call my name
 立ちはだかる敵は六人。構えを見るにそれなりの訓練を受けた輩のようだったが、軍人であるイオスからすれば素人も同然だった。当然、瞳に焦りや恐怖は浮かばない――けだるげに揺れる紅の色。

「こ――こんのガキがあっ! 舐めた真似しやがって!」

  あまりに余裕綽々なその態度に業を煮やした一人の男がイオスに斬りかかる。それに全く動じることも無く襲い来る相手の首に鋭い手刀を叩き込んだイオスは、悲鳴を上げ無様に地面を転がる男の手から剣を奪った。
  ――が、手にした剣を一目見るなり思わず顔をしかめた。

「……ナマクラ……」

  あまりにお粗末なつくりの剣に――もっとも、常にデグレア最高の武器職人による特注品を使っているイオスからすればどんな武器でも粗悪品に映るのだろうが――呆れ、こんなものを使うくらいなら素手の方がましだとばかり乱暴に剣を投げ捨てる。その態度がますますカラウス達を激昂させた。

「きっさまああ! そんなに死にてえのかッ!」

  男たちの瞳からトリス達を相手にしていた時のような下賎な色が消え、一気に殺意へと変貌する。
  イオスは再び面倒くさそうに前髪をかきあげた。

(さて、どうするかな)

  密かに隠し持っている短剣を出してもよかったが、武器を持っていることが知れたら後々やっかいなことになりそうな予感がした。
  ……それに、剣の存在をに知られたくなかった。ただ軍人の心得として携帯しているだけの短剣だが、ファナンには「観光」に来ただけで「任務」ではないという言葉が何だか怪しくなる。どんな些細なことであれ、彼女を怯えさせたりましてや疑われたりするのは絶対に嫌だった。

(面倒だが、素手でいくか……)

  やれやれと肩をすくめた後、前方を睨んだイオスはゴロツキ共を片付けるべく腰を落とす。だが、彼が石畳を蹴ろうとしたところで、路地裏に突然聞き覚えのある声が響いた。

「おいてめえら大丈夫かッ!?」
「ユエルが変な召喚師に捕まったって聞いたんだけどこいつらないのかい!?」
「――って、ああッ!? イ、イオスーー!?」

「リュ、リューグ、ロッカ、マグナさん!」

  イオスの後ろで、アメルが遅れてやってきた仲間達の名を呼ぶ。

  息を切らして駆け込んできたのはレルムの双子、そしてトリスの兄であるマグナ。
  モーリンから話を聞き、同じくユエルを探してようやくここに辿りついた彼等は、巡り会った思いがけない人物の姿に驚きの表情を浮かべた。

「――うわっ! までっ!? 一体何がどうなってるんだよこれーー!?」
「ちょ、ちょっとマグナ落ち着いて! 今それどころじゃないんだってばあ!」
「何だ、まさかまたアメルをっ!?」
「ち、違うのよリューグ! そうじゃないの!
イオスさんは今あたしを助けてくれたのよ……!」
「はァ!? ど、どういうことだよッ!?」
「それは本当なのかい? アメル……!?」

  素っ頓狂な叫び声を上げるマグナをいさめるトリス。先走って勢いづくリューグを止めるアメル。予想だにしなかった状況に戸惑うロッカ。
  三人の乱入で路地裏はますます混乱を極める。だが、唐突に騒ぎの中心を射抜いた黒い雷に、大騒ぎを繰り広げていた面々ははっと現実に引き戻された。
  慌てて前を見れば、空高く杖を掲げたカラウスが憤怒の形相を浮かべていた。

