call my name
「――申し訳ございません。
作法を知らない武人ゆえ、このような華やかな席でお嬢様のお相手など、私にはとても……」


 心底すまなさそうな声でそう言うと、イオスは今宵何度目になるであろう謝罪の礼をとる。

 それはそれは丁寧に断られてしまって。麗しの特務隊長にエスコートを願い出たさる貴族のご令嬢は、あきらめきれなさそうに何度も振り返りながら、しぶしぶ広間の中央へと戻っていった。

「……壁の花、ですね。イオス隊長」
「……ほっとけ」

 横にいた曹長がクスクスと笑う。
 さっきまで顔に張り付かせていた営業用の笑顔をさっとひっこめたイオスは、不機嫌そうに壁にもたれかかりながら手にした葡萄酒のグラスをあおった。



 贅を尽くした夕食が終わり、デグレア城の大広間では舞踏会が始まっていた。
 優美な調べが奏でられる中、パートナーを見つけた者達は手を取り合って踊りの輪の中へと入っていく。ダンスパーティーは、デグレア上流社会で最も好まれる「お遊び」なのだ。
 当然、女性陣の熱い視線はイオスへも向けられたのだが。当の彼は、喧騒から逃れるかのように広間の隅へと身を置き、誘う白い手を片っ端からはねのけていた。

 そもそも、平民出のイオスにダンスの心得はない。もっとも、旅団特務隊長に任命されてからというもの何度かこういった席に呼ばれ目にしているせいで、さすがに形などはもう頭に入っている。
 ……つまり踊れないから断っているのではなくて、さして興味もない女性の手を取りあれこれ気遣いながら踊ってやるなんてまっぴらということだった。

 加えて、もし自分が誘われるままにお嬢様方の相手をしたりしたら彼女らの父親やら兄やらが何かしら文句をつけてくることもわかっていた。単純に「綺麗なもの」が好きというだけで声をかけてくる彼女達とは違い、保守的でありデグレアの血を重んじる彼らが帝国人である自分を蔑み嫌っていることくらい、イオスは重々承知している。つまらないことで余計ないざこざに巻き込まれるのはごめんだ。

 ――そんな訳で、夜会のたび誰からの誘いも断り続けるイオスは、難攻不落の殿方として名高かったりする。



「……おい。見ろよ、あれ」

 ちいさく笑ったイオスが広間の一角を指差す。そこには、踊る一組の男女の姿があった。
 うっとりと夢見ごこちの表情でステップを踏む女は某文官の妹君。その手を引くのはルヴァイドだ。
 しかし、彼の表情を見た曹長はあーあと苦笑いを浮かべる。

「あの仏頂面は……ちょっと、お相手のご令嬢に同情します」
「まあ、相手は幸せそうだからいいんじゃないのか?」

  無責任にくつくつと笑うイオス。

 下手(したて)に出れば誤魔化せるイオスと違い、元老院議会や貴族連中の機嫌を損ねるわけにはいかない立場にあるルヴァイドはダンスの誘いを断ることが出来ない。父の一件で微妙なことになっているとはいえ、本来ルヴァイドの家系はデグレア武人の間でも名門中の名門だ。黒の旅団で成功をあげれば家柄の回復も秘密裏に約束されている。そんな彼に娘を近づけようとする貴族は少なくない。
 よって、毎回ルヴァイドは「親つきで」踊れと迫ってくる女性陣の相手に翻弄されるのだった。

 見れば、イオス達の視線に気付いたらしいルヴァイドが嫌そうに眉間のしわを深め、見るなとでもいいたげに顎をしゃくっている。
 面白くなったイオスは、意地悪くもにっこり笑ってグラスを掲げてみせる。上司のそんなやりとりに、横にいた曹長はたまらずぷっと吹き出した。

 薄情な部下ふたりを覚えていろとばかり一度ぎろりと睨んでから、ルヴァイドは彼らの視線が届かないよう踊りの輪の奥へと姿を隠した。








◆◆◆







 ――ざわり。

「……何だ?」

 ふいに騒がしくなった広間の入り口。何事かと目をやれば、どうやら誰かが遅れて登場したらしく、人々に会釈をしながら中へと入ってくるところだった。
 ひきとめようとする人々をまた後で、とでも言うように笑顔と片手で制しながら進んでくるのは男ひとりと女ひとり。うつむきっぱなしの女とは対照的に、男のほうは、誰かを探しているのかしきりに辺りを見回している。
 ややあって、男は隅の壁に寄りかかるイオスを見つけると、一直線にこちらへと向かってきた。
それが誰なのかようやく認識して、イオスはうっと顔をしかめる。

 ――今夜は、もう来ないものと思っていたのに。
 この夜会に参加する唯一の楽しみ――口に含んでいた最上級の葡萄酒の味さえも、その顔を見ただけで一気に不味くなった気がした。


「こんばんは、イオス。いい夜ですねえ」
「…………どうも」


 にこにこと――イオスから見れば、エセくさい――いつもの微笑を浮かべて。近寄ってくるのはデグレア顧問召喚師・レイムだった。
 黒ビロードの衣装と銀の細工物で着飾った彼は、不機嫌を前面に押し出すイオスの様子なんておかまいなしに声をかけてくる。相変わらず、まったく気にもしていないらしい。

