馬に揺られて、旅団野営地にたどり着いたのはすでに東の空が白み始める頃。
それなのに、旅団員全員が起きて彼女を待っていて。
馬から下ろしてもらうやいなや、は一斉に皆に囲まれた。
無事で良かったとか、あの時助けてあげられなくてごめんとか。果てはちゃんがいないと飯が不味くて不味くて……等々。それでも、皆揃っての帰還を喜ぶ旨を口にする。
心配かけてごめんなさいとひとりひとりに頭を下げて。人の輪を抜けた先にはなんだか優しい眼差しでこちらを見守っているルヴァイドとゼルフィルドの姿。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたと言いかけて。けれど、最後まで言い終わらないうちに、歩み寄ってきたルヴァイドに髪をくしゃくしゃっとやられた。
大きな手が暖かくて。ルヴァイドの後ろでは、目が合ったゼルフィルドがこくんと頷いてくれて。
――そこは、あまりにも暖かくて。そこには、間違いなく彼女の居場所があって。
胸に熱いものがこみあげる。
ごめんなさい、ありがとうと言いながら、は子供のように泣きじゃくった。
第8夜 とまどい
「……だいたい、合ってると思うんだけどなあ……」
かまどから取り出したあつあつのパン。湯気の立ち上るそれを目の前に、緊張した面持ちのが腕組みをしていた。
――見かけは、悪くない。ちゃんと膨らんでいるし、焦げてもいない。
「すりつぶしたお芋に、小麦粉に……うん、材料は、同じなはず」
が作ったのは、ファナンにいた数日の間にアメルが作っていたパンを真似たもの。
安い材料で美味しいパンを作ってしまう彼女の手際のよさに、同じく「台所を預かる者」としてはずいぶんと感銘を受けたのだった。
あら熱がとれたのを見計らって、端の方を少しちぎってみる。やけどしないようにふぅふぅと息を吹きかけてからそれを口に含むと、ふわりとした食感とともに、口の中に香ばしい香りが広がった。
アメルが作ったものに比べると少々甘味が劣るけれど。まぁ、合格点。
「――よし、主食完成」
あたたかいパンを口にする機会など滅多にないから。旅団の皆が喜んでくれると良いなあなどと思いながらパンを切り分けていると、調理場にゼルフィルドが姿を見せた。
「夕食ノ配膳ヲスルノダロウ? 手伝オウ」
「ありがとう、ゼル」
そう言って、が持つには苦心しそうな大鍋などの重いものから順に運んでいってくれるゼルフィルドに、はにっこりと微笑んでお礼を言った。
「今日ハ、温カイ『パン』ナノカ?」
まだほこほこと白い湯気を立てているパンを、ほんの少し首をかしげるような仕草でゼルフィルドが眺める。
「そうなの。ファナンにいる間に作り方を覚えたから、やってみたんだ」
「――人間ハ、温カイ食ベ物ヲ好ム傾向ガアル。皆モ、喜ブダロウ」
ゼルフィルドの言葉に、がぱぁっと顔を輝かせた。
「本当!? よかった。
……皆に迷惑かけちゃったから、何かお礼がしたくて作ってみたんだけど……喜んでもらえると、いいな」
自分にできることはこれくらいしかないから、と。そう言うに、ゼルフィルドは大丈夫だとでも言うように首を縦に振って見せた。
「良イト、思ウ」
機械兵士であるゼルフィルドには、の気持ちの全てを理解することは出来ない。
けれど、皆の為に何かをしたいというこの少女の行動は、とても好ましいものに感じられた。
ありがとう、とゼルフィルドにお礼を言って。しかし、ふいにが顔を曇らせた。
「でもね……皆には、こうやってご飯とかでお礼っていうか……お詫び?が出来るんだけど……。
ゼルには、何をしてあげたら良いのかなあ?」
突然「自分のこと」に話を向けられて、ゼルフィルドが驚いたようにその動きを止めた。
「自分ニ……カ??」
「うん。
だって、ゼルにも今回心配っていうか、迷惑、かけちゃったことになるでしょう?
だから、あなたにもちゃんとお礼をしたいんだけど……」
でも、ゼルにはご飯っていう訳にもいかないし、と言って、がゼルフィルドの瞳を覗き込んだ。
「……別ニ、迷惑ヲカケラレタナドトハ、思ッテイナイガ」
「ううん、それじゃ駄目なのっ。ゼルだって旅団の一員なんだもの。
他の皆にはお礼するのにあなたにはしないなんて、不公平でしょう?
だから……ね、ゼルは、何をして欲しい?」
の言葉に、ゼルフィルドは困惑したようにその瞳の動きを彷徨わせた。
別にこの少女に何かをして欲しいなどという考えはゼルフィルドには無いのだが。しかし、それではは納得しないのだろう。
ややあって、ゼルフィルドが口を開いた。
「……デハ、モウ、アノヨウニ連レ去ラレタリナドシナイコトダ」
「……え?」
思いがけないゼルフィルドの言葉にがきょとんと目を瞬いた。
「ガイナイ間、我ガ将モ、いおすモ、団員タチモ、士気が三十パーセントホド下ガッテイタ。
ガイルコトデ、我ガ将ノ気持チモ明ルクナル。ソレガ、自分ガ一番ニ望ムコトダ」
「ゼル……」
無骨な機械兵士の言葉。だがそれは、の居場所はここにあるのだということを表していて。
それはきっと、彼なりの、優しさなのだろう。
「……ありがとう、ゼルフィルド」
もう一度、はそう、口にした。
◆◆◆
ゼルフィルドの予想通り、その日の夕食の温かいパンは、今までが作った食事の中でも一番の好評を博した。
「……こういう任務してるとさ、食事くらいしか楽しみが無いだろう?
