call my name
 ――撃たれる。迫り来る黒い閃光を前に、 はそう覚悟した。
  テテだけは護らねばと、護衛獣を抱きこむ腕に力を込める。

  けれど、鋭く光る雷を映していた筈の瞳を、唐突に真っ白な何かが覆った。
  押し付けられた頬に当たる硬い金属の感触。まわされた腕、背に感じる力強くあたたかな感触。


「――シャムロックさん!?」


  しゃがみこんでいた少女を抱きすくめて。背にビーニャの攻撃を受けたシャムロックは、全身を駆け抜ける激痛が収まるのを待ってようやく顔をあげた。

「まったく……。
無茶をする人ですね、貴女も」
「ど、どうしてっ……!?」

  何故、彼がここにいるのか。何故、彼が自分を庇うのか。
  怒り狂ったビーニャが放つ雷撃はとどまることを知らず、絶えず二人の周囲に降り注ぐ。
  耳をつんざく轟音と、目のくらむ光。身動きの取れない状況の中、わけがわからず恐慌状態に陥っている少女を見下ろして、シャムロックは小さく笑った。

「困るんですよ。
……私は貴女に、謝らなければならないことがあるのに……死なれたりしたら」

  困るんです。そう繰り返して呆れたように笑う騎士に、は目を見開いた。

「な、何のこと……」
「さっきは、酷い事を言ってしまって、すみませんでした。
……私が怒鳴ったりしたせいで、貴女はこんな無茶をしたのでしょう?」

  ――信じて下さいと泣きながら召喚師を追いかけて行った少女。しばらくの間呆然と光の軌跡を見上げていたシャムロックだったが、はっと思考を取り戻した彼は、次の瞬間無我夢中で砦の中へと飛び込んで行った。
  フォルテの制止すら振り切り、槍騎士の後を追って猛然と石段を駆け上がる。

  魔獣を斬り捨てながら、手遅れだった部下達の変わり果てた姿に唇を噛みながら、彼は考えた。

  騙し討ちの可能性は、少女が使者としてやってきた時からじゅうぶん承知していた。疑った。
  それでも自分がこの一騎打ちを信じた訳は、何だったのかと。

  目の端に、手首で揺れる黒いリボンが見えた。



  ――そうだ。


  自分が。信じたのは――……。




  耳元で囁かれた敵将の言葉に、泣きはらしたの瞳に再び涙が盛り上がった。
  ――そんなひとことを告げるためだけに。このひとは、自分を庇ったというのか。

「なんで、なんであなたが謝ったりなんか……!
悪いのは、謝らなきゃいけないのはこっちなんです。信じてくれたシャムロックさんの気持ちを踏みにじってしまったから、だから……!」

  何度も何度もかぶりを振って、少女は敵将の腕の中でもがいた。

「お願い、離して! 
私はあなたに庇ってもらう資格なんかないんです、わたしは……!」

  降り続ける雷。このままではシャムロックが死んでしまうと、は泣き叫んで彼から離れようとする。
  けれど、シャムロックは何故か少女を抱く腕に余計力を込めるばかりで離してくれる気配など微塵もなくて。言うことを聞いてくれない騎士に、は半狂乱になってしまう。


  遠くでビーニャが何かわめいている。
  閃光が弾けるたび、石畳の床が揺れる。すっぽりと抱きすくめられているにも衝撃が伝わって、きつく噛み締めたシャムロックの口から僅かに苦悶のうめき声が漏れる。
  その声を聞くたびに、は心臓をつめたい手で締め上げられているような錯覚を覚えた。あまりのことに、視界は霞み、気が遠くなる。


  ……どうして。
  どうして彼が、こんなことをしてまで、自分を庇うのだ――!


「どうしてっ……!
私、わたしは、デグレアのっ……!」
「……そうですね。貴女は間違いなく、敵国の――デグレアの兵士だ」
の言葉を遮って、シャムロックはきっぱりと言い切った。

「だったらどうして、こんな……!」
「――でも」

  ほんの少しだけを抱きしめる腕を緩めて、シャムロックは泣いている少女の顔を覗き込んだ。

  黒い瞳に揺れるのは透明な涙。
  今流れる涙は、自分のためなのだろう。
  ――スルゼン砦でも、ローウェン砦でも。このデグレアの少女は、こうやってトライドラ兵のために泣き続けてきた。
  戦場にはあまりに似つかわしくない、それは痛いほど純粋な、涙。


  その涙を。――自分は、信じたのだ。



「……だけど貴女は、祈ってくれたのでしょう?」



  ――スルゼン砦で。かの砦の騎士達のために。


  そう言って、今なお雷撃を受けながら、それでもシャムロックは笑って見せた。


「もうこれ以上、誰かを、死なせたくありません」


  ――敵兵であることはわかっていた。おそらく愚かな行為であることも、わかっていた。
  けれどこの少女は、同朋のために泣いてくれた、この世界でたったひとりの存在なのだ。


