はじかれたように上を見上げたイオスの顔が一瞬にして怒りで真っ赤に染まる。
「――おまえっ……ビーニャ!
貴様には国境残存部隊の鎮圧を任せただろうっ! 何故ここにいる!?」
レイム配下である召喚師の少女が姿を見せたことでこの惨状の原因を即座に理解したイオスが声を荒げる。しかし、城壁の上に腰掛けたビーニャはそんな彼をただあざ笑った。
「だぁってー、ヒマなんだもーん。
それで砦はどうなってるのかなァって来てみれば、まーた一騎打ちなんてアマアマなことやっててさァ」
だからルヴァイドちゃんは出世しないんだよねーと言って、ぷらぷらと足をばたつかせながらビーニャはまるで駄々っ子のように口を尖らせる。
足元で引き裂かれているトライドラ兵が彼女には見えないのだろうか。今この瞬間にもびしゃりと血糊が叩きつけられているその城壁の上で、少女はうふふと無邪気に笑った。
「もうさー、皆疲れてるでしょ? こんなのさっさと片付けてデグレアに帰りたいでしょ?
……だから呼んであげたの。デグレア兵なんかよりずーっと優秀な、アタシのペット達をね!」
「――ビーニャ!」
剣を振りかざし、ルヴァイドが激昂した。
「きさま……貴様という奴はっ! 騎士の戦いを愚弄するつもりか!」
「――うるさい能無しッ!」
今すぐやめさせろと叫んだルヴァイドをビーニャが一喝する。
すっくと立ち上がったビーニャは、侮蔑のこもった血色の瞳で地上を見下ろした。
「まったく、こんな砦ひとつ落とすのに一体何時間かかってるのよ! 待ってる身にもなってよねっ、退屈で死にそうなんだから!
そんなんで総指揮官なんてさァ、ほんと笑っちゃう!
……だから、そこで見てるといいよォ。今からアタシが、戦争ってのはこうやるんだよってお手本見せてあげるから……!」
「ビッ……ビーニャアァァァァァァァッ!」
「キャハハハハハハハハハ!」
甲高い声で笑って、ビーニャはくるりと踵を返す。
そのまま城壁の向こう――まだ何人ものトライドラ兵が待機している――砦へと消えようとしたビーニャの背に向かい、シャムロックが待てと叫んだ。
目の前で部下を食い殺された彼は、怒りのあまり噛み締めた唇から血を滲ませていた。
「お前……お前がこんな真似を……。
オマエは、私の部下を殺したときもそうやって笑っていたというのかあっ!」
「そうだよォ。
――だから、ナニ?」
本当に何とも思っていないという眼差しで、さして興味もなさそうに少女はシャムロックを一瞥する。
ただ煩そうに低い声を出すその態度にシャムロックは言葉を失った。
一騎打ちの最中に、召喚獣を放って。残忍な方法で皆を血祭りにあげて。それでも、この少女は何も感じていないのだ……!
盤上の遊戯を眺めているかのように。ただ、笑うだけで。
「……バーカ!」
わなわなと、怒りに拳を震わせる守備隊長をせせら笑って、ビーニャは砦の中へと姿を消した。
◆◆◆
取り残された面々は、ただ呆然とその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
「我ガ将ヨ。コノママデハ、びーにゃニヨッテ砦ハ全滅ニ追イ込マレマス」
魔獣の咆哮が轟く中、唯一思考が鮮明なゼルフィルドが対策を促すのだが、とんでもない形で一騎打ちを妨害された上に暴言を吐かれ茫然自失のルヴァイドはそれに答えることすらままならない。
ややあって、最初に口を開いたのはシャムロックだった。
「……貴方達は、最初から」
――ゆらり、と。顔を上げた彼の表情はまさに「鬼」だった。
先刻に見せたあの笑顔はすでに欠片もない。ゆっくりと、目の前にいるルヴァイド、次にイオスと順に睨んでいくその鳶色の瞳にはただ、暗く深い怒りの焔が揺らめいていた。
ぞっとするほど低い声で、シャムロックは呟いた。
「最初から、こうするつもりで……っ……」
巡るシャムロックの瞳が、ついにを捕らえた。
「裏切ったのかあぁぁぁっ!」
違う、と叫ぼうとして。けれど真正面からぶつけられた騎士の罵声は、もはや少女に反論など赦しはしなかった。
痙攣するようにびくんと大きく全身を震わせて、は喉の奥で悲鳴を上げる。
声を失った少女の横で、シャムロックの叫びによりようやく我に返ったイオスがよろめくように一歩前へと足を踏み出した。
「ち――違う、これは――……!」
こんな結果を望んでいたんじゃない。
今度こそ自分達は、騎士らしく戦いたいと願って――!
