「――あ……れ?」
瞳を開けると、そこに映ったのは心配そうなイオスの顔。
背中に感じるのはいつものベッドの感触。しかし、確か自分はレイムの試験を受けていた筈なのに、どうして横になっているのだろう。
状況が飲み込めなくてはひとり困惑した。
「よかった、気がついたか」
「え……私……?」
起き上がろうとするの肩を、まだ寝ていろとでも言うようにベッドに押し返しながらイオスが口を開いた。
「――覚えていないのか?
あの後すぐに、気を失って倒れたんだよ。急に魔力を消耗したことへの副作用らしい」
「気を失った……」
イオスの言葉に、納得したがああ、とため息をついた。
魔力の消耗―― おそらくエルエルを召喚したせいだろう。
「すみません。本当は私、まだエルエルを召喚するの慣れてなくて……」
「……仕方ないだろう。君はまだ召喚術を学び始めたばかりなんだ。負担もかかるさ……」
大丈夫か? と問うイオスに、はもう平気ですと言って小さく笑って見せた。
しかし、ふいには何かを思い出したかのようにはっと目を見開くと、その表情を曇らせた。
「……イオスさん……。
あの……レイム、さんは……?」
怯えを含んだ少女の声色に、イオスの表情にも陰りが差す。
「……帰ったよ。
これでもうしばらくは……来ないと思う。大丈夫だ」
「そう、ですか……」
レイムが帰ったと聞かされて、は安心したように肩の力を抜いた。怯えの色が走った瞳にも明るさが戻る。
そんなに、イオスがまるで痛々しいものを見るかのような視線を向けた。
――初対面で、あれだけの目にあったのだ。彼女が怯えるのも無理はなかった。
「しかし……今日は本当にすまなかった。
レイムを止められなかったばっかりに、君を危険な目にあわせて……」
すまない、と頭を下げるイオスに、が慌てて首を左右に振った。
「そんな、気にしないで下さい! 私は大丈夫ですよ。
それに……これで私、堂々と旅団にいられることになったんですよ?イオスさん達にも迷惑かけずにすみますし!」
ね? と笑顔を浮かべるに、イオスが申し訳なさそうに顔をゆがめた。
確かに……これで、誰にはばかることなく彼女を旅団にいさせることができるのだが。
けれど、それは――……。
「ね……イオスさん」
「……う、うん? どうかしたか?」
ひとり物思いに耽って遠い目をしていたイオスは、の呼び声に慌てて視線を目の前の少女に戻した。
イオスと目が合うと、はどこか辛そうに瞳を揺らめかせた。
「――イオスさん達……大変なんですね……」
「……え?」
思いがけない少女の言葉に、イオスが驚いたように何度も瞬きをした。
「な、何を言ってるんだ。大変だったのは君のほうだろう?」
今日、あの気まぐれな顧問召喚師の餌食にされたのはなのにと困惑するイオスに、そうじゃないんですと言ってが小さくかぶりを振った。
「そのことじゃなくて……。
あの人が、旅団に命令を下している人なんでしょう?
……あんな人が上にいるなんて、大変だなって思って……」
――召喚術を受け、血を吐いてもがく自分を見てレイムは嘲笑(わら)った。……笑ったのだ。つまりあの男は、がああなることをわかっていて、むしろそれを愉しむために彼女に召喚術を浴びせたことになる。
あの時のレイムの表情がの脳裏に焼き付いて離れなかった。
――絶やさず浮かべる微笑みの裏に、あの男はとてつもなく残忍なものを秘めている。あの男は危険だとの本能が強い警鐘を鳴らしていた。
物憂げなの声に、図星を突かれてしまったイオスが困ったように目線を落とした。
「……正確にはあいつではなく、その上の……デグレアの首脳陣である元老院議会が命令を下しているんだが……。
でも、レイムは元老院の代弁者のようなものだからね。情けない話だが……デグレアの騎士である限り、結局僕達はあの男には頭が上がらないんだよ」
そう言うと、イオスは悔しそうに唇を噛んだ。
本来、今日のレイムの行動はそれこそ軍法会議で裁かれてもおかしくない類のものである。しかし、何故か元老院の面々に異常なほど信頼を置かれ、軍事に関して実質全権を握っているといっても過言ではないあの顧問召喚師が罰せられることはまずありえない。逆に、うかつに騒ぎ立てれば立場が危うくなるのは自分達の方だ。
どれだけ苦渋を飲まされても、どれだけ腸が煮え繰り返っても、あの男には逆らえないのだ。
「騎士である以上、ですか……」
がイオスから告げられた言葉を反芻する。
しばらく何か考え込むように天井を見つめていただったが、ややあってベッドに上半身を起こすと再びイオスの顔を見つめ直した。
「イオスさん……。
――ひとつ、聞いてもいいですか?」
「何だ?」
どこか思いつめたような瞳を向けるに、イオスが不思議そうに首をかしげた。
「イオスさんは今、騎士である以上レイムさんには……下される命令には逆らえないって言いましたよね?