  祈ってくれたその人を、シャムロックはただ、失いたくないと。そう思った。


  大切な部下達は皆、殺されてしまった。
  彼が護れるのは、もはや、この敵国の少女しか残されていないのだ――……。


「さっき、地上で言った言葉は、撤回します。
――私は貴女を、信じますよ」


  そうして向けられた微笑みに、は思わず息をのむ。
  交渉の最後に彼が見せてくれた笑顔よりも。それはずっとずっと、信じられないほどに優しくおだやかなものだった。

  どくん、と心臓が痛いほどに鳴った。身動きが出来なくなる。耳から周囲の喧騒が遠のいた。
  シャムロックの真摯な鳶色の瞳に、驚く自分が映っている。

  ――それを見つめ返しながら。二人の視線が通ったこの瞬間、は確かに時間が止まったようなそんな気が――した。







◆◆◆





「なんなのよ……。
なんなの、なんなのよ、アンタ達はぁぁあぁぁぁぁッ!」

  ひときわ高いビーニャの金切り声が響いた次の瞬間、それまでの何倍も大きな雷がシャムロックとめがけて撃ち落とされた。

「ぐああああああっ!」
「シャムロックさんっ!」

  激痛にたまらず叫び声を上げ、雷撃に貫かれ続けたシャムロックはとうとう意識を手放す。
  ずるりと力を失ったその身体を抱えてが悲鳴を上げた。

「い、いやっ……しっかり、しっかりして、シャムロックさん――……!」

  少女が必死に呼びかけても、傷ついた騎士はぐったりと動かない。


――ッ、いい加減にしろ、ビーニャアァァァァァッ!」

  雷撃の間をかいくぐりながら何とかして必死にの元へ駆け寄ろうとしていたイオスだったが、とにかくこの雷を収めなければ埒が明かないと判断した彼はくるりと踵を返し、叫んだ。
  イオスの持つ槍の矛先がビーニャへと向けられたちょうどその時、屋上の入り口がにわかに騒がしくなった。
  息を切らせ、階段を駆け上がって来たのはトリス達だった。目の前に広がるとんでもない状況を見た彼女等は一様に驚愕する。

「シャムロック――うわあああッ!」

  視線の先にとらえた友人の姿に激昂したフォルテだったが、走り出そうとした彼をビーニャの雷撃が阻んだ。ところかまわず滅茶苦茶に撃たれるそれは、やイオス、フォルテ達のみならず、彼女自身が召喚した魔獣をも貫いていた。雷に撃たれ、哀れな獣達は啼きながらその姿を消していく。

「なんなのあの子っ……あたり構わず召喚術を撃ちまくって……!」
「ひどい、こんなのあんまりだよおっ!
自分が喚(よ)んだ召喚獣まで巻き添えにするなんて!」

  たまらず悲鳴を上げるケイナとミニス。

「シャムロック! おい、シャムロックッ!」
「駄目だフォルテ、危ないっ!」
「離せマグナ! 畜生、シャムロック――!」

  雷の向こう、倒れたまま呼びかけにも応えないシャムロックのところへ飛び出そうとするフォルテをマグナが必死に押しとどめる。 絶え間なく落ちる雷撃の威力はすさまじく、とてもじゃないが無事に辿りつけるとは思えなかった。
  こめかみに血管を浮き上がらせ、ギリリと歯軋りをしたフォルテが絶叫した。

「シャムロック――――ッ!」
「……ます……。
助け……すっ……!」
「え!?」

  まるで、フォルテの叫びに応えるかのように。雷の滝越しに聞こえたかすかな叫びに、皆はっと視線を声のした方角へと向ける。
  それは、倒れた騎士を抱きかかえていた少女の声だった。

……!」

  驚くトリスの紫紺の瞳と目が合ったは、泣きながら、けれど確かにこくりと一回、頷いた。

「助けます、このひとは必ず助けて、皆さんのところにお連れします!」

  今度は誰の耳にもはっきりと、そう叫ぶ少女の声が聞こえた。
  閃光で目がくらむせいで気がつかなかったが、よく見れば倒れたシャムロックの身体がほのかな薄紫の光で包まれている。あれは、トリス達もよく知っているサプレスの癒しの召喚術だった。
  驚きに見開かれたトリス達の瞳をまっすぐに見つめて。は力の限り、叫んだ。


「信じて下さい、お願い――私の命を懸けてもいいから!」


  敵の少女が告げたその言葉に、トリス達は声を失う。
  戸惑い顔を見合わせた彼女達の背後で、突然グギャッという醜い叫び声があがった。慌てて振り返った一行の瞳に映ったのは、立ち尽くすトリスに襲い掛かろうとしていた最後の魔獣を剣で斬り捨てたルヴァイドの姿だった。

