野営地のどこを探しても、の姿はなかった。
一体どこに……と考え、ふとある場所が思い浮かぶ。
イオスはくるりと野営地に背を向け、走り出した。
茂みの向こう……いつかの夜、がいた、あの小川のほとりへ。
「――……」
小川のほとり。イオスの予想通り、は昼間彼女が喚びだしたメイトルパの召喚獣を膝の上に抱きしめてぽつんと座っていた。
「その……」
――返事は、ない。
振り向いてくれないその小さな背中に、イオスは頭を下げた。
「昼間は、ごめん。……僕が、浅はかだった」
――やはり、返事はない。
しばしの沈黙の後、に抱かれていたはずの召喚獣がトテトテとイオスに歩みよってきた。
「――テテ」
「……え?」
振り返らないまま、が言った。
「……そのこ。テテ」
――確か、この召喚獣の種族名はテテノワールだ。
だから「テテ」なのだろうか……と、彼女のネーミングセンスの単純さに一瞬状況も忘れてほころびそうになった口許を、イオスはあわてて引き締めた。
「助けてくれたの、テテだから。
お礼……言って……」
召喚師の話によると、あの時……ゼルフィルドが自分に銃口を向けた瞬間、それを止めようと思ったのか走り出したの身体から光がほとばしり、このテテノワールが現われたのだという。
が身につけていたペンダントのサモナイト石が何らかの反応を示したのではないだろうか、とのことだったが、しかしそれは効力を失ったはずの石の欠片。
――詳しい原因はわかりませんが……まあ、隊長を助けたいという殿の強い思いが、
キセキ、ってやつを、引き起こしたんじゃないでしょうかね? ――
そう言って困ったように笑った召喚師の言葉が、胸に痛かった。
「……そうか……。
――ありがとう、テテ」
そう言ってイオスがテテの頭をなでると、テテはこくり、と頷いて再びの元へと戻っていった。
それを追いかけるように、イオスもそっとに歩み寄り、彼女のとなりに腰を下ろす。
「……その、君にも……ありがとう。
君が止めてくれなかったら、僕は今頃、蜂の巣だった」
イオスがもう一度、頭を下げた。
――次の瞬間。
「……っ、イオス……さんの、ばかぁっ!」
ドン! と頬に衝撃が走る。
遅れてやってくる、痛み。
「…………?」
突然のの行動に、イオスはあっけにとられて二の句がつげなかった。
――殴られた?
――に?
――しかも、拳で??
「あ、あの、……」
「――っ! ばかぁ……」
おそるおそるの表情を伺うと、彼女はぎゅっとてのひらを握り締めたまま、目にいっぱい涙をためてイオスをにらんでいた。
「ばかばかばか、イオスさんの、おおばかものぉっ!!」
驚くイオスをよそに、は堰を切ったようにポカポカとイオスを叩き出した。
「わ、ちょ、ちょっと、……!?」
イオスの制止も聞こえないのか、はがむしゃらにイオスの胸を叩く。
――軍人であるイオスにとっては、の拳など、痛みとしてはなんてことないのだが。
「ちょっと、待て、……うわっ!」
全身で殴りかかってくるを支えきれず、バランスを崩したイオスはまるでに押し倒されるような格好で草むらに仰向けに倒れこんだ。
しかし、倒れこんでからもなおの手は止まらない。
「、ちょっと、落ち着いて……」
「やだぁっ!」
イオスの胸に顔を埋めながら、それでも拳を振り上げる。
「――!」
彼女を止めようと、とっさにイオスはその身体をきつく抱きしめた。
「落ち着いて……」
抱きしめた少女の耳元でイオスが懇願する。
ややあって、ようやくはその手をとめた。
そして――……。
「っく……うわぁぁぁぁぁん!」
大声を上げて泣き出したを、イオスは深く胸に抱きこんだ。
◆◆◆
「――ごめん」
しゃくりあげるの背中をなでながら、イオスが言った。
「本当に、ごめん……」
胸にしがみついたまま、がぐすっと鼻をならす。
そんなを抱いたまま、イオスが静かに話し出した。
「……あの時は、必死だったんだ。
何度も任務に失敗して、焦っていて……。
――だけど僕は、大事なことを忘れていた」
そう言うと、を抱く腕に力をこめる。
「死んだら……君との約束を、破ってしまうんだよな」
イオスの言葉に、がこくん、と頷いた。
「……あなたがいなくなったら……私、この世界で、ひとりぼっちになっちゃうんです……」
やっとの思いでそう口にすると、はイオスの上着をぎゅっと握り締めた。
――怖かった。