「まったく次から次へと何なんだ貴様らはあッ!
ええい、もう全員まとめて殺しちまえーー!」

  地団駄踏んで怒鳴り散らすカラウスに、子供達の騒ぎを前に一瞬あっけに取られていた部下達も再び荒々しい気配に身を包みめいめいが定めた獲物へと武器を振るう。

  ……問いただしたい事は山のようにあったが、トリスの言うとおり確かに今はそれどころではない。とにかく迫り来る刃を退けることが先決だった。

「――ちっ!」

  舌打ちをし、リューグも愛用の斧を手に襲い掛かる敵へと応戦する。
  何度か刃を交え、やがてリューグが繰り出した斧の柄が男のみぞおちをしたたかに打つ。恨みの言葉を吐きながら気を失った男が路上にのびたのを確認したところで、リューグはいきなり背後から何者かに突き飛ばされた。

「う、うわッ!?」

  容赦なく背中を蹴られ、リューグは数歩たたらを踏む。
  何とか転ぶのを堪え振り向いた先に憎き金色の髪を見つけ、リューグの眉がつりあがった。

「てっめえええ! なにしやが――……ッ!?」

  突然のイオスの蛮行に一気に頭に血が上ったリューグだったが、つかみかかろうとした次の瞬間、先程まで自分がいた場所にカラウスが放ったダークブリンガーが墜ちたのを見て声を失った。

(今の召喚術……。
蹴られてなかったら――オレに当たってたのか?)

  ……まさか、イオスが自分を助けたとでもいうのだろうか。いやそんなことがある筈もない。だがこれは一体……。

  呆然とするリューグを、イオスはフンと顎を上げせせら笑った。

「――未熟者」
「な、何いィッ!? てめえもう一回言ってみやがれーーー!」

  額に青筋を浮かべて拳を振り上げるリューグを一瞥し、イオスは残された敵のもとへと向かう。

  ――正直な所、イオスとしてはこの周りが見えていない血気盛んな斧使いがどうなろうと知ったことではないのだが、たまたま狙われているのに気がついてしまって、放っておくのも何だか面倒で、かといって助けてやるために手を引いてやる義理もなければそんなのまっぴらで、そうこうしているうちに何もかもがどうでもよくなってきて次第に腹が立ってきて、気がついたら足が勝手に動いていた。

  がむしゃらに武器を振り回す男達を八つ当たりのように拳で沈めながら、あまりに突拍子も無い今の状況に、イオスは次第に気が遠くなってゆくのを感じていた。

  何が悲しくて、本来なら捕獲の対象である聖女とその一行に手を貸したり、あまつさえ一緒に戦ったりしなければならないのだろう。いっそ泣きたくなった。

(……恨むぞ、

  ちらりと目をやれば、は心配そうにこちらを見ながらも青い髪の少女を護るように胸に抱きしめている。
  よくはわからないが、どうやらが抱えているあの娘が騒ぎの元凶らしい。あの子を助けるため、無我夢中で飛び出してしまったとか、そんなところだろう。
  小さな存在を助けたいと願うこと。それは、ごく当たり前の正義感とか、衝動なのかもしれない。
  だが、聖女一行相手というのはどうにも具合が悪すぎた。

  再びイオスの口から漏れるのは嘆きのため息。

   ――いくら任務が凍結中とはいえ、幾度となく国が望み狙ってきた連中をなりゆき上であれ助けたなどと知れたら、それこそ査問委員会に呼び出され嵐のような糾弾を受けるだろう。

  貴重な彼女との時間を潰され、危ない橋まで渡らされ。
  しかもその原因は他ならぬにあって、でもきっと彼女とて不可避の出来事だっただろうから怒るに怒れなくて――。行き場のないむなしさに、誰でもいい、背中のひとつも蹴りたくなるのが道理だった。

(やっぱり、手を離しちゃいけなかったんだ)