否定の言葉を紡ごうと、彼はまた一歩、怒れる敵将へと近づこうとする。
――けれど。
「――まったく……。
お前ら、一体どれだけ根性腐ってやがる!」
突然、聞き慣れぬ男の声がイオスの言葉と歩みを止めた。
まるで最後の審判を下すかのように戦場に響き渡ったその声。皆が一斉に振り返ると、そこには若草色の髪をした男がひとり、大振りの剣を手に憤怒の形相で立ちはだかっていた。
大きな身体。太くよく通る声。大地の色をした髪と瞳。
その存在に確かに覚えのあったははじかれたように両の目を大きく見開いた。
(あのひとは……!)
闇夜の街道。そして潮風吹く港街で。
交わした言葉さえ数少なかったが、数日間、同じ屋根の下で時間を共にしたことがある。
――彼は。
「なっ……フォ、フォルテさまっ!?」
の干上がった喉から男の名が出る前に、その名を口にしたのはシャムロックだった。
どうして貴方がここに、とシャムロックは男――フォルテに驚愕の眼差しを向ける。同様に、も驚きのいっぱいこもった瞳でフォルテを見つめた。
(そうだ……!
あのひとは、トリスさん達の)
あの優しい召喚師の少女達と一緒に旅をしている冒険者。
この戦場にどうして彼がいるのだろう。
そして、彼がここにいるということは――……。
思い当たった可能性にが一気に身を硬くしたその瞬間、剣を構えるフォルテの背後に駆け寄る集団があった。
いち早く辿りついたのは巫女装束の美女。続いてやって来たのは三人の少女達だった。
襲い来る魔獣を弓で、剣で、召喚術で薙ぎ払い、肩で息をした彼女達は揃って呆然と立ち尽くしているの方を見た。
(トリスさん、アメルさん、ミニスさん――……!)
六つの瞳に捕らえられ、は身動きすらままならなくなる。
……いつかは、会うと思っていた。戦うのかもしれないとも思っていた。
けれど出来れば――会いたくなかった。それですむのなら、そうしたかった。
また一緒に笑ってみたいと焦がれることはあった。けれどイオスの傍にいることを選んだ自分にそれは許されないことだろうから……だったら港街での優しい思い出のままでいたいと、そう願っていた。
最近は「聖女」という言葉を耳ににすることもなかったから、ひょっとしたらもう会わずに――このまま戦わずにすむのかもしれないと。心のどこかでそんな、淡い期待すら抱いていたのに。
……それなのに。
どうして今、こんな形で彼女達に再会しなければならないのだろう――!
「ねえこれ……一体どういうことなの、!?」
憤りと悲しみが混ざった紫の瞳でそう叫んだのは蒼の派閥の召喚師・トリスだった。
フォルテの勧めにより訪れたローウェン砦。ミニスの母ファミィから、近々ローウェン砦を舞台に戦があるようだと教えられ、ならば戦いが始まる前にと急いでやってきたのに、どういう訳か砦はすでにデグレアの攻撃を受けていた。
その後、彼女達は激怒するフォルテを必死に抑えつつ状況を密かに見守っていたのだが、黒騎士側の「裏切り」を目の当たりにし、とうとう我慢できずにこの戦場へと飛び出してきたのだった。
遠目からでも、トリス達には黒髪の少女の姿がはっきりと見えていた。
――「あの子」が、「裏切った」?
