call my name
 足を踏み入れた中央大通り。そこはもう、の知るファナンではなかった。

「うわあ、うわああっ……!
みてみてイオスさん! すごい、すごいですよーっ!」


  ――飛び込んできたのは、溢れんばかりの夏の日差しと音楽と、幸せな笑い声――。


「海の恵みに感謝を!」
「勇敢な船乗り達に祝福を!」

  どこまでも澄み切った青空に祭の合言葉がこだまする。紙吹雪が舞い上がり、手足にいくつもの鈴をつけた女達が軽やかにステップを踏む。それを見て、たまらず人々も踊り出す。ある者は老若男女問わず輪になって、ある者は意中の乙女の手を引いて。

「帆をあげろ!」
「帆をあげろ!」
「恵みの風を我らの船に!」

  麦酒のジョッキを手に海の男達が合唱し、夏風に乗せて街中に船着場の鐘の音を響かせる。それを聞いたらもう、 誰もじっとしてなどいられなかった。思わず駆け出したくなる。ところかまわず笑い出したくなる。

  勿論も例外ではなく、つい先刻見せたあの憂鬱な面影はどこへやら、舞い上がる気持ちを隠しきれない少女の黒い瞳がまるで子供のようにきらきらと輝き出した。


  誰もが童心に帰ってしまう魔法の空間。そう、今のファナンはまさに、夢の街――……!




、あんまりはしゃぐととんでもない田舎者に見えるぞ」
「だ、だってだってだって! だってイオスさん! だってこんな……っ!」

  祭の熱気にあてられ、頬を薔薇色に染めてはしゃぐをイオスが笑う。だが、そう言うイオスとて興奮する気持ちはよくわかった。
  あんなに憂鬱そうにしていた少女さえ一瞬で夢中にさせてしまう、圧倒的な盛り上がり。それこそがこのファナン豊漁祭の魅力なのだ。やはり連れて来てよかったと改めてイオスは確信した。

「ねえイオスさん、どこに行きますか!? ああもう、どうしようどうしよう!」
「わかったわかった、わかったからちょっと落ち着け。
まったく、 今に転んで服汚すぞ?」

  まるで子供のようにくるくるとイオスのまわりで飛び跳ねる。今日の彼女が身にまとっているのはシフォン素材の白いワンピースだ。イオスが見立てたそれは、はしゃぐの動きに合わせてふわふわと裾を揺らしていた。

  ――ふと、イオスは思った。
  溢れんばかりの笑顔を見せる。笑ってそれを見守る自分。服装も、いつもの黒い軍服ではない。そんな自分達は、他人の目には一体どのように映っているのかと。

  武器を握り締め、返り血を浴びる軍人ではなく。今の自分達は、日の光の下で笑いあう、ごく普通のしあわせな――……。



「恋人達に海の祝福を!
さあさあお兄さん、愛らしい彼女に花飾りは如何ですかあ!?」

  突然陽気な声に呼び止められて、ふたりは驚いて振り返る。声の主は花売りの女だった。
  港街ならではのよく日焼けした顔でにっこり笑った女は、手に持ったカゴからハイビスカスに似た赤い花を取り出しイオスへと差し出した。

「せっかくのお祭だもの、恋人を可愛く飾ってあげるのも男の義務でしょうがっ!
赤いこれならお嬢さんの黒髪にぴったり! ね、どう!?」

  いささか強引ともとれる売り口上だが、祭の雰囲気の中ではこのくらい元気な方がいっそ小気味良い。
  女の言葉に慌てて「いえ、私とこのひとは……」などと無粋なことを口走りかけたを制すると、イオスは上機嫌で赤い花を買い取った。
  そのまま、驚くの両耳の上に花を挿してやる。女の言葉通り、南国を思わせる赤い花は確かに彼女によく似合った。

「あ、可愛い。似合うよ
「え、あ、あのっ!? イオスさっ……!?」

  うろたえるの腕を花売り女がさっと引っ張る。イオスには聞こえないよう、女はそっと耳打ちした。

「よかったわね! その花を髪に飾ってもらうと恋が叶うっていう言い伝えがあるのよ!
こんなイイ男めったにいないんだから、何があっても捕まえておくことね!」

  目を白黒させるに女は茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる。それから、を離した彼女は「まいどありぃ!」と元気に手を振って再び人混みの中へと消えていった。

