――贖罪。
そう、自分は彼女を救う振りをして、本当は心の奥底で利用しているのだと。
……それなのに、彼女は。
彼女の全てを奪ってしまった自分に、ただやわらかな笑顔でありがとう、と頭を下げる。
「……くそっ!」
の笑顔を思い出すと無性に腹ただしくて、とても寝付けない。
――散歩でもしてくるか。
上着を羽織って、イオスはひとり、物音を立てないようそっとテントを出る。
「満月、か……」
闇色の空には、白い月だけがただ冷たく輝いていた。
召喚術の暴走で、自分が召喚してしまった少女――。
本来、訓練を受けた召喚師以外には、こうやってリィンバウムに留まり続ける存在を喚びだすことは出来ない筈なのに、何かの間違いでこうして留まらせてしまっている少女。
――帰れない、と告げたとき悲鳴をあげて、そして最後に寂しそうに泣いた。しかしその後はどれだけ自分を罵倒しても良いはずなのに恨み言ひとつ言わず、むしろ……「置いてもらっている」ことに感謝し、何とか自分達の役に立とうと毎日必死に働いている。
――「イオスさん」
の笑顔。
「……なんで、笑えるんだ……」
イオスは苛々しながら足元の小石を蹴り上げた。
……いっそ、泣いて責められたほうがよっぽど楽だ。
なのに……。
「くそっ……!」
もう一度、もてあます気持ちをぶつけるように石を蹴り上げた。
跳ね上がった石は数メートル先の茂みへ音を立てて落ちる。
――ボスン!
「……だ、誰っ!?」
「――え?」
誰もいないとばかり思っていた夜の茂みの向こうからか細い声が聞こえて、イオスは思考の海から顔を上げた。
この声は……。
「…………?」
「イオスさん……」
茂みの先に広がっていた小川のほとり。そこには、びっくりして目をこぼれおちそうなほど見開いているの姿があった。
◆◆◆
「……こんなところで何してるんだ……。
夜は危ないからひとりで出歩くなと、あれほど言っただろう? 」
「ごめん、なさい……」
――「はぐれ」が出るかもしれないから、と。どうしても用があるときは他の誰かと一緒に行動するようにと。確かにイオスに念を押された覚えのあるは素直に謝罪を口にした。
「……」
あまりにも素直に謝られてしまってイオスが言葉に詰まる。
気まずそうに前髪を掻きあげてから、彼はそうだ、と先刻問い掛けた言葉をもう一度口にした。
「……あー……で? こんな夜中に一体何していたんだ?」
「えっ? あ、いえ、その……」
イオスの言葉に、何故か慌てた様子のが両手を後ろに隠す。
「?」
「な、何でもないんです。ただちょっと、お散歩に……」
「……?」
ふとの足元に目をやれば、いつも彼女が訓練で使っている槍を模した木製の棒が転がっている。
「……!」
――何かを思い当たったイオスは、の両手をぐいを引き寄せた。
突然手をつかまれて驚いたの頬が紅く染まる。
「ちょ、イ、イオスさっ……!?」
「……そういうことか……」
引き寄せたの小さな手のひらを見て、イオスがふぅ、とため息をつく。
「――肉刺(まめ)だらけじゃないか……」
の白い手のひらは、痛々しい腫れ物だらけになっていた。
「……痛くて……川の水で、冷やしていたのか」
救急箱を持ってきたイオスの手当てを受けながら、がこくん、と頷いた。
「……痛いなら、誰かに……僕やゼルフィルドでもいい。何故声をかけなかったんだ?」
「……」
イオスの問いに、はただ困ったような表情を浮かべて首を振る。
何も言わないの様子に、包帯を巻きながらイオスは小さく舌打ちした。
……おそらく、は夜中ここでこっそり槍の特訓をしていたのだろう。
彼女は素人にしては飲み込みが早いと思っていたが……それはこうやって毎晩自分に教えられたことをひとり反芻していたからなのだ。
――目の前の少女は、戦いすら見たことのない、武器なんて持ったこともなかったただの少女なのだ。そんな彼女が思わぬ上達を見せるのにはそれなりの理由がある筈で。
――それに気付かなかった自分が無性に腹ただしかった。
「湿布を貼ったから……これで一晩置けば、痛みもひくはずだ。
明日になっても痛むようなら、召喚師に頼んでリプシーを喚んでもらえ」
少しは痛みがひいたのだろうか、ほっとしたように息をついてから、がぺこり、と頭を下げた。
「すみません、迷惑ばかりかけて……」
顔を上げてまた小さく笑う。私ってダメね、とでも言うように。
そんなに、イオスの心にまた苦々しい思いが湧きあがった。
――何故だろう。
――どうしてこの少女は……。
「……どうしてだ?」
「え……?」
突然のイオスの言葉にがきょとん、とした瞳を向ける。
無垢な黒い瞳を直視出来ないままイオスが続けた。
「迷惑をかけているのは僕のほうだろう!?
