call my name
 砦内部を確かめてくるというイオス達について行こうとしたを、やめておけとイオスが制した。

 さんざん叫んでようやく気分は落ち着いたが、おそらく内部もこのような惨状なのだろう。また死体を見た時取り乱さないでいる自信のなかったは、何をやっているのだろうと自己嫌悪して唇を噛んだ。
 ここに来る前、せっかくイオスは自分を足手まといではないと言ってくれたのに、やはり何も出来ないではないか。

 わかりましたとうつむいてしまったの肩をポンと叩いてから、イオスが背をかがめる。彼女の足元にいるテテにを頼んだぞと言うと、護衛獣は、当ったり前だ、誰に向かって口を利いているんだとでも言わんばかりにイオスの足を軽く蹴った。




「……雨……やんだね」

 最初に身を隠していた茂みのそばにある木の根元にしゃがみこんでいたが顔を上げる。灰色の空からこぼれる雨はいつの間にかあがっていた。
 ちらりと裏門に目をやるが、まだイオス達が出てくる気配はない。

 ――本当は、イオス達について行きたかったのに。弱い自分が悔しくて、ひとりで待っているのが本当はちょっと怖くて寂しいとか思っていることがさらに情けなくて、は憂鬱な気持ちでいっぱいになった。

 もう何度目になるであろう溜め息をつく。すると、ふいにテテがの膝から飛び降りた。

「……テテ?」

 急に背負っていたリュックを降ろし、中身をごそごそと探り出したテテにが目を瞬く。きょとんとしているご主人様をよそに、テテはリュックから白いレースペーパーの包みを取り出した。
 包みの中身が何なのか、には覚えがある。だってそれは、出発前に彼女がテテに持たせたもの。

「それ、テテのおやつの金平糖じゃない」

 お腹すいたの? と聞くが、テテはふるふると首を横に振る。じゃあどうして、と首を傾げるの手のひらに、テテは金平糖の包みを押し付けた。
 思いがけない護衛獣の行動。じぃっとこちらを伺う緑の瞳を見るうちに、ひょっとしてと気付いたが口を開いた。

「もしかして……くれるの?」

 の言葉にこくこくと頷いたテテがの手のひらに乗ったままの包みを開ける。ご主人様が好きな苺味のする粒をひとつつまむと、ずいっとの前に差し出した。
 至極真面目な顔で金平糖を勧められて。その表情があんまり真剣で可愛くて、次の瞬間、は思わず笑い出してしまった。

 ため息なんかついているからテテに心配をかけてしまったらしい。きっと、これを食べて元気を出せということなのだろう。

「……ごめんねテテ。ありがとう」

 こんなにも自分のことを思いやってくれる優しい子がそばにいるのに、「ひとりで」待っているなんて思ったりしてテテに申し訳なかった。ちょっと落ち込むようなことがあるとすぐにこうやってひとりの殻に閉じこもってぐじぐじ悩んだりするから、自分はいつまでたっても弱いのだ。

 差し出される小さな手のひらから金平糖を受け取って口に含む。お返しとばかりにレースペーパーに包まれた色とりどりの粒の中から紫色をした葡萄味のするそれを見つけてテテの口に入れてやると、メイトルパの獣は大好きな味を選んでもらえて嬉しそうに頬を緩めた。
 可愛らしいその表情を見るうちに、なんだか落ち込んでいたのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 過ぎたことをいつまでも気にしていても仕方がない。せめて、イオス達が戻ってきたらしゃんと背筋を伸ばして迎えよう。それが、今の自分に出来ることだ。

 この金平糖を食べ終わったらもう落ち込むのはやめようと、そう思いながらは口の中の砂糖菓子を舌で転がした。








◆◆◆







 いくらかふくらみの減ったレースペーパーの包みをリュックに戻していたテテが、ふいにぴくっと肩を震わせて顔を上げた。
 ぴんと尻尾を立てて、何かを警戒するかのように周囲を見渡す。