  さて、肝心のお姫様はそこのところをわかっているのやら。


  とにかく、早く全てを片付けて彼女を捕まえよう。改めてそう心を決めたイオスは最後の敵、カラウスへと目標を定める。

「ぎゃあッ!」

  イオスの手刀を受け、配下の男達同様地面に伏すかと思われたカラウスだったが、がくりと膝をついた所で、外道召喚師は予想外の行動に出た。

「闇の剣よ墜ちろ! ダーク……」
「なッ!?」

  自暴自棄に陥ったのか、己をも巻き込む至近距離で詠唱を始めたカラウスに対し、イオスが初めて驚きの表情を浮かべる。

「――くっ!」

  イオスの退避が早いか、カラウスの呪文完成が早いか。刹那の駆け引き。

  しかし、カラウスの召喚術は完成することなく消滅した。

「な……に?」

  次に来るであろう衝撃を覚悟していたイオスは、あっけなく消えた闇色の光にしばし目を瞬く。
  ――見れば、赤い髪の斧使い――リューグのまわし蹴りが、カラウスの顔面へとそれは見事に決まっていた。

「ぐあああ――ッ!」

  情けない悲鳴を上げ、顔を抑えたカラウスはもんどりを打って石畳に倒れる。
  到底起き上がれそうにない敵の様子を確認してから、リューグはイオスを振り返った。

「――さっきの言葉、まるごとテメエに返してやるぜ」

  そう言って向けられるのはたっぷりの侮蔑と挑発を込めた鋭い視線。
  だが、瞳を合わせた瞬間リューグの顔に浮かんだ表情を前に、さすがのイオスも言葉を失った。

  射るような眼光とは対照的に、してやったりとばかり嬉しそうに上がる口の端。
  それは、敵に対してというより。まるで、喧嘩に勝った時の餓鬼大将のような――……。

  心に奇妙なむずがゆさを覚え、イオスはわずかに柳眉を寄せた。
  イオスを負かしたことが単純に嬉しいのだろう。こらえきれない満足感を滲ませる聖女一行の斧使い。だが、本来この男とイオスはこんな……まるで良き好敵手のようなやりとりが許される関係ではないはずだ。

(こいつ――僕を助けたってことわかってるのか?)

  仮にも自分は彼等の故郷、レルムの村を焼き討ちにしたのである。いくら任務上のこととはいえそれが恐ろしい罪であることをイオスとて理解していたから、今更己の行動を弁解するつもりもないしその資格もないと思っていた。
  だからこそ、彼らレルムの人間には憎まれ罵倒されることはあってもこうして助けられることなどありえない、あってはいけないはずなのに、斧使いは復讐の刃を向けるどころか村の仇を葬り去る絶好の機会を逃してしまったのだ。

  まっすぐイオスを睨んだまま動かないリューグの瞳。そこに己と共通する何かを見つけ、イオスは彼から目をそらせなくなってしまった。

  赤茶の瞳に浮かぶのは、厳しさと――戦う者だけが知る悦び。

  ――助け助けられ、同じ敵を倒すべくひた走る。
  戦場における一瞬の交差は、戦う者の心に押さえきれない高揚感をもたらすのだ。

  背中合わせで戦う、愉しさ――……。


  わずかの間、イオスもそんな思いにさらわれかけて。だが、視界の隅に聖女の姿を捉えるなり、彼はすぐに現実へと引き戻された。

  まるで嘘のように、イオスは浮き足立った頭から血の気がひくのを感じた。

  あの亜麻色の髪は、熱くなったイオスの心を容赦なく凍えさせる。
  あれを狙って村ひとつさえ滅ぼした己の罪が容赦なく浮き彫りになる。


  ――今目の前にいる者達は敵なのだということを忘れるな、と、心に打ち込まれた楔が疼くのだ。

  そう、忘れてはいけないのだ。

  けれど――……。


「きゃっ!?」

  睨み合うイオスとリューグをよそに、ふいに響いた小さな悲鳴。
  見れば、一度地面に伏したカラウス配下の男がふらつきながらも起き上がり、聖女――アメルの行く手を塞いでいた。

「アメルッ!」

  異変に気付いたリューグが慌てて少女の名を叫ぶ。
  だが、彼が駆け出すより一瞬早く、イオスの足が石畳を蹴った。

  風のように素早い動きでアメルを庇ったイオスは、男の鳩尾に拳を沈める。
  苦悶の声を上げ今度こそ地面に崩れ落ちた男の姿を眺めるイオスが遠くを見るような目つきになった。

