call my name
 弱々しい月明かりだけが地面を照らす真夜中の街道には、人の姿はどこにも見当たらない。
 イオスに抱えられたまま馬上の人となりながら、はトリス達のもとで過ごした数日間の出来事を話していた。




 どうして彼女達が自分を連れて行ったのかということ。黒の旅団員とわかっていても、それでも対等の……新たな友として接してくれたこと。
 一緒にファナンの街へお買い物に行きました、と言うと、それまで黙っての話を聞いていたイオスが小さくため息をついた。

「まったく……こっちはさんざん心配してたっていうのに。
なんだか楽しかったみたいだね? 」

 ちょっとうらめしそうなイオスの声色に、がうっと肩をすくめた。

「そ、それは……」

 なんとか戻りたかったけどどうしたらいいかわからなくて、などと慌てて繰り返すの頭をポンと叩いてイオスが微笑(わら)った。

「冗談だよ。
――君が辛い思いをしていなかったのなら、それで良いんだ 」

 ……これは本当の気持ち。

 おそらく聖女一行は、に肉体的苦痛を与えるような真似はしないだろうとは思っていたが、それでもあの中には自分達が滅ぼしたレルムの住人もいる。
 彼女自身の罪ではないことで彼女が責められているかもしれないと。その場合、腕の中にいるこの優しい少女はきっと聖女達への思いと自分達への思いとに挟まれてひどく苦しみ、傷つくだろうと思ったから。イオスにはそれが気がかりだったのだ。
 けれど、……がどこまで本当のことを話しているかはわからないが――辛いことがあったとしてもおそらく彼女は隠すだろう――はおおむね聖女達に好意的に接してもらっていたらしい。
 安心したからこそ、軽口を叩くこともできたのだった。

「……はい……。
……優しい、ひとたちでした 」
「――そうか」

  再び、自分が彼女達の敵となってしまったことを改めて思い出したのだろう。
そう小さくつぶやいてうつむいたにかけてやる言葉がみつからなくて……イオスはただひとことそう言って、頷いてやった。

 



 ああ、あとですね、と。ともすれば暗くなってしまう気持ちを振り払うかのようにが明るい声を出した。

「トリスさん……ほら、『蒼の派閥』の制服を着た女の子の召喚師さんにね、自分達と一緒にこないかって誘われました」
「な……んだって?」

 の言葉があまりにも思いがけなくて。イオスは、思わず右手に握っていた手綱を取り落としそうになった。
 一瞬緩んだ不可解な手綱の動きに、馬がなにやら不服気に鼻を鳴らす。
 ちらりと見上げた先にはイオスのあっけにとられた顔があって。それがなんだか可笑しくて、はクスクス笑いながら先を続けた。

「色々あって……私がイオスさんに『喚ばれた』存在だってことがばれちゃったんです。
そしたら、えぇと……ゼラムにある、『派閥の本部』っていうところに行けば、元の世界に戻る手がかりが見つけられるかもしれないから……って」
「――蒼の派閥、か……」

 聖王都にある派閥の建物を思い出しながら、イオスが少し苦々しげにつぶやいた。

 確かに、あの場所には召喚術に関するありとあらゆる英知が終結している。召喚術関連で困っているのなら、派閥に頼るのが一番正しい選択だろう。 トリスというあの召喚師がを誘ったのも、無理はない気もした。
 ……けれど……は、今こうして自分の腕の中にいるわけで。
 イオスは、胸に湧き上がった疑問を口にせずにはいられなかった。



――どうして、彼らについていかなかったんだ……?」


 召喚術に疎い自分と一緒にいるより、れっきとした召喚師である彼らと行動を共にしたほうが、おそらく帰れる道を見つける可能性が高いことくらいこの少女にも予想はつく筈なのに。
 そんな誘いがあったにも関わらず、は何のためらいも無く、帰ろう、と伸ばされたイオスの手をとったのだ。

 何故、と問うイオスをがふふっと笑った。

「やだなあ、イオスさん。忘れちゃったんですか?」
「え……?」

 からかうように言われて、イオスが紫の瞳を瞬いた。

「私が、最初に約束をしたのは、あなたですよ?」

 そう言って、はきゅっとイオスの手を握る。

「帰る方法、探してくれるって。私が約束したのは、イオスさんです。
そのイオスさんをさしおいて他の人についていくなんてそんなこと、できるわけないじゃないですか」

 ――それに、私はイオスさんを信じてますもん。

 そう口にして、はイオスの顔を見上げるとにっこり微笑んだ。

「…………」

 あなたを信じているからと。
 腕の中の少女はそう言って笑う。


 ――どうして。
 ――どうしてこの少女は、ここまで無垢に自分を信じてくれるのだろう。

 どうして……。


 の笑顔に、イオスの心の中で、何かがコトリと音を立てて……動いた。







◆◆◆






 ふいに、2人を乗せていた馬がその歩みを止める。
 馬が自分で止まったのではなく、イオスがそうさせたのだが……はあれ? と首をかしげた。

「イオスさん……?」

 休憩でもするんですかと言いかけて。けれど、急にイオスに背後から抱き寄せられて、驚きのあまりは言葉を失った。



(――え……!?)


