call my name
 ――スルゼン砦の兵士達が、味方同士で殺し合いをしています……!


 アルの口から出たのは、にわかには信じ難い言葉だった。
 けれど、手が白くなるほどきつく手綱を握り締めて俯くこの青年の報告を、見間違いの一言で片付けることは出来なくて。
 加えて告げられたもうひとつの真実に、イオス達はさらに衝撃を受けた。


「死んだはずの人間が生き返っているというのは本当なのか、アル……!?」

 スルゼン砦へ向け馬を飛ばしながらイオスが怒鳴る。隊長の横に轡を並べて駆ける青年兵がはいと頷いた。

「あ、明らかに致命傷を負って絶命した筈の兵士が、再び起き上がって剣を振るっているんです……!」
「――っ!」

 死者が生き返るなど、本来ありえない話である。サプレスの高位召喚術でも使わない限りは。
 ひとりだけ、イオスはそういう術を使う人間に心当たりがあったが、しかし今あの男がスルゼン砦にいる筈は無い。

 ――いる筈は無い……のだが。

「まさか……いや、でもそんな筈は……!」

 脳裏をよぎったある男の顔にイオスがぎりりと唇を噛む。
 その時、背後からあっと小さな声が上がった。

「イオスさんっ! あそこ……光が!」

  の叫びにはっとイオスが前を見る。雨と霧の向こう、スルゼン砦の方角に白い光の柱があがっていた。
 同じく光の存在に気付いた旅団員二人が驚いて目を見開く。

「た、隊長!あれは!?」


 死人が生き返る砦。立ち上る光。


(一体何がどうなっているんだ……!)

 次々に起こる不可解な事態。イオスは、この任務がただの偵察では終わらないであろうことを確信し始めていた。
 先の見えない状況に焦りで思考が絡まりそうになる。しかし隊長である自分がここで判断を誤るわけにはいかない。おかしなことが起こっているならなおさら、斥候である自分達が現状を確かめなければ。

「うろたえるな! とにかく砦まで急ぐぞ!」

 光に目を奪われ思わず手綱の動きを緩めた部下二人をイオスが叱咤する。
 草原の彼方にそびえる灰色の砦をきつく睨むと、振り返らぬままの名を呼んだ。

「飛ばすぞ!しっかりつかまっていろ!」

  その声と同時に馬が嘶き、スピードがぐんと早くなる。
 返事の代わりに、はぎゅっとしがみつく腕に力を込めた。
 ――恥ずかしいだとか、そんな甘い気持ちはとっくに吹き飛んでいた。


 少しずつその姿を現してきたスルゼン砦は、背後に背負った黒い雨雲に今にも飲まれてしまいそうで。

 ぶるっと体が震えたのは、きっと雨に濡れた寒さのせいだけではない。


 言い知れぬ恐怖を感じたは、砦から目を背けるようにイオスのマントに顔を埋めた。







◆◆◆






 近くの林に馬を繋ぎ、警戒しながら砦へと近づく。
 さすがに正門側から行くことははばかられて、裏の小さな通用門側へと回ったのだが、そこには誰の姿も無かった。
 いくら裏門とはいえ、砦の出入り口である以上必ず見張りの兵士が一人は立っている筈だ。 しかしここには……いや、砦全体から人の気配がしない。
 アルの報告に阿鼻叫喚の地獄絵図を想像していたイオスは、雨音しか聞こえないことを訝しんで眉を寄せた。
 先程とはうって変わって静まり返る砦を前に、アルも怪訝そうな表情を浮かべている。

 幾多の戦場をくぐり抜けて来たイオス達軍人は、例えそれが石の壁に囲まれた砦であろうとその中にある人の気配を感じ取ることが出来る。
 しかし、今このスルゼン砦からは、人間が発する「動」の気が全く感じられなかった。