  ――甘いのだ。何もかも。

  仇を前に殺意を表さない聖女達も、何故か彼等と縁を持ってしまうも、そして任務凍結を言い訳にして聖女を捕らえずむしろ手を貸しているイオス自身も――……。

(こいつらも馬鹿だが
……一番愚かなのは、僕か)

  ああ、と漏れる自嘲の笑み。
  本当に、軍人失格。特務隊隊長失格もいいところだ。

(これじゃ、を叱れやしない)

  ……死んでも認めたくはなかったが。心の奥底に封印していた後悔とか懺悔とか、そんな思いがふとした瞬間にこぼれてしまって、甘さとなって、敵を敵と判断出来なくなる。だから、こんなことをしてしまうのだろうか。

  そんな人間くさい感情なんてとっくの昔に捨てたはずなのに、どうして今更蘇ってしまうのだろう。無駄だと、聖女一行なんてどうでもいいと思っているのに、どうして自分はの手をひいてこの場から離れず、かといって捕獲することもせず、馬鹿正直に戦ったりしているのだろう。どうして。

  彼等も、自分も、もう全ての行動が理解出来ない。あまりの混乱に吐き気さえ覚えた。

(とんだ茶番だな)

  皆が皆、敵を前にこの有様。
  ここにいる誰もが、存在を嘆きたくなるほどどうしようもなく甘くて愚かなのだ――……。


  アメルの手を引いたまま自暴自棄に駆られ動けないでいるイオスを、結果的に捕まえられている状態になってしまったアメルがおずおずと見上げた。

「あ……の。
ええと、あ、ありがとう、ございました……」

  離してと身をよじる前に少女の口から発せられたのは感謝の言葉。
  だからどうして警戒する前に敵に対して礼を言ったりするんだと、イオスの胸に苦いものが広がった。

「……もう少し気をつけるんだな。
戦場でお前のような回復役……後方支援者が倒れたら、仲間にどれだけの損害を与えると思ってる」
「す、すみません……」
「馬鹿野郎、何やってんだよアメル!
イオス! 今すぐアメルを離せッ!」

  イオスの忠告を最もだと思ったのだろう、素直に謝ってしまったアメルをリューグが怒鳴りつける。
  そのまま今にも飛び掛ってきそうなリューグの剣幕に、イオスはすんなりと聖女の手を離した。
  あまりにあっけなく解放され、拍子抜けしてしまったレルムの二人はしばし顔を見合わせる。怪訝そうな表情を浮かべる彼等に、イオスは感情のこもらない眼差しを向けた。

「別に、命令さえなければ僕は聖女になんて興味はない」

  すました顔でお前達などどうでもいいと告げるイオスに、かちんときたリューグが思わず声を荒げた。

「はッ、今更何言ってやがる!
ああそうかよ、だったら命令さえあればレルムの時みたいになんでもやるってことだな!?」
「――それが軍人だ」
「こ……のッ!
やっぱりお前等は最低の――……!」

  カラウスと戦った時のやりとりなどはすでに忘却の彼方に追いやられ、場の空気が一気に張りつめる。
  だが、再び互いを敵と認識した彼等の間に突如小さな人影が割って入った。

「や、やめて! やめて下さいっ!」

  揺れる黒い髪。両手を広げ、まるでイオスを護るようにリューグの前へと立ちはだかったのは。


「…………」


  嘆きと呆れが入り混じった複雑な声音で、イオスが少女の名を呼んだ。






◆◆◆





  ユエルをトリスに預け、無我夢中で言い争う青年達の間に飛び込んだは、震えるくちびるをきつくひき結んで真正面にいるリューグを見つめた。
  強い光を宿した漆黒の瞳に捕らえられ、リューグの喉から出掛かっていたイオスへの罵声が干上がった。

