call my name
「――ネス!」


 永遠に続くかと思われた、誰も身じろぎすら出来なかった張り詰めた空気。 それを打ち破ったのは、マグナだった。
 ネスティの視線からアメルを庇うかのように、彼とアメルとの間に立ちはだかる。きつく兄弟子を睨んで、マグナは怒りに肩を震わせ叫んだ。

「謝れよ、ネス……――謝れ!」

 アメルをデグレアから護ろうというのは皆で決めたことだ。彼女の言い分は確かに甘いのかもしれないが、けれどそんな彼女の優しさに惹かれて自分達はここまで来た筈だ。この優しい少女を護ることを、この旅の目的にと決めた筈だ。

  なのに何故、こんなことを――。

 普段、ひょうひょうとゆるやかなマグナの紺碧の瞳は、ここ何年も彼が見せたことも無いほどに強く、怒りの色へと染まっていた。

「謝れ、ネスティ!」

 震えるアメルを背に庇ったマグナが再び大きく叫ぶ。
 傷つけることは許さないと、強く瞳をたぎらせる弟弟子に、重く複雑なものを抱えたネスティはぎりっと唇を噛み、直視できないとでもいうように二人から視線をそらした。


 ……自分だって、アメルにこんなことを言いたい訳じゃない。
 けれど、「彼ら」を護るためには他にどうしたらいいのかもうわからないのだ。

  禁忌の森で悪魔達が口にしたあの名前。彼らにそれを知られたくない。知ってはいけない。もうこれ以上近づいてはいけない。
 けれど、そんな自分の想いとは裏腹に、彼らはどんどん闇へと手を伸ばしかけている。護ってやりたいと、遠ざけたいと、水面下で必死に模索している自分の苦しみなど知る由もなく、ただ笑って、この少女を護るために前へ前へと進んでいく。

 あの森から帰ってから、ずっと。言い知れぬ恐怖と焦燥がネスティを苛んでいるのだ。アメルに関わり続けたら、きっとまたいつか、あの森に行かねばならぬ時が来ると――そんな予感がして。

 それなのに。全ての原因の癖にのうのうと敵の少女を慕うアメルが、何も知らずにただ笑う弟子達が憎らしかった。
 こんなに苦しんでいるのに。本当は泣き叫びたいくらいなのに。

 誰も、誰も。自分の苦しみなど、わかってはくれない――…………。




「…………僕は……」
「――確かに」


 何か言葉を発しようとしたネスティを遮って。蒼白な顔をして震えていたアメルがようやく口を開いた。

「……アメル……?」

 気遣わしげに名前を呼ぶマグナの服の裾を小さく握って。アメルはぽつり、呟く。



「……確かに。ネスティさんの言う通り……あたし、正気じゃないのかもしれません」



「ア……アメル!?」
「ばっ……お前、何言って……!?
おいネスティ! お前が追い詰めるからアメルがッ……!」

 あまりに衝撃的なアメルの言葉に、ロッカとリューグが驚愕の声を上げる。
 貴様のせいでとネスティに詰め寄るリューグを首を振ることで制して、アメルがひどく静かな声で続けた。

「あたしだって……ちょっと自分をおかしいなと、思うときがあります。
黒の旅団はあたしを狙っていて、そのために村の人たちを皆殺しにしました。……殺したんですよ?
だから、 いくら召喚獣さんとはいえ、あの人達の仲間なのだから、普通はあたしがいちばん、さんを警戒するのかもしれない。しなきゃいけないのかもしれない。
――だけどあたし……さんを警戒することなんか出来ないんです」

 それどころか、と。うなだれたように肩を落として、アメルは言った。

「あたし……旅団の人達を怖いとは思っても、憎いと思えないんです。
レルムの皆を、あんな風に殺したのに。あの人達に皆が殺されるのをこの目ではっきり見ているのに。
憎いって……許せないって、思えない。
心のどこかで、あの人達だって人間なのだから、あれは彼らが望んでやったことじゃないって……何か事情があるんだろう、とか。……そんなことを、考えてる」

