call my name
「――このように……スルゼン砦は酷い有様だったということです」
「……そうか」

  トライドラ領、ローウェン砦。聖王国の盾と称されるにふさわしい重厚なる威厳を持つ砦の物見部屋で、白い鎧の騎士がひとり、部下の報告に静かに目を伏せた。

(皆……どうか、安らかに)

  全滅という最悪の末路を辿ったスルゼン砦。本国から派遣された者の調べによると、どうやら召喚術を使った尋常ならざる惨劇が行われたらしい。
  デグレアに、そのような作戦を好む非道な召喚師がいるという話は軍事関係者なら一度は耳にした事のある噂である。トライドラからの抗議に対しデグレアは沈黙を通しているが、状況から察するに彼等の仕業とみてまず間違いないのだろう。

  窓際に佇んだ騎士は、瞼を開けると眼下に広がる軍隊を見下ろす。
  ――取り交わされた国同士の契約、開戦の日を十日も破り、突如奇襲してきたデグレア軍がそこにいた。
  あの国に、騎士の心は無いのだろうか。

「それと……。砦の門に、こんなものが結わえられていたそうです」
「?」

  苦々しく下を見下ろしていた騎士は、部下が差し出す手に視線を移す。

「これは――リボン?」

  受け取ったそれは、一本の黒いリボンだった。
  おそらく女性が髪を結う時に使うものだろう。一体どうしてこんなものがと不思議そうな顔をする上官に対し、男は「まるで喪章のようだったそうです」と告げた。

「調査隊が到着する前に、誰かが砦の事件に気付いて、弔ってくれたのではないでしょうか。
祈ってくれる誰かがいて……砦の者達も少しは、浮かばれましょう」
「……そうだな……」

  部下の言葉に、騎士――ローウェン砦守備隊長・シャムロックは頷く。

  無念の最期を遂げた同朋の為に祈ってくれた誰かに心の中で深く感謝を述べてから、彼はまるで高貴な者の手を取り忠誠の誓いを捧げる時のように、指に絡めたリボンにそっと唇を寄せた。
第14夜 笑う女
 ――この人は、誰だろう。

  あらゆる因縁を経て、ついに戦いの火蓋が切って落とされた崖城都市デグレアと三砦都市トライドラ。
  その戦いの舞台となるローウェン砦に向かう途中。合流した部隊の中から飛び出してきたひとりの少女の行動に、は驚きのあまりその黒い瞳を零れ落ちそうなほど大きく見開いた。

「やっほー、イーオースーちゃーん! ひっさしぶりィ!」

  年の頃十六、七……おそらくとさほどかわらないであろう。幼く高い声、暗い紫の髪、派手なデザインの服。
  妙に青白い不健康そうな顔色の中で、唇だけが濡れたように紅く鮮やかな色を放っている。
  その口でひどく馴れ馴れしくイオスの名を呼ぶなり、なんと少女は彼の背中に抱きついた。

(な、なに?)

  あまりに信じられない光景に言葉を失う
  しかし、突然背後から抱きつかれたイオスは、こんなことにはもう慣れているのか驚く様子も見せずただ呆れたようにため息をついた。

「……離れろ、ビーニャ」

  だが、ビーニャと呼ばれた少女は突き放すようなイオスの物言いに動じることも無く、むしろ離さないとばかり廻した腕にきつく力を込めた。

「なによォ、つれないわねー!
久しぶりに再会した恋人にキスのひとつもしてくれないわけェ?」
「誰がするか!」

  そう怒鳴ったイオスは、忌々しそうにビーニャの腕を振り払う。それから横にいるが呆然とこちらを見つめているのに気付くと、彼は再び深いため息をつき不快そうに眉根を寄せた。

「……本気にするな、馬鹿」
「あ、す、すみませ……!」

  疲れたようなイオスの口調にははっと我に返る。驚愕のあまり金縛りにあったかのように動けなかった身体がイオスの声でようやく感覚を取り戻した。


  ――ビーニャ。彼女のことは、出発前にイオスから話を聞いている。


  デグレア軍に所属する高位召喚師。レイム直属の部下として、普段は元老院からルヴァイドですら知らない様々な密命を受けているらしく、あまり国にいることはない。

  レイムの部下、という点が大きくひっかかるものの、軍の中で女性はと彼女だけだ。奇抜な行動には度肝を抜かれたが、それでもなんとか打ち解けたいと思ったはビーニャに向かいぺこりと頭を下げた。

