call my name
 バタバタとせわしない足音が聞こえる。

 やだなぁ。だぁれ、朝から廊下走ってるの……。



「ん……」

 目をあけると、そこには見慣れない布張りの天井。

「……ああ、そっか……」

 ――ここはもう、寮の自分の部屋ではないのだ。

 見知らぬ世界……リィンバウムの。
 見知らぬ人たちの、テントの、中。
第2夜 条件
 よつんばいの状態でそっとテントの布地をめくると、眩しい太陽の光がの瞳を射抜いた。

(――この世界にも太陽はあるのね……)

 「晴れ」という天気に関しては自分がいた世界と状況が違うわけではないらしい。
 ほっと胸をなでおろしていると、目の前に細身のブラウンのブーツが現れた。

「目がさめたのか……調子はどうだ?」
「イオスさん……はい、大丈夫です」

 しゃがみこんで の顔を覗き込んでいたイオスが小さく笑う。

「そうか。
――腹が減っているだろう? 朝食……もう昼食だが、ルヴァイド様が一緒にとらないかとおっしゃっている。……来れるか?」
「……イオスさんも、一緒ですか?」

 の言葉が思いがけなかったのだろう……一瞬きょとんとした後、イオスは安心しなさいとでも言うように彼女の頭をぽんと撫でた。

「大丈夫、僕も行く」
「……わかりました、行きます……」

 身支度しますから待っててくださいと言い残し、 はテントの中へと頭をひっこめた。

 一夜明けても醒めなかったことで、いよいよこれは現実なのだということを思い知らされる。
 ――何もかもが未知数の、異世界での生活が始まろうとしていた。

 己の行く末を思い、はきゅっと唇をかみしめた。






◆◆◆






「家……ですか?」

 ルヴァイドのテントで食事を済ませた後始められた話にが首をかしげた。

「ああ。この近くに小さな町がある。
そこに家を用意するから、とりあえず君はそこに住んでもらえないか?」

 イオスの言葉に がはっと顔を上げる。

「ちょ……ちょっと待ってください!
そこに私ひとりで住むんですか!?」
「すまないがそうなるな。
生活には困らないようによく準備をしておくから…… 」
「い、嫌ですっ!」

 ただならぬ出来事に、少女はガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。

「ひとりにしないで下さい……っ!」

 泣き出しそうな表情をうかべるに、イオスが申し訳なさそうに顔をゆがめた。

「……心細いとは思うが、このまま君をここに置いておくわけにはいかないんだ。
大丈夫、任務が終わったら必ず迎えに行くから、そうしたら一緒にデグレアに……」
「嫌っ!」

 イオスの言葉をさえぎって がいやいやをするように首をふる。
 彼等の提案は絶対に受け入れられないものだった。

「嫌です……知らない世界で一人で生活しろなんてそんなの……
む、無責任じゃ、ないですか……っ!」

 はまだ何もこの世界のことを知らない。わからない。誰を信じ何をしたら良いのかさえ見えないこの世界で一人で生活しろだなんてあまりに残酷だ。
 この異世界で今が信じられるのは目の前にいるイオスだけなのに、昨夜自分に頭を下げてくれたあの真剣な瞳は嘘だったと言うのだろうか。

 目にいっぱい涙をためたにキっと睨まれ、全ての元凶が自分であることを自覚しているイオスはぐうの音も出ない。
 ――と、それまで黙って二人のやり取りを聞いていたルヴァイドがようやく口を開いた。

「……
――まだしっかり説明していなかったが……ここは、軍隊だ。女子供がいる場所ではない」
「ぐん、たい……」

 押し黙る にルヴァイドが続ける。

「そうだ。我々は戦いをしている。必要とあらば人も殺す」

 ――殺す、という言葉にの瞳に怯えが走った。

「……昨夜の君の怯えようを見ていると……
君は戦ったことがない……戦いを、見たことすらなかったのだろう?」

 イオスの言葉には小さく頷いた。

 ――そうだ。
 戦いなんて……人が死んでゆくところなんて、見たこともなかった。
 あんな大量の血も。炎も。全て。


「我々は、今後も戦いを繰り返さなければならない。
――お前には、とうてい耐えられないと思うが」
「わかってくれ、
……君がここにいるのはとても危険なことなんだ……」