ごめんなさいと流した涙も、あの手紙も、偽りだったのだろうかと。いち早く走り出したフォルテを追いかけている間、少女達の頭にはそんな疑惑が渦巻いていた。
裏切られたかもしれない。
その衝撃に傷ついた心が悲しみの次に抱く感情は――何倍もの、怒り。
「さんっ! どうしてデグレアはこんな、酷いことばかり……!」
「ッ!? なんでよ、なんでこんなことしてるのよぉっ!?」
無残に殺されたトライドラ兵を前に涙するアメル、緑のサモナイト石をきつく握り締めて悔しそうに叫ぶミニス。
一時は笑いかけてくれた少女達に問い詰められ、ショックで言葉を発することすら出来ないはただ必死で首を横に振った。
(違う――ちがうの、これは)
全身全霊をかけて否定したいのに、どうしたらいいのかわからなかった。
泣けばいいのだろうか、彼女達にすがりついて違うと泣き叫べばいいのだろうか。
否――違う。そんなことでは伝わらない。きちんと説明しなければわかってもらえない。けれどこの状況下で即座に誤解を解けるような便利な言葉がこの世にあるとは到底思えなかった。
「!?」
名を呼ばれ、混乱した少女は反射的に距離を置こうと震えながら一歩、後ずさる。
今にも泣き出しそうなをイオスが背に庇った。
「やめろ! 彼女を責めるな!
それよりどうしてお前達がここにっ……!」
「トリス! アメル! ミニス!
そいつらに言いたい文句は山ほどあるけどな、言い争ってる場合じゃねえぞ!」
イオスとフォルテの声が重なる。続けてフォルテは未だ状況を把握しきれていない親友を一喝した。
「呆けてる場合じゃねえだろシャムロック!
今はバケモノを倒して、部下を助けるのが先だろうがっ!」
お前はここの隊長だろうがと怒鳴られ、はっとしたシャムロックは慌てて愛用の剣を構え直し、頷く。
守備隊長としての自覚を取り戻した友人にフォルテも頷いた。
「中の兵士を助けに行くぞ! ……ネス、援護してくれ!」
「ああ!」
剣を握り締めたマグナが叫び、ネスティが行く手を阻む魔獣を召喚術で吹き飛ばす。
各々の武器を手にローウェン砦の中へと走っていく仲間達を見届けてから、シャムロックと共に門をくぐろうとしたフォルテは、最後に一度だけ立ちすくむデグレア陣を振り返った。
「――騎士の誓いを裏切るなんて……。
お前らがここまで汚いとはな!」
最低だ、と叫んでフォルテは物言わぬルヴァイドを憎しみのこもった眼差しで睨みつける。
数歩先を行っていたシャムロックも振り返り、同じようにルヴァイドを睨んで。しかし、視界の隅に投具のような刃物を構えている獣の姿を捉えた彼は驚愕にその目をみはった。
――魔獣が狙う先は――フォルテ。
「フォルテさまっ! 危な――……!」
シャムロックが叫び駆け出したのと、フォルテが己を狙う獣に気がついたのはほぼ同時だった。
魔獣の手から刃が放たれる。弧を描く切っ先は迷わずフォルテの元へと――……。
「フォルテぇっっ!」
騒ぎに気付いたケイナが相棒の名を叫んだ。
「――ッ!」
迫り来る刃。かわしきれない。フォルテが目を見開いた。
間に合わない――……!
「誓約により願う……遠き世界の英雄よ、その手に掲げる光の剣、今しばらく我が手に委ねよ!
――打ち砕け光将の剣!」
呪文の詠唱と共に上空に現れた無数の剣が一斉に大地へと降り注いだ。
光の軌跡はフォルテに迫っていた刃を打ち払い、同時に魔獣の身体を刺し貫く。
断末魔の悲鳴を上げて、獣は光の中へと飲み込まれていった。
「なっ……!?」
刃を受けることを覚悟していたフォルテは、突然の出来事に驚きはっと周囲を見回す。
仲間の誰かが助けてくれたのかと思ったが、視線の先の召喚師達は皆自分と同じように驚きその動きを止めているだけで、術を使った気配はない。
まさか、と。ゆっくりと、フォルテは反対方向を振り返る。彼の緑の瞳に、太陽の光を反射し輝くサモナイト石が映った。
――透明なサモナイト石を天高く掲げていたのは、デグレアの少女――だった。
「……何で……」
「裏切ってなんかいませんっ!」
呆然と呟くフォルテに向かい、少女は叫んだ。
イオスの背後から飛び出したの頬をとめどなく伝う、涙。
片手に槍を、片手にサモナイト石を握り締めて。膝を震わせながら、それでも彼女は真っ直ぐにフォルテを見つめた。
「ルヴァイドさまは裏切ったりしない! この魔獣はあのひとが勝手に呼んで、勝手に一騎打ちを滅茶苦茶にしてっ……!」
嗚咽を交えながらも、は必死に訴えた。
――もうこれ以上、ルヴァイドを――旅団を、デグレアをけなされるのは耐えられなかった。
彼等は何も悪くないのだ。裏切ってなどいない。信じて欲しい――……!
