「彼はゼルフィルド。ロレイラルの機械兵士で、今回は私の護衛ということで一緒に来てもらいました。
決していきなり攻撃したりはしません。根はとっても優しい機械兵士です。
で、この子はテテ……ええと、私の友達で、護衛獣です。この子もいきなり攻撃したりとか絶対にしないので大丈夫です。ほら、可愛いでしょう?」
そう言って少女は抱き上げた護衛獣を皆に紹介するかのように見せるのだが、残念ながら周囲を取り囲むトライドラの騎士達の表情が和らぐことは無く。
慌てては先を続けた。
「それで、私は今回の使者……デグレア軍内特務部隊・黒の旅団所属看護兵の、です。
ええと、持ち物は……」
騎士達が見守る中、少女はごそごそと軍服のポケットをまさぐる。
「ゼルフィルドに持ってもらっている槍、あとはサモナイト石をいくつか……」
目の前のテーブルに自分の持ち物を一通り広げたところで、少女はちょっと困ったように守備隊長を見上げた。
「一応これで全部なんですが……。
――あの。やっぱり身体検査とか、ありますか?」
出来れば女性だと嬉しいんですが、無理ですよね……とひとり落胆する使者殿に対し、ローウェン砦守備隊長・シャムロックは盛大にため息をついてみせた。
「――しませんよ、そんなこと……」
少女が広げた持ち物の中には、やれ飴玉だとか可愛らしい模様の付いた小さな手鏡だとか、そんなものまで入っていて。
それが余計に、シャムロックの疲労を増長するのだった。
……一体何だって、こんな「女の子」が、休戦の使者なのだろう。
前代未聞である。
◆◆◆
何とも可愛らしい――そして、「ありえない」――使者殿に虚を突かれたトライドラ陣営だったが、の口から発せられた休戦の提案を聴く内にその表情は一様に険しいものへと変わっていった。
「――と言う訳で……デグレア軍総指揮官は、守備隊長様との一騎打ちをもってこの戦いの勝敗を決めたいと望んでいます。また、こちらが勝利した場合でも、トライドラ軍の皆様の身の安全は保障することもお約束いたします。
いかが……でしょうか?」
ルヴァイドから言付かった内容を全て話し終えたが、改めて目の前に座るローウェン砦守備隊長シャムロックの顔を見やる。しかし、腕組みをした彼は眉間に深い皺を刻んだまま微動だにしなかった。
話の最中、彼の視線はずっとに注がれていたのだが、彼女が口を閉ざした後はシャムロックの視線は少女が座る椅子の向こう、窓の外に向けられたまま動かない。おそらくこちらの提案に対し様々な考えを巡らせているのだろう――その鳶色の瞳に宿る光は険しく、の背筋を冷たい汗が伝った。
――とんでもない「勘違い」によって単身飛び出してきたこの敵将に案内されたのは砦の一角にある応接室だった。
そこのソファにシャムロックと向かい合うように腰掛けた。その背後にはゼルフィルド。
そして、彼らの周りを厳しい表情をしたトライドラの騎士達がずらりと取り囲んでいる。
敵陣のまっただ中。加えてこの沈黙。
(……どうなるのかな)
重苦しい空気に耐えかねたは、居心地の悪さを誤魔化すようにテーブルに出されたティーカップに手を伸ばした。
部屋に通された際に出されたものの、話が始まり手をつける機会がなかったそれはすでに熱を失っていたが、澄んだオレンジ色の液体からは良い香りがした。
緊張のあまり喉はからからで。はそのまま、手にしたカップにそっと唇を寄せた。
何の気は無しにこくんと一口飲んだ彼女だったが。次の瞬間、喉をすべり落ちたその味に驚き目を瞬いた。
「おいしい……!」
感嘆の言葉が自然と口をついて出る。
一見ただの紅茶かと思っていたそれは、口に含んだ瞬間ふわりと花の香りが広がる、驚くほど上品な味わいだった。渋みも穏やかで嫌味がなく、ぬるくなっても爽やかな風味は損なわれていなくて。
こんなに美味しいお茶は初めて飲んだ気がする。
「すごく美味しいお茶ですね、これ」
――まるで、イオス達とお茶をしている時のように。嬉しくて思わず目の前のシャムロックににっこりと笑いかけてしまっただったが、対するシャムロックがぎょっと目を見開いたのを見てはっと我に返った。
守備隊長の表情が次第におかしな具合に歪んでいくのを目の当たりにして、は慌ててどうしよう、と肩をすくめた。
同時に頬に痛いほどの視線を感じ、俯きつつもちらりと目線を横にずらせば、居並ぶトライドラの騎士達も彼らの上官と同じように驚きと、そして僅かな困惑が入り混じった複雑な顔をしてを凝視していた。
――きっと、呆れられたのだろう。
確かに今は大事な休戦交渉の真っ最中だ。お茶に和んでいる場合ではない。
(ごめんなさい、ルヴァイドさま……)
己の失態に気付き、は思わず外にいるルヴァイドに心の中で何度も謝ってしまう。
辺りを支配する微妙な沈黙。ややあって、それを打ち破ったのはずっと黙って少女の後ろに控えていた機械兵士だった。
「……。
敵陣デ出サレタモノヲ、ソウ簡単ニクチニスルモノデハナイ」
「ご、ごめんなさい……」
ゼルフィルドに諌められ、はしゅんと肩を落とし手にしたカップをテーブルへと戻す。
そのやり取りを見ていたシャムロックの口から、とうとうはあっと大きなため息が漏れた。
「……そちらの機械兵士殿が言った意味と貴女が考えている内容とは、おそらく違うと思いますよ」
「えっ?」
沈黙を通していた敵将に突然話しかけられ、は驚いて顔を上げる。
きょとんとしている少女に、シャムロックは再びため息をついた。
「使者というものは、単身敵陣に乗り込む訳ですから、どんな危険が待ち構えているかわかりません。