「……アメ……ル……?」

 あまりのことに、狼狽を隠せぬまま自分を見下ろすマグナに向かって。アメルは、まるで何かを諦めてしまったかのように……泣き出しそうな笑顔を向けた。

「――おかしいでしょう?
あたしも時々、自分で自分が怖くなるんです。こんなことを考える自分が怖くなるんです。
……ずっと、昔は。あたしだってもっと、怒ったりとか何かを許せなかったりとか、したはずなのに。……この力が出るようになってから、聖女だなんて呼ばれるようになってから、どんどん、きれいごとばかり並べるようになった気がするんです。
それを話している時は何の疑問もないのだけれど、後からふっと、あたし何を言っているんだろうって思うことがあって。
みんなは、アメルは優しいからって言ってくれるけど、ひょっとしたらあたしは、聖女だなんて呼ばれることに酔ってそんなことまで言うようになったのか……それとも、 この力のせいで、自分が自分じゃなくなっているのかもしれないって……。

――ちから……が。強くなるほどに、どんどん、心までのまれていくみたいで

……あた……しっ……!」


 片手でマグナの制服の裾をつかみ、もう一方の手のひらはきつくきつく握り締めて。
 小さな子供が泣く時のようにくしゃくしゃに顔をゆがめたアメルの瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ出した。


「ネスティさんの、言う通り。やっぱりあたし、どこか、おか……し……っ……」



「――アメル……」

 アメルが、こんな思いを秘めていたなどと、誰も知らなかった。夢にも思わなかった。
 いつも朗らかに、明るく笑う少女。その力だけでなく、時には純粋すぎるとさえ思える優しい心をもつ彼女は、やはり生まれついての「聖女」なのだろうと――誰もが、何の疑問も持たずにそう考えていたのに。

 日増しに強くなっていく不思議の力、全てを信じたいと願う心、けれどそれを恐ろしく思うもうひとりの自分……。
 彼女だって、誰にも言えない苦しみを抱えていたのだ。

 誰にも言えず、ひとり。変わっていく自分に、憎むことが出来ない自分に、震えて――……。





「――あー。ちょっと、いいか?」
「……レナードさん?」

アメルの思いがけない吐露に、皆が絶句してしまった中。レナードが片手を上げてこう言った。

「ええと……悪い。なんか、俺様があれこれ聞いたせいで嫌な方向に向かっちまったみてえだな」

 悪かった、と頭を下げるレナードに、そんな、とアメルが首を振った。

「やだ。別にレナードさんは何も……。
今回のことは、あたし、が……」
「あー。待て待て。ストップストップ」

 再び落ち込んでいくアメルをレナードが制する。

「もうやめな、アメル。そうやって自分を卑下するのはよくねえ。若いモンがすることじゃ、ねえよ」

 そう言うと、レナードは胸ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつける。
 フウゥ、と一服長い煙を吐き出した彼は、そうだなあ、と天井を仰いだ。

「こっから先は、俺様の考えなんだがな。
――なあ……アメル。確かにお前さんには不思議な力があるよ。だけどな、それとお前さんの心とは関係ねえと、俺様は思うぜ」
「……え……?」

  レナードの言葉に、アメルがびっくりしたようにうつむいていた顔を上げる。ようやく涙の止まった飴色の瞳を捉えて、レナードはこくりと頷いてやった。

「そもそも、アレだ。もしお前さんの考えや言動が今までと変わっちまったんだとしたらな、こいつらが気が付かないはずねえだろう?」

  そう言って、レナードは親指でレルムの双子をくいっと示す。
 お前さん達は、この子とずっと一緒に育ってきたんだろうと言われて、ロッカとリューグははっとしたように顔を見合わせ、頷いた。

