call my name
「イオスさんが……この花を……?」


 まったく予想外の老人の言葉。驚く彼女に、男は微笑みながら頷いた。

「ええ。
――同朋の、供養のためにとね。ここに花園を造って……数年ほど前からねえ……」
「……供養……?」

 林の奥にひっそりと設けられた小さな花園。どうやら、イオスが亡くなった誰かを弔うために植えたものらしい。あまりに断片的に与えられてきたこの花園についての情報が、の中でようやく繋がり始めた。

「あの。……旅団のどなたかが、亡くなられたんですか?」

  軍隊だし、死者が出るということもあるのだろう。同朋とは当然旅団の誰かだろうと思って口にした言葉だったのだが、しかし男は皺の刻まれた顔に意外そうな色を浮かべわずかに首をかしげた。

 何かを窺うかのように、の黒い瞳を覗く。

「いや、そうではなくて……。
――もしやお嬢さん、まだお聞きでない?」

 老人の問いの意図がわからず、はただ困ったように眉を寄せる。そんな彼女の様子を見て、男はおやおやそうでしたかと呟きながら鼻の頭を掻いた。

「そうですか。
イオス殿、まだ話していないんですなあ……」
「……え……?」

 てっきりあなたには話していると思ったのに、と言う老人に、話の見えないが戸惑った声を漏らした。
 この優しげな老人の話は、どうにもさっきから内容が読めなさ過ぎる……。

「あ、あのう……。
どういう、こと、なんでしょうか……」

 途方に暮れている少女に、老人は何か思案するように瞳を揺らして。しばし躊躇の沈黙が降りたのだが。

「まあ……あなたになら、いいのでしょう」

  に向き直った老人が、ここはですね……と口を開きかけた、その時だった。


「――少々おしゃべりが過ぎませんか? ……オーレイヴ殿」


「あ……」

 ふいに背後からかかった聞き覚えのある声に、と老人がそろって振り向く。
 ――そこには。


「イオスさん……!」


 ふたりの視線の先には、ブリキの如雨露(じょうろ)を手にひとり困ったような笑みを浮かべているイオスが、いた。








◆◆◆







 渦中の人物の、しかも突然の登場。加えて見慣れないその姿にが目を瞬いた。

 ――現われたイオスはいつもの黒い軍服ではなく、上腕部に金糸でデグレアの紋章の刺繍が入った濃い藍色の軍服に緋色のマントといった出で立ちだ。
 上層部との会合、いわば謁見用であるこの軍服は通常のものに比べ数段華美な仕立てになっている。故に少々着る人物の容姿を選ぶであろうそれを、しかし何の苦も無くさらりと着こなしてしまうイオスの姿は女官達が騒ぐのも頷ける格好良さで。

 初めて見るイオスの格好に、状況も忘れて一瞬ぽうっと見とれてしまったは、はっと我に返ると上気してしまった頬を隠すかのように慌てて顔をうつむかせた。

 そんな彼女の様子には気付かないまま、イオスがふたりのそばへと歩み寄る。

「まったく……ここのことは、秘密にして下さいと言ったでしょう?」

 勝手にしゃべらないで下さいよと口を突いて出たのはどこか呆れ気味な声。しかし、たしなめられた当本人――オーレイヴと呼ばれたその男はホッホと笑うのみだった。

「別に私が連れて来た訳ではありませんよ。お嬢さんは、ご自分でここにいらしたようですからなあ」
「……?」

 そうなのかとイオスに問われて、は慌てて頷いた。

「は、はい。
テテとお散歩してて、そしたらここにお花があって……
――ああっ! それであの、ごめんなさい!お花、とっちゃって!
ここ、イオスさんのものなんですよね? ご、 ごめんなさっ……!」

 急に大声をあげたかと思うといきなり頭を下げた少女の反応に、何事かと驚いたイオスが面食らった顔をしてを凝視した。
 彼女の手に握られた花と、足元にいる護衛獣の帽子に飾られた花とを見比べて――少女の謝罪に合点がいったイオスはなるほどと柔らかい笑みを浮かべた。