だから普通はもっと警戒して……そう、食べ物飲み物などは交渉が成立してから口にするでしょうね。
……万が一にも、毒など含まされる可能性もあるのですから」
そういう意味で彼は注意したのでしょうと言われ、は目をまるくする。
シャムロックの言葉の意味を理解しさっと青ざめ喉元に手を当てる少女に、シャムロックは毒など入っていませんよと疲れたように付け加えた。
「……お茶、美味しかったですか?」
「えっ!? あ、は、はい」
「……あれは花で香りづけしたトライドラの銘茶です。
気に入って頂けたのなら光栄ですが……」
そこでさらにため息を挟んで。どさりと椅子の背もたれに身を預けたシャムロックは、呆れ果てたように天井を仰いだ。
「……デグレアは、貴女のような少女まで軍で使っているのですか」
一見か弱そうな少女とはいえ、その襟元に輝くのはまぎれもなくデグレア軍精鋭部隊の証。
その外見ゆえに最初自分はとんでもなく迂闊で愚かな単独行動に出てしまった訳だが、さすがのシャムロックもをこの部屋に招き入れてからは、いつこの少女が「本性」を表してもいいようにと――その一挙一動を常に注意深く監視していた。
けれどこの幼い使者殿は、あろうことかこちらが(礼儀上)出したお茶を何の疑いもなく口にして、しかもおいしいと嬉しそうに笑った。
元々、デグレアの兵士はその慎重さ・注意深さが大きな特徴である。警戒を怠らず、一分の隙も見せないからこそ彼等は強い。そして、そう簡単に感情を表に出したりしない――考えが、読めない。だから、恐ろしいのだ。
なのに、この少女は。
もしこれが全て計算ずくの演技だとしたら大した策士だと思うが、その真偽を判断する程度の人を見る目はシャムロックとて持ち合わせているつもりだった。
彼女は。……普通の。女の子、だ。
貴女のような女の子まで兵士として扱わねばならぬほど、デグレア軍は困窮しているのですか、と。まるで嘆かわしいとでも言いたげな声音で呟かれ、は慌てて首を横に振った。
「ち、違うんです!
その……私は色々と事情があって、無理を言って軍に置いてもらっていて。
今回のことも、私がルヴァイドさ……上官にどうしてもとお願いして任せてもらって、だから」
デグレアのことを誤解されたくないと、は必死で弁明する。
けれど、それを聴くシャムロックは変わらず渋い表情のままで。それをを見るうち少女はだんだん悲しくなってきて、次第にその声は弱く沈んでいった。
「……こんな私では……。
使者として、信用するに値しませんか・・・…」
ぽつりとそう呟いた彼女は、そのまま肩を落とし、うなだれる。
何とかして役に立ちたいと思った。この使者の仕事なら、自分が女であることを利用して上手く出来るかと、そう思った。
……イオスを危険な場所にひとり飛び込ませたりしなくてすむ。そう思いついた瞬間、飛び上がるほど嬉しかったのに。
役に立てるなんて思い上がりで。やはりそんな、甘くはなかったのだろうか。
俯いてしまった少女は、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握り締める。
まるで泣き出すのを必死にこらえているかのようなその様子を見て、シャムロックは参ったなと唇を噛み締めた。
背後に控える側近に視線を合わせてみるが、彼等は隊長の意見に合わせますとばかりそっと目を伏せる。
(……さて、どうしたものかな)
――少女を派遣したデグレア側の意図は少々掴みかねるが。それでも機械兵士を護衛として同行させている辺り、この少女は決して「捨て駒」ではなく、正当な「使者」なのだろう。
敵陣は、彼女を失いたくないと思っていると、シャムロックは判断する。つまり、使者としての「価値」は持ち合わせているのだ。
だから、彼女が問題なのではなくて。 そうではなくて――……。
自分もしばし目を閉じて考えを巡らせた後。双眸を開いたシャムロックは、うなだれている少女に向かい静かに口を開いた。
「――別に、貴女が女性だからとか、少々警戒心が足りないからとか……。
貴女だから信用しないというわけでは、ありませんよ」
幾分柔らかになった声色に、はおずおずと顔を上げる。
目が合った守備隊長は、一度小さく頷き話を続けた。
「敵将同士、どちらかが膝を折るまでの一騎打ち。
こちらとしては、決して悪くはない……むしろ願ってもない誘いです。もうこれ以上、誰も犠牲にならずにすむわけですからね」
こういう場合の一騎打ちとはどちらかが降参することにより勝敗が決まるもので、命を奪うことはない。もっとも、負けた側は第一の捕虜として敵国に連行されるため場合によっては死よりも耐えられない屈辱が待っているのだが――自分のことなどどうでも良かったし、それにシャムロックは祖国の名誉にかけて負けるつもりはなかった。
「……いい、条件です。
けれど、我々はそう簡単に、デグレアという国を信用することは出来ません」
少女を傷つけることがわかっているからこそ、そう言い放つシャムロックの顔が若干辛そうに歪められる。
それでもこれだけは言わねばならないと、シャムロックは少女を正面から見据えた。
……いくら、少女とはいえ。目の前の人間は、デグレア兵だ。
あの国に属する者に対し、今シャムロック達トライドラの人間はどうしても問いたださねばならないことがひとつ、あった。
「――貴女も軍に属しているのなら、スルゼン砦のことはご存知ですよね?」
「――ッ!?」
(――砦……!?)