 辺りを支配しているのは、まるでここには誰もいないかのような……不気味な静寂。

 どうしたものかとしばし逡巡していたイオスは、何かを決意したかのようにきっと顔を上げた。

「周りをぐるぐるしていても埒があかない……中の様子を確かめよう。
僕が門を開けるから、合図をしたらお前達も来い」

 先陣を切ろうとイオスが足を踏み出す。はっとしたが、慌てて彼を呼び止めた。
 急いでサモナイト石を取り出すと、手早く呪文を唱えてイオスの体に天使エルエルを憑依させる。
 ……門を開けた先に何があるかわからない。 万が一いきなり攻撃を受けても回復できるようにと思ったのだ。

 自分の体に入った紫の光が自動回復の術「リカバアンジェ」だと気付いたイオスがの顔を見る。以前レイムの「試験」でエルエルを召喚した時にはまだ慣れていない様子だったが、おそらくあれから鍛錬を積んだのだろう――今のに疲労の色は見られなかった。

 少女の心遣いに、緊張していた瞳を一瞬だけ和らげて。ありがとうと言う代わりに心配そうにこちらを見上げるの頭を優しく撫でてから、イオスは身を隠していた茂みから飛び出した。
 そのまま一気に砦の外壁まで走り寄ると、門である鉛の扉に背をつける。金属の塊の向こうを探るべく耳をそばだたせるが、やはり何も聞こえなかった。

 ……中では一体、何が起こっているのか。

 ぎゅっと口を一文字に引き結ぶと、くるりと身を翻した。
 門に真正面から向き合って、すぐに一撃を繰り出せるよう槍を握った右手に力を込める。
 すぅ、と一度息を吸い込んでから、イオスは左手で雨水のしたたる門扉を押した。







◆◆◆






 単身飛び出したイオスを固唾を飲んで見守っていた面々は、門を開けたままの姿勢で微動だにしない隊長の様子に首をかしげた。
 動きを止めた彼が攻撃を受けているわけでもないのだから、召喚術で麻痺したということはなさそうだ。右手に握った槍が振るわれる気配もないことから、おそらく門の向こうに敵はいなかったと思われる。
 ならば、どうして彼はあの場で固まっているのか。
 残された三人は、ただ怪訝そうに顔を見合わせて。

「おい……俺達も行くぞ!」

 アルの発した言葉に頷き合うと、急いで茂みを飛び出した。



「――イオス隊長……!」

 扉の向こうに広がっていた光景に思考が停止していたイオスは、耳に飛び込んできた己を呼ぶ声にはっと我に返った。
 声のした方に顔を向けると、部下二人が雨の中こちらに駆け寄って来ている。

「隊長、どうしたんですか!?」
「あ……ああ……」

 そばに来た部下達に、イオスはどこか心ここにあらずといった表情で応じた。
 上司の不自然な態度ににカイト達が顔をしかめる。
 そのまま開かれた門の向こうへと視線を移して。次の瞬間、年若い旅団員は二人そろって息をのんだ。

 言葉も無く立ち尽くす三人。そこへ、少し遅れてが姿を見せた。

「イオスさん? 大丈夫ですか……?」

 不安そうな声でイオスの名を呼びながら彼の元へと駆け寄る。
 しかし、その瞳にの姿を捉えたイオスはぎくりと背筋を強ばらせた。


「――駄目だ、君は来るな!」


 突然叫ばれて、驚いたが目を瞬く。
 一体何事かと、呆けたように口を開けたままイオスの顔を見つめて。
 彼女を止めようとしたイオスが一歩前へと踏みだす。けれど、動いたせいで、それまでイオスの背に隠れていた扉の向こうの光景がの目に入った。


 まるで金縛りにあったかのようにぴたりと動きを止めて。
 門の中にあるものが何なのか理解したの瞳がゆっくりと驚愕に見開かれていく。
 少しずつ、その表情がゆがんでいく様を目の当たりにして。