そんな中で、こうやって温かいパンが食べられると……なんか、家庭料理みたいでさ、ほっとするんだよな」
嬉しそうにそう言いながらパンを頬張ってくれる皆の姿に、は作ってよかったと心から思った。
――しかし同時に、これはアメルのレシピだから……彼らが感じてくれている「家庭料理みたいな温かさ」は、そのままあの聖女の心の温かさなのだということを思い出して、なんともいえない切ない気持ちも湧き上がったのだが……。
「――おい、お前達。ちょっと和みすぎだぞ」
「あ、隊長」
ふいに、を中心とした人垣の外から声がかかる。そこには、苦笑を浮かべてこちらを見ているイオスの姿があった。
けれど、言葉や表情とは裏腹に、その瞳に宿る色は穏やかだ。
輝石の様な紫の瞳と目が合って、はぴくんとおたまを持つ手を震わせた。
「いおす、早ク食事ヲ済マセロ。冷メテシマウゾ」
「わかっている」
ゼルフィルドに諭されて、イオスは給仕をしているの元へと向かった。
テーブルの上に並べられているパンに目をやって、感心したように目を見開く。
「が作ったのか? すごいじゃないか。
いつの間にパンの作り方なんて覚えたんだ?」
誉められて、笑顔を向けられて。の頬がぱっとアルサック色に染まった。
「いえ、ファナンでパン作りを間近で見る機会があったので……。
ちょっと真似っこ、してみたんです」
「いや、それでこれだけ作れるならたいしたものだよ」
そう言うと、イオスはの頭を優しくなでた。
細身の身体の割に大きなイオスの手。慈しむように触れる長い指。
視線を上げると、笑うイオスの顔があって。
(……ど、どうしよう……。顔、赤くなる……!)
「――ああああのっ! 私、ちょっと用事を思い出したので失礼しますねっ!?
ゼル、後お願いねっ!」
急にそう叫ぶなり、は手に持っていたおたまを無理矢理ゼルフィルドに押し付けると脱兎のごとくその場を逃げ出した。
「…………?」
「心拍数ガ、通常ヨリ上ガッテイタガ……」
突然走り去ってしまった少女に、イオスとゼルフィルドが怪訝そうに顔を見合わせた。
◆◆◆
給仕場所を走り去ったは、そのまままっすぐに自分のテントへと駆け込んだ。
中に入って、ようやくひとりになったのを確認する。ほっとした彼女は、へなへなとその場にしゃがみこんだ。
髪に触れると、まだ先程のイオスの手の感触が残っている。
鏡がないからわからないが、きっと今自分は真っ赤な顔をしているのだろう。頬が熱い。
「ど……どうしよう……」
泣きそうな声でそうつぶやくと、はぎゅっと目をつぶった。
姿を見ると、声を聞くと、触れられると。
思い出してしまうのだ。昨夜のことを。
――囁かれた言葉、触れた唇。
そして……自分の胸に湧き上がった、イオスへの気持ち。
もしかしたら、彼は私のことを……とか。昨夜のイオスの行動は、初心(うぶ)な少女にそんな甘い期待を持たせるにはじゅうぶん過ぎた。
けれど、昨夜……あの後、イオスは何も言わなかった。
こうやって野営地へ戻ってきてみれば、彼の態度は以前とまったく変わらない。
……変わらないのだ。だから、あの言葉にも、……触れた唇にも、それ以上の意味は、ないのだ。
昨夜の出来事を記憶から追い出そうとするかのように、はふるふると首を左右に振った。
「――だめ……これ以上、考えちゃ、だめだよ……!」
これ以上考えたら、意識したら、きっとこの気持ちを認めてしまうことになる。
そんなことになったら困る。ものすごく困る。
もしこの気持ちが恋なのだと認めてしまったら、果たして自分が今まで通りイオスに接することが出来るのかどうか、は全くもって自信が無かった。
思い返してみれば、前回の恋で相手のことが好きだと気付いてからの自分の行動は、相手の一挙一動にいちいち反応してしまうような、相手からすればそれはもう「わかりやすい」ものだったと思う。それでも相手が以前と変わらず優しく接してくれたから、ひょっとしたらと期待して、有頂天になって、リィンバウムに喚ばれたあの日、告白してしまったのだ。けれど、結果はやはり自分の一人相撲だった。
……もしあの時と同じことをしてしまったらと考えて、の瞳に怯えの色が走った。
イオスは、あの「先輩」とは比べ物にならないくらい自分を大事に大事に扱ってくれている。優しい笑顔で自分が望む言葉を囁いてくれる彼の態度に、自分の心は馬鹿みたいに揺れてしまうだろう。そしてきっと、自分に都合がいいように期待してしまう。そうしたら、想いが態度に出てしまう。
けれど、もしイオスが、が彼に対して「そういう感情」を持っていると知ってしまったら、きっと今のままではいられないだろう。一体どれだけ気まずくなることか、考えただけで気がおかしくなりそうだ。
――異界人である自分には、イオスしか頼れる人がいない。だから、彼との関係を壊してしまうようなことは、なんとしてでも避ける必要がある。
だとしたら。今自分がとるべき道はただひとつしかない。
――忘れることだ。
そうだ、気のせいだ。この気持ちも、昨夜知らずに発していたあの言葉も。
突然非日常に放り込まれて。そんな中で、優しく接してもらったから。
色々な意味で、錯覚しているのだ。
好きなんじゃない。
恋なんかじゃない。
だから、忘れよう。昨夜のことも、この気持ちも。
……忘れなければいけないのだ。自分を護るためにも。
「そうよ……
……気のせい……だよ……」
そうつぶやいて。はぎゅっと両手を握り締めた。