一度うつむき、少女はぎゅっと槍を握り直す。
再び顔を上げた少女の涙の揺れる瞳には、一筋の決意の光が宿っていた。
「――あのひとを、止めてきます。
止めて、連れ戻して、謝らせます。
……そうしたらこれが嘘じゃないって、信じてくれますか……!?」
「お前……」
「!?」
何を言い出すんだと動揺したイオスが少女の肩を掴む。
けれど、はその手を振り払い、代わりに懐から緑のサモナイト石を取り出した。
「――フラップイヤー!」
少女の声と共に辺りに満ちるエメラルドグリーンの光。
次の瞬間、それは頭部に大きな羽耳を持った紫色の幻獣へと姿を変えた。
「お願い、私を上まで運んで!」
おそらくビーニャがいるのだろう――閃光と爆発音が響く砦の屋上を指差しが叫ぶ。こくりと頷いたフラップイヤーは、その白い翼で少女を包み込んだ。
幻獣とともに、ふわりとの身体が浮き上がる。テテが、慌てて大地を離れたご主人様の足に飛びついた。
「ま、待て――無理だ、! 戻れ!」
宙に浮かぶを見上げたイオスが血相を変えて叫ぶ。戻るんだと繰り返す彼に首を振って、は哀願した。
「イオスさんは、トライドラの人を助けてあげて下さい!
ゼル、ルヴァイドさまも――お願い、ルヴァイドさまあっ!」
少女の叫びに、呆然と立ち尽くしていたルヴァイドがはっと顔をあげる。焦点の定まらなかった暗茶の瞳にようやく光が戻った。
「まだ助かる人がいるかもしれない。
どうか――どうか、お願いします、ルヴァイドさま……!」
最後に、は驚きをあらわにこちらを見上げているローウェン砦守備隊長……シャムロックを見つめた。
信じると言ってくれたひと。このひとにデグレアを誤解されたくない。
もう一度、信じて欲しい。
「シャムロックさん……」
鳶色の瞳と黒曜の瞳とが交差する。目をそらさずに、は言った。
「信じて下さい――お願い、信じて――……!」
ぽたりと零れ落ちた涙のしずくが、召喚術の光を受けてきらめいた。
涙の跡を残して、少女の姿が光に包まれ、一気に空高く舞い上がる。
「―――――――……!」
イオスの叫びは、すでに届かない。
「……畜生っ……!」
唇をきつく噛み締めたイオスは、もはや敵味方構わず襲い来る魔獣達を薙ぎ払いながら、一目散に砦の中へと――最上階へ続く階段を目指し、走り出した。
◆◆◆
――誇り高きトライドラの騎士は、もう後がない場所まで追い詰められてもそれでも、剣を離すことはなかった。
視線の先、笑う少女を睨むその顔色はすでに死人のそれに近い。胸に負った傷も間違いなく致命傷だった。 自分はもうじき、死ぬ。けれど、この残忍なデグレア兵に一矢報いなければ死んでも死に切れなかった。
信じられないことだが、砦の兵士達は皆、このたったひとりの少女と彼女が率いる召喚獣によりろくに抵抗する間もなく引き裂かれていったのだ。
最後の力で剣を握り締めて。その騎士は叫んだ。
「この……あ、悪魔があああっ!」
雄叫びを上げて、騎士はビーニャへと斬りかかる。
しかし、騎士の剣がビーニャに触れる前に魔獣が彼の身体に噛み付き、柵の向こう……砦の最上階から空中へと、放り投げた。
「――あああああああアアアァァァァッ……!」
落ちていく騎士の叫びが次第に小さくなり、遥か下でにぶい音がした。
「キャハハハハハハ!」
騎士が最後に遺した悪魔という言葉が可笑しくて、ビーニャは高らかに笑った。
