call my name
 少女が地面に倒れている。
 広がる黒髪の隙間から、赤い血が覗く。

 ――誰かに嘘だと言って欲しかった。けれど、吹き抜けた風にの黒髪が僅かに揺れるのを見て、イオスは現実へと引き戻された。



「…………ッッ!」

 血まみれで倒れている少女に顔を真っ青にしたイオスが駆け寄ろうとする。しかし、走り出した足は唐突に地面へと縫いとめられた。

「!?」

 イオスが己の意思に反して動かない足元に視線を落とすと、いつの間にかふくらはぎの辺りまでが灰色の石へと変わっていた――石化の召喚術だ。
 はっとレイムの顔を見る。術を使ったためイオスに向かって手を突き出しているレイムがクククと喉を鳴らした。

「駄目ですよイオス。まだ試験の途中なんですから」

 まるで何事もなかったかのように、にこやかな笑みを浮かべてレイムが告げる。

「レ、レイム……貴様あぁぁっ……!!」


 ――よくも、よくも、よくも……!


 殺してやる、と。イオスが瞳を怒りに染めた、その時だった。


 倒れていたの身体が、黄金色に輝きだした。






◆◆◆





 レイムが、その日初めて、絶やさず浮かべていた笑みを消した。
 怪訝そうに眉根を寄せてを見やる。
 突然少女の身体から湧き上がった光。それは、次第に人らしき形をとりはじめる。

(――この気配は……)

 光の集合体。人を象ったそれがひときわ大きく輝いた後、そこにはひとりの天使が佇んでいた。
 の頭上に現われた者と記憶の中のそれが重なって、レイムはチっと舌打ちをした。
 憎々しげにその名を口にする。

「天使……エルエルですか……」

 名を呼ばれたサプレスの賢者――エルエルは、レイムの姿を捉えると一瞬その瞳に剣呑な色を宿したが、すぐに視線を真下で倒れ伏している少女へと移した。
 そのままの身体をすっと抱き上げる。すると、血まみれだったはずの少女の身体からみるみるうちに血の痕が消えていった。同時に、まったく動かなかったの身体がぴくりと小さく震えた。
 再び呼吸を始めた少女の様子を確認すると、天使エルエルは少女をそっと大地に立たせ、もう一度きつくレイムを睨み据えてから――その姿を消した。



「……………………?」

 目の前で起こった出来事に、イオスは言葉を失った。
 一連の動きを見守っていた旅団員達も、あまりのことに皆両の目を大きく見開いている。
 ただひとり、レイムだけが、つまらなそうにその瞳を細めていた。

……?」

 瞳を閉じたまま立ち尽くしている少女に、イオスがおそるおそる声をかける。
 名前を呼ばれて、はぱちりとその黒い瞳を開けた。

「――……ッ!」

 もう一度少女の名を叫んで、イオスはの元へと駆け寄った。
 ――足を戒めていた石化は、いつの間にか解かれている。
 イオスはぼうっと立ち尽くしている少女の肩をつかむと、そのまま未だ焦点の定まらない瞳をしているの顔を覗き込んだ。

、大丈夫なのか!? 怪我は……っ!?」
「あ、イオス、さん……」

 うつろだった焦点を目の前のイオスに定めて。しかし、は辛そうにその顔をしかめた。

!? どこか痛むのか!?」
「ち、違うんですイオスさん……。
あの、ちょっと貧血っぽいので……耳元で叫ばないでもらえますか……? 」

 頭に響くんですと言われて、あっけにとられたイオスはぽかんと間抜けにその口をあけた。
 唖然としているイオスをよそに、はまだ少しもやがかかっている気がする重い頭を左右に振って、やっぱり出血のショックなのかなぁ、などとまるで他人事のようにつぶやいた。



