「恨むわ、アナタを。
――心の底から」  

 もはや涙を流す気力も無い。

 細い背中はただ、この世の全てを拒絶していた。








粉 雪








 十二月――東京。
 街中がクリスマス一色に染まる、一年最後の月。日が傾き始め、次第に灯りだした美しいイルミネーションをビルの窓から眺めながら、彼女は口元だけでそっと微笑んだ。

 ひとりだった昨年はただ孤独感を増すだけの憂鬱な存在でしかなかったその灯りが、今年はたまらなく愛しいものに思えてならない。
 時刻は午後四時。定時まであと一時間だ。
 さて、残りの仕事はとパソコンに向き直ったところで、目の前に数枚の書類が差し出された。

「悪い!
これ、至急打ち出してもらえるか?」
「あっ、はい。わかりました」

 書類を手に横に立っていたのは同じ課の先輩社員。
 どうやら、明日の朝会議で使う資料らしい。これは急がなければと差し出されたそれを受け取ると、中身を説明するかのように――実際、周囲にはそう見えただろう――身をかがめた彼が、耳元ですばやく囁いた。

「今日、終わったら駅向こうのスタバで。
ちょっと遅れるかもしれないけど……ごめん」

 彼女にだけ見えるように、ほんの一瞬、とろけそうにやわらかな笑顔を浮かべて。それだけ言うと、彼は自分のデスクへと戻っていく。
 残された彼女は、にやけそうになる顔を慌てて書類で隠さねばならなかった。


 田舎の短大を卒業し、就職を機に上京したのは昨年の春。
 はじめての社会人生活、はじめてのひとり暮らし。憧れの大都会での生活は、けれどひどい孤独感にさいなまれるものだった。
 慣れない東京の風。まだ頼れる友人もいない。

 そんな中、親身になって相談に乗ってくれたのが、自分の教育担当である彼だった。

 心細くて、田舎に帰りたいと泣いてしまったこともある。そんな自分を、彼は優しくなぐさめてくれた。頭を撫でて、頑張れ、と言ってくれた。

 ――包み込むように微笑んでくれたその人に、恋をした。


 その彼から、君が好きなんだと打ち明けられたのはちょうど一週間前のことだ。


「お先に失礼しますー」

 五時十五分。頼まれた仕事を全て片付けて、ロッカールームに向かう。

「あっれー? 何、今日はばっちりマスカラまで直しちゃって……。
ああ! おまえ、さてはデートだなー!?」
「へへー。内緒!」

 ロッカーについている鏡で化粧を直し、お先にと手を振って会社を後にする。
 ――ようやく、笑い合える友人も出来た。

 いつも待ち合わせに使っている、駅をはさんで会社とは反対側にあるコーヒーショップに向かいながら、きらめくショーウィンドウを眺める。
 今夜は、クリスマスをどう過ごすかふたりで話し合うことになっている。恋人がいるクリスマス。プレゼントは何にしようか。 彼は何が欲しいだろう?

 ――叶えられた恋。
 東京生活、二回目の冬。すべてが順風満帆だった。間違いなく、今まで生きてきた中でいちばん幸せだった。


 スキップしそうな勢いで駅の階段に差し掛かる。もうそんなことをする年ではないとわかってはいるのだけれど、それこそ一段飛ばしでもして昇りたいような気分だった。

 幸せな明日を夢見て。幸せな未来を夢見て。段差へと踏み出した彼女の足は。


 ――けれど、コンクリートの階段を踏みしめることは、なかった。




       ……がここに願う……

            ……呼び声に応えよ……異界のものよ……




 おかしな声が聞こえた。
 落ちていく感覚に、浮かれるあまり足を踏み外したのかと思った。
 しかし、続けて彼女を襲ったのは今度は全身を吸い上げられるとてつもない浮遊感。


 悲鳴をあげようとした彼女の意識と身体は、次の瞬間、真っ白な光に包まれ



 ――消えた。





***





 ――かつて楽園と呼ばれたその世界の名は、リィンバウム。

 中央エルバレスタ地方北に位置する崖城都市、デグレア。強大な軍事力を誇るこの国の、さらに精鋭中の精鋭である特務部隊、「黒の旅団」。
 そのナンバー2、特務隊隊長の座に位置する青年――イオスは、訓練場でひとつのサモナイト石を握り締めたまま、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

 彼の目の前には、漆黒の髪をした娘がひとり、こちらも呆然と、イオスを見上げている。


 「何――ここは」


 窓の外では、雪がちらついている。


 白天の節、一の月。
 それは、このデグレアに本格的な冬が訪れたことを告げる初雪が降った、寒い――とても寒い日の出来事だった。




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