 もともとイオスの左手は彼女が馬から落ちたりしないようにその身体にまわされていたけれど。
 今は、手綱を握っていたはずの右手もをきつく抱きしめている。

「あ、あのっ……イオスさん、どうかしたんですか……?」

 しどろもどろになりながら声をかけるが、背中に感じるぬくもりの主からの返答はない。

「はずかしい、から、放して……ください……」
「――嫌だ」

 あまりにも距離が近くて。熱を持ち始めてくらくらする頭を抱えながら懇願するが、イオスはそれをきっぱりとはねのけた。
 どうしてだろうと。あまりにも急な彼の行動にはただただ困惑する。
 次第に耳まで赤くしていく少女の耳元に、イオスが小さく囁いた。

「……四日、離れてたんだ。
やっと戻ってきて……それで、そんな風に、信じてるなんて、言われたら……
――抱きしめたくも、なる……」
「…………っ!?」

 なんだか熱い吐息と共に囁かれた言葉に、がぴくっと身を震わせる。
 混乱している少女をその胸にかき抱いて。イオスはそっとの細い首筋に顔をうずめた。

「……どうしてだ?
どうして君は、そこまで僕のことを、信じることが出来るんだ……」
「え……?」

 耳元から聞こえるイオスの声。 消え入りそうな、ほんの少し震えるそれにが驚いて瞳を瞬かせた。

「ど、どうしてって……」

 そんなこと聞かれても、何て言ったら良いのかわからない。
 イオスは、自分を喚んだひと。リィンバウムにおける、の、すべてだ。
 頼れるのはイオスしかいなくて。だから、それはもう信じる信じない以前の問題なのだが。
 熱で霞がかかる頭を必死に働かせながら、は言葉を探した。

「だ、だって……。
イオスさんは、私の召喚主ですよ?
イオスさんのこと信じられなくなったら私、この世界で他に何も、信じられるものなんてないから……」

 召喚主であるイオスを信じられなくなったが最後、は、ひとり何も知らないこのリィンバウムの地で崩れ落ちてしまう。イオスを信じて彼とともにいることが、この異世界での存在を肯定する要素の全てなのだ。
 しかし、イオスはの言葉に少し辛そうに瞳を伏せた。

「……確かに僕は、君の召喚主だけど……。誓約は成されていない。だから、君を縛る権利は僕には無い――君は、選べるんだ。
このまま僕達と一緒にいたら、また血を見ることになる。戦いに巻き込まれる。
聖女たちと一緒にいた方が、君にとってはきっと幸せだと思う。
……それでも、こっちに戻ってきて……よかったのか? 」

 国に縛られてこの手を血に染めていく自分達のそばよりも、日の当たる場所で笑っている方が彼女には相応しいのだろうと。ファナンで過ごしたの話を聞いているうちに、イオスはそう思ってしまったのだった。


 しかし、はイオスの言葉にさっと顔色を変えた。
 背中から抱きしめられているため自由の利かない身体を精一杯動かして、イオスの方へと顔を向ける。
 黒曜の瞳と紫水晶の瞳がぶつかって。すると、はまるで捨てられた子猫のようにその瞳を悲しげに揺らめかせた。

「どっ……どうして、そんなこと……。
わっ、わたし、戻ってこないほうが、よかったんですか……!? 」

 イオスの言葉は、まるで、自分をいらない存在だと言っているようで。
 泣きそうな表情で唇を震わせるに、はっとしたイオスが狼狽した。

「ち、違う……! 僕はただ、君が後悔しないのかと……」
「後悔なんてしませんっ!」

 信じる。戻ってくる。二つの手が差し伸べられても、迷わず彼の手を選ぶ。
 そんなの、自分にとっては当たり前なのに。
 なのにどうして、彼はこんなことを言うのだろう。

「なんでですか……。
私、後悔なんて絶対しないのに。迷ったりもしないのに。
どうしてだなんて、そんなの……理由なんてありません。誰かを信じることに、理由なんて必要ないでしょう……?
……信じてるのに。だから、戻ってきたのに。 なのにどうして、そんなこと……!」

 ――あなたを信じてる。ただ、それだけなのにと。
 涙の浮かぶ瞳でそう訴えられて。イオスの胸がちくりと痛んだ。
 泣かすつもりなんてなかったのに。何をやっているのだろう、自分は。

「……そうじゃない。
そうじゃないんだ……」

 否定の言葉を口にして、イオスはの頭をあやすように数回なでてから、もう一度ぎゅっと抱き寄せた。






 すんっと小さく鼻を鳴らしながら、は黙ってイオスの腕の中にいる。
 やわらかなそのぬくもりが心地よくて。そして、変わらず自分を信じてくれることが純粋に嬉しくて。
 そう……彼女の正直な言葉を聞いた自分が、今実は喜んでいるのだということに気がついて、イオスはそっとため息をついた。