「――ック……ハハハハハ…………!」

 唐突に響き渡ったレイムの笑い声に、その場にいた全員が訝しげに顧問召喚師へと顔を向けた。

「……何がおかしい、レイム……!」

 笑うレイムをルヴァイドが睨みつける。

 とりあえずは無事だった。しかし、この召喚師が行ったことはれっきとした『殺人未遂』だ。明らかに「入団試験」の範疇を超えている。

 ルヴァイドが、その瞳に静かな怒りの炎を宿しながら腰に差した剣の柄に手をかけた。
 ――答えによっては、目の前で笑う男を斬り捨てるつもりで。

 しかし、そんなルヴァイドの態度をものともせずに、レイムはイオスに肩を抱かれているへと視線を移した。

「まったく……天使エルエルを憑依させておくとは、やられましたねぇ。
いつの間に……いえ、どうしてそうしたのですか?」

 レイムににこやかに笑いかけられて。しかし、は何かに怯えるかのようにイオスの服の裾をぎゅっとつかんだ。

「……レイムさんは……デグレアの顧問召喚師になるほどの魔力の持ち主なのでしょう?
それに対して、私の召喚術や魔力なんて、付け焼刃であやふやなものです。
どれほど手加減されても、無事でいられる自信は無かったから……だから、先にエルエルを憑依させておきました……」

 落ちるわけにはいかない試験に、何の保険もかけずに挑むほど愚かではないつもりです、と。 静かな声でそう言うに、レイムはまるで目新しい玩具を見つけた時の子供のような視線を向けた。


(――面白い……)


 一瞬、この小賢しい少女の身体を切り裂いて、その幼い顔が血と恐怖にゆがむ様を見たい 衝動に駆られたが、 レイムは再びいつも通りの笑顔を取り繕った。

「――ふふっ……『己をわきまえた、賢い人』は、好きですよ」

 そう言うと、レイムは右手で何か印を切るかのような仕草をした。
 指先に小さな光がともって。次の瞬間、の手の中に円と十字で形どられた黄金色の紋章が現われた。

「なに……?」
「……デグレア軍の紋章だ……」

 怪訝そうに手の中にあるそれを見つめるに、同じ物を持っているイオスが答える。

「――いいでしょう。
天使エルエルを召喚できるほどの魔力の持ち主なら、戦力にもなります。
……合格ですよ。さん、あなたを正式に黒の旅団員として認めましょう」

 はっと顔を上げたイオスとに、レイムは優しく微笑んで見せた。






◆◆◆





「……よろしかったのですか?レイム様……。
あのとかいう娘、あのままで……」

 ――野営地を後にして。影の中から話し掛けてきた腹心の悪魔に、レイムはフッと暗い笑みを向けた。

「いいのですよ、キュラー。
そこそこ術も使えるようですし、しばらくはデグレアの為に働いてもらいましょう」

 適当に怪我をさせ、治療の為とでも言い繕ってデグレアへと連れて行き旅団の新たな枷とするつもりだったが、少女はその柔和な印象に反して意外にも明達で。事は予定通りには運ばなかった。
 しかし、そのおかげで面白いものが見れたと、レイムは少女が血を吐いて倒れた時のイオスの様子を思い出す。

 あの忠犬が、ルヴァイド以外のものにあそこまで執着する姿をレイムは初めて見た。
 ルヴァイドも、自分に向けた殺意から察するにかなりあの少女を気に入っているのだろう。

 そう遠くはない未来に旅団が辿る末路。その終焉を彩るにふさわしい贄として
――あの少女は「使える」。

 思いがけない場所で見つけた新たな玩具に、レイムの瞳が怪しく輝いた。

「今はまだ、そっとしておいて差し上げましょう。
それに……どうせ殺すにしても、もっともっと……愚かしくお互いを愛しいと想い合うようになってからの方が、面白いではないですか」

 ――少女の断末魔の悲鳴を耳にした時の、あの二人の……特にイオスの絶望の感情は、さぞかし美味なことだろう。
 もしかしたら、ずっと探し求めているあれを――再び味わえるかもしれない。


 その光景を思い浮かべて。レイムはまたひとつ愉しみが増えましたねぇとつぶやいた 。