 ルヴァイドとイオスの言葉が耳に痛い。

 ――よくはわからないが、彼らは戦いを……戦争? をしているらしい。
 昨夜の惨劇もその一環なのだろう。
 戦争……人殺し……軍隊。にとっては映画の中でしか見たことのなかった世界だ。
 しかし、彼らはそれを行っている。
 なんとなく、彼らは信用に足る人物であることはわかるのだが、彼らが昨夜のような人殺しを普通に行っているということもまた事実なのだ。


「……君には、無理だ。
必ず迎えに行くから、どうか我慢してもらえないだろうか…… 」

 なだめるように言うイオス。


 ……戦い。
 ……人殺し。


 ……血……。


 これまでの人生で考えもしなかった単語の数々が、目の前に迫る現実となっての思考を軋ませた。
 この異世界で、自分はこれからどうしたら良いのだろう。それは、あまりに途方もない問いかけだった。





◆◆◆





「……それでも……」

 黙り込んでしまったに、納得してくれたのだろうかと考えていたイオスとルヴァイドは、ふいにしゃべりだした彼女に少し驚いたような視線を向けた。

「それでも……私、ひとりは嫌です……っ!」
……!」

 だだをこねる少女にイオスの声が上ずる。

「――確かに、確かに……私のいた国では、戦争なんてありませんでした。
人が殺されるところもみたことなかったし……刃物をもっているだけで、罪でした。
……だから、怖い。怖いけど、でもっ……! 」
……だから……」
「でも!」

 何かを言いかけたイオスを制してがきっと前を向く。

「何も知らない世界でひとりぼっちにされるのはもっと怖い!」
「…………」

 ……そう。
 ひとりは嫌だ。何よりも。
 ただひとり残されるくらいなら……。

 きっぱりと言い切る彼女に、言葉が見つからないのだろう、何も言えないでいるルヴァイドとイオスの顔を交互にまっすぐ見つめては言った。

「……大丈夫……
この世界に来てしまったんだもの、覚悟をきめます。
もう昨夜みたいに取り乱したりしません。
――だからお願いです、私をここに置いて下さい……!」

 お願いします、と頭を下げるに、イオスは心底困ったというようにため息をつく。

「だけど、……」
「イオスさん……私に、謝ってくれましたよね?
申し訳ないと思うなら、責任感じてくれてるなら、私をひとりにしないで下さい……!」

 そう言ってイオスを見つめるの黒い瞳に浮かぶのは揺るぎない決意の色。



 ――どのくらいの時間が経っただろうか。

「――わかった。認めよう」

 根負けし、沈黙を破ったのはルヴァイドだった。
 その言葉にイオスが狼狽する。

「ル……ルヴァイド様っ!?」
「責任、か。、確かにお前の言う通りだ。
――イオス、お前にはこの娘を保護する責任がある」
「そ、そうですが……ですが、彼女を同行させるというのは……!」
「――ただし 。条件が在る」

 うろたえるイオスとは反対にぱっと顔をほころばせる を見据えると、ルヴァイドは強い口調で告げた。

「条件……?」
「さっきも言った通り、ここは軍隊だ。
お前に前線に出ろとは言わないが、最低限己の身を守る術だけは身につけろ。
――それが、条件だ」
「……っはい……! ありがとうございます……!」

  が勢いよくルヴァイドに頭を下げる。

「……ルヴァイド様……」
「何か問題があるか? イオス」

 イオスは何かを言おうとぱくぱくと口を動かして……しかし、何も言葉は出てこないまま。

「いえ……わかり、ました……」

 そのまま彼は力なく肩を落とす。



 ――こうして、黒の旅団にひとりの異世界の少女が加わることになったのだった。




第2夜 END