 ――彼女に、自分のそばにいるという以外の選択肢があって、しかもその方が彼女に相応しいのだと気付いた時、イオスの心は大きく揺れてしまった。
 を連れ戻したい一心で飛び出してきたけれど、果たして自分の行動は本当に彼女の為になるのだろうか。
 日の当たる場所で過ごしたは、とても楽しそうで。しかも、帰る手がかりに近づけてくれそうな者からの誘いまであったのに、現段階では何も出来ない自分にはたしてを連れ戻す資格があったのだろうかと。

 そう、唐突に不安に駆られてしまったのだ――彼女が、自分の手を選んだことを後悔しないのかと。
しかし、は何の迷いもなく自分のそばにいたいと言ってくれた。血に濡れた自分でも、信じると言ってくれた。
 信じることに理由なんて無いと言う彼女。理由が無いからこそ、それは揺るぎない真実で。


 ……何の見返りも求めることなく、イオスというひとりの人間を純粋に信じてくれる
 自分にはこの少女がいる。その事実に、イオスはまるで子供みたいにはしゃぎたくなるような、ただただ嬉しいという感情で心が満たされていくのを感じていた。



「――
信じてくれて……戻ってきてくれて、ありがとう……。
すごく、嬉しい 」

 再びの首筋に顔を伏せて、イオスがそっとつぶやく。
 囁かれた言葉に、の心臓が急にドクンと早鐘を打った。
 そんな甘い声で耳元で囁かれたら、余計混乱する。
 しかも、嬉しいだなんて。
 が、戸惑いがちにイオスの名を呼んだ。

「……イオス、さん……?」
「――君にとっては何が一番良いのかって……そう考えたら、僕達のそばにいることが本当に正しいのだろうかって、自信が無かったんだ。
だけど、君は僕を、信じてくれているんだよな……」

 本当に嬉しい。ありがとう。

 真摯に囁く声。
 耳に甘く染み渡るそれに、は息苦しいくらいに胸がきゅうっとしめつけられるのを感じていた。



 ……どうしてだろう、とは思う。
 どうしてこのひとは、自分のことをこんなに気にかけてくれるのだろう。
 ――自分なんかが戻ってきたことだけで、信じただけで。
 自分にとっては当たり前のそれを、こんなにも嬉しいだなんて。どうして。


「ど……して……?どうして、ありがとうなんて、嬉しいなんて、言うんですか……。
どうして、そこまで私のこと、気にかけてくれるの……?
――責任……約束の、ため?喚んでしまった……から?」

 の言葉に、顔を埋めたままのイオスが小さくかぶりを振った。
 少女の首筋で、イオスの細い金髪がさらさらと揺れる。

「責任や約束のことも……もちろんある」

 だけど、と。イオスの腕に力がこもった。


「――君だから。
だから……信じてくれるのが嬉しいと思う。
君じゃなかったら、きっと、こんな……」


  じゃなかったらきっと、こんな気持ちにはならない。

  告げられた答えに、は頭を何かで殴られたかのような感覚に陥った。
 くらくらする。思考が霞んでゆく。



 ……それは、聞いたことも無いような甘美な言葉。
 だから、なんて。
 まっすぐに名前を呼ばれること。その喜びを覚えてしまったら、何かを期待する思いが膨らんでしまう。
 初恋のあの時みたいに、錯覚してしまう。彼にとって、まるで、自分が特別な存在なのだと……。
 そう思わせるほどに、イオスの言葉は、甘く。

 求められることを、嬉しいと思った時。
 そうして目覚める感情は――……。



 自分の心が、何かに吸い寄せられるかのように落ちてゆく感覚をおぼえながら、の口が何か言葉を発しようと小さく開かれた。




「あ……のね、イオスさん……
私が戻ってきたのは、約束の事もあるけど、もう、ひとつ……


……あなたに……あいたくて……
そばに、ね、いたかったから ……」





 知らず、自らの口から出ていた言葉にははっと息をのんだ。
 胸が、痛い。自分でもわけがわからないもどかしさがこみあげて、切なくて、泣きそうになる。

 どうして自分はこんなことを言っているのだろう。そして、この切なさは何なのだろう。

 これでは、まるで


 まるで、自分は――……。






「……僕もだよ」

 ふいに聞こえてきたイオスの声に、は混乱のあまり涙の滲む瞳を見開いた。
 耳元に、頬に。そっと唇が触れてくる。

「僕も、君のそばにいたい 」

 優しく抱き上げるようにして、イオスはの身体を自分の方へと向けさせた。
 上気した頬にひとすじだけこぼれている涙をそっと指でぬぐってやる。
 潤んだ瞳をまっすぐ見つめて、イオスがに囁いた。


「君を、離したくないんだ――……」


 そう。 離したくなかった。
 いつかは帰さなければならないのに。自分は、そうしてやると約束しているのに。
 本当は離したくない。もう離したくない。

 それほどまでに、自分は

 自分が彼女に抱いている、この感情は――……。





 月明かりの下。は、黒い瞳いっぱいに驚きの色を浮かべてイオスを見つめている。
 その白い頬を両手で包み込んで。




イオスは、の唇に、そっと自分のそれを、重ねた。






第7夜 END