call my name
「トライドラ、だと……?」

 聖女捕獲任務の再開を申し渡されるものだとばかり思っていたルヴァイドは、レイム配下の召喚師・キュラーの口から出た言葉に意外そうに顔を上げた。

「ええ。最近どうにも国境付近でトライドラ軍との小競り合いが絶えませんのでね。ここらで一度はっきりカタを着けてしまえということになったのですよ。
聖女の件は一旦中止です。貴方達もトライドラ戦に備えて本国に戻れとのことですよ」
「トライドラ戦……!」

 久しぶりに下された「まともな任務」に自然とイオスの声色が明るくなる。
 そんな彼を侮蔑のこもった眼差しでキュラーが一瞥した。

「それでは……貴方がたがよく口にする、騎士らしい戦いとやらを見せてもらいましょうか。
――勝利をもって、ねぇ?」

 お前達が望む任務を与えてやるのだから失敗は許さないと、レイムの腹心であるその男はいやらしい笑みを浮かべて言い放った。
第10夜 哀しき雨だれ
「――ええと、騎士国家であるトライドラは、聖王国を守るように三つの砦を築いていて、これから向かうのはそのうちのひとつ、スルゼン砦――……」

 手持ち無沙汰に抱きかかえたテテの肉球をふにふにと触りながら、がイオスの説明を復唱する。

 トライドラ戦が通達された数日後。イオス、、加えて2名の旅団員は、デグレアへの帰路についた旅団本隊と別れ、偵察のためファナン北部に位置するスルゼン砦へと向かっていた。

 今回の戦で攻めるのはデグレアとの国境に隣接しトライドラ最大の兵力を誇ると云われるローウェン砦である。しかし、当然全ての砦の動向を密に探っておく必要があり。
 それぞれの砦に斥候が放たれる中、スルゼン砦へはちょうどファナン近隣に駐屯地を設けていた旅団内から偵察部隊が派遣されることとなり、イオス達がその任務に就いたのだった。

 トライドラ兵に感づかれることのないよう、イオス達はいつもの黒い軍服ではなく、各々私服の上にごく一般的な旅用のマントという出で立ちである。
 今は、砦付近の泉で馬を休ませながら一足先に様子を見に行った旅団員の帰りを待っているところだ。



 一通りトライドラについての説明を終えると、ふいにイオスが話題を変えた。

「しかし……よかったのか? ルヴァイド様達と一緒に戻った方が楽だったろうに……」

 すると、はちょっと気まずそうな顔をして肩をすくめた。

「すみません。
その……私、トライドラのこととか全然知らないから、戦いの前にちゃんと自分の目で見て勉強しておきたいって思ったんですが……」

 無理についてきてしまってごめんなさいと頭を下げる。
 そんな彼女の様子にイオスが苦笑を浮かべた。

 素直なのか、はたまた気を遣いすぎているのか。こうやってすぐ、自分は足手まといなのだと解釈して謝ってしまう。この少女の悪い癖だ。

「――あのな、。もし本当に君が足手まといになるような状況だったら、僕やルヴァイド様が君の同行を許可するわけがないだろう?
そうじゃないということは、君が一緒にいても何ら問題はないということなんだ。だからそうやってすぐに謝るのはやめること……いいね?」

 実際、召喚術……特に回復系の術を使いこなせるという時点で、彼女は旅団にとって「足手まとい」という存在ではなくなっている。だから、イオスとしてはこの少女にもう少し自信を持って欲しいというのが本音で。
 加えて今回の偵察任務では、むしろの存在はトライドラ兵の目をそらすという点で大いに役立つくらいなのだ――敵も、よもやデグレア軍が少女を連れているとは思うまい。

 だから君が気にする必要はないのだと。まるで小さな子供にでも言い聞かせるかのように顔を覗き込みながら告げられた言葉に、が少しびっくりしたようにぱちくりと瞬きをした。
 彼女の腕の中では、テテが「その通りだ」とでも言わんばかりにこくこくと頷いている。

 正面にある紫の瞳と、真下にある緑の瞳。それらにじいっと見つめられて。

「……はい」

 こくんと一度頷くと、は照れくさそうに頬を染めて笑った。






◆◆◆





「隊長。アルが戻ってきたようです」

 部下の声にイオスが腰を上げる。草原の彼方に、馬上から手を振る人影が見えた。

「よし、休憩は終わりだ。砦に向かうぞ」

 隊長の言葉に、はっ、と返事をした青年兵が馬へと駆け寄る。

「よし、テテ。私達もいこっか」

 気合を入れ直すかのようにぎゅっと腕の中の護衛獣を抱きしめると、勢いよく立ち上がったもイオスの馬の元へと走った。

 相変わらずひとりで馬に乗ることの出来ないは、イオスの馬に同乗する形になっている。
 ――は最初、隊長であるイオスの馬に乗っていてはいざという時率先して動かねばならぬ立場の彼が困るだろうと思い、他の旅団員の馬に乗せてもらおうとしたのだが、その案は至極不機嫌な顔をした特務隊隊長によって全力で却下された。