  残されたは、火照る頬を押さえながらおろおろとイオスを見上げた。

「ご、ごめんなさいイオスさん。
何だかあの、勘違いされちゃって、お花買ってもらっちゃって……その」
「――ふうん。
よかった。恋人同士に見えるらしいぞ、僕達は」
「え――ええっ!?」

  何故か満足げに口許をほころばせるイオスには目をまるくする。
  真っ赤になって口をぱくぱくさせる少女にイオスは極上の笑みを向けた。

「じゃあ、せっかくだから――……」

  イオスのしなやかな指が無防備にさらされた少女の白い手に触れる。
  手のひらを辿る感触に、びくん、との肩が跳ねた。

「こうしていた方が、もっと『それらしい』よな」

  それはそれは嬉しそうな声音でそう言って、イオスはつないだ手を誇らしげに掲げてみせる。
  一方、は驚きのあまり頭の中が真っ白になってしまった。

(――え、ええっ!?)

  ――おそるおそる動かしたの瞳に映ったのは、自分とイオスの手。つながれた手。
  視界にそれをとらえた瞬間、かあっと頭に血が昇るのがわかった。

  全身の神経がつながれた箇所に集中して、まるで手と一緒に思考回路まで奪われてしまったかのようだった。口から心臓が飛び出そうな状態というのは、まさに今この瞬間のことを言うのだろう。
  だが、驚きと同時には不思議な違和感を感じていた。

(……あ、れ……?)

  別にイオスと手をつなぐこと自体は初めてではない。けれど、確かに何かがおかしかった。胸の奥がざわざわする。
  眩暈を覚えながら、は改めて己の手を凝視した。

  ――よくよく見れば、手のつなぎ方がいつもとは違っていた。
  今までのように、イオスの大きな手のひらがのそれをすっぽりと包み込む、まるで小さな子供と手をつないだり導いたりする時のようなあれではなくて、指と指をひとつずつ、愛おしそうにからめるつなぎ方だ。

  初めてのそれに、の胸には不安にも似た焦りが湧いた。

  ……このつなぎ方は、保護が目的ではなくて、相手の手と指の感触を、そこから伝わる体温を楽しむためもの……だとは考える。なぜならこのつなぎ方をするのはきまって若い恋人達だったからだ。
  イオスに手をとられたことは何度もあるが、今までこんな手のつなぎ方をしたことはなかった。

  そう、違和感の原因はこれと、もうひとつ。
  さっき、確かに彼は言った。「こうしていた方が、それらしい」と。

  手をつなぐことで自分とイオスの姿を「それらしく」見せる。その意味するところは――……?




  耳に飾られた赤い花が風にふわりと揺れる。鼻孔をくすぐる甘い香りに、の思考がぷつりと切れた。

「――っ、やっ……!?」

  恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! ただその言葉だけがぐるぐると頭の中でうずまいてどうしようもなくて、混乱したは思わずイオスの手を払いのけてしまう。
  はっと我に返り、しまったと思っても時すでに遅し。おそるおそる見上げた先のイオスは、明らかにむっとした表情に変わっていた。


  全力疾走で逃げ出したくなるくらいの気まずい沈黙に、の足がすくんだ。


「……そんなに嫌だったのならあやまるけど……」

  視線を合わせたまま、互いに硬直することたっぷり六十秒。その後、イオスの口から発せられたのは謝罪の言葉だった。
  けれど、その声音は不機嫌そのもので、たまらずは顔を背けてしまう。とても正視できる状況ではなかった。


  うつむき、か細い声でごめんなさいと告げる少女に対し、イオスは盛大にため息をついた。
  ……これはさすがに。いくらなんでも……面白くない。

「確かにちょっと強引だったかもしれないけどな……。
この人混みだし、手をつないでいた方がはぐれないだろう? それでも駄目か?」

  イオスの問いに、は答えられない。黒髪から覗く耳が、花飾りと同じくらい赤く染まっている。

  彼女が恥ずかしがっているのだということくらい、勿論イオスもじゅうぶん承知していた。
  だが、ああまで邪険な態度をとられて、はいそうですかとおとなしく引き下がる気にはなれなかった。

(何も、あんな風に振り払わなくたっていいじゃないか)

  花売り女の言葉に気分を良くしていた直後だっただけに、さすがのイオスもそれなりに傷ついていた。

  そう――ちょっと意地悪になるくらいには。


「……
黙ってちゃわからないだろう?」
「……だ、だ……って」

  低い声で促され、は思わず泣きそうになるのをぐっとこらえた。
  彼がこういう声を出すのは決まって怒っている時なのだということをはよく知っている。さっきまであんなに楽しかった筈の祭の喧騒がすっかり遠のいてしまって、一体どうしてこんなことになってしまったのだろうと、途方に暮れた彼女はすがるようにスカートの裾を握り締めた。