 ――おそらく、テテがご主人様のためにと手折ったのだろう。彼女のことだ、「人様の花園」からとってしまったと知って相当慌てたに違いない。

「大丈夫だよ。ほら顔上げて」

 君が摘んだのなら全然構わないからとイオスに優しく肩を叩かれたものの、はでも、と食い下がった。

「でも……これ、供養のためのお花だって……おじいさんが……」

 先程老人から聞いた言葉を口にしたところで、はた、との言葉が止まった。

 ――そういえば、まだこの老人が誰なのかを聞いていない。

 自分のことを、そしてイオスのことをよく知るらしい、目の前で微笑む謎の男。何やらイオスと相当親しいようだが、一体――……。

「あ、あの……イオスさん。
ところで、こちらのおじいさんは……?」

 どなたですかと尋ねる少女に、イオスはまだ名乗ってなかったんですかと目をまるくして老人の方を見る。
  そういえばそうでしたなあと呑気に答える老人の様子に、イオスは「まったくあなたって人は……」と盛大にため息をついた。

「ごめん、驚いただろう?
――こちらはオーレイヴ殿。デグレア軍の軍医だよ」
「軍医……お医者さん……?」

 きょとんとするに、イオスはああと頷いた。

「僕達軍人は、しょっちゅう怪我してばかりだからね。オーレイヴ殿には本当にお世話になっているんだ」

  そのよしみで、国を留守にする間ここの世話をお願いしていてね、と言いながら、イオスがちらりと風に揺れる花に目を移す。老人はよく面倒を見てくれていたようで、花達は皆変わらぬ美しさを誇っていた。
 花の世話、ありがとうございましたとイオスが礼を口にすると、オーレイヴは黙ってただ微笑むことでそれに応える。次にの方へと顔を向けた。

「名乗るのが遅れまして悪かったですなあ。
あなたのことは、先ほどイオス殿からお聞きしましてね。なんだか他人とは思えなくて……いやはや、驚かせてしまって申し訳なかったですよ。
――改めまして……よろしく、さん」
「あ……は、はい。こちらこそ」

 ――軍医。イオスがここまで気さくに話す相手なら、きっと信頼に足る人物なのだろう。訳知り顔な老人の正体がようやく判明して、少し安堵しながらはぺこりと頭を下げた。

 律儀に挨拶を返す少女を微笑ましく思ったオーレイヴがイオスの顔を見ると、青年は「ほら、素直で可愛いでしょう?」とでも言いたげに――そしてどこか自慢気にくすりと笑う。いつになく穏やかな特務隊長の瞳に、老人は表情には出さぬものの内心驚いて彼の顔を見つめた。
 この青年が、ひとりの少女を前にこんなにも優しい目をするなんて。オーレイヴは知らなかった。

 イオスがこの国に来て、はや何年になるだろう。
 ずっと彼の様子を見てきたオーレイヴでさえ、こんな瞳は一度も――……。



「……イオス殿とは、彼が捕虜時代からのお付き合いでしてなあ。もう五年になりますか……」



「……え?」

 ふいにオーレイヴの口から発せられた言葉。まるでひとりごとのようにぽつりと呟かれたそれに、ひっかかりを感じたが顔を上げた。


 今、何か、とても意外な言葉を聞いた気がする。


「ほ……りょ……?」
「ああもう、オーレイヴ殿っ!その先は自分で話しますからっ……!」

 きょとんとするの横で、イオスが慌てて声をはりあげ、また勝手に話を始めてしまう老人を止めに入った。
 そのことはまだ話してないんですから、と眉を寄せる青年に、オーレイヴは思いがけずこぼれてしまった言葉に口を押さえ、これは失敬と肩をすくめて謝る。
 しかし、不思議そうに首を傾げる少女とちょっとばつが悪そうに唇を噛む青年の様子を見ていたらなんだかおかしくなってしまって。つい、彼の悪い癖――悪戯心がむくりと頭をもたげた。