「……あ……ああ、そうだ。おっさんの言う通りだ。
俺達はアメルのことを、こいつの性格を、ずっと昔から知ってる。こいつは何にも、変わっちゃいねえ」
「そうです……そうです。
僕達は、アメルが変わったなんて思ったことはなかった。この子は昔から、こういう優しい性格だったから……アメルが旅団のことを悪く言わないのも、さんを友達と言ってしまうのも、何の疑問ももたずに、やっぱりこの子らしいなって……ずっとそう、思っていて……」

 双子の言葉に満足げに頷くと、レナードは再びアメルに向き直った。

「――聞いただろ?
お前さんのことをずっと見てきた人間が、お前さんは変わっちゃいねえと言っているんだ。だとしたら、お前さんが疑った言動や考えは全て、お前さんのもともとの性格だってことになる。
聖女の力とは、何の関係もねえってことだよ」
「……あ……!」

 レナードの言葉に、アメルは何度も目を瞬いて。言われた意味を飲み込んで、一瞬安堵したように顔を緩ませた後、はりつめた心のたがが外れたのかすぐまた泣きそうに顔を歪ませる。そんな彼女の頭を、レナードは子供をあやすようにポンポンと撫でてやった。

「お前さんが、人を憎めなかったり、って嬢ちゃんを友達と思えるのはな、ただ単にお前さんが純粋だってだけだ。それは悪いことじゃねえ。
――それだけな、お前さんはいい家庭に育ったっていう、何よりの証拠なんだろうよ」

 敵のことまで案じてしまうような、信じられない優しさを持つアメル。
 人を疑うことを知らないその心は、彼女を育てた人間が――アグラバインが、それだけ彼女にたくさんの愛情を注ぎ、この子が憎しみなど知らぬよう、明るい日の光の下で慈しみ育ててきたという何よりの証拠なのだ。

「……いずれはな。人を疑うことも、誰かを許せないと思うことも、必要なのかも知れねえ。
でも、それはもっと大人になってからでいい。今はな、そういうお前さんの優しい気持ちを否定せずに、大事にしてやるべきだと、俺様は思うぜ」

 そういう若いモンがいてくれた方が、俺ら年増も嬉しいってもんだと。そう言って、レナードはニィっと笑う。

「アメルは、アメルだ。お前さんは、力に飲まれたりなんか、してねえよ」


「れ、なーど……さんッ……!」


 何もおかしくないと言われて。アメルの瞳から、再びぽろぽろと涙が溢れ出す。
 泣き出した妹のそばにはじかれたように駆け寄った双子は、そろってアメルの髪をぐしゃぐしゃに撫でた。

「こ……んの、クソ馬鹿。お前は昔っから、そういう警戒心ゼロの甘ったれた性格で俺達を困らせてたんだろうがっ……!」
「そうだよ、アメル。
アメルは何も、変わっていないよ……。悩んでいたのに、気付いてやれなくて……悪かったね」

「ろっか……りゅーぐぅっ……!」

 頭を撫でる兄達に、こらえきれなくなったアメルが二人の胸めがけてどん、と飛びついていく。
 久しぶりに抱きつかれて、ロッカとリューグは一瞬顔を赤らめたものの、優しい顔をして、涙でぐしゃぐしゃになった顔をこすりつける妹を見下ろしてやるのだった。





「――さて。次はネスティ、お前さんだ」
「……え?」

 目の前で繰り広げられるやりとりを、まるで別世界の出来事のように遠い目で眺めていたネスティは、突然名を呼ばれて驚いたように双眸を見開いた。
 話の流れから察するに、やはり自分への非難なのだろうか。孤立してしまった己を自覚しながら、ネスティはゆるく首を振った。

「いいですよ……もう、わかりました。全ては僕が悪……」
「あー! そうじゃねえ、そうじゃねえよ。
まったく、なんでそうお前さん達は何でもかんでも自分が悪いと決め付けるかね」

 ちょっと苛々したように頭を掻き毟ると、レナードは気持ちを落ち着けようとしたのか、くわえた煙草を深く吸い直す。
 吐き出した煙がたゆたうのをしばし眺めてから、彼はまっすぐネスティを見つめた。