  確かに、いきなり手をつながれて驚いたとはいえ、赤の他人という訳でもないのだし、ああまで乱暴に振り払う必要はなかった筈だ。だから、自分が悪かったと思うし、イオスが気分を悪くするのも当然だと思う。

  ――けれど、この状況でうろたえるなと言う方が無理だ。

  気付くのが遅すぎる自分にほとほと呆れてしまうが、考えてみれば今日は夏祭りというデートコースストライクゾーンにイオスとふたりきりなのだ。
  おまけに恋人同士と間違えられ、恋が叶うという花を飾られた。しかもイオスはご機嫌で、どうせ恋人同士に見えるのならと手までつないで来た。――まるで、本当の恋人にするかのような触れ方で。

  仮にも自分はイオスのことが好きな訳で。この夢のような祭の舞台でそんなことをされたら、とても平常心を保つことなど出来ない。
  いくら彼が何も知らないとはいえ――恋人の真似事をするなんて、片思いの自分に対しこの仕打ちはむしろ残酷にさえ思える。

  石畳の地面を見つめながら、は必死に言い訳を探した。

「その……。別に嫌なわけじゃないんです。そうじゃないんですけど」
「けど、何」
「だ、だからっ……!
あの、私とイオスさんってね、その、こ、……恋人同士ってわけじゃあないですしね、だから手をつないだりとかそういうのはね、どうしてもっていうか、必要に迫られた時以外にはね、やっぱりしちゃいけないんじゃないかなあって……!」
「……なんだそれ」

  もごもごと告げられた言葉にイオスは露骨に口をへの字に曲げてみせる。
  少し考え込むような仕草をしてから、彼は再び深い深いため息をついた。

「なあ、
……ものすごく、今更だって、思わないか?」


  ――手なんてもう何度もつないでいるし、ダンスをしたり、抱きしめあったり、キスだってしたこともあるのに? ――


  直接言葉にされなくてもイオスが言いたいことははっきりとわかって、はびくんと背筋を強張らせた。

  ……わかっている。すでに自分達が手をつなぐ以上のことをさんざんしていることくらいにも自覚があった。
  けれど、抱き合ったりキスをしたのは、いつだってちょっとお互い精神的に普通じゃない、不安定な時だったから、その場の雰囲気に流されてというか、そういうものだと無理矢理割り切っていたのだ。酒の席での行いを翌日「よく覚えてなくて」などと言い訳するような、そんな類のものだと。

  ……そうでもして忘れなければ、とてもイオスの顔など見られなかったからだ。

  実際、この前シャムロックを見送った時も、その後イオスは何も言わなかったし態度も変わらなかったから、彼とて同じ考えなのだと思っていた。

  ――だが、今日は全く事情が違う。
  とてつもなく心を揺るがすような何かが起こったわけでもなく、いわばお互い素面(しらふ)なのだ。そんな状態で平然と手をつなぐなど――やはり、出来ない。恋人ではないのだから、そう簡単にしてはいけないと思う。ある意味危険なことにさえ思える。

  ……イオスにとっては、何の意味も無い、ただの戯れなのかもしれないが。
にとって、それは息も出来なくなるくらい胸をしめつける、とても切なく苦しいことで――……。


 
  いつになくくじぐじと聞き分けのないことを言い続けるに、イオスの表情がますます険しいものになる。
  大勢の人が行き交う中央大通りはふと気を抜けば簡単にお互いを見失ってしまう程の混雑だ。はぐれないためにも手をつないでいた方が懸命だとイオスは考える。
  それに、せっかくの祭だ。どうせ誰も見ていないのだし、手に触れるくらいのことはさせて欲しい。
  はっきりと口にはしていないが、イオスとしては、今日は正真正銘「デート」のつもりなのだ。
  ふたりきりで過ごせる、貴重な貴重な一日。年に一度の特別な日に彼女との思い出が欲しかった。

  なのに、この少女ときたら――……!