「ハイハイ騎士さん、大正解ー。ご褒美に空中旅行へごあんなーいっ」
自分は悪魔だ。だから、遊ぶのが好き。人間を殺すのはもっと好き。悪魔を悪魔となじって死んでいくなど、何も知らないとはいえあの人間は本当に、馬鹿だ。笑いがこみあげた。
先日、レイムは「ルヴァイドがしくじらないように、お手伝いをしてあげなさい」と言って自分を送り出した。今回の任務はローウェン砦を落とすことだ。だから自分がやっていることは賞賛に値する。相変わらず何も出来ないルヴァイド達の代わりに、こうやってちゃんと、砦を落としたのだから。
地上に落ちた愚かな人間の死体を見下ろしながら、ビーニャは恥らうように可愛らしく頬を染めた。
ひとりでローウェン砦の騎士を片付けたと言ったら、愛しの主人はどんな風に褒めてくれるだろう。よく出来ましたねと言って、あの冷たいくちびるでキスをくれるかもしれない。彼の部屋の心地よいベッドの上であの身体を独占して、また明け方まで触れて、触れさせてくれるかもしれない。
……あの快楽は悪魔の姿では得られないものだ。だから、人間の身体をヨリシロにするのも悪くないなと思う。最高の、ご褒美だ。
ああ、もう何日、愛しいあのお方に会っていないのだろう。
(早く会いたいな、レイムさま)
恋する少女の瞳でうっとりため息をつき、ビーニャは空を見上げた。
さあ、仕事は終わった。早くデグレアに帰ろう。レイムのところに帰ろう。
鼻歌交じりにビーニャはくるりと踵を返す。しかし、突如目の前に湧き上がった光に何事かと眉をひそめた。
地上から放たれたように見えたその大きな光の球は、すぐに少女とメイトルパの幻獣の姿を形作る。
まばゆい光がやんで、紫色の幻獣――フラップイヤーが消え去ったあとに立っていたのは、ビーニャが最も忌み嫌う疎ましい人間の女だった。
(なんでコイツが、ここに)
心底嫌そうにビーニャは舌打ちをする。己を運んだ光に目がくらんでいたのかしばし瞬きを繰り返していたは、正面に目的の人物の姿をとらえ、きっと表情を固くし、叫んだ。
「――ビーニャさん!
やめて、もうやめて下さいっ!」
「……あーら、チャン? 何、お手伝いにでも来てくれたの?
なら残念でした、兵士は全部、アタシが始末し」
「ふざけないで!
ルヴァイドさまの命令に逆らってこんなひどいことをして……! 今すぐ戻って、謝って下さい!」
ローウェン砦に辿りつく前、イオスに庇われただ怯えていた筈の少女は、今や背後に魔獣を従えるビーニャ相手にもひるまず、ルヴァイドとトライドラ相手に謝れと繰り返す。生意気なその態度に、嘲りの色を浮かべていたビーニャの瞳がすっと怜悧なものに変わった。
(何コイツ、アタシに説教しに来たの?)
――身の程知らずな。
ビーニャの心を苛立ちが支配したと同時に、その指先から闇色の焔がほとばしる。
迫り来る何かにはっと気付いたがとっさに石畳を蹴る。一瞬前まで彼女がいた場所には、ビーニャが放った召喚術、闇色の剣が突き刺さっていた。
「ビ、ビーニャさ……きゃあああっ!」
何の前振りもなく召喚術をぶつけてきたビーニャを諌めようとしただったが、間髪入れずに放たれた二度目の攻撃は、直撃こそしなかったもののその風圧により華奢な少女の身体を石造りの壁へと叩き付けた。 背中をしたたかに打ち、が悲鳴をあげる。
ずるりとへたりこんだ少女に、かつん、かつんと靴を鳴らしながらビーニャが近づいた。
「ふざけてんのはどっちよ?