「俺様はな、お前さんの気持ちもわかるって言いたかったんだ。
確かに、アメル達はちょいとばかし甘すぎる。お前さんが苛立つのもな、仕方ないと思うぜ」
「……お言葉は、ありがたいですが。
それではさっきまでアメルに言っていたことと矛盾しませんか……レナードさん」

 四面楚歌の自分に対する同情ならいらないと、つめたく瞳を細めるネスティに、レナードがフッと笑った。

「……年長者の言葉は最後まで聞くもんだぜ、ネスティ。
俺様はな、アメルに自分の気持ちを否定する必要はねえと言った。けれど、あの子の考えが全て正しいとは言ってねえぞ。
皆が皆、アメルと同じ考えになっちまったらな。それはかなり、やべえだろうよ――命がいくつあったって、足りやしねえ」
「…………」

  難しい顔をして黙ってしまったネスティに、レナードが続けた。

「だからな。純朴一直線なお子様組を、俺ら大人が護ってやると、そういうこった。
周りに目を光らせて、現状を客観的に分析してやるのは大人がやればいい。それでちょうど、この集団はバランスが取れてるんじゃねえのかい?」

  ふぃーっと音をたてて煙を吐き出して。お子様のお守りは骨が折れるがな、と付け加えたレナードはお茶目にウインクなどしてみせた。

 思いがけないレナードの言葉に、ネスティは滅多に見せないような、きょとんとした表情になったのだが。
ややあって、しかめ面だった彼はどこかおかしな具合に顔をゆがませた。



「……それはつまり。こいつらのバカは直しようが無いから、僕達大人が手綱を引いてやるしかないと。
そういうことですか?」


 そう言うネスティの声は、まるで何か……そう、笑いたいのををこらえているかのように。変に、震えていて。


「な……ちょ、ちょっとネス――レナードさんもっ!
何なのさっきから、黙って聞いてれば子供だとかバカだとかって!」

 慌てたようにくってかかるトリスを、レナードがハハハと笑った。

「いや、悪いなあ。俺様正直なもんで、つい……」
「っておい! ちょっと待ておっさん!」

 聞き捨てならねえと、このやりとりにリューグも参戦する。

 ――が。




「……ック。ハハハハハ……!」



 響いた笑い声に、文句を言うのも忘れ、皆がきょとんと声のした方を振り返る。
 笑い声の主――ネスティは、さっきまでの様子が嘘のように、肩を震わせて笑っていた。

 ――レナードの言葉は、必ずしもネスティを苛んでいる苦しみを慰めるようなものではなかったのだけれど。それでも、自分を肯定してくれる人物がいたことでネスティの気持ちは驚くほどにすっと落ち着いていった。
 レナードが、アメルや弟妹弟子達を「お子様」と言い切ってしまったのも――ひたすら悩んでいた彼にはちょっと、気分が良くて。ほんのりと、いい気味で。


 真剣にあれこれ悩んでいたのが、急に何だか馬鹿馬鹿しくなってしまった。


 そうだ。彼らはいつだってこっちの言うことなんか聞きやしない、「お子様」だったではないか。
 正面きってぶつかっても無駄だなんてそんなこと、わかりきっていたのに。何を無駄な労力を使っていたのだろう、自分は。



 指先で、ずれた眼鏡をくいと直す。そうして顔を上げたネスティは、いつも通りの理知的な笑みを浮かべてこう言った。

「……いや。
この現状を憂いていたのは自分だけかと思っていたので――ちゃんと周りが見えてる貴方のような人がいて、安心しましたよ。レナードさん」

 落ち着け、と言い聞かせれば、いつもの冷静さが心に戻ってくる。
 あせっても仕方がない。弟子達に全てを正直に打ち明けることが出来ない以上、ただやみくもに彼らの行く手を阻んでも悪戯に反発を招くだけなのだ。
 森に行ってしまったという事実はもうどうしようもない。あとは、これ以上あの森に関ることがないよう、それこそレナードの言う通り冷静に状況を見て、修正していくしかないのだ。