 はあ、とわざとらしくため息をついて、イオスはレイムに彼の背後を指差した。

「……ほら、お前を待っている奴らが山といるぞ。
こんな隅に来てないでさっさと行ったらどうだ」
「ええ、挨拶回りもしなければならないのですけれどね。
――その前に、是非こちらのお嬢様を貴方にご紹介したいと思いまして」

  可愛らしい方でしょう?と自慢げに言って、レイムは横にいる人物に視線を移す。
 イオスは、面倒くさそうにレイムに連れられている女へと目を向けた。

(どうせまた、こいつに熱上げてるどっかのお嬢様だろう……馬鹿らしい)

 イオスには到底理解できないのだが、この優面にだまされてレイムに恋する女もかなりいるのだ。基本的に「来るもの拒まず」なレイムはそんな彼女達にまんべんなく笑顔をふりまき有頂天にさせ、そのうち何人かとは親が嘆くような事態にも発展しているらしいが――まあそんなこと、イオスの知ったことではない。全てを捧げたのに捨てられたと泣くはめになったって、結局は本人の責任だ。同情の余地はない。

 今夜レイムの横にいるのは、恥ずかしいのかうつむいているせいで顔はわからないが、女というよりまだ少女のようだ。普段レイムが連れている女とはずいぶん趣が違って、イオスはわずか首をかしげる。

 その少女が華奢な身体に纏うのは薔薇色のドレス。スカートは夜会服にしては珍しく膝下丈と短めで、ふわりとした裾がわずか吹き込む夜風に揺れている。その姿がなんとも可憐な印象を与えた。
 透けそうに白い胸元を飾るのは真珠の首飾り。ふたつにまとめて各々耳の後ろで結い上げた髪を留めるのも真珠をあしらった飾りピンだ。

 艶やかに輝く黒髪に、真珠の白さがよく映えて――……。



(――黒髪?)



 はっとしたように、イオスは改めて目の前の少女を凝視した。



 イオスが知る限り、デグレア貴族の中で黒髪の人間はいない。デグレア人は、基本的に赤毛や栗色など暖色系の髪色だ。
 こんな美しい黒髪を持つ人物なんて、イオスはただひとりしか知らない。しかも、少女。

 よく見れば、背格好も似ている。うつむくこの姿には、確かに見覚えがある。


 まさか。――まさか、まさか……!?




「――っ!
……、なのか……!?」


 イオスの声にびくりと大きく肩を震わせた少女は、おそるおそるといった様子でゆっくりと顔を上げる。

 揺れる黒い瞳。それは間違いなく、彼が召喚した少女――だった。

 唖然としているイオスと目が合った彼女は、たちまち泣きそうな表情になって顔を覆ってしまう。

「……や、やーっ……! み、見ないでくださっ……!」
「い、いや、見るなとか言われても……!」

 いやいやと首を振って後ずさる少女の手を思わずがしっと掴んで、イオスはまじまじと、真っ赤になって震えるの全身を見やる。

 結い上げた髪や衣装、薄く施された化粧。すべてが見たことのない姿だ。
 それにしたって。まさか、こんな――……。


「……ど……この、貴族の令嬢かと……!」

 口元を手で覆って、イオスの頬が染まる。
 彼が赤面するくらい。どこか深窓の令嬢だといわれても何の疑いもなく頷けるくらい。の姿は、それはそれは可憐で、愛らしかった。



「――どうです?私が見立てたのですよ。よく似合っているでしょう?」

 思わず見とれてしまっていたイオスは、レイムの声にはっと我に返った。

「そ、そうだ。それより、どうして君がここに……!?」

  イオスの問いに、は困り果てたように顔をゆがませる。

「レ、レイムさんが……!」

 嫌だって言ったのにと首を振る少女を見て、事態を飲み込んだイオスは微笑む召喚師をキッと睨んだ。

「どういうつもりだ、レイム!」
「いやですねえ、そんな怖い顔をしないで下さいよ。
思いがけない踊りの名手を見つけましたのでね、わざわざ貴方のためにお連れしたというのに」

  さんはダンスがお上手なのですよと言って、レイムはイオスの手からグラスを取り上げ、空になった彼の腕に無理矢理の腕を絡ませる。驚くふたりの背をぐいと押しやった。

「ほら、次の曲が始まります。
イオス、さんと踊ってきたらどうです?」

 彼女ならば貴方も不服はないでしょうと言ってにっこりと笑うレイム。
 この男の意図がわからなくてイオスがうろたえた。

「ちょ……ちょっと待てレイム!貴様一体何を考えてっ……!?」

 素直に行こうとしないイオスに、レイムはやれやれといった風に肩をすくめて見せた。

「まったく。ぶつぶつと煩い男ですね……。
そうですか……では、貴方が踊らないのなら、私が攫っていきますよ――イオス?」

 そう言ってクッと可笑しそうに喉を鳴らすと、レイムは先程イオスから取り上げたグラスを再び彼に押し付け、の手を取りそのまま広間の中央へと導いていく。


「……あっ……!」


 イオスが止める間も、が抵抗する間もなく。組んでいたはずのふたりの手がするりと離れる。

っ……!」

 気がついたときにはもう、彼女は彼の手の届かない踊りの輪の中へと連れ去られていて。



 ――楽団が、あでやかな旋律を奏で始めた。