「いやいや、すみませんねぇ。
イオス殿の奥方になられる方だと思うと、ついつい口が滑ってしまいまして」



「・・・・・・・・・・は?」



 老人の言葉に、若者ふたりはそろって間抜けな声を重ねる。
 意味を理解すると、同時に耳まで赤く染めた。

「オ、オオオオーレイヴ殿っっ!? 一体なにをっっ!」

 動揺のあまりろれつのまわらなくなった舌でイオスが怒鳴る。対するオーレイヴは、余裕しゃくしゃくといった風体でにんまりと笑った。

「――おやあ、違うのですか?
私はもうてっきり、イオス殿が奥方にされる方を連れてきたのだとばかり」
だってそんなに親しげで、と言う老人に、イオスがますます顔を赤くした。

(お、奥方って……!)

 いきなり降って沸いて出たとんでもない単語。あまりのことに、はもう声すら出ない。

 ――奥方というのは奥さんというか妻のことで、それはつまり、自分とイオスが――……。


「ちっ、違いますちがいますっ!
さっきも説明したでしょうっ! 彼女は、僕が名も無き世界から喚(よ)んでしまってっ……!」

  あなたにはきちんとお話したのにと、地団駄踏みながら視線を合わせたオーレイヴの茶色い瞳がおかしそうに細められているのを見て、またいつものようにからかわれたのだと悟ったイオスが口をへの字に曲げた。
 抗議の声をあげようとするのだが、イオスより数段上手なこの老人は青年の口から文句が飛び出す前に暇(いとま)を口にする。彼で「遊ぶ」際の引き際をよく心得ていた。

「あー、それでは、私は用がありますのでこの辺で失礼しますかな」

  そう言うと、イオスとに向かい軽く会釈をする。ていよくあしらわれてしまったイオスが露骨に不満げな表情をみせるのだが、オーレイヴはその肩をポンポンと叩いてふたりに背を向けた。

 しかし、城へと向かい数歩歩いたところで、ああそうそうと振り返る。



「――さん、イオス殿とのお式にはぜひこの爺も呼んで下さいよ?」



 いやあ楽しみだと。皺がくっきり深くなるにんまり笑顔。


「しっ……!?」

 再びとんでもないことを言われ、たまらず素っ頓狂な声をあげる


「――オ、オーレイヴ殿ーーーーーーーッッ!!」


 林の中にこだまするイオスの叫びを背中で聞きながら、帰り道を辿る老人は楽しそうに口の端をあげるのだった。







◆◆◆







 お騒がせな老人の後姿が見えなくなったところで、残されたふたりはどちらからともなく顔を見合わせる。けれど、目が合った瞬間先程のオーレイヴの言葉がよみがえり、そろって赤くなった顔を背けてしまった。
 ややあって、イオスがコホン、とどこかわざとらしく咳払いをする。

「わ、悪かったな。あの人は本当に、僕をからかうのが好きで……」

 優秀な医師であり、ルヴァイドからも絶大な信頼をおかれているあの老人には、のことを正直に話したのだが――いいからかいの種を与えてしまったとイオスがため息をついた。

「いい人なんだが……どうにもこう……かなわなくてな……」

  そうぼやくイオスの顔は、なんだかいつもよりずっと幼く見えて。年相応な彼の素顔を見た気がして、はちょっと嬉しくなる。自然に口許が緩んだ。

「ふふっ……イオスさんがあんな風にからかわれちゃうの、はじめて見ました」

 普段、何でもスマートにこなしてしまう彼にも、かなわない相手というのはいるらしい。思いがけない発見にがくすりと笑えば、イオスは格好悪いところを見られたなとばつが悪そうに前髪をかきあげるのだった。