君が謝ったり感謝したりする必要はないんだ。
なのにどうして君は、恨み言も言わずにそうやって……」
――笑えるんだ……
吐き捨てるように言うイオス。
彼の問いかけに、は困ったように首をかしげるしかなかった。
いくばくかの沈黙を置いてから、ようやくが口を開いた。
「その……まだ、ここのことを全て理解したわけではないですけど……。
ルヴァイド様が言っていた通り、本当は私みたいなのがいちゃいけないんでしょう?
それでも、さびしいって泣いた私のために無理して置いてくれてるんですよね?
――だから、迷惑、かけたくなくて……」
足手まといになって、置いていかれたくないから。
そう小さくつぶやいたに思わずイオスが声を荒げた。
「なっ……! 置いていくなんて、今更そんなことする訳がないだろう!
僕は君に責任があるんだ、それに、旅団の誰も君を迷惑だなんて思っていない!」
――迷惑なんかじゃない。
――むしろ、その存在を利用して、僕達は……!
怒鳴り声にびくん、と体を震わせるの様子に、はっとしたイオスは浮きかけた腰をその場に落とした。
「迷惑なんかじゃない。
……迷惑かけているのは、僕なのだから……。
君をここに、喚んでしまった僕に、責任が……」
どのくらいの時間が流れたのだろうか。
押し黙っていたが、きつく握り締められたイオスの手へとそっと自分の手を重ねた。
「…………?」
――あの夜と同じ感触。
驚いて顔を上げるイオスに、は恥ずかしそうにしながらもそっと微笑んだ。
「そんなに自分を責めないで下さい。
それに、あれから色々考えたんですけど……。
――私がここに喚ばれてしまったのは、たぶん、イオスさんのせいだけじゃないんです」
「……え……?」
イオスが訝しげな顔を向ける。
「……ここに喚ばれる前……。
私、すごく嫌なことがあったんです。すごく、傷ついて……」
涙をこらえて廊下を駆けたあの日を思い出し、はそっと目を伏せた。
――ずっと想い焦がれていた人。
孤独ばかりが心を苛む日々の中で、あの人の存在だけが自分を救ってくれた。
だから期待してしまった。あの人も自分を求めてくれているんじゃないかと。
でもそれが違うとわかった時、もう全てを投げ出したくなった……。
「嫌で……それで、もうこんな世界嫌だって、強く思ったから……。
だから、 イオスさんの喚びかけに、応えてしまったのかもしれません……」
意識を失う前、自分は誰かの声を聞いた。今思えば、あれこそがイオスの呼び声だったのだろう。
そして自分は、あの時確かにそれに応えても良いと思ったのだ――……。
事故ではあるが、この召喚が成立してしまった原因は自分にもあるのかもしれない。それが、この一週間でが導き出した結論だった。
「だから、あなただけのせいじゃないんです。
お願いですから、もう自分を責めないで……」
ためらいがちに触れてくる手の温もりから、彼女の優しさが伝わってくる。
イオスは、最後にもう一度だけ、すまない、とちいさくつぶやいた。
「でも……でもねイオスさん。私、決めたんです」
「――何を?」
不思議そうな色を宿すイオスの瞳をまっすぐ見つめてが言った。
「……あの世界にいても、私きっと逃げ出していたと思います……日常の、全てから。
だから……せっかく異世界に喚ばれたのだから、ここでは自分を一から始められるから。