アンタ、今回の任務わかってる? この砦を落とすことでしょ? だからアタシはちゃあんとこうやって勝利に貢献してるのに……何もしてないアンタに文句なんか言われる筋合いないわよッ!」
吹き出る魔力が形となって現れるのだろうか。ビーニャが怒鳴ると同時に、の頬先をかまいたちのような鋭い風がひゅんっとかすめる。白い肌に赤い血が滲んだ。
ご主人様の顔を傷つけられたテテが慌てて少女の膝にすがりつく。きつく唇をかみしめて痛みをこらえていたは、ややあって心配そうに見上げる緑の瞳に大丈夫だよと頷いてやった。それから、のろのろと立ち上がる。
槍を握り締め、は辛そうにビーニャを見やった。
確かにビーニャの言うとおり、自分は役立たずだ。けれど、同じデグレア軍の人間として、シャムロックと交渉をした者として、自分はなんとしてでも、彼女を止めなければならない。
「お願いですから、もうこんなことやめて下さい……。
確かにこれで、デグレアは勝ったことになるかもしれない。でも、ルヴァイドさまはこんな形での勝利なんて望んでいなかったんです。
ビーニャさんはもう長く軍にいるんでしょう? 私なんかよりずっとずっと、国や戦争のことについて詳しいんでしょう?
だったら、こんなことをしたらデグレアがどんな評価を受けるか、わかっ……」
「うるさいうるさいうるさああああいッッ!」
諭すをヒステリックなビーニャのわめきが遮る。こめかみに青筋を浮かべたビーニャは、怒りに頬をひきつらせながら目の前の少女を思い切り睨んだ。
――何も出来ない人間のくせして。自分に意見するなど――何様のつもりだ、この女は!
どうしようもない破壊の衝動が、ビーニャの内に沸きあがった。
「ア、ア、アタシに命令するなぁぁぁぁぁっ!」
「――ッ、誓約によりここに……エビルスパイクッ!」
ほとばしる怒りの魔力に髪を逆立て、ビーニャが魔獣をにけしかける。 慌てても召喚呪文を叫んだ。
とても丁寧に喚(よ)ぶ余裕はなかったが、それでもなんとか現れてくれた小さき悪魔が放つ槍とテテの水流攻撃により、すんでのところで魔獣を沈めることに成功した。
はあはあと肩で息をしながら、はビーニャを真っ直ぐに見据える。
もはや、彼女はどうあっても退く気はないらしい。……だったら。
「私の話には聞く耳持たないって言うんなら……。
だったら力ずくでも、あなたを連れ戻しますっ!」
凛と響く声でそう宣言して、は手にした槍を構える。
適うかどうかなんてそんなことすら考えられないほど、すでに彼女の頭も初めて感じる激しい憤りに冷静さを失っていた。
「何アンタ、このアタシとやろうっていうの?」
この女はちゃんと頭に脳みそが入っているのだろうか。無謀にも大悪魔である自分にたてつく気らしい目の前の少女に、ビーニャは声をたてて笑う。
けれど、怒りのこもった眼差しで槍をかざすその構えが誰かに似ていて、ビーニャは笑うのをやめた。
――わずかに腰を落とし、矛先で一度小さく円を描いてから相手に向けるあの構え。
デグレア伝統の形とは異なる特徴的なそれは。
――イオスだ。
(こ……んのオンナああああ!)
ついに、ビーニャの中で押しとどめていた箍が外れる。
次の瞬間、が抵抗する間もなく飛びかかってきた魔獣が彼女の左腕をひねりあげた。
つま先が宙を泳ぎ、骨を砕かれそうな激痛にたまらずが叫び声をあげた。
「っああああああああっ!」
もがく右手から銀槍が滑り落ちる。
石畳に転がったそれを蹴飛ばすと、ビーニャは魔獣に動きを封じられ、苦痛に顔を歪ませる少女を愉快そうに眺めた。
「キャハハハハハハ! やあだ、もうおしまい?