「……あ、ああ、そうだ。君に大事な話があったんだ」

 無理矢理話題を変えるかのようにイオスが口を開く。大事な? と首をかしげる少女に、青年はこくりと頷いた。

「高位召喚師達にな、それとなく聞いてみたんだ。名も無き世界からの召喚に対する資料が何かないかと」

 国に帰ったら探すと約束していただろう? と言われ、ははっと瞳を見開いた。

 ――確かに、以前イオスにデグレアに帰ったら自分を還す方法を探すと約束してもらった。あまりにこちらに馴染みすぎて、最近ではなんだかすっかり忘れていたが……。

「でも……ごめん。この国ではやはり、君の世界に関する知識はないらしい。
あと何か知っているとしたらレイムくらいだろうが……君に会った時何も言わなかった辺り、あいつも心当たりがないんだろうしな……」

 そう言って、イオスは何も出来なくてすまないと頭を下げる。びっくりしたはどうしたらいいかわからなくなってしまった。

 イオスが、自分との約束をきちんと覚えていてくれたこと。その誠実さが嬉しい反面、何かよくわからない感情がちくりとの胸を刺した。
 謝罪の言葉なんて今は望んでいなくて、聞きたくなくて。大慌てで彼の頭を上げさせる。

  ――何故か、どこか。少し切なかった。

「や……やだ、謝らないで下さい!
別に今すぐ帰りたいとか思ってるわけじゃないですし……色んなことが落ち着いてから、ゆっくりね、探してもらえればね、それでじゅうぶんですから」

 それに、みんなによくしてしてもらって、今とても幸せですからと。そう言って微笑むに、イオスはごめんなと小さくつぶやきながら……どこか安堵したように笑った。



「――そ……それより、イオスさん。このお花……」

 なんだか、この話をもう続けたくなくて。が話題の矛先を白い花へと戻す。
 すると、微笑んでいたイオスがふいに真剣な面持ちになった。
 その場を包んでいたやわらかな空気が、すっとなりを潜める。

「……イオスさん?」

  の呼び声にわずか口許を上げることで応えると、そのまま彼女の横を通り過ぎ、花園の淵へと歩を進める。
 少女に背を向けたまま、持ってきた如雨露で花に水をやりながら、イオスはぽつりと呟いた。

「――オーレイヴ殿が言った通り……
この花は、僕が仲間の供養のために植えたものなんだ」

 静かに語り始めたイオスに、の顔からもおのずと笑みが消える。
 何か、とても大切な話が始まる気配を感じて。イオスの背中を見つめながら、ただ黙って言葉の続きを待った。

「いつか……君には話す日が来るかなと、思っていたんだけどね」

 花園全体に水を蒔き終わった辺りで、ちょうど如雨露の水が切れる。空になったブリキのそれを握る手に少し力を込めると、イオスは露に濡れる花弁に視線を落とした。

「……供養というよりは、懺悔に近いのかも、しれないけれど」

「……え?」

  なんだか寂しげな声で紡がれた言葉にが目を見開く。彼女の方を振り返ったイオスの表情には、今まで見たことも無いような陰りが差していた。

 口許は柔らかく笑みを象っているのだけれど。
 遠くを見つめるようなそのアメジストの瞳が、なんだか、とても。


 哀しそうで――……。





「イオス……さん……?」

 彼を纏う見知らぬ気配に戸惑い、少女はどこか遠慮がちに青年の名を呼ぶ。
 揺れる黒い瞳を見つめると、イオスはゆるやかに口を開いた。

「――僕はね、
もともと、デグレアの人間ではないんだよ。ここと敵対する、『帝国』の出身なんだ」

「え……っ……?」

 初めて聞く話に、が驚き息をのむ。そんな彼女に、イオスは困ったように笑ってみせた。




「ここはね。僕のかつての仲間を弔うための、花園なんだ。

――黒騎士ルヴァイドに殺された、帝国軍兵士の……ね」