だけど、騎士っていうだけで、どれほど納得いかないことでもここまで受け入れなきゃいけないものなんですか?」
「……え……?」
少女の口から発せられた言葉があまりに思いがけなくて、イオスが目を見開いた。
「生意気言ってごめんなさい。
でも、ずっと気になっていたんです……あのレルム村のことだって、イオスさん達、本当は後悔しているんですよね? あんなこと、したくなかったんですよね?」
「――っ、それは……!」
何か言い返そうとしたイオスの言葉を遮るようにが話を続けた。
「ゼラムでイオスさんが任務のことを話してくれた時、すごくすごく辛そうでした。本当はあの任務は納得できるものじゃなかったんだって……嫌だったんだって私にもわかりました。
だけど、イオスさんもルヴァイド様も、どれだけ納得いかない任務でもそれを受け入れている」
まっすぐにイオスの瞳を捉えたまま、は言葉を紡ぎ続けた。
――本当は、ゼラムで苦しげなイオスを見てしまった時からずっと気になっていたことだった。けれど、何も出来ない自分が口を挟むのはあまりにおこがましいと思ってずっと口に出さずにいたのだ。
それでも、どうしても一度聞いておきたかった。
「……ここにお世話になるようになって、一緒に生活する中で、私はイオスさんもルヴァイド様も、しっかりとした自分の信念を持っている心の強い人なんだって感じました。
なのに、任務となると……全然納得してないのに、後悔しながらでも……それでも命令を受け入れ続けてる。どうしてもそれが、イオスさん達らしくないって思えてならないんです。
――それでも、本当の気持ちを押し殺してでも命令を受け入れ続けるのが、騎士っていうものなんですか……?」
たたみかけるように言うと、は話し続けたせいで息苦しくなった呼吸を整えるかのように肩を数回上下させた。
一気に吐き出してしまわなければ、とてもこんなことを聞く勇気は続かなかったのだ。
呼吸が落ち着くにつれ、こんなことを言ってしまって良かったのだろうかと不安と後悔が心の中に渦巻き出して。はぎゅっと毛布を握り締めた。
そんなの様子をイオスはただ黙って見つめていた。
◆◆◆
「……あの……ごめんなさい」
が話し終えた後イオスは押し黙ってしまって。沈黙に耐え切れなくなったが謝罪の言葉を口にした。
やはり、何も知らない自分が聞くにはあまりに生意気すぎることだっただろうか。
機嫌を損ねたのではないかと心配する少女に、イオスは小さく笑いかけた。
「いや、いいんだ。君が謝ることじゃないよ」
ポンと優しくの頭に手を置くと、イオスはひとつ重いため息を漏らした。
「……確かに君の言う通り……僕達は、下される任務のすべてに納得しているわけじゃない。
けれど、ルヴァイド様には……どうあっても命令に……絶対にデグレアに逆らえない理由があるんだ」
「――ルヴァイド様に……理由……?」
戸惑いがちに瞳を合わせてくるに、イオスはこくりと頷いて見せた。
「詳しいことは僕の口からは話せないが……たとえ己の信念に背いてでも、国に全てを捧げることで得なければならないものがあの人にはある。
元老院もレイムも、そこに付け込んで旅団をいいように使ってるんだ。
それでも、ルヴァイド様がそれを受け入れる限り、僕達もあの人に従うしかないんだ……」
後悔しても、それでも。旅団員は全員騎士としてルヴァイドに心の底から忠誠を誓っている。自分達はただ、あの人と共に剣を取るのみ。
それが、非道に堕ちた自分達に残された最後の騎士道精神だった。
「君に納得してもらうにはあまりに言葉足らずだろうが……すまないが、今話せるのはこれが全てなんだ。
……駄目……か……?」
果たしてはどう思うのかと、イオスが少女の顔を覗き込んだ。
不安そうにこちらを窺う赤紫の瞳と目が合って。は、ゆっくり頭を横に振った。
「いいえ……大丈夫です。
本当に大変なのはイオスさん達なのに……無神経なこと聞いちゃって、すみませんでした」
あのルヴァイドがデグレアに逆らえない理由とは一体なんだろうかと気にはなったけれど、やはり旅団にはこの任務を受け入れねばならない理由があったのだ。
あのレイムという男や元老院とやらに日々苦渋を飲まされつつも、彼らには彼らなりの考えがあって、必死に任務を遂行している。 それがわかっただけで、もうじゅうぶんだった。
同時に、国というものや騎士のあり方についてあまりに無知な自分がイオスに問い掛けてしまった内容の無神経さを思うと、は申し訳ない気持ちで一杯になった。
「……ね、イオスさん……。
1日も早く……ルヴァイド様が、しがらみから解放される日が来ると……いいですね……」
「…………」
少女の言葉に、イオスが瞳を瞬く。
レルムの惨劇を目の当たりにし、聖女達とも心を通わせて。そんな中、レイムにあんな目に遭わされて。
彼女だって身も心も傷つき、苦しんでいるのだから、きっと自分の説明では納得しきれなかっただろうに。
それでも己のことよりまず旅団の行く末を案じて、この少女は言葉を選んでいる。
気を遣わせていることが申し訳なくて。胸が痛かった。
「……ありがとう。
――すまない……」
そう言うと、イオスはそっと目を伏せた。