call my name
 ようやくいつもの調子を取り戻したイオスが、そうだ、と花園の脇に身をかがめる。
 見頃な花を四、五本選んで手折り、に差し出した。

「持っていくといい。乾かすと、いい香りがするから」

 しかし、差し出された小さな花束をぎょっとしたように見やると、は慌てて首を左右に振った。

「や……だっ、駄目ですよ!大事なお花なのに、そんなたくさん……!」

 受け取れません、とうろたえる少女にイオスが苦笑いを浮かべる。相変わらず遠慮深い。

「そんなこと言っても、もう摘んでしまったし。今更戻せないだろ?」
「で……でもっ……」


「……あー。
あのな、


 拒む彼女の言葉をさえぎって、イオスがの顔を覗き込んだ。

「僕としては、お礼のつもりなんだけど」
「……え?」

  きょとんとするにイオスが続けた。

「その……。
――励まして、くれただろ?だから、その、お礼。
貰ってくれた方が、こっちとしては気が楽になるんだけど、な?」


 戯れに差し出しているのではない。
 どうしても、今彼女にこの花を受け取って欲しかった。言葉をくれた、彼女に。
 そうすることで、供養が形になるような。何故か、そんな気がしたのだ。



 イオスの言葉に、しばらくびっくりしたように何度も瞬きをして。ややあって、はおずおずとイオスの手の中にある花束へ指先を伸ばした。
 あんな話を聞いた後だから、ちょっと戸惑ってしまうのだが。
 でも、 こうすることでイオスの気持ちが晴れるのなら……。


「……ありがとう、ございます……」


 そう言って受け取れば、イオスは嬉しそうに微笑んで。つられても笑顔を浮かべた。

 男の人から花をもらうなんて、初めてのことだ。嬉しいような、照れくさいような。甘酸っぱい不思議な幸福感がの心を優しく満たしてゆく。

 手の中にある白い花。可憐でとても、きれいな花だ。
 イオスの想いがこもっているから、より一層美しく見えるのだろうか。そんなことが頭をかすめた。

「――そうだ、イオスさん。
このお花、なんていうんですか? すごく、きれい」

 無邪気に名を尋ねるに、花を褒められたイオスは照れくさそうに、けれど嬉しそうに目を細めた。

「ああ、リダムの花だよ。
デグレアにしか咲かない、珍しいやつなんだ」

 へえ、とは改めて花園を見渡した。
 デグレアにしか咲かないということは、きっと寒い地方だけに生息する種類なのだろう。大切に育てられた花、そのひとつひとつがたまらなく愛しく思えて、はゆっくりと視線を動かす。

 ――と、白かった風景の中、唐突に鮮やかなマゼンタの色が目に飛び込んできた。


(そういえば、あれ……)


 真っ白な花園の中で、ひとつだけくっきりと咲き誇るマゼンタ色の花。
 最初に見たときもひっかかりを感じたその存在。あれは一体、なんだろう?

「ね、イオスさん。
あれ……どうして一輪だけ、違うお花なんですか?」

 ただ純粋に、どうしてだろうと。何か特別な意味があるのかなと思って口にしたのだが。


「……え?」


 返ってきたイオスの声は変に裏返っていて、驚いたは思わずイオスの顔を仰ぎ見た。そして、視線の先の彼の顔にあっけにとられ、ぽかんとする。


 イオスは、何か不意打ちをくらった時のような……なんとも間抜けな顔をしての顔を凝視していた。


(わ……私、何かおかしなこと、言った?)

「あ……あの。イオスさん・・・?」

 硬直していたイオスが、少女の声ではっと我に返る。 慌てたようにぶつかっていた視線をそらした。

「――あ、あれか?
ええと、あれは、あれはだな。ロゼっていう花なんだが……」

 つっかえつっかえ発せられるイオスの言葉にが首をかしげる。あの花に、何かあるのだろうか?

「なにか、特別なお花なんですか?」

 しかしの問いに対し、何故かイオスの頬にさっと赤味が増した。

「……え?あ……」

 口篭もるイオスは、ばつの悪そうな、恥ずかしそうな、そんな表情を浮かべている。まるで、隠し事を暴かれてしまった子供のようだ。
 予想だにしなかったイオスの反応に、が思わず眉をひそめた。

(な……に……?)

 見たこともないイオスの表情。
 ふいに、ざわりと。の心の中に、嫌な波が立った。

(なんで……)

 ただ、花のことを聞いただけなのに。
 どうして。
 イオスのこの顔は、そう、まるで。

 はにかむような、そんな――……。



 どうして。




「……イオスさん……?」

 怪訝そうな声で名を呼ばれると、イオスはまいったなあという風に後ろ髪をくしゃくしゃと掻き毟った。
 と、マゼンタの……ロゼの花とを何度も見比べて。落ち着きなく視線を彷徨わせる。

「あれも……大事なお花、なんですよね?」

 どうにもおかしなイオスの態度に業を煮やしたが先を促す。すると、ようやくイオスは花の前でその視線をとめた。

「大事、か……」

  何か思案するように一度瞳を伏せてから。少女の言葉を繰り返すと、イオスはゆっくりと顔を上げ、頷いた。


「――ああ。
そうだな……大事、かな」


 そう言って少し微笑み、凛と天を仰いで咲く艶やかな花を見つめる。


 ――そのイオスの瞳を見た瞬間。
 は、頭から冷水を浴びせられたような衝撃を受けた。




 待って、と。の心の中で何かが叫んだ。
 ざわざわと。さざめく波が大きくなる。



(な……んで……)



 ――待って。


 ――どうして。
 ――どうして彼は、そんな目で、あの花を見るのだろう。


 ――その、目は。





 ――その優しい目は、だって、ずっと、ずっと……。




「……あー。
……笑うなよ?」


 衝撃のあまり言葉さえ失ったに、彼は気付かない。
 照れたように顔を染めながら、イオスはこう告げたのだった。




「帝国に、いた時のさ。


……昔の、恋人と。同じ名前なんだ」





 ――その瞬間。時が止まったと、は思った。

 花のマゼンタを除いて、目に映るもの全てが、モノクロに転じる。梢の揺れる音も遠くなって、自分が今地面に立っているのかさえわからなくなる。口の中がからからに乾いて、ぐらり、意識が遠のいた。


 イオスの視線は、ただひとつ。あざやかな色彩を放つロゼの花に向けられている。


 ――その、目が。




 慈しむようなイオスのその優しい眼差しが、自分以外の何かに注がれるのを。は初めて、見た。