悲鳴の上がった路地裏。とっさに飛び込んだ が見たものは、血の滲む腕を抱えたまま腰を抜かしている中年の女と地面にはいつくばってうめき声を上げる幼い少女。
そして、爬虫類のようなつめたい瞳で少女を見下ろす痩せた男と、相対するように立つ見知った少女達の姿だった。
少女達――トリス、アメル、ミニス。そしてもう一人、まだの知らない女がいた。
オレンジ色のウェイトレス衣装に身を包んだ彼女は、手にした銃口をまっすぐに男へと向けている。お祭り騒ぎの街が嘘のように、裏通りには緊迫した空気が流れていた。
「ユ、ユエル!
トリス! 一体何がどうなってんだいっ!?」
モーリンの怒声にトリスがはっとこちらを振り向く。だが、視線の先に思いがけない人物の姿を見つけて彼女の紫紺の瞳が大きく見開かれた。
「ええっ!? !? どうしてここにーーー!?」
「ああもう説明は後だよっ!
どういうことさ、何でおばちゃんがケガしてて、何でユエルが泣いてるんだい!」
素っ頓狂な叫びを上げたトリスをモーリンが一喝する。
厳しいモーリンの声音にトリスもはっと我に返った。
「こいつ、ユエルの召喚主なのよ! でも……」
「ユエルさんを無理矢理操って暗殺の道具に使おうとしているんです! 彼女の意思とは関係なくね!」
「何だってえっ! 本当なのかいパッフェル!」
「ええ! ……それがこの人達の……組織のやり方なんですよ!」
トリスの言葉を銃を構えた女――パッフェルが引き継ぐ。アーモンド色の瞳が怒りに揺れていた。
「ひどいっ……何てひどいことを!」
「アナタ一体ユエルを、召喚獣を何だと思ってるのよおっ!」
涙を滲ませながら激昂するアメルとミニスを、男――ユエルの召喚主・カラウスはせせら笑った。
「こいつは俺が呼んだんだ、どうしようと勝手だろう。
それより、この場を見られたからには……お前達をこのまま帰す訳にもいかないなァ!」
カラウスがそう言うなり、一体どこに隠れていたのか、辺りの影から五、六人の男達が姿を現しトリス達を取り囲んだ。
驚愕に目を見張る少女達に、外道召喚師が甲高く叫んだ。
「やっちまえ!
さあユエル、お前も仕事だぞ――やれえっ!」
「――ッアァァァァウ!」
主の声にユエルの身体が大きくのけぞる。
真っ赤に泣きはらした少女の瞳からみるみるうちに意思の光が失われ、口許からは悲鳴の代わりに獣の声が漏れ出した。
「ウゥアウ、グルル、アァァァァァウウ!」
「いけない、ユエルさん!」
ただならぬ気配を誰より早く察知したパッフェルが慌ててユエルを取り押さえようとする。
だが、それより一瞬早く、ユエルはまるで狼のように大きく跳躍した。
「ウウアアアアアアアアア!」
「ハハハハハハ! そうだ、やれユエル! まずはそこの娘からだ!」
服従の鎖に縛られたユエル。絶対の命令により定めた獲物は――あまりの出来事にただ呆然とその場に立ち尽くしていた――。
ユエルと目が合い、の肩がびくんと跳ねた。
(――っ!?)
爪と牙を剥きだしにして襲い掛かってくるオルフルの少女が自分を攻撃しようとしているのに気付き、ははっと息をのむ。逃げろと本能が強く警告するのだが、初めて見る少女の変貌とはらわたを冷やすような恐ろしい咆哮に足がすくんでしまって動けない。
「だめえっ! ユエルーーーーーーーーーーー!!」
悲痛な叫びは誰のものだっただろうか。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
雄叫びを上げ懐に飛び込んできた異界の少女。混乱したは、とっさにその小さな身体を――思わず抱きとめてしまった。
――まるで、泣き叫び暴れる幼子を抱きしめるように。
(ど、どどどどうしよう!)
何故自分がそんな行動に出てしまったのかわからず、だがこの至近距離で離すわけにもいかず、はますます混乱する。
だが、細腕に捕らえられ暴れ狂うかと思われたユエルは、それまでの行動が嘘のようにぴたりと全身の動きを止めた。
やがて、小さな身体がかたかたと震え出す。頭を抱きこんでいる胸元に何かなまあたたかい雫が触れたのを感じて、は驚いて少女の顔を覗き込んだ。
交わった視線。――ユエルの瞳は、獣の狂気ではなく、再び確かな意思の光を宿していた。
そんな彼女の唇からぽつりと言葉がもれる。
「……メイトルパの、におい……」
「えっ……?」
呆然としたようにを見つめ、ユエルは泣いていた。
一体何が起こったというのか、少女の瞳からは堰を切ったように次々と涙が溢れ出した。
「ユ、ユエル……ユエル、メイトルパにかえりたいよう!