 イオスの手を借りながら、なんとか馬によじ登ったが彼の後ろへと腰を落ち着ける。
 遠慮がちに自分のわき腹辺りの服をちょこんとつかむ小さな手を見下ろしながら、うーんとイオスが首をひねった。

……やっぱり前に乗った方がいいんじゃないか?」

 前に乗れというイオスの勧めを何故か拒否して、は後ろへと乗っている。馬を操るイオスとしては、前にいてくれた方が彼女を支えることも出来るし何かと安心なのだが。

 しかし、背中越しに聞こえてきたのはどこかうわずった少女の声。

「だっ、大丈夫です! 後ろでいいんです!」
「何でだ? ゼラムの時もファナンの時も前に乗ってたじゃないか」

 不思議そうに問うイオスに、がぶんぶんと首を横に振った。

「え、ええと……きょっ、今日はですね、後ろに乗りたい気分なんです!」
「……なんだそれ」

 前から呆れた声が聞こえて。がうう、と肩を落とした。

 我ながら意味不明なことを言っているとは思うが――しかし、今イオスの前に乗るというのは……困るのだ、色々と。

 ゼラムやファナンの時は2人っきり(テテはいたが)だったしまだよかった。けれど今は他の旅団員達も一緒なのだ。彼らの目の前でイオスに抱きかかえられるようにして馬に乗るというのはどうにも恥ずかしい。

 それに……背後に感じる気配とか、頭上から落とされる声というのは……心臓に悪いのだ。
 ――心の奥底に閉じ込めてある、以前相乗りしたときにはなかった感情がじわりと疼きそうで……怖くて。

 相変わらず頑なに勧めを拒むに、少々不服げに目を細めたイオスがふうとため息をついた。

「まあ、いいけどな……
……じゃあ」

 おずおずと服を握っている少女の手をぐいとつかむと、そのまま自分の腰へと回させる。

「――っ!?」

 引き寄せられ、おのずとイオスの背に抱きつく形になってしまって。唐突に頬に感じたぬくもりにがびくんと体を強張らせた。

「……せめて、もう少しちゃんとつかまっててくれ」

 落っこちそうで気が気じゃないんだよとイオスがぼやく。
 いきなりのことに、心臓がばくばくして、抱きついてしまった姿勢から動けなくて、は声も出ない。
 かあっと頬が熱くなるのがわかって、慌てて顔を俯かせた。

 ――振り返らないイオスの顔もほんのり赤らんでいたことに、彼女が気づくことはなかった。






◆◆◆






「……ちょう、隊長……!」

 馬で駆けて来る、偵察から戻った旅団員の声が聞こえる。
 しかし、その姿が近づくにつれ、何やら様子のおかしいことに気づいたイオスが顔をしかめた。
 耳に届くのは何やら切羽詰まった声色。
 いぶかしく思ったイオスは、馬の腹を蹴ると急いで彼のもとへと駆け寄った。

「何だアル、どうした!?」

 上司である特務隊隊長に名前を呼ばれて。青年――アルは、はあはあと肩で息をしながら顔を上げた。
 向けられたその顔色が異常なまでに青ざめている。
 尋常ではない形相に、ただならぬものを感じた皆がぎくりと背筋を強張らせた。
 穏やかだった筈の草原の空気が一瞬にして重いものへと変わる。

「――アル!?」

  一体何があったとイオスが問い詰める。

 血の気を無くし、おののく唇をぎゅっと引き結んで。しばしの沈黙の後、やっとの思いでアルが口を開いた。




「そ、それが……スルゼン砦がっ…………!!」




 震える声で告げられた内容。あまりのことに、全員が言葉を失った。




 ――トライドラが誇る盾。
 貿易都市ファナンを南に望み、聖王都ゼラムへの道を守る要たる、スルゼン砦は――……。




 ふいに、草原に立ち尽くす彼らを黒い影が覆い始めた。
 さっきまで明るい太陽が顔を覗かせていた筈なのに。アルの報告に驚き息を止めていたは、紗が降りた視界にはっと現実に引き戻され、そのままゆるゆると天を仰いだ。

 ゴロ……と、空を奮わせる不気味な雷鳴が轟く。

 怯えてひきつる少女の頬に、ポツリと冷たい雫が落ちて。


 雨が、降り出した。