スルゼン砦。唐突に何もかもが哀しく忌まわしいあの場所の名を出され、の全身が一瞬にして強張る。
その反応をシャムロックは見逃さなかった。
「……全滅、だったそうです。
誰一人生き残らず、だから一体何があったのか……その真相は誰にもわかりません。
――誰が、あんな非道なことをしたのかも――ね」
ごく冷静な口調で語るシャムロックの鳶色の瞳は、けれど強い怒りに満ちていて。
まっすぐに見つめられ、は金縛りにあったかのように身動きを封じられてしまった。
――彼はきっと、知っている。
――だれの仕業なのか。本当は、気付いている――……。
血の気を失った少女を見て、シャムロックは深く嘆息した。
……彼女を問い詰めても何にもならないことくらい、わかっていた。けれどどうしても、デグレアの人間に自分の――自分達の想いをぶつけずにはいられなかったのだ。
やがて、シャムロックの瞳に宿る怒りの色は、深い悲しみへと変じていった。
そっと。彼は、己の手首に巻き付けた黒いリボンへと指を這わせた。
「情報提供が成されない以上、我々に真実を知る術はありません。
残されていたのはただ、この黒いリボンだけ――……」
あまりに哀れな同朋の死を悼むように、彼はただ悲しげにリボンへと触れる。
シャムロックが纏う悲しみの気配に胸を潰されそうなだったが、彼が手にしているリボンに改めて目を向けて――次の瞬間、はっと息をのんだ。
(――あれ、は……!)
黒いリボン。はそれに、見覚えがあった。
ゆっくりと。滑り込むように、記憶が蘇る。
あれは。
――そうだ。
――あの哀しい雨があがった後。すべてが終わった後。あの砦の前で、自分は――。
「そっ……。
その、リボン。わ、私……が……」
「――!?」
あまりに突然に。目の前に座る少女の口から飛び出た予想だにしなかった言葉に、シャムロックは驚愕のあまり両の目をを大きく見開く。
問い返すその声が、不覚にも震えた。
「今――な、何、と?」
「その……。
そのリボンは、私のものなんです。
……両端に、アルサックの花の刺繍が、ありますよね?」
弾かれたようにシャムロックはリボンの両端を確かめる。今まで気付かなかったが、そこには確かに白い糸で表された小さな小さなアルサックの模様があった。
この大きさでは、彼女の席からはとても、刺繍があることなど見て取ることは出来ないだろう。
――ということは。つまりまさか、本当に――……!?
「あ、貴女が、これを……!?」
思わず腰を浮かせてしまったシャムロックに対し、少女はやっとの思いで頷き返す。
……覚えている。そう、だってあのリボンは、街に出た時にイオスが買ってくれたもので――……。
「私が……。
わたしが、せめてもの弔いにって、門に、結んで
むすん……で……」
の頭の中に、あの日の出来事が鮮明に蘇る。
見たもの、感じたもの。
誰も動かない死の砦。
操られ殺しあう、屍人。
そして最後に流れ込んできた、騎士達の哀しい叫び――……。
出来れば、忘れたかった。だから、心の奥底に追いやっていた。
けれど、忘れることは赦されない――あの日の記憶。
「あなた、が……」
愕然とした表情のまま、シャムロックが繰り返す。
未だこの突然の真実を理解できない彼の目の前で、少女はひとすじ、透明な涙を零した。
――そして。
「――ごめんなさい!」
そう叫んで頭を下げたこのデグレアの少女を、トライドラの騎士達はただ呆然と見つめていた。