――ああ、見てしまったのかと。

 ガタガタと全身を奮わせ始める少女を前に、イオスは絶望にも似た気持ちでぎゅっと両の拳を握り締めた。






◆◆◆






 イオスの肩越しに見えたものは、赤と桃、そして土の色だった。
 雨で視界が悪い中、ちらりと見ただけでは赤土の塊かと思うようなそれは。

 折り重なるように倒れた何体もの死体の山。
 剣を握った腕がありえない方向に曲がっており、血のこびりついた肘から白い骨が覗く。
 背中に、何かでえぐられたかのような大きな穴を持つ死体のすぐ横には、口に赤黒い液のしたたる桃色の肉を含んだまま何故か恍惚の表情を浮かべて絶命している男。
 全身に銃弾を打ち込まれた状態で、おそらくその男を撃ったであろう拳銃を握る人間の喉元に喰らいつき事切れている死体もあった。
 誰のものともわからぬ足が一本、山から少し離れたところに転がっている。

 山の一番上、首に剣を突き立てられ、頭が今にも胴体から落ちそうになっている男と目が合って。


「――っ……!」


 喉を突いて出そうになった悲鳴を、は口許にきつく両手を押し付けることでなんとか飲み込んだ。
 思わず胃の中のものを戻しそうになるが、ぎゅっと目をつぶってうつむき必死にこらえる。

 膝が震えて、少しでも気を抜いたらそのまま崩れ落ちてしまいそうだった。


 ――本当は叫びたかった。泣き叫んで、今すぐこの場から逃げ出したかった。
 けれど、今自分は黒の旅団の一員としてここに来ているのだ。兵士としてこの任務に同行している以上、取り乱してイオス達に迷惑をかけるわけには……。


「――
「……っ……?」

 ふいに誰かに頭を掴まれたかと思うと、そのまま顔を胸へと押し付けられた。
 驚いて上を見ると、悲痛な面持ちでこちらを見下ろしているイオスの顔があって。

「――無理するな。叫びたかったら叫んだほうがいい……」

 小さな声でそう呟くと、イオスはの頭を抱きこむ腕に力を込めた。


 軍人であるイオス達は、戦場で何を見てもそう簡単に悲鳴などあげることのないよう、また、感じた恐怖を己のうちに溜め込まず昇華する為の精神的訓練も受けている。
 ――しかしこの少女は違うのだ。迷惑をかけまいとして強がっているが、本当は血の匂いにすらいまだ慣れることの出来ない、ごく普通の少女。

 人間が怖いと感じたときに悲鳴をあげるのは、助けを求める他にもうひとつ、大声を出すことで心にのしかかった恐怖を外へと開放する為でもある。叫んで、手放してしまえば、内に侵入してきた怖れにその後囚われずに済むからだ。
 下手に我慢をすれば、こらえたぶんだけその恐怖はトラウマとしていつまでも身にまとわりつく。

 ――今更、と云うほど死体を見てきたイオス達ですら思わず立ちすくんでしまったのだ。この惨状が彼女に与えたショックは計り知れない。



 ……押し付けられた胸からはイオスの鼓動が聞こえて。濡れた服越しとはいえ、頬には間違いなく、生きている人間のぬくもりが感じられた。
 震える手ですがりつくようにイオスの服を掴む。顔を見つめて何かを言おうとしたのだが、言葉を発するより先にの瞳から大粒の涙が溢れ出した。

 イオスの瞳を捉えたまま、がぱくぱくと血の気を失った唇を動かす。気が動転して声が出ないらしい彼女を安心させるかのように湿った黒髪を撫でつけてやると、イオスは片手だけで抱き寄せていた少女の身体を両手できつく抱きしめ直した。


 大丈夫だよと耳元で囁かれる。優しく響いたその声に、の中で張り詰めていたものがぷつりと切れた。




(赤い肉)

(白い骨)

(あれはなに?)

(取れかけた首と、目が合っ……)





「―――いやああああああああああっ!」





 降りしきる雨の中、イオスの胸にきつく顔を埋めて。は声の続く限り、叫んだ。