「テテ? どうしたの?」

 急に表情を変えたテテを不思議に思ったが声をかけるが、テテはくるりと踵を返すと一目散にその場から駆け出した。

「ちょっ……テ、テテ!?」

 一体どうしたのだろうとびっくりしたも、慌てて腰掛けていた木の根から立ち上がると小さな背中を追いかけた。



 突然走り出したテテが向かった先は砦の東側だった。
 スルゼン砦の東側には切り立った崖がある。その崖まであと二十メートルほどのところでようやくテテはその足を止めた。

「テ……テテっ。もう、一体どうしたのよ……!」

 ようやく追いついたが息を切らしながらテテの横にしゃがみこんだ。
 崖から吹き付ける風が冷たくの頬を打つ。相変わらず光の差さないくすんだ空のせいで周囲は薄暗く、闇の広がる崖はなんとも不気味だった。

「……テテ……ほら、危ないよ。もう戻ろう?」

 嫌な雰囲気を感じたがテテを促すが、護衛獣は崖の先に広がる闇を見つめたまま動かない。

「ねえ、どうしたの……?
そっちは崖だよ?何もいないよ…… 」

 まっすぐに前を睨みつけたまま動かないテテ。一体何を見ているのだろうとが視線を上げた、その時だった。

 崖に吹き付ける風の音だけが聞こえていたはずの空間に、ずるり、と鈍い音が響いた。

「――え……?」

 聞き慣れない音にはっとが息をのむ。
 ずるり、ずるりと響く音。自分が発しているものでも、ましてやじっと動かないテテが発しているものでもない。

 不気味なそれは次第に大きさを増していく。何かを感じ取ったテテが、ヴヴ……と警戒するように喉を鳴らした。


 ――ずるり、ずるり。


(な、なに……!?)

 まるで何かが地面を這いずっているような音。それがひときわ大きく響いた時、何もなかったはずの崖下から、節くれだった一本の手が現われた。

「…………きっ、きゃああぁぁぁぁぁっ!!」

 突然崖端を掴んだそれにたまらずが悲鳴をあげた。
 あまりのことに驚いて目を見開く彼女の目の前で、片手だけだった手は2本に増え、次に薄鼠色の髪を持つ男の顔が現われた。

「な、なっ…………」

 固まるをよそに、ずるずると衣擦れの音を響かせながら、崖下から這い上がってきたその男は、四つんばいの状態からゆっくりと立ち上がった。

 長い前髪のせいで表情を窺い知ることは出来ないが、わずかにのぞく顔色は青白い。裾の長い衣服のあちこちに血の染みと、そして肩口に銃弾の痕があるのに気がついたがあっと声を漏らした。

 ――崖から這い上がってきた、怪我をした男。もしかしたら、あのスルゼン砦の惨劇から逃げ延びた兵士ではないだろうか。

「あ、あのっ! 砦の生き残りの方ですか……!?」

 裏門で見た死体の山に、おそらく砦は全滅かと思っていたがどうやら生存者がいたらしい。一刻も早く治療をしなければと思ったが男のそばに駆け寄ろうとしたのだが、顔を上げた男の表情を見て、踏み出しかけた足を思わず止めてしまった。

「砦、だと…………?」

 低い声でそう呟いて。の瞳を捉えた男は、口が裂けるかと思わせるほどにニィっと紫色の唇をゆがめて笑った。



「生き残りなんかいるわけないだろう。あの砦は全て、このワシが屍人に変えてやったのだからな」



「――なっ……!」

 カカカといやらしい笑い声をあげる男に、が驚愕の視線を向けた。



 ――今この男は何と言った?



(まさか……)


「あ、あなたっ……
あなたが砦をあんなふうにしたんですかっ!?」

 男の笑い声を遮るかのようにが声を張り上げる。男は、ここで初めての存在に気が付いたかのようにすっと瞳を細めて目の前の少女を見やった。

「……なんだお前は」
「質問に答えて下さい!砦をあんなにしたのはっ……」
「ああそうさ、このワシさ。
この屍人使いガレアノが、愚かな人間どもを屍人へと変えてやったのさあ」

 まんまと術にかかり、味方同士で殺しあう様は見物だったぞと、ガレアノと名乗ったその男は可笑しくて仕方がないといった風に笑った。

「――っ!」

  の脳裏に、裏門で垣間見た光景がフラッシュバックする。

 ちぎれた腕、したたる赤い血。 うつろな表情を浮かべたままとれかけた首。
 けれどあれは全て、彼らが望んでやったことではなかったのだ。
 目の前で笑うこの男に、無理矢理――……!