ちゃーん? 大見得切った割にはなっさけないわねェ?」
いい気分で、ビーニャは縛められる少女の頬をぺちりと叩く。
やっぱりこいつは、何の価値もないただの人間だ。本当に、どうしてイオスはこんな女に執着しているのだろう。 まったくもって理解できなかった。
さて、せっかくだから骨のひとつも折ってやろうかと、ビーニャは舌なめずりをする。
悲鳴をきけばこの苛立ちもまあ収まるだろう。それに、動かない少女の腕を前にはたしてあのイオスがどんな顔をするのか……それもまた、愉しそうだ。
――無力な人間のくせに、悪魔に逆らったりして。
愚かな女には、相応のおしおきが必要だ。身の程をわきまえさせねばならない。
くつくつと笑って、ビーニャが魔獣に指示を出そうとしたその時。彼女は、頭上から大量の冷水を浴び一瞬にしてずぶ濡れになった。
「――ん、なッ……!?」
何が起こったかわからず、ビーニャは呆然とする。
ぽたぽたと、濡れた前髪から滴り落ちる水滴をただ疎ましいと思いながらゆっくりと視線を下にずらせば、 そこには主人たる少女を庇うように、必死の形相で両手を広げ立ちはだかるテテノワールの姿があった。
「テ……テっ。
だめ、逃げ……てぇっ……!」
息も絶え絶えにが乞うのだが、ビーニャと魔獣との間に立った護衛獣は首を振り、大きな瞳でビーニャを睨み上げた。
――ゆるさない。怒ってなお澄んだエメラルドの瞳がそう訴えている。
「こ……んのッ……!」
ビーニャの拳が、怒りに震えた。
メイトルパの下等生物のくせして自分を水浸しにし、なお一丁前に護衛獣気取りで立ちふさがる獣。
ビーニャが最も忌み嫌う、弱いもの同士の庇いあい。それは、彼女の逆鱗に触れた。
イオスに、そしてこんな獣にまで庇われる、このという女に。心底吐き気がした。
――うつむいていたビーニャの背後に、闇色の陽炎がゆらめく。
次の瞬間、テテの身体は見えない力により天高く持ち上げられた。
全身を締め付ける透明な手から逃れようとテテは必死にもがく。ようやく顔をあげたビーニャは、底なし沼のような暗い瞳で、笑っていた。
の頭からざあっと音を立てて血の気がひいた。
「や、やめて! テテにひどいことしないでっ!」
蒼白になってが叫ぶ。浮いたテテノワールと、狂ったようにわめく少女とを交互に見比べて、ビーニャは言った。
「まったく……主人が主人なら、護衛獣も護衛獣よねェ」
「やめてやめてえええっ! テテを、テテを離してええええっ!」
「――ふぅん?
アンタ、そんなにあのテテノワールが、大事なんだ?」
ビーニャの問いかけに、は必死に首を縦に振った。
「そうよ……そうよおっ!」
「コイツを助けるためなら、あんた、自分がどうなってもいいとか、言うワケ?」
「どうなってもいい、どうなってもいいから!
お願い、テテは、テテだけは――……!」
「そっか、じゃあ……」
うふふ、と。背筋が凍るほど無邪気に残忍に、ビーニャは笑った。
ぱちん、と、ビーニャの指が鳴った。
合図と共に現れたのは、先刻を貫こうとした闇色の剣。
すでに幾人の血を吸ったのだろう。剣先に乾いた血をこびりつかせたままのそれは、まっすぐに
――空中に囚われたテテへと、振り下ろされた。
涙の溢れる瞳をいっぱいに見開いたの目の前で。
テテは、まるで狩人の矢に打たれた鳥のようにまっさかさまに――ぐしゃりとやわらかな音をたてて
石畳に、堕ちた。
◆◆◆
――ふいに、を縛める魔獣の手が緩んだ。
どさりと投げ出されたは、震える足をもつれさせながら、倒れ伏した護衛獣のもとへと駆け寄った。
しゃがみこみ、物言わぬ小さな身体を抱き上げる。
背中にまわした手のひらに、ぬるりとしたあたたかい液体が、触れた。
手が、服が、真紅に染まっていくのも厭わずに。は護衛獣のまるくやわらかな身体をそっと撫でた。
「……テテ?」
返事は、ない。
彼女が呼べば、いつだって嬉しそうに振り返ってくれたあの子の可愛い目が、ひらかない。きらきらひかるエメラルドのような瞳に、自分が、うつらない。
「……テテ」
ぽたり、ぽたりと。テテの頬に、の涙が落ちた。
それでもテテは、動かなかった。
「……テテ」
ぎゅっと抱きしめると、いつもどおりにまろいテテの腹部の感触が伝わった。
ぷっくりした白いおなか。がつつくと、いつも恥ずかしそうに頬を膨らませていた。
けれど、そのまるいおなかの中には、テテの優しさがいっぱいつまっている気がして。だからそこに触れるのが、は大好きだった。
でも、呼吸をすると、ゆるやかに上下に動くはずのそのおなかが、今は――ぴくりとも、動かない。
「……テ……テ……」
湿原で召喚してしまった時から、ずっとずっと一緒にいてくれた。
いっぱいいっぱい、一緒に笑った。が泣けば、その小さな手で一生懸命涙をぬぐってくれた。
この子を抱きしめれば、どんなことにだって耐えられる気がした。
――ひとりでは、ないのだと。
何の見返りもなく、ただそばにいて、好いてくれる。
そんな愛情もあるのだと、に教えてくれた、大切な
たいせつな、ともだち。――家族。――半身。
(――嘘でしょう?)