イオスを失うかもしれないと思った、あの瞬間……。
リィンバウムに召喚された夜にみたあの惨劇よりも、ずっとずっと。怖かったのだ。
「わたしを、おいていかないで……」
「……ごめん……」
もう一度、イオスは腕の中で震える少女をきつくきつく抱きしめた。
◆◆◆
「す、すみません……私、動揺してて……」
草むらの上に座りなおし、必死で頭を下げる。
痛くないですか? と問う彼女に、イオスは爽やかに笑ってみせた。
「君の拳くらいでダメージ受けてるようじゃ、軍人としてやっていけないよ」
でも、心にはかなり痛かったけどね、と言うイオスに、は顔をあからめてもう一度ぺこっと頭を下げた。
イオスを叩いてしまったどころか、抱きついて泣き喚いてしまったのだ。
――夢中だったとはいえ、我ながらとんでもないことをしてしまった気がする。思い出すだけで恥ずかしさのあまり頭が沸騰しそうだった。
の混乱をどこまでわかっているのか、イオスは彼女の頭をポンポンと叩くと、君が気にすることじゃないだろう、と言って笑う。
だが、目の前のイオスは髪に葉っぱがついていたり、自分が暴れたせいで着衣が乱れていたりと、日頃の凛としたたたずまいの彼からは想像も出来ないような格好だ。
まぁ、髪などはおそらく自分も似たような状態なのだろうが……。
改めて自分のやったことを思い知らされて、うう、とが肩を落とす。
だが、ふいに目の端にうつったもの……はだけたイオスの喉元からのぞく金の鎖に彼女はぴたりとその視線を止めた。
――あれは。
「……イオスさん、それ……」
ああ、とイオスが服のなかからそれを取り出す。
「……つけてて、くれたんですか……」
「何言ってるんだ。繋がりだから持っていてくれって言ったのは君だろう?」
イオスの首に下がっているもの。それは、が身につけているものと同じサモナイト石のペンダントだった。
――ただひとり、何も知らない世界に召喚されて。周りにいる人達は皆優しくて、さほど苦も無く異世界の生活に馴染めたけれど、やはり時折どうしようもなく不安に駆られることがあった。
だから、彼にも同じ物を持っていて欲しいと思ったのだ。
目に見える、現実に触れられる『つながり』があれば、孤独で押しつぶされそうになってもきっと大丈夫だと、そう思って……。
は、自分の胸元にある同じペンダントをぎゅっとにぎりしめる。
「じゃあ、イオスさん……。
もうひとつ、 約束、してください」
「約束?」
どうした、とイオスが首をかしげる。
その瞳をまっすぐ見つめてが言った。
「……約束してください……。
――そのペンダントをつけている間は、絶対、死んだりしないって……!」
の願いに、イオスは少し驚いたように目を瞬いて。
それから、力強く頷いた。
「――約束するよ。
……決して、君をひとりにしたりしないから――……」
「……ぜったい、ですよ?」
「何だ、信用していないのか?」
念を押すに、イオスが心外だ、と大げさに肩をすくめてみせる。
だって、と不服そうに口を尖らせるの様子を見て、ふとあることを思いついたイオスはにやりと口の端を上げた。
「仕方ないな……じゃあ、証明して見せようか?」
「え?」
イオスの言葉にがきょとんとする。
不思議そうに首を傾げる少女の右手を取ると、イオスはそのまま白い手の甲に唇を寄せた。
突然のイオスの行動にの全身が硬直する。
ようやく何をされたのか気がつくと、の顔が月明かりでもわかるくらいに真っ赤に染まった。
「イ、イオスさんっ!? 何をっ……!?」
(――ゼラムの時も、こんな風に慌てていたなあ……)
またとんでもない彼の行動に慌てるとは対照的に、呑気にそんなことを考えながら、イオスはおろおろするに悪戯っぽく笑いかけた。
「何って……騎士の礼。
これでちゃんと、正式に誓ったことになるから」
満足? と問い掛けられて。はぶんぶんと猛烈な勢いで首を縦に振ってうなづいた。
……ふいに、笑っていたイオスが真剣な面持ちになる。
怪訝に思ったがどうしたんですか、と尋ねる前に、イオスは少女の身体を再びその胸へと抱き寄せた。
いきなり抱き寄せられて、は喉の奥で声にならない叫びをあげる。
「……守るから。
約束……必ず……」
月明かりに照らされたふたつの影が重なっている。
横にいたテテが、そんな二人の様子を不思議そうに首をかしげて、見ていた。
第5夜 END