだ。
 イオスが選んでくれたそれは、シンプルながらも生地には上質のビロードを使っており、襟元や袖口に施された精緻な花の刺繍がそれは見事な、ひとめで良い品だとわかるものだった。

 もう一度ありがとうございますと言ってぺこりと頭をさげる少女に対し、イオスはよかったと言ってふわりと微笑む。だが、そのやわらかな表情にふいに影が落ちた。

「でも……ごめんな。黒い服ばかりになってしまって」
「そ、そんな! どうしてイオスさんが謝るんですか!?」
「いや……。黒にこだわらなければ、もっと可愛い服があっただろう?
僕達に合わせて黒い服を選ぶはめになってしまって、何だか申し訳なくて」

 思いがけないイオスの言葉にびっくりしてしまったは、ただぱちくりとその瞳を瞬いた。

 確かに今日買った、正確には買ってもらった服は黒いものばかりだ。黒い軍服が基本である旅団の中で浮かないためには必然のことなのだが、どうやらイオスはこれを申し訳なく思っているらしい。

「……女の子なんだし。本当はもっと綺麗な色の服を着たいだろう?
軍にいるせいでこんなことまで君に我慢をさせてしまって……本当に、ごめん」

 真剣に謝るイオス。
 自分のためにと選んで買ってくれた服の入っている袋をたくさん抱えながら、それでももっと可愛い服を着せてあげたかったと言ってくれるその姿に、の胸が息苦しくなるほど切なくしめつけられた。


 ――悲しくて胸が苦しいのではない。
 ――彼に、こんなにも女の子扱いされていることが嬉しくて嬉しくて――舞い上がる心が跳ねるから苦しいのだ。


 高鳴る鼓動を懸命に抑えて。は静かに口をひらいた。

「……あのね、イオスさん。
確かにあのお店には他にも素敵な服がいっぱいありましたし、黒い服ばかり着るのは、普通の女の子に比べたらちょっと地味なのかもしれません。
でも、でもね」
「……でも?」

 が一生懸命何か言葉を紡ごうとしているのを感じ取って、イオスはゆっくりと先を促す。
 ええと、ええと、と必死にあれこれ思考を巡らせていた少女は、ややあってイオスの瞳をまっすぐ見つめるとこう言ったのだった。

「他のどんなに綺麗な服よりも。
私は、こうしてイオスさんが一緒に選んでくれて、イオスさんが似合うよって褒めてくれた服の方が、何倍も何倍も嬉しいんです!」

 勢いよく告げられた少女の言葉に、今度はイオスが瞳を瞬く番だった。
 きょとんとしたその表情を見てははっと我に返る。何だかずいぶんと恥ずかしいことを口走ってしまったような気がして、少女の頬がみるみるうちに赤く染まった。
 だが、どうしよう、と焦ったの耳に届いたのは心地よい笑い声。

 イオスが、何故かとても嬉しそうな顔をして笑っていた。

「それは光栄です、お姫様。
……ありがとう、

 そのままくしゃくしゃと頭を撫でられ、きゃっと小さく悲鳴をあげたは思わず目をつぶってしまう。
 だが、その唇からはつられるようにして笑い声がこぼれた。


 もはやふたりの間では恒例となってしまったじゃれあい。だがそれは、何よりも幸福な時間。


 少女のやわらかな黒髪を指にからませながら、イオスは愛おしそうにその瞳を細めた。

(まったくどうして君は、こうも僕を有頂天にさせるんだか)

 イオスが見下ろした先、はやめてくださいと言いながらもくすぐったそうに身をよじり、くすくすと笑っている。

 他のどんなに綺麗なものよりも。イオスが選んだものがいちばん嬉しいと言って少女は笑う。

 ――本人は全くの無自覚なのだろうが。彼女のこんなひとことが、どれだけ自分を舞い上がらせているのかなんて、この少女は夢にも思っていないのだろう。


 ……いつか。この煩わしい任務が全て終わったら、彼女にとびきり可愛い服を買ってやろう。黒よりももっともっと彼女に似合う色で目一杯お洒落をさせてあげよう。
 自分が選んだ、彼女に似合う最高に綺麗なもの。可愛いもの。それを身につけたら、きっと彼女はイオスがまだ知らないとびっきりの笑顔を見せてくれるだろうから。

 こうして髪を撫でながらその笑顔を想像するのは最高に胸躍ることだった。


(――髪?)


「ああ、そうだ!」

 いきなり大声をあげたイオスに驚いたが文字通り飛び上がる。

「ど、どどうしたんですか、いきなりっ……!?」

 目を白黒させる少女の前で、イオスはそうだそうだとつぶやきながら手にした紙袋の中をまさぐる。
 やがて彼が取り出したのは、二本組みになった赤いリボンだった。
 あまりの羽振りのよさに相当な上客になると見込まれたのだろう、「次回は是非オーダーメイドも」という店員の笑顔と共に渡されたたくさんの生地見本の中に入っていたリボン。それをイオスはの髪へと結びつけた。

「あ、いい、それいい。可愛いよ
「えっ!? リ、リボン……?」

 驚いたが髪に手をやると、そこにはシルクのリボンのなめらかな感触。
  戸惑う彼女にイオスは満足げに微笑んでみせた。

「――服は黒しか無理でも、髪飾りだったら何でもいいだろう?
うん、やっぱりその方が可愛い」

  ひどく嬉しそうなイオスに対し、は少しだけ困ったように首をかしげる。
  ……リボンなんて、最後につけたのはそれこそ小学校低学年くらいだった気がする。この年になって髪に結ぶなんて、元の世界の感覚だったら少々子供っぽいような気もするのだが……。

「あ、あの。へ、変じゃないですか? 子供みたいとか、似合わないとか……」

  上目遣いでおずおずと問う少女に、イオスは大丈夫と笑った。

「君は黒髪だから、そのぶん髪飾りが映えるんだよな。
すごく似合ってるよ、一気に可愛くなった」

  見とれちゃうくらいだよ、などと茶目っ気たっぷりにウインクまでされて、は湯気が出そうなくらい耳まで真っ赤に染まる。
  ……イオスがこれだけ太鼓判を押してくれるのだから、きっと大丈夫なのだろう。
 彼の気持ちが嬉しくて、の口許が次第にほころんでゆく。

 髪に結ばれたリボン。一緒に、心の中にも何かとても大切なものが結び付けられたような気がした。

「ありがとう、ございます……!」

 やわらかな風に赤いリボンを揺らして。少女は幸せそうに微笑んだ。





***




「……そうか。服が駄目なら髪飾りとかそういう小物で勝負すればいいんだよな……」
「え? しょ、勝負?」
「よし! 今からリボンとか色々買いに行くぞ!
えーとこういうのはアクセサリー屋でいいのか? あー確か大通りの方に……」

 リボンの件で何かが目覚めてしまったのか、突如はりきりだしたイオスは、きょとんとしているの手をとって歩き出す。

「ちょ、あ、あの、イ、イオスさーんっ!?」

 どうやらイオスはこういうことに関しては思い立ったら即実行のタイプらしい。
 の静止など全く聞こえていないのか、上機嫌で前を行くイオスに問答無用で引っ張られながら、少女はこれから行くお店でもさっきみたいなお買い物の仕方だったらどうしよう……と一抹の不安を覚えるのだった――……。





*END*

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