あの世界では私は何も出来なかったから、だから、帰るまでの間……せめてここでは、後悔のないよう精一杯頑張ろうって」
そう言って、にっこりと笑う。
「……そうか……」
目の前には、まっすぐ自分を見つめて微笑む異世界の少女。
泣いて怯えていたあの夜から七日。彼女は、もうただの無力な少女ではなかった。
「――君は、強いな……」
イオスは思った。
やはり、この少女より、贖罪を求めてさまよってしまった自分達――自分のほうが弱いのだと。
そして、そんな自分をこの少女が癒してくれているのだと――……。
◆◆◆
「でもね、喚んでくれたのがイオスさんで、ほんとよかったです」
野営地への帰り道。思いがけないの言葉にイオスがきょとんとする。
「……なぜ?」
だって、とがどこか楽しそうに続けた。
「イオスさん優しいですもん」
――優しい?
――僕が??
それまで一度も言われたことのなかった言葉に、呆気に取られたイオスはぽかんと口を開けた。
「……そう、か……?」
「はい!
旅団の召喚師のひとに聞いたんです……喚ばれた者は、必ずしも召喚主に良い扱いを受けるとは限らないって」
確かに、召喚獣をぞんざいに扱ったり、捨てて「はぐれ」にしてしまう身勝手な人間も少なくない。
「でも、イオスさんは私をもとの世界に帰すって約束してくれて、あったかいミルクをくれました。
だから、イオスさんでよかったなって」
「ミルク……?」
そういえば、あの夜彼女に飲ませた気がする。
「……そんなにあれ、気に入ったのか?」
イオスの問いに、はそれはもう、と頷いた。
「甘くて、あったかくて、おいしかったです」
――ああ、とイオスは思い出す。
女の子だから……甘い方が好むかと思って、蜂蜜をひとさじ入れたのだ。
「あんなあったかいミルクをくれる人だから、きっとやさしい人だって……
この人のことは信じていいんだって思ったんですよ、私」
の言葉に、イオスは思わず歩いていた足を止めてしまった。
――あんな、誰にでも作れるたった一杯のミルクで?
――それだけで、自分を信用したと?
「……っく、はははは……!」
「なっ……なんで笑うんですか!」
突然笑い出したイオスにが顔を真っ赤にして抗議する。
「い、いや……君が単純で良かったなぁと」
「――――っ、イオスさんっっ!」
バカにされた、とすねたが、もう知りませんと言ってスタスタ前を歩き出す。
そんな彼女の後姿を見て……ふとイオスは手を伸ばした。
彼女の手に。
「……えっ? あの、イオス、さん……?」
いきなり手をつながれて驚いた少女の声が裏返る。
戸惑いながらもどうしたんですかと問うにただ微笑んで、イオスは手をつないだまま歩き出した。
小さなぬくもりが心地よかった。
……このぬくもりが、二度も自分に許しを与えてくれたのだ。
小さいけれど、とても強い。異世界の少女のぬくもり。
「――」
「は、はい?」
「……あんなのでよければ、またいつでも作ってあげるから」
イオスの言葉に、少女はしばらくきょとんと目を瞬いて。
「……はい……!」
生まれて初めて男の人に手をひかれているこの状況に頬を赤らめながらも、はこくんと頷いたのだった。
満月の光が、二つの影を作る。
――自分はこの先、またこの手を血に染めていくのだろう。
それでも、自分を信じてくれたこの少女だけは護ってゆこうと。
月明かりの下、イオスは静かにそう、誓った。
第3夜 END