「そ、そこをどけ! オレはイオスに話が……!」

  不意を突いた敵の少女の登場にさすがのリューグも出方を見失う。
  両手を広げ、まるでリューグの視線からイオスを庇うかのようにまっすぐ前を見据えていたは、次の瞬間、格好はそのままに首だけを勢いよく下へと垂れた。

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」

「……え……?」

  頭を下げ、必死に叫ぶ少女に、一体何事かと居合わせた全員が呆然とした表情を浮かべる。
  ただひとり、イオスだけがこうなることがわかっていたとでも言いたげに天を仰いだ。

「こんなことを言える立場じゃないのはわかっています! でも、今日は本当にお祭を観に来ただけなんです! 戦いとか、そんなつもりは全くないんです!
わ、……私が」

  釈明するの声が震えた。
  ――叫びながら、改めて気付いたのだ。結果的にイオスが責められるような、こんな状況を作ってしまったのは――やはり自分なのだと。
  愚かな自分が悔しくてくやしくて、イオスにも、トリス達にも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「私が、ローウェン砦のあと、ずっと落ち込んでいたから……。
だからイオスさんは、無理をして私をここに連れて来てくれたんです」

  こぼれそうになる涙をきつく地面を睨むことで懸命にこらえる。
  皆の視線が突き刺さるように痛い。だが、ここで退くわけにはいかなかった。
  自分で撒いた種は自分で片付けなければならない。こんなことまでイオスに背負わせてはいけないのだ。

「ここに来たのも、ここにいるのも、全部私のせい。悪いのは私なんです。
だからお願いです、イオスさんを責めないで――……!」

  イオスを責められたくない。彼を悪く言われたくない。
  ごめんなさい、ごめんなさいと、はまるで壊れたオルゴールのように何度も何度も繰り返し続ける。




……」

  小さな背中で精一杯イオスを庇おうとするその姿に、イオスはきつく拳を握り締めた。
  どうしてまた、こんな風にが自分を責めるような事態に陥ってしまうのだろうか。
  こんな彼女の背中を見るためにファナンに連れてきたのではなかった。

  ……敵がいる街に訪れるなど、確かに浅はかだったのかもしれない。
  でも、それでもいい、何とかして彼女に笑顔を取り戻したかったのだ。

  笑って欲しかった。ただそれだけだったのに。

  やさしく頬を撫でる潮風さえももはや恨めしい。

  ほんの僅かな時間でいい、年に一度だけのこの夏の青空の下、全てをを忘れて祭の空気に心弾ませたいというささやかな願いさえも、自分達には許されないのだろうか――……。

 

  誰も動けないでいる中、路地裏には遠い喧騒と少女の哀願する声だけがかなしく残響する。
  重苦しい沈黙。やがて、それを破ったのはモーリンが両手を打ち鳴らす乾いた音だった。

「はい、そこまでだよ!
まったく、今日は年に一度の祭だってのに、皆していつまでこんな薄暗い路地裏にたむろしてる気だい!?」

  場違いなほど底抜けに明るいモーリンの態度に、詰まらせていた息を吐き出した一同は抗い難い脱力感に襲われる。
  苦虫を噛み潰したような顔のリューグが呆れて言った。

「おい、モーリン……」
「何さリューグ? まだあの金髪の兄さんと見つめあっていたいのかい?
だったらあたいは止めないけど」
「ば、馬鹿野郎ッ! アホなこと言ってんじゃねえ!」

  冗談を真に受け地団駄を踏むリューグをモーリンが笑い飛ばす。だが、彼女の瞳は笑ってなどいなかった。

「じゃあリューグはどうしたいのさ。
黒の旅団に関してはレルム出身のあんた達に決定権があるから、もし今ここでイオスとを捕まえたいて言うんなら協力もするよ。
でも――それで、いいのかい?」

  イオスを責めて、を謝らせて。それが望みなのかと問われ、リューグはぐっと言葉に詰まる。
  答えはもちろん否だったからだ。

  黒の旅団には、デグレアには、いずれ罪を認めさせ償わせなければならない。それが、レルムの生き残りとしての自分の使命だ。
  イオスは憎い。だが、こんなのは違う。涙交じりの声で謝り続けるの肩越しに槍使いを責めても何にもならないのだ。