「ど、どうしてっ……
どうしてこんな酷いことをっ!」

 恐怖とかそんな感情よりも、人の命をもてあそんで、それを愉しんでいるこの男が許せなくて。怒りのあまりわなわなと拳を震わせてが叫ぶ。
 しかし、ガレアノはそんなを見ても全く表情を変えなかった。

「――何故、お前にそれを説明する必要がある」

 低い声で告げられたガレアノの言葉に、ぞっとしたが思わず一歩後ずさった。
 幼い顔に怒りと怯えを交錯させる少女の反応を面白がるかのように、ガレアノが二人の距離を縮めていく。

「……ワシの姿を見たお前を、生かしておくわけにはいかないからな……。
どうせ生きて帰れないお前に、一体何を説明する必要があるというのだ」

 さあ、どうしてやろうかと。
 ニヤニヤと笑いながら、一歩、また一歩と近づいてくるガレアノ。


「ちっ、近寄らないで……!」

(――このひとは、敵だ……!)

  がポケットの中から取り出した紫のサモナイト石を空へと掲げる。

 ――ひと通りの召喚術を学んだだったが、これまでの戦いで彼女が使っていたのは眠りなどの効果をもたらすものばかりで、直接相手に傷を負わせるような術を使ったことはなかった……甘いとわかってはいたが、やはりどうしても自分の手で人を傷つけるということに抵抗があったのだ。相手がトリス達だっただけに、尚更。

 しかし今はそんなことを言っている場合ではない。は迷わず攻撃の為の石を選んだ。

「……っ、誓約の元にが願う……静寂を望む霊よ、彼の者に沈黙の暖撃を!」

 の詠唱と共に青い衣を纏った幽霊・ボアが現われ、ガレアノを炎で包む。しかし、ガレアノがさっと右手を一振りすると、炎と共にボアの姿までもが霧散した。

「なっ!?」

 渾身の力を込めた召喚術を一瞬にして無効化されたがぎょっと目を剥いてガレアノを凝視する。

「カカカ、馬鹿な娘よ。このワシにサプレスの術を使うとは」

  の召喚術では傷ひとつ負ってないガレアノが、笑いながら彼女へと近づく。

 そこへ、主人を守るように飛び出してきたテテがガレアノへと向かって水流を放った。しかしそれすらもガレアノが小さく指を鳴らしただけで消えうせてしまった。

「何だ、下等召喚獣の分際で」

 すっと右手を振り上げたガレアノの指先に青白い光が灯る。次の瞬間、テテの体が30メートルほど先の木へ向かって吹き飛ばされた。

「――テッ、テテえぇっ!!」

 木の幹に身体を打ち付け、そのまま力なく大地へ崩れ落ちたテテに血相を変えたが駆け寄ろうとする。しかし、走り出したの手首をガレアノが掴んだ。
 ぐいと引き寄せられ、そのままドサリと地面へ押し倒される。
 雨でぬかるんだ地面から跳ねた泥が数滴の頬に飛んだ。

「はっ、離してっ!」

 逃げ出そうとが必死で手足をばたつかせるが、暴れる少女の両手をガレアノは片手のみでいとも簡単にまとめあげると、そのまま彼女の頭上へと押さえつけた。
 空いた手での喉元に指を這わせながらニヤリと笑う。

 ――「鍵」たる娘とその一行……あの忌々しい召喚師達に傷を負わされ、ガレアノの中で怒りの炎がくすぶっていた。
 破壊への衝動を持て余しながら落ちた崖を這い登れば、そこには何も知らない馬鹿な人間の娘……憂さ晴らしにはちょうどいい、生餌である。