  恥ずかしがる姿はいじらしいと思う。初心(うぶ)な反応にはいつだって自然と口許がほころんでしまう。だが、こうまで意固地になるのはいただけない。
  うつむき続けるのつむじを見下ろすうちに、イオスはだんだん腹が立ってきた。

(……あの男の時は逃げもしなかったくせに、何で僕じゃ駄目なんだ)

  ふいに、先日のシャムロックとのやりとりが思い起こされて、ますます気分が悪くなる。

  あの日以来、イオスはに対する自分の心が明らかに狭くなったのを感じていた。正確には「彼女と他の男との接触」に関してだ。
  こんなこと口が裂けても言えないが、テテの治療を目的に毎日彼女が通う召喚師の部下にも嫉妬した。上司――ルヴァイドと話したり頭を撫でられたりしているのを見ても、思わず手が止まってしまう程だった。

  自分以外に、彼女に想いを告げた人間がいる。そのことが、イオスから余裕とい名の類ををすっかり奪い去ってしまったのだ。
  ずっと自分だけのものだと思っていた少女を失うかもしれないという可能性。そのショックはあまりに大きかった。

  もうこれ以上他の男に関わらないで欲しいという我侭な感情に支配される。今の関係が壊れることを怖れてあと一歩を踏み出す勇気が無いくせに、焦りばかりが募ってゆく。
  情けなくも揺れる心を持て余し、自嘲のため息ばかりを繰り返していた。だが、こればかりはもうイオス自身にもどうしようもないことなのだ。

  ……そんな時だからこそ、今日彼女とふたりで祭を楽しめたら、この落ち着かない独占欲も少しは収まるのではないかと思っていた。ふたりきりで恋人のように寄り添えたら、やはり彼女は自分のものなのだと、どんなことがあっても変わらず自分のそばにいてくれるのだということを再確認できる気がしたのだ。

  ――けれど彼女は、イオスの手を拒んだ。恋人ではないから、と。


  だったら――……。



  いくばくかの沈黙の後、イオスの顔つきが変わった。



  すう、と深く息を吸い込む。肺を満たす。
  決意が逃げないよう、彼はぎゅっと唇をかみしめた。
 



「――だったら。
ちゃんとした恋人同士なら、手をつないでもいいんだな?」
「――えっ?」

  思いがけないイオスの言葉にははじかれたように顔を上げる。
  意味がわからず視線を合わせたイオスの瞳があまりに真剣な色をしていて、はっと息をのんだ。

、僕は」

  イオスの口が動く。
  彼は、何かを告げようとしていた。何か、とてつもなく大切なことを……。

  思いつめた深紅のまなざしが、の動きを封じた。


(な……に……?)


  どくん、どくんと心臓が跳ねる。涙が出そうな程胸が痛かった。

  何故だろう、彼の言葉を聞いたら全てが変わってしまうような気がして、次に来るその瞬間がはたまらなくこわかった。けれどこの瞳の前では震えることすらゆるされなくて、視線の呪縛に息も出来なくなる。

  イオスの唇が開かれる。


  ――予感がした。


  告げられるのは、おそらく、きっと。彼女にとって、最後の審判――……。


「僕は」

  イオスが、言った。

「僕は、君が――……」







  縫いとめられた時間が進む。結審への秒針が動こうとしたその刹那、イオスの口から言葉が紡がれるより一瞬早く、大通りに突如賑々しいファンファーレの音が響き渡った。

「さあさあ皆さんお待ちかね! 豊漁祭名物、大抽選会の始まりです!
今年も金の派閥提供の豪華商品が目白押し! 一等は賞金に加え、なんと聖王都四泊五日の旅! しかもお泊りはゼラム最高級ホテル・ミラコスタのスイートルームにご招待だー!」

  あちこちに躍り出たたくさんのピエロ達が開始宣言をするやいなや、そこら中から地をも揺るがす大歓声が湧き起こった。
  ――豊漁祭の目玉の一つである、金の派閥主催の抽選会が始まったのだ。

  期待に目をらんらんと輝かせた人々が一斉に会場である広場へと走り出す。
  そんな催しがあるとはつゆ知らず、間抜けにも道の真ん中で棒立ちになっていたイオスとは、なす術も無く人雪崩に巻き込まれてしまった。

「う、うわっ!?
お、押すなっ……!」

  謳い文句の通り、抽選会は相当豪華な賞品が用意されているらしい。我先にと群がる人の波にもみくちゃにされ、うっかりそのまま広場まで流されそうになるのをなんとか堪えてようやく人混みから脱出したイオスは、息をつく間もなくはっと辺りを見回した。