  押し黙ってしまった弟の心境が手に取るようにわかって、それまで沈黙を守っていたロッカが一歩前へと出た。

「……黒の旅団がやってきたことを許すことは出来ません。
けれど、それ以上に僕達が望んでいるのはアメルの安全です。
彼等を捕らえたらデグレアが黙ってはいないでしょう。戦う気がないと言っている相手に対してわざわざそんな危険を買って出るつもりはないですよ」
「そ、そうです。
それに、今日は……むしろ助けてもらったわけだし……」

  ロッカの言葉をおずおずとアメルが引き継ぐ。
  これ以上争う意思はないというレルム出身者の意思を確認して、モーリンは満足げに微笑んだ。
  次に彼女は眉をしかめているイオスへと視線を移す。

「どうだい兄さん、聞いてのとおりさ。
それに、今日は祭ってんで人出も多いし、だからこそ金の派閥の警備隊もいつも以上に揉め事にゃ目を光らせてる。
こんな日にわざわざ何かしでかすほど――あんたらも馬鹿じゃないだろう?」

  おちゃらけた物言いながらも、モーリンは挑むようにイオスを睨む。
  彼女の瞳は、自分のシマで好き勝手はさせないという強い決意を示していた。
  釘をさされ、イオスはお手上げだとでも言うように両手を挙げてみせた。

「……本当に、馬鹿ばっかりだな……」
「テ――テメエなああ! やっぱり許せねえ!」

  相変わらず口の減らないイオスにとうとうリューグの堪忍袋の尾が切れる。しかし、怒りを露にする斧使いなんて目に入らないかのようにイオスがぽつりともらした。

「僕も含めて、だ」

  どこか陰りを含んだイオスの物言いに、皆がはっとする。

  敵と味方。加害者と被害者。追う者と追われる者。
  やむを得なかったにしろ、あれほど争っていた自分達が、何の因果かその一線を越えてしまったのだ。


「とにかく、何度も言うように、僕個人はお前達なんてどうでもいい。……それだけだ」

  再び息苦しいまでの沈黙が辺りを支配しそうになったが、かろうじてイオスの言葉がこれをかき消す。それを受けて、最後にモーリンは未だ頭を下げたままのへと向き直った。

「ほら、あんたもいい加減顔上げな。
まったく、この子はいつでも謝ってばっかりだねえ」
「モーリン、さん……」

  ポンと肩を叩かれ、はようやく広げていた両手を下ろす。
  おそるおそる見上げた先のモーリンは、とても優しい表情をしていた。

「皆でユエルを助けた。
とりあえずさ、今日のところは、それでいいんじゃないの?」
「そ、そう、だよ!」

  モーリンの背後からちょこんと顔を覗かせた小さな人影。
  こちらが揉めている隙に逃げ出したカラウス達をパッフェルに任せ、トリスの手を取ったユエルが、ようやく涙の乾いた空色の瞳でを見上げていた。

「あ……。
も、もう、大丈夫?」

  たまらず心配そうな声を出すにうんと頷いて、行っておいでとトリスに背中を押されたユエルはゆっくりとの前に進み出た。

「あ、あのね。名前、聞いてもいい?」
「えっ?
あ、私は、……」
……。あのね、ユエルはユエルって名前なんだよ。
ねえ、はメイトルパから来たの?」

  唐突なユエルの言葉にはぱちくりと瞳を瞬く。
  相手がびっくりしているのに気がついて、ユエルが慌てて補足した。

「えっとね! その、からメイトルパのにおいがしたから、そうなのかなって思ったんだけど……」

  しばらく首をひねっていただったが、ユエルの言葉にようやく合点がいった彼女はああ、と頷いた。

「確かに私も召喚獣だけど、でも、名も無き世界から来たの。
においは、きっと護衛獣がテテだからじゃないかな……? いつも一緒にいるから、それで」
「テテって、あの帽子が大好きなテテ?
はテテと仲良しなの?」