「……今ワシは機嫌が悪いんだ。
殺す前に……相手をしてもらうぞ、娘」


「な、何をっ……」

 ガレアノの言葉にがびくっと身体を震わせた。

「いっ、嫌……!」

 のしかかってくる身体を押しのけようとがもがくが、覆い被さる重みはびくともしない。それどころか、ガレアノは暴れる彼女の反応が面白くてたまらないとでもいうように喉を鳴らして笑った。

「……ひっ!?」

 ちり、と耳朶に痛みが走る。続いて感じた吐息のかかる生暖かい感触にようやく耳を噛まれたのだと理解して、の全身がぞくりと粟立った。
 冷たい舌が首筋を辿る。あまりの嫌悪感に、の瞳に涙が浮かんだ。たとえなめくじが体中を這い回ったってこれほどのおぞましさは感じないだろう。
 そのまま服の上から節くれだった指に胸元をまさぐられると、の頭の中が真っ白になった。
 そんな場所を誰かに触られたことなどない。気持ち悪い。気持ち悪い――……!

「やだ……離して、はなしてぇっ! いやあっ!」

 半狂乱になりながらが悲鳴をあげるが男の手が止まることはない。

「……何だ?」

 ふいに少女の両手を押さえ込んでいた左手に痛みを感じたガレアノが顔を上げる。いつの間に意識を取り戻したのか、彼の二の腕にテテが噛み付いていた。 主人を護ろうと必死で彼女を戒める腕に歯を立て、爪を立て、忌まわしい腕を引き剥がそうとする。

「邪魔だ、下等生物」

 フン、と鼻を鳴らしたガレアノが一言二言何かをつぶやく。すると、テテの身体が再び吹き飛ばされた。木にしたたかに身体を打ち付け、ずるりとその根元に崩れ落ちたまま動かなくなる。

「テテ、テテえぇっ!」

 倒れ伏した護衛獣の下に駆け寄ろうと、その名を何度も叫びながらがもがくが、ガレアノは笑いながら彼女を戒める腕に力を込めた。
 暴れる両足の間に膝を割り入れる。すると、狂ったように全身をばたつかせていた少女が顔面を蒼白にしてがたがたと震え始めた。それを見て、ガレアノが口の端をあげた。

「……何だ、生娘か」
「――っ!」

 嘲笑うように言われて、屈辱と恐怖での黒い瞳から涙が溢れ出す。
 笑うガレアノの冷たい指が襟元から滑り込み素肌の胸に触れると、血を吐くようなの悲鳴が響いた。

「いや、いやあああっ! やだあああっ!」



 ――逃げたいのに逃げ出せない。のしかかってくる重さに身体が動かない。



 こんな場所で、こんな男に身体をまさぐられるくらいなら死んだ方がましだった。恐怖と嫌悪感で眩暈がする。


 涙で滲む視界の向こうにイオスの顔が浮かんだ。

 たすけて、と。震えるの唇が動く。




「い……や、いやああっ!
イオスさん、イオスさっ……… 」




 泣きながら叫ばれた少女の言葉を聞きとがめたガレアノが、うずめていた胸元から顔を上げた。
 怪訝そうに眉をひそめて組み敷いた少女を見やる。

「……おい。
娘、お前今何と――……」

 だが、ガレアノは紡ぎかけた言葉をぴたりと止めた。

 急に止まった手の動き。ややあって、の喉元にぽたり、と生ぬるい水滴のようなものが一雫、落ちた。
 何事だろうと、が涙でぐしゃぐしゃになった顔をおそるおそるガレアノの方へと向ける。





「―――何をしている、貴様」




 ガレアノの背後から、澄んだアルトの声が響く。

 下劣な男の首筋にぴたりと当てられた槍。その皮一枚分だけ食い込む矛先から流れるガレアノの血が、ぽたり、ぽたりと下にいるの喉元に滴り落ちた。
 ガレアノの肩越しに見えた顔に、がああっと声にならない叫びを上げる。


「……今すぐに……」


 槍を構えたその人物――イオスは、怒りに燃える紫の瞳とは裏腹に、聞いたもの全てを凍てつかせるような冷たい声で言い放った。



「その汚い手を離せ――ガレアノ……!」