テテが。
あの優しい獣が、動かない――……。
「テテええええええええええええええええええっ!」
ローウェン砦の上空に、の絶叫がこだました。
動かなくなった護衛獣を胸に、少女が号泣する。それを見て、ビーニャはけたたましく笑った。
「あーら、ごっめんねぇ、アンタの護衛獣、壊しちゃった!」
殺すつもりなんてなかんたんだよォとうそぶいて、ビーニャは石畳に突っ伏し泣き続けるのまわりをくるくるとまわった。
「ああ、じゃあアタシがメイトルパから同じ召喚獣をよんであげよっか?
十匹でも二十匹でも、好きなだけよんであげるよォ!」
弱いちゃんには弱いテテノワールがお似合いだもんね、と、ビーニャは嬉しそうに提案する。
少女の身体からとめどなく流れ出る嘆きの感情が、ビーニャの喉を甘く潤していた。大好きな味に、彼女は至極上機嫌になる。
――愉しい――……!
ぼんやりする視界の向こうで、誰かがしゃべっている。
その笑い声を、はただ、うるさいと思った。
だまれ、と。声にならない声で、つぶやく。
きつく胸に抱きこんでいたまだあたたかいそれを、壊れ物を扱うかのようにそっと、石畳に横たえる。
その時、手の甲になにか固いものが触れた。
目のすみにうつったそれは――取り落とした筈の、彼女の槍。
細身ではあるが、間違いなく人を刺し貫ける鋭さを持ったその矛先が太陽の光を受けて放つきらめきが、の目を射抜いた。
震える手で、転がったそれを手繰り寄せる。
握るとき、石畳に強く爪を立てたせいで少女の指先の皮膚がはがれ、血が滲む。ぽたぽたと滴る赤い液体が、護衛獣の血と合わさって血溜りを生んだ。
槍を、握り締めて。少女はゆっくりと、立ち上がった。
「なぁに? そんな物騒なモノ持って、何するつもりなのかなァ、ちゃーん?」
きゃらきゃらと笑い続けるビーニャを、振り返る。
――そして。
「――ッあああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
泣き叫ぶ、なんて、そんな程度の言葉で例えられるものではなかった。
狂人のように奇声を上げ、槍を手にしたはビーニャに向かい、踊りかかる。
向かってくる愚かな少女――最高の獲物――を前に、ビーニャは恍惚の表情を浮かべた。
レイムは、この人間をまだ殺すなと言った。
けれど、今はこの女の方から斬りかかって来たのだ。我が身を護る為に、戦った。ならば、正当防衛だ。
――ちょっとくらい、腕だとか足だとかが欠けたとしても。まあとりあえず、その心臓さえ動いていれば「殺しては」いない。約束を破っていない――だからそう、怒られることも、ないだろう。
生意気な女。ただでは、帰さない。
「……いいよォ。おいでェ。遊んであげる……!」
闇色の剣と、獰猛なる魔獣とを従えて。ビーニャは裂けるほどにその口の端を歪ませて、笑った。