「あの、はじめまして。
といいます……よろしくお願いします、ビーニャさん」

  しかし、彼女の挨拶に言葉は返ってこない。
  戸惑ったがおずおずと顔を上げビーニャの表情を伺うと、目の前に立つ少女はつめたく瞳を細めてを見据えていた。

「……ふうん? へえーえ。
アンタが、?」

  アンタがねえ、とぶつぶつ呟きながら、ビーニャはの頭のてっぺんからつま先まで、舐めるように視線を這わす。
 困惑するのまわりをまるで品定めでもするかのようにくるりと一周したビーニャは、の正面に立ちもう一度しげしげと顔を眺め――それから、露骨に馬鹿にした表情でフンを鼻を鳴らした。

「なによ、イオスちゃんが夢中だっていうからどんな美少女かと思えば……。
全然たいしたこと無いじゃない。ほら、胸だって小さいし」
「な――ッ……!?」

  笑いながら、あろうことかビーニャはいきなりの胸を鷲づかみにした。

  いくら、同性といっても。いくら、重ね着した軍服の上からといっても。初対面の人間にとられるにはあまりに不躾な行動に、ぶつりと思考が寸断されたは声をあげることもできずただ顔を真っ赤にしてその場に硬直してしまう。
  そんなふたりの間にイオスが割って入った。

「……彼女に触るな、ビーニャ」

  ぐいとからビーニャを引き離したイオスは、食って掛かろうとするビーニャをぎろりと睨み付けた。

「先に言っておく、ビーニャ。
いいか、今後彼女におかしな真似をしてみろ――絶対に、許さないからな!」

  有無を言わさぬ口調でそう言い放ったイオスは、を己の背に庇う。
  強い瞳で庇う男と怯え庇われる女。ふたりの姿を映したビーニャの血色の瞳に、ふっと暗い光が宿った。

「……へェ。
そんなに大事なんだ――そのコが」

  低い声で呟き、ビーニャはイオスの背後にいる少女を見やる。


  黒い髪、黒い瞳。つまらない色彩。
  ふるいつきたくなるような美女というわけでもなければ、自分達悪魔の喉を潤す、芳しい魔力を持っているわけでもない。そんな血の匂いはしない。

  美しくもなんともない。美味しそうですらない。存在価値すらないただの、ニンゲン。


  ――噂には聞いていたが。イオスは、こんなつまらないオンナがお気に入りだというのか。


(……気ニ入ラナイ)


  陶器の人形のように整った容姿を持つ綺麗なイオスは、ビーニャにとって何よりお気に入りのオモチャだった。
  冷静さを装いながら少しいじっただけで崩れる脆い感情の波を弄ぶのがビーニャは大好きだったのに。
  そんなイオスが、あろうことか女に興味を持っただなんて――それで、自分にはむかうだなんて。

  気にくわない。許せない。


(キニイラナイ!)


「――ビーニャ。
お前も今回は一小隊を率いる将だろう? いい加減自分の部隊に戻れ!」

  イオスに諌められ、ビーニャはフンと横を向いた。

「……わかったわよ」

 は、相変わらずイオスの背に庇われている。まるで、そこが彼女の定位置だとでも言うように。
  存在価値の無い女。本当はいますぐグチャグチャに壊してやりたかったが、何か考えがあるらしい愛しの主人――レイム――から、まだ殺すなと言われている。悔しいが、今は手が出せない。

(でも必ず……コイツはアタシが壊してやるわ。ゼッタイに)

  イオスは、自分だけのオモチャなのだ。他の女が触れることは、許さない。


  舌なめずりをし、口の端を歪めて笑ったビーニャはくるりとイオスに向き直った。

「ハイハイ、隊長様の言いつけには従ってあげるわよ!」

  そう言うと、ビーニャはいきなりイオスの首に両腕を廻し、彼が抵抗する間もなくその唇を重ねた。
  あっけにとられていたイオスの思考が戻ると同時に素早く身体を離した彼女は、彼が文句を言うより先に耳障りな高い声で笑った。

「ごっちそうさま!  じゃねー、イーオスちゃん!」
「――ッ!
ビ、ビーニャ!」
「キャハハハハハハハハ!」


  拳を振り上げ大声で怒鳴るイオスを尻目に、ビーニャは心底愉しそうに笑いながら自分の隊へと戻っていった。





◆◆◆




  ――嵐が過ぎて。取り残されたふたりは、なすすべもなくただその場に立ち尽くす。
  やああって、とんでもないものを見せ付けられてしまい茫然自失のの口が、己の意思に関係なく勝手に動いた。

「……イオスさんと、ビーニャさんって……
まさか本当に、そういう……」

  震える声で呟かれた言葉に、イオスは眼をむき猛然とした勢いで首を横に振った。

「ばっ……馬鹿! そんな訳ないだろう!?
冗談じゃないっ……いいか、あいつはレイムと」

  寝てるような女だぞ、と言いかけて、イオスは慌てて口をつぐむ。
  はあ、とぐったりしたように重いため息をついた彼は、苛立だしげに前髪をかきあげた。

「……あいつはただ、ああやって僕をからかって反応を見て、馬鹿にしているだけだ。
頼むから、そんなつまらないことを考えないでくれ」
「……はい……」

  イオスに諌められたは小さく唇を噛み、足元に視線を落として頷く。
  けれど、見てしまったキスシーンは、当分の心を切なく締め上げそうだった。

(――つまらないことなんかじゃ、ないのに)