「く、黒騎士……!」

  驚きと、そして複雑な怒りとを声に滲ませるリューグを一瞥したルヴァイドは、そのまま目をまるくしているトリスへと視線を移した。

「――俺の口から、信じてくれなどとは言えぬがな。
このルヴァイド、騎士の誇りにかけて、あの男を助けることを誓おう」

  低く静かな声音で、けれどゆるぎない決意を感じさせる瞳で、ルヴァイドは言った。

「ここは危険だ。お前達は下がれ。
――あの小娘の犯した不始末は、我々が責任を持って片付ける」

  そう言うと、ルヴァイドは背後に控えたゼルフィルドに目配せをする。主人の命令を汲み取ったゼルフィルドは、そのまま雷撃の中へと身を投じた。機械兵士の腕から弾丸が放たれ、爆音とともにビーニャの叫び声が響く。

  突然のルヴァイドの言葉に、トリスは何度も何度も目を瞬いて。
  ややあって、彼女はぎゅっと両の拳を握り締め、己を見下ろすルヴァイドの暗茶の瞳を見つめ返した。
  まっすぐに見つめても、逸らされることのないその視線から黒騎士の意思を感じ取ったトリスは、屋上の彼方へと瞳を向けた。
  そこにいるのは、シャムロックを庇うように胸に抱きしめ、必死に癒しの術を与える敵国の少女。
に向かい、トリスは精一杯大きな声を出して、こう言った。


わかった――を、信じてるからね!」

  ――シャムロックさんを任せたよ!

  轟音の中、耳に届いたその言葉にの両の瞳が見開かれる。
  トリスの決断に、一瞬冗談じゃないと声を荒げようとしたフォルテだったが、それを見越したケイナに諌められ、狂ったように雷撃を撃ち続けるビーニャとそれを止めようとしているイオスとゼルフィルドとを見やり、きつく唇を噛み締める。
  とうとう観念したのか。怒りのたぎる瞳で一度だけルヴァイドを睨んだ彼は、苦渋に満ちた表情で雷の向こうにいる少女へと声を張り上げた。

「おい! シャムロックを助けるといった自分の言葉、忘れるなよ――……!」

  それは、彼が彼女を信じてくれたという証。
  フォルテの必死の叫びに、見開かれたの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちた。


「かならず、必ず助けます、約束しますから――……!」


  かたく瞼を閉ざしたまま動かないシャムロックの身体をきつく抱きしめて。叫び返したのその声が、雷鳴轟くローウェン砦の空へと吸い込まれていった。



  絶え間なく撃ち落される雷の衝撃に、ついに建物が軋み始め、石造りの壁に亀裂が入る。
  早く逃げろとルヴァイドに一喝され、ここにいることの危険性を痛いほどに感じたトリス達は、後ろ髪を引かれながらも急いで地上へと続く階段を駆け下り始めた。
  聖女一行のの背中が見えなくなったのを確認して、ルヴァイドは屋上へと足を踏み出す。雷撃を避けながら、彼は部下ふたりに向かい声を荒げた。

「――ゼルフィルド! イオス! その小娘を止めろ!
手荒にしても構わん!」

  そう指示を出しながら、彼自身も研ぎ澄まされた大剣の切っ先を迷わずビーニャへと向ける。
  命令違反を犯し、騎士の戦いを踏みにじったこの身勝手なレイムの部下を、決して許すわけにはいかない。ルヴァイドの瞳には、かつてないほどの激しい怒りの色がくっきりと浮かび上がっていた。

「御意!」
「仰せのままに!」

  上官に返答をし、イオスは手にした槍を構え直す。

「ルヴァイド様の命令に背いた上に、彼女を傷つけた罪は重いぞ、ビーニャ……!」

  目の前の少女は、を傷つけた。イオスとて、すでにビーニャを許すつもりはない。味方だからとか女だからなどという理由で手加減する気も毛頭なかった。

  先刻、が見せたのと同じ構えで槍をかざしたイオスは、石畳を蹴ってビーニャへと踊りかかる。
  その槍の矛先がビーニャの頬をかすめ、血を滲ませる。流れた赤い血を指ですくってぺろりと舐めたビーニャは、耳障りな声で狂ったように笑った。


  庇われ続けたあの女も。あの女のために自分に槍を向けるイオスも。もう何もかもが憎くて憎くてたまらなかった。

  面白くない。オモシロクナイ。

  この砦も、何もかも。みんなみんな、壊れてしまえ――……!



「――キャーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」



  狂った女の笑い声が、今や屍の山となった哀れなローウェン砦に響き渡る。
  イオスの銀槍が、雷を反射してきらりと鋭く煌めいた。