  ――が、いない。


  イオスの顔からさっと血の気が引いた。

!?
おい、どこだ! !?」

  ――返事は無い。
  歓声をあげる人の群れの中にあの黒髪が見当たらない。



  ――どうやらはぐれてしまったらしい。



  あまりのタイミングの悪さにイオスは思わず天を仰いだ。
  伝え損ねた言葉が照りつける太陽にかき消される。からまわりした想いはむなしく風にさらわれる。
  色んな意味で、全てにおいて、まさに最悪としか言いようがない状況だった。


  本当に――最悪だ。


〜……ッ!
ああもう、だからあれほど言ったのに……!」

  こうなるのが容易に予測出来たからこそ、手をつなぐべきだと主張したのに。彼女が駄々をこねて言うことを聞かなかった結果は案の定これだ。

  名前を呼ぶ。人混みの間から懸命に背を伸ばし周囲を見渡す。けれどイオスが血眼になって探しても、の姿はもうどこにもなかった。

  頭を抱えてうずくまりたくなる衝動を必死に堪える。勘弁してくれ、とイオスは心の中で叫んだ。


  個人的な感情とはまた別に、イオスはたとえ一時たりとも彼女をひとりにするわけにはいかない、そうする責任があるのだった。この点に関しては、外出許可を求める際ルヴァイドからもきつく言い含められている。


  理由は簡単。――聖女一行がこの街に滞在しているからだ。


  いくら捕獲任務が凍結中とはいえ、本来イオス達はファナンを訪れるべきではない。
  けれど、年に一度の貴重な日をどうしても逃したくなかった――に祭を見せてやりたかったのだ。
  イオスが召喚してしまってからというもの、彼女には醜い世界ばかり見せていたから。リィンバウムにある楽しいもの、美しいものを、何でもいい、ひとつでも多く知って欲しかった。

  幸い、豊漁祭時のファナンは大勢の観光客でごった返している。まさにお祭り騒ぎの街中に私服姿で紛れ込めばそうそう見つかるものではない。
  あとは、彼等の根城である下町界隈には近づかないことと、万が一の接触すら起こらないようイオスが密かに目を配っていればすむことだ。
  今日はあくまで観光であり、わざわざ休みの日にまでいらぬ争いをするつもりはない。これは他の旅団員達も同様で、一見ふざけているようでも皆きちんと考えて行動しているのだった。


  だが、をひとりで放り出したら――。一体何が起こるがわかったものではない。


(もしあいつらに……あの男にでも会ったらどうするつもりなんだ!)

  それに、とイオスは苛立ちもあらわに己の髪をかきむしった。

  祭にはさまざまな輩が来る。そう、たとえばあまり堂々とお天道様に顔向け出来ないような連中も。
  あの子のようにいかにも育ちのよさそうな顔をした少女がうっかり裏路地にでも迷い込んだら、それこそ人買い商人辺りにさらわれかねないのだ。

  ――ただでさえリィンバウムで黒髪黒目は珍しい。それに何より――……。


「自分が可愛いんだってことちっとも何にもわかってないだろ、あの子はッ……!」


  イオスから見れば、多少惚れたゆえの贔屓目はあるにしろ、それにしたって彼女は人並み以上に可愛いと思う。
  にも関わらず、 私なんて、と卑下してばかりいるから、彼女はそういう類への危機管理意識が全くもって足りていないのだ。親切そうに声でもかけられたら、何の疑いもなく簡単にひょいひょいついて行ってしまいそうである。


  ――聖女一行やら、ガラの悪い連中やら。ファナンはまだ、可愛いがひとりで歩くには危険すぎる街なのだ。

  だから手をつないでいようと言ったのに。それなのに。
  親の心子知らずとでも言うのか、まったくほんとに、どうしてこう……!




  苦悩する青年をよそに、祭はますます盛り上がる。
  あざ笑うかのように降り注ぐ大歓声と夏の太陽がたまらなくうらめしかった。



「――ああもうッ!」



  ……特定の形容詞を連呼する辺り、色々と「目のくらんでいる証拠」である思考回路をぐちゃぐちゃに絡ませて。ひとり百面相ショーの後、イオスはがばりと顔を上げた。
  彼女を探し出さねばならない。一刻も早く。


(見つけたらもう何と言おうと絶対に絶対に無理矢理にでも手つないでやるからな!)


  そう固く決意すると、イオスはどんくさい少女が流されていったであろう人混みの先へと一目散に駆け出したのだった――……。