  そんなことを言う権利はないとわかっているから口には出さないが。あれは自分にとってつまらないのひとことで片付けられるものではない。
  ビーニャはいつも、イオスにあんなことをしているのだろうか。どろどろとした嫌な感情が、の胸中で息苦しいほどに渦巻いていた。

  ――とてもじゃないが、今後ビーニャと上手く接していく自信が、ない。

  俯いたまま、はぎゅっとスカートの裾を握り締めた。



  黙りこくってしまったをどうしたらいいかわからず、あまりの気まずい空気にイオスは参ったなと空を仰ぐ。ちょうどそこに、若い兵士がイオスに伝令を伝えにやってきた。
  ルヴァイドからの呼び出しを告げる部下にわかったと返事をしたイオスは、わざとらしく一度咳払いをすると改めてに向き直った。

「……とにかく。アイツのことは、気にしなくていい。
嫌な思いをさせて悪かったな」

  あやすようにそう言っていつも通りの優しい手つきでぽんぽんと頭を撫でてくるイオスに、やっとの思いで顔を上げたは、ぎこちないながらも小さく微笑み返した。

「いえ……私は、大丈夫です」

  少女の答えに安心したのかこくりと頷いた彼は、じゃあまた後でと言って兵士達の輪の中に消えていく。


  その後姿を切なく見つめてしまっている自分に気がついて、は慌ててふるふると首を横に振った。


(もう――こんなこと考えてる場合じゃないでしょう! これから、大事な戦いなんだから)


  そう、浮ついたことを考えている場合ではなかった。これから自分達は、戦争に行こうとしているのだ。

  ――戦い、戦争。
  本当のことを言うと、それがどういうものなのか、にはまだ実感がわかなかった。

  まわりで聞こえる、武器や鎧の金属がぶつかる硬い音。戦いが始まれば、これにむせ返るような血の匂いが加わるのだろう。

  街道でのトリス達との戦いの時はあまり血の匂いはしなかった。夜の闇のせいで血の色も見えなかったし、旅団にもトリス達にも、大怪我をした者や命を落とした者はいなかった。
  スルゼン砦で見たのは、すでにこと切れた死体だった。

  血、といえば。召喚されたあの時、火のレルムの記憶が彼女にとって一番大きく、そしてショックなものだが。それでもは、いまだ人と人とが殺し殺され、血を流す瞬間を見たことが――ない。


  イオスやルヴァイドやゼルフィルドや。いつも優しい旅団の皆が。誰かを、殺すのだろうか。


  ――そして――自分、も?


(駄目だめだめ!
しっかりしなさい、!)

  震えだした心を叱咤し、手のひらをきつくにぎりしめる。
  以前、旅団にいさせてくれとルヴァイドに懇願した時、自分は覚悟を決めると約束した。にも関わらず、結局自分はいつもいつも役立たずで、護られてばかりだった。

  ――今度こそ。役に、立ちたい。

  そのためだったら、どんなことにも耐えてみせる。泣いたりしない。震えたりしない。そう決心して、はこの戦いに同行したのだ。

(……私だって、旅団の一員なんだから)

  怖れを振り払うかのようにキッと顔を上げる。真正面を向いた彼女の瞳に、何やら部下にあれこれ指示を出しているらしきビーニャの姿が映った。

  あの少女……ビーニャだって、一小隊を任されるくらいだ、さぞかし強いのだろう。
  自分だって、負けられない。どんな形でもいい、イオス達の役に立ちたい。もうこれ以上、甘えたり、足手まといにはなりたくない。


(あのひとに、負けたくない……!)


  無意識のうちにきつい瞳でビーニャを睨んでしまっていたは、周囲から聞こえる喧騒にはっと己を取り戻す。
  それから彼女は、今心を支配していた感情の出所を理解するなり、あまりのことに思わずぎゅっと両目をつぶってしまった。

  ――役に立ちたいと決意した筈なのに。イオスとあの少女のことなんかに煩わされている場合ではないと自分を戒めたばかりなのに。役に立ちたいというその思いはもはや純粋なものではなく、いつの間にか嫉妬という余計な感情を含んでしまっている。


  結局、イオスへの想いに戻ってしまう。そんな己のあまりの情けなさに一瞬泣きたくなってしまったは、いい加減にしなさいとばかり慌てて自分の頬をぺちりと一回、叩いた。