 ――彼らは、「お子様」なのだから。言葉のいちいちを気にとめて悩んでいたって……きっと、損。
上手くあしらってやった方が、よっぽど利口で、きっと上手くいく――。




 ふう、と一度深呼吸をして。心と表情を整えたネスティは、ゆるりとアメルの方へ向き直った。

「――酷いことを言って悪かったな、アメル。
正直、森であんな戦いをしたのが結構ショックでね。今後どうしたらいいのかとあれこれ考えていたから……ちょっと苛々していたみたいだ。謝るよ」

 さっきの激昂が嘘のように、いつも通りの落ち着いた声でそう言い小さく頭を下げたネスティに、アメルは顔を真っ赤に染めると慌ててぶんぶんと首を振った。
「い、いえっ! 私の方こそ、ネスティさんの気持ちも考えずに勝手なことばかりして……すみませんでした。
……レナードさんは、ああ言ってくれましたけど。私ももう少し、自分の置かれた立場を考えて、気をつけるようにします……ね」

 でも、また甘ったれたことを言ったらごめんなさいと。悪戯っぽい口調でそんなことを付け加えて、ようやくアメルに笑顔が戻る。

 ―― 一時は本当に、どうなることかと思ったが。どうやら仲直りしたらしい兄弟子とアメルの様子に、マグナとトリスは顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。




 ようやく落ち着いたらしいネスティ達の様子を見て取ると、黙って事の成り行きを見守っていたフォルテがぱんぱんと手を鳴らす。さあさあ、辛気臭い話はここまでにしようぜと言って豪快に笑った。

「――ま、あれだ。ネスティの言う『今後どうしたらいいのか』への解決策としてな、トライドラへ行くことにしたんだ。
大丈夫、絶対いい方向に事が運ぶからな、大船に乗った気でいてくれよ!」


  フォルテの提案により、今後準備が整ったら、皆でフォルテの知り合いがいるというトライドラ領内のローウェン砦に赴くことになっている。なんでもそこの守備隊長がフォルテの古い友人との事で、その人物に保護を求めようというわけだ。

 行く先が一寸先も見えぬ闇というわけではない。今後の道しるべも、それなりにあるのだ。

「よーし、じゃあ、トライドラへの旅に備えて、まずは買いだしに行かなきゃねっ!」

  仕切りなおしとばかり元気な声を出すトリスに、皆の顔から自然と笑顔がこぼれた。







◆◆◆







「……なあ。
もうひとつ、聞いてもいいか?」

 さっきまでの剣呑な空気などどこへやら。やれ、何を買ったらいいかなあ、この前見つけたうまい焼き菓子持っていこうぜ、君は馬鹿か、遠足に行くんじゃないんだぞ、そうですよ、お菓子よりお芋さんの方が
――などといつもの調子で買い物メモを作るトリス達を眺めていたレナードが、ふいにぽつりとこうつぶやいた。

「話をまぜっかえすようで悪いんだがな……。
そのって嬢ちゃん。デグレア側にいて、幸せそうだったかい?」

 トリス達と過ごした間、日本人の少女が幸せだっただろうということは、アメルの話や――こんな風に喧嘩してもすっきり和解してしまう、彼らのやりとりを見ていればよくわかる。ここは間違いなく、「善人」の集まりだ。
 けれど、現在少女が置かれている状況についての話はあまり出てこなくて。レナードの心にひっかかりを残していた。

「……俺様達『召喚獣』はさ。いつ誰に喚ばれるかとか、選べねえだろ?
どんな極悪人が主人になるのかわかったもんじゃねえ。
何の予備知識もない『名も無き世界』の俺様たちにとっては尚更……これはちょっと、怖いことだからな……」

