「――眠った、か……」
あの後、疲れている処に重い話が重なって余計に疲労したのだろう、眠そうに目をこすり始めたに、イオスはもう一度寝るようにと促した。
からかい半分で「寝付くまでそばにいてやろうか」と言ったら、少女はほんのりと顔を赤らめて「そんなことをされたら落ち着いて眠れない」などとぼやいていたのだが、いざ横になるとものの5分と経たないうちにすぅすぅと寝息を立て始めた。
それだけ、疲れているということなのだろう。
「とんでもない1日だったからな……疲れるのも、当たり前だ……」
眠るの額にかかる黒髪を指で掻き分けてやりながら、イオスは重いため息をついた。
――今日……何故、レイムはあんな真似をしたのか。落ち着いて考えればその答えは簡単なものだった。
入団試験なんて口実だ。おそらくあの男は試したのだろう――自分やルヴァイドが、をどう思っているのかを。
彼女が危険な目にあったとき自分達がどういう行動をとるか。それを見れば、の価値がわかる。
そしてまんまとレイムの罠にはまり、自分は血まみれのを見て激しく動揺してしまった。これで、は「利用価値がある」と判断されただろう――自分に対する、切り札として。
「……迂闊だった……」
そう小さくつぶやいて、イオスは両の手のひらをきつく握り締めた。
――旅団にいる以上、いずれレイムにの存在を気付かれることはわかっていたのだから、きちんと対策を考えておくべきだったのに。そうしてもっと上手く立ち回っていれば、をこんな目に合わすこともなかった筈なのに。
今まで、イオスにはルヴァイドの部下だということ以外、これといってレイムに逆らえない理由はなかった。しかし今日の一件で、イオスはレイムに決定的な弱みを見せてしまったことになる。
ルヴァイドが父の汚名をはらしたいという願いを利用されているのと同じように、いざという時、自分はを盾にあの顧問召喚師に脅されるのだろう。
脅されること事体は……自分のことはどうでもいいのだ。問題は、その時彼女に加わるであろう危害。きっと今日のように、が傷つけられる。
「……う……ん」
ふいに、寝返りを打ったの右手が毛布からはみ出す。イオスは、その手をそっと両手で包みこんだ。
――自分の手にすっぽり収まってしまう小さな手のひら。 初めて会った時には傷ひとつなかった筈の白い手には、小さな擦り傷や肉刺(まめ)の跡があちこちに見えた。
この手を傷だらけにしてしまったのは自分だ。自分のミスでこの世界に喚(よ)んでしまって、年頃の少女には決して楽ではない軍の生活を強いている。
もうこれ以上、自分のせいで彼女を危険な目にあわすわけにはいかなかった。あの顧問召喚師の手からはなんとしても護らなければならない。
もちろん、自分に出来る全力でを護るつもりだ。
そして同時に……彼女を護るためには、今自分の中でくすぶっているこの少女への想いを断ち切る必要があった。
――万が一、イオスがに対して恋心を抱いていることを知られたら、さらにの利用価値が上がってしまう。レイムがどういう手に出るかわかったものではない。
絶対に、知られてはいけない。彼女への想いをなくすこと、それがを護る一番の方法だ。イオスがに特別な執着心を持たないとわかれば、レイムも彼女を利用しようなどとは思わないだろう。
護るために。……護りたいから……この想いは、一刻も早く――。
いつの間にか強く握り締めていたの右手が寝苦しそうにもぞもぞと動く。
起こしてしまってはかわいそうだと思い、イオスがその手を毛布の中へと戻そうとすると、何やら夢を見ているらしいの口許がかすかに動いた。
むにゃむにゃと聞き取れない寝言を口にする。
「まったく、何夢見てるんだか……」
自然と顔がほころんでしまって。許されるならこの無邪気な寝顔をずっと見ていたかったけれど、いい加減自分を戒めなければと、イオスがの手を離そうとした――その時だった。
「……ぃ……おす、さん……」
「――っ……!」
ふいに耳に飛び込んできた己の名前に、イオスは一瞬びっくりしたように目を見開いて……それから、くしゃくしゃに顔をゆがめた。
握り締めた少女の手を、自分の額へと押し抱く。
「……僕の名前なんか呼ぶな……馬鹿……」
伝わるぬくもりにこみあげてしまう愛しさは、一体どこへやれば良いのだろう。
断ち切らねばならないとわかっている想いなのだ。
けれど、あまりにままならない己の心に、イオスは何だか泣きたくなった。
第9夜 END