もうひとごろしなんてしたくないよう……うあああああああん!」
「あ、あなた……」
「トリス、トリス!
お願い殺して! これ以上だれかを殺す前に、おねがいユエルをころしてえええっ!」
の腕の中で、オルフルの少女は子供のように泣きじゃくる。
あまりに哀れなその姿に、は頭を何かで殴られたかのような衝撃を受けた。
――突然のことで、いまださっぱり状況が飲み込めないのだが。
それでも、この小さな女の子が、懐かしい故郷から遠く離れたこの世界で、無理矢理望まぬ行為を強いられているということだけはわかった。
少女の空色の瞳が涙で濡れる。
メイトルパの者達が持つ、自然の色を映し出す美しい瞳。草原の先に広がる晴れ渡った空のようなユエルの瞳が、デグレアに残してきた大好きな護衛獣と重なって、は心臓を鷲掴みにされたかのような、息が止まるほどの切なさを覚えた。
……そうだ、この子は。
(テテと……わたしと、同じ)
見知らぬ異世界たったひとり、突然呼ばれた存在。――仲間、だ。
テテと同じメイトルパの女の子。そして自分と同じ立場である女の子が泣いている。その事実を認識した瞬間、の頭からは迷いや疑問などというものが全て吹き飛んでいた。
――泣かせなくない。
――死なせたくない――……!
この子が誰であろうと関係ない。想いはただ、ひとつ。
「……なせ、ないっ……」
ちいさくつぶやいて、はユエルを抱きしめる腕に力をこめる。再度確かめた震えるぬくもりに、口が勝手に言葉を紡いだ。
「だめっ……そんなの駄目! 死なせません!
テテと同じメイトルパの子を死なせたりしないっ!」
――メイトルパの子。傷つけられたメイトルパのちいさな命。
の脳裏に、いつかの砦の出来事がフラッシュバックした。
あの時、力無き自分のせいで大切な大切なテテを護ることが出来なかった。
あんな想いはもうたくさんだ。同じ過ちは絶対にしない。メイトルパの子は助ける。絶対に助けなければいけないのだ――……!
「な、なん……で……?」
何故かメイトルパの香りがする、初めて会ったはずの不思議な女の人。
我を忘れて襲い掛かった自分を抱きしめた腕。母のようなぬくもりに包まれて、ユエルは困惑した。
どうしてこのひとは、自分を拒まないのだろう。傷つけてしまったあのおばちゃんのように、怯え近寄るなと突き飛ばさないのだろう。
早くしなければ、またいつ操られるかわからないのに。次に意識を手放したら、今度はきっとこの女の人を殺してしまう。だから先にユエルが死ななければいけないのに。
早く、早く。もう人殺しは嫌だ、いや――……!
「だめ、だめ……ころして、はやくユエル、ころ……!」
「――本当にそれでいいの? ユエル」
その時、ふたりの頭上から静かな声が降り注いだ。
抱きすくめられたまま、の肩越しにあがくようにして顔を向けたユエルの瞳に映ったもの。それは、嵐の前の海のように不思議と凪いだ表情を浮かべたトリスの姿だった。
「……あなたは、本当にそれでいいの?」
「ト……リス……」
「それって本当に、ユエルが望んでいること!?
――ユエルのウソつき! 殺されてもいいなんてこれっぽっちも思っていないくせに、どうしてそんな悲しい嘘ばっかりつくのよっ!」
初めて目の当たりにしたトリスの怒り。紫紺の瞳に滲んだ涙が己のためなのだと気付き、ユエルの唇がわなないた。
何かを伝えたいのに胸がいっぱいで言葉が出ない。苦しそうに顔を歪めるユエルの頬をトリスの震える指先がそっと撫でた。
「助けてって言えばいいんだよ……!
あたし達、友達じゃないっ……!」
「ともだ、ち……」
トリスの嘆きが、ユエルの心をがんじがらめに縛り付けていた鎖に触れた。
その言葉は、誓約の魔力さえ焼き切ってしまうほどの熱いあつい焔。
心がゆるやかに溶かされていく。本当の願いがあらわになる。
大粒の涙を宙に舞わせて。の腕の中、とうとうユエルは叫んだ。
「……しになく、ない……。
ユエル死にたくないよおっ! 助けて、助けてえええーーーーーー!」
夏の空にこだましたユエルの願いを、トリスは確かに受け止めた。
「助けてあげる!