 幸い自分は、砦であんな目にあったとはいえ今はこうやっていい環境に――いや、ずいぶんと恵まれた環境に存在しているが。では、その少女はどうなのだろう?
 もっとも、少女は望んで戻って行ったというからさほど悪い状況ではないのだろうが、それでも村ひとつを壊滅させるような輩と寝食を共にしているのだ。しかも軍隊。
 自分よりさらに無力な――日本は銃も持たない国だから、おそらくろくな自衛手段も知らないのだろう
――少女が一体どんな生活をしているのか、レナードは心配だった。

 レナードの言葉を聞いたトリスは、メモ作成のためそれまで意気揚々と握っていたペンを机の上へと置く。そのまま、ふっと真剣な面持ちになった。

「……そうね……。
召喚獣は召喚主を選べないんだもんね。どんな目にあうか、リィンバウムに来てみなければ、わからない……」

 派閥にいる時も、旅に出てからも。身勝手な召喚師のせいで辛い思いをしている召喚獣を何度も見てきた。ずっと、自分だったらあのようなことはしないと意気込むことで湧き上がる苦い思いを鎮めてきたが、実際『召喚獣』であるレナードに言われると、トリスの召喚師としての心がずきりと痛んだ。
 肩を落としてしまった妹弟子の横で、ネスティもふむ、と考え込む。

「確かに、レナードさんの言うとおりです。
もし犯罪者に喚ばれてしまえば、本人には何の罪も無くても、その召喚獣は罪人の仲間として追われることになる。
罪人は召喚獣ではなく、喚んだ人間だ。僕達召喚師は特にそのことを忘れずに――……」

 そこまで言うと、ネスティは自分の言葉にはっとしたように目を見開いた。
 そうか、と。深く嘆息してレナードの顔を見つめる。


「――そうですね。旅団に罪はあっても、あの少女……には、罪は無い」


 この時初めて、ネスティはの名前を口にした。草原でのやりとりから今まで、初めて……ようやく。
彼の中で、ただ『黒の旅団員』としか意識していなかった名も無き世界の少女への考えが、レナードと……そして自分自身の言葉により、少し変わった瞬間だった。

「忘れていましたよ。僕も召喚師だというのに……召喚術の根本を」

 召喚獣は、全てのものが納得して誓約を受けているわけではない。召喚術はリィンバウムの人間が使う究極のエゴでもあるのだ。
 ――自分だって、本当は。喚ばれる彼らと変わらない存在なのに。どうして忘れていたのだろう……。



 何やら意気消沈してしまった召喚師ふたりを前に、レナードは気まずそうにコホンを咳払いをした。

「あー。そう落ち込みなさんな。
お前さん達は召喚獣をぞんざいに扱ったりしてねえし、嬢ちゃんにもよくしてくれただろ?だからそれでいいんだよ。
――で、悪いんだが。俺様が聞きたいのは嬢ちゃんの生活状況なんだが……」

 深刻な方面に脱線してしまった話を戻すべく、レナードが再び問い掛ける。トリスははっとしたように顔を上げた。

「……あ。そ、そうよね、今はの話よね。
ええと……私が見る限りでは、わりと幸せそう……だったと思う」
「そうなのか?」
「うん。
だって、私がこっちに来ない?って誘っても、イオスを信じてるからそれは出来ないって断られちゃったし……」
「――ちょっと待てトリス。君はそんなことまであの子に言ってたのか……!?」

 ぎろり、と兄弟子に睨み付けられて、トリスは慌てて言い訳を探した。

「ネ、ネス、タンマ! 今更怒るのなしよ!」

 今さっきに一定の理解を示したばかりじゃないと言われ、文句を言いかけたネスティも一瞬言葉を詰まらせる。
 それを見たトリスは、えへへと誤魔化し笑いをしながら頭を掻いた。