あたしが、あたし達が、絶対にユエルのこと……助けてあげるからねっ!?」
燃える瞳でそう叫ぶなり、トリスは剣を片手にカラウスへと飛び掛る。それを合図にパッフェルとモーリンが彼女の後に続き、ミニスも召喚の詠唱を始めた。
反撃の構えを見せる少女達にカラウスはいまいましそうに舌打ちをする。
「この、おとなしくしていれば痛い目見ずにすむものをッ!」
苛立ちもあらわにそう言って、カラウスは次々と攻撃の召喚術を繰り出す。配下の男達もそれぞれの得物を手に少女達の前へと立ちはだかった。
剣と剣のぶつかる音。石畳を撃つ召喚術。路地裏は一気に混戦状態となった。
「――さん! ユエルちゃん! 大丈夫ですか!?」
戦いの中、カラウスの放つダークブリンガーを避けながらアメルが必死の表情でふたりの元へと駆け寄ってきた。
ユエルをきつく抱きしめたまま、耳に届いた懐かしい声には顔を上げる。
「アメルさん――……!」
だが、優しい少女の名を口にしたところで、の顔からさっと血の気が引いた。
「あぶないっ! アメルさん、うしろーーーー!」
「えっ……!?
き、きゃあああああああっ! 」
路地裏に響いた絹を裂くような悲鳴に、その場にいた全員がはっと動きを止める。
見れば、カラウス配下の男がひとり、アメルの腕をねじりあげ拘束していた。
「ア、アメルッ!」
愕然とする少女達に、カラウスはしてやったりとばかりにやりと哂った。
「おお、よくやった!
よーし動くなお前らッ! 動いたらあの娘の命は――……」
だが、喜色満面で高らかに勝利を宣言しようとしていたカラウスの言葉は不自然な所で途切れた。
一瞬前まで確かにアメルを捕らえていた筈の男が、突然くぐもった声をあげたかと思うとずるずるとその場に崩れ落ちたのだ。
「きゃっ!?」
いきなり戒めから解き放たれたアメルもつられて転びそうになる。しかし、バランスを崩した彼女の腕を背後から伸びた手が支えた。
「――大丈夫か」
「え……っ!
あ、あなたはっ!?」
振り返り、自分を助けてくれたのが誰なのかを知って、アメルは双眸を大きく見開く。
驚く彼女をよそに、その人物ははあ、とひとつため息をついた。
呆れた様に細められるのは――輝石のような紫の瞳。
「――で?
一体君はこんな所で何をしているのかな――?」
――それは、の心を震わせる、大好きな大好きなひとの声。
「イ、イオスさん――……!」
感極まったの瞳に映ったもの。それはまぎれもなく、数刻前はぐれてしまったはずのイオスの姿だった。
(イオスさん――イオスさんイオスさんイオスさん……っ!)
――彼が来てくれた。イオスが助けに来てくれたのだ!
イオスの姿を見た瞬間、の胸から抑えきれない愛しさが溢れ出す。だが、今はそれどころではない。思わず抱きつきたくなる衝動を必死に堪え、はあわてて叫んだ。
「あ、あのね、イオスさんっ!
こ、この人達――わ、わるいひと! ですっ!」
あまりに拙さ過ぎる少女の説明に、眩暈を覚えたイオスは思わず額に手を当てた。
「……まあ、そうらしい、な……?」
黒髪の女の子を見なかったかと必死になって聞いてまわり、何とか辿りついた路地裏。いかにもゴロツキが出そうなこの場所でようやく見つけた彼女は、案の定トラブルに巻き込まれていた。
――よりによって、聖女一行と鉢合わせという最悪のオマケ付きで。
(だからどうしてこうなるんだ……!)
イオスとしては、何故か見知らぬ少女――耳の形を見るにおそらくどこかの召喚獣だろう――を庇うように抱きかかえしゃがみこんでいるに今すぐ小一時間ほど説教をかましたい気持ちで一杯だったが、何やら物騒なこの雰囲気はそれを許してくれそうにもなかった。
「な、なななんだ貴様はあああっ!?」
いきなり現れ部下をひとり沈めた金髪の青年にカラウスが声を張り上げる。
「とりあえずこいつらを片付けなきゃ始まらないってことか……」
地団駄踏んでいるカラウスを面倒くさそうに一瞥したイオスがぽつりとつぶやく。
肩慣らしをするかのように一度腕をまわしたイオスは、唖然としているアメルを無理矢理自分の背後へと押し込んだ。
「え!? あの、ちょっと……」
「――おい」
無機質な声で呼ばれ、反射的にアメルはびくっと全身をすくませる。
そんな彼女をちらりと振り返ったイオスは、再びちいさくため息をついてからこう告げたのだった。
「護ってやるから、下がってろ」
……美しい金の髪を潮風になびかせ、例えどんなにぶっきらぼうであっても耳に甘く染み込む声音でそんなことを言うイオスの姿は、いつか彼女も例えたことのある――さながらお姫様のピンチに白馬に乗って駆けつける王子様そのもので。
彼は、自分を狙う敵。
燃え上がるような憎しみは持てなくても、決して心を許してはいけない存在なのだ。
そうわかっている――わかっているのだが。
それでも一瞬、さすがのアメルも――頬を染めるしかなかったのだった。