「だってほら、さ。は召喚獣で、しかもイオスと誓約も出来てなくて還れない。
軍隊にいるのも大変そうで……派閥ならなんとかなるかなあって思っちゃったんだもん」

 ネスだって召喚獣に罪は無いって言ったじゃない、彼女を保護しようとした私は召喚師として間違ってはいないでしょうなどとのたまう妹弟子に、ネスティは頭を抱え盛大にため息をついた。

「……今、わかった。
の件で一番馬鹿なのはアメルじゃない。トリス、君だ……!!」

「ちょ、また馬鹿って言ったわねー!?」




「……あー、で? つまりあれか、嬢ちゃんは自分を喚んだ相手を信じているから戻ったってことなのか?」

 ぎゃあぎゃあと言い争いを始めてしまったネスティとトリスに、これ以上話を聞くのは無理だと判断したレナードが問う相手をアメルとミニスに変更する。二人は顔を見合わせ、うんと頷いた。

「そうなんです。さん、トリスさんが誘った時も、すごくきれいな笑顔でそう言って……。
本当に信じているんだなって、よくわかりました」
「うん。事故で喚ばれちゃったのにあそこまで相手のことを信じられるなんて、ちょっと珍しいよね」

  二人の言葉に、レナードはそうか、と言って小さく笑う。

「……そうか。
嬢ちゃん、向こうでもわりといい待遇受けてるってことなのかね」

 それはよかった、と煙草をふかすレナード。
 しかし、ミニスはうーんと腕組みをして、何か言いたくてたまらないというような表情を見せた。

「……何だミニス。他にも何かあるのか?」

 レナードに問われると、ミニスはあのねぇ、と変に芝居がかかった動作で腕を組む。

「確かにね。はあっちでかなりいい待遇受けてるみたいだった。
でもがイオスを信じてるって言った理由はそういうところからだけじゃなくて、たぶん――……」


 だが、何かを言いかけたミニスの言葉は、いきなりその場に現れた薄紫の光によって遮られた。


「――きゃ!?」
「わ、なんだなんだあ!?」

 何の前触れも無く、皆の集まる居間に現れた発光体。ゆらゆらした光が収まると、そこには見知った召喚獣の姿があった。
 ふよふよと宙に漂う、エメラルドグリーンの霊体。

「……なんだ、グリムゥじゃない」

 ああびっくりしたあ、と胸をなでおろすミニスの前にやってきたグリムゥは、彼女に一通の手紙を差し出した。
 ミニスは手馴れた様子でそれを受け取る。すると、「役目」を果たしたグリムゥはすうっとその姿を消した。

 白い封筒。ミニスの手にあるそれを、アメルがひょいとのぞきこむ。

「ああ、ファミィさんからですか?」
「たぶんそうだと思うけど――あれ、でもいつものシールが貼ってないなあ……?」

 ――霊界サプレスの召喚獣・グリムゥは、テレポートという特殊能力を生かし、遠く離れた地へ手紙やちょっとした小物を届けることができる。
 もっとも、グリムゥを使役する召喚主が行ったことのある場所にしかテレポートできないという制約はあるのだが、それでも一瞬で目的の相手へ手紙を届けることが出来るということで、召喚師の間では便利な連絡手段として重宝がられているのだ。
 実際、ミニスの母ファミィからも、よくグリムゥを使って手紙やら、時には大量の宿題などが――お勉強さぼったらかみなりどかーんですよ、という恐怖のメモとともに――届けられていた。

 けれど、ファミィからの手紙にいつも貼ってあるはずの、彼女の印章と同じ文様の金のシールが貼られていない。
 お母様、貼り忘れたのかしら……などと言いながら封をあけたミニスだったが、中の便箋を開いた瞬間、あああああーっととんでもない大声をあげた。

「ちょ……ミ、ミニスちゃん!?」

 至近距離でキーンと耳を貫いた大声にくらくらしながら、一体何がと言うアメルに、ミニスは頬を薔薇色に上気させ、こう叫んだのだった。






「こ、これっ、
――からの手紙だよーーーーーー!!」






「……えええええ!?」