  懐かしいメイトルパの仲間の名前を聞いてユエルの瞳がきらきらと輝く。
  そんなユエルを見ていたら何だかとても嬉しくなってしまって、自然との頬がゆるんだ。

「うん、今日は一緒じゃないんだけどね、本当に大切なお友達なの。とっても可愛いんだよ」
「そっかあ……。
いいなあ、いつか会ってみたいなあ……!」
「じゃあ、今度会えたら一緒に遊んでくれる? きっとテテも喜ぶと思うから」
「いいの、いいの!?
じゃあね、約束!」

  満面の笑顔で差し出された小さな手に、も頷いて小指を絡める。
  ところどころ血が滲んでいたけれど、あたたかくてやわらかい手。傷つけられ、一度は殺してと泣き叫んでいたこの小さなぬくもりが失われることなくすんで本当によかったと、は心から安堵した。
  喜びにじわりと涙を浮かべるに、つられてユエルもぐすっと鼻をならす。慌てて目をごしごしとこすったオルフルの少女は、改めて自分を護ってくれた優しい人を見上げた。


助けてくれて、ありがとう……!」

  まさか自分がお礼を言われるとは夢にも思わず、呆気にとられたはぽかんを口を開ける。
  だが、その口許がゆっくりとほころんでいった。

「――うん……!」

  今度こそ、メイトルパの子を護ることが出来たのだ。
  感激のあまりは再び泣きそうになる。そんな彼女の肩に大きな手が触れた。

「――もういいか?
そろそろ、行くぞ」
「あ……」

  振り返れば、困ったような顔をしたイオスがそこにいた。
  自分がいつまでもここにいられる立場ではないことを思い出し、慌てては表情を引き締める。
  次は、イオスに謝らなければならないのだ。

  ――謝らなければいけないことがあまりに多すぎて、もう許してもらえるのかさえわからないのだが……。

  手を振り払ってはぐれた上に、イオスにとんでもない迷惑をかけてしまった。今頃になって彼に合わせる顔がなくて、はばつが悪そうにイオスから視線をそらす。
  怯える亀の子のように首をすくめた少女に、イオスはふうとため息をついた。

「……まったく。せっかくの服を汚すようなことをして……」

  やれやれと言いながら、イオスはの服や膝についた砂を払ってやる。
  緊張に身を縮ませていたは、予想外に優しいその手つきにびっくりして顔を上げた。

  彼は怒っていないのだろうか。
  まだ自分とお祭を楽しんでくれるのだろうか……。

  胸がぎゅっと締め付けられて、たまらない切なさに息が苦しくなる。
  何を言ったらいいのかわからなくて、でも何かを言いたくて、のくちびるが震えた。

「ほら、行くぞ」

  ぶっきらぼうにそう言って、イオスはの手を掴み歩き出す。
もイオスに導かれるままに一歩前へと進む。

  その時、彼等の背後でああっと大きな声が上がった。

「あ――そ、そうだ! 待って!」
「え……?」

  トリスに切羽詰った声で呼び止められ、の足が止まる。
  まだ何かあるのかと、イオスの瞳が怪訝そうに細められた。

「ト、トリスさん? どうしたんですか?」
「ほら、アメル! あれよあれ! ええと、レナードさん!」
「……あっ!?」

  トリスの言葉に、不思議そうに首をかしげていたアメルがはっとした表情を浮かべた。

「あ、あのね、! ステイツのロスって知ってる?」
「ス、ステイツ? ロス?」

  トリスの言っている言葉の意味がわからずはただ狼狽する。
  だが、ややあって彼女の瞳が大きく見開かれた。

  ――ステイツ。ロス。
  長い間耳にしていなくて忘れていたが、その言葉はむしろ馴染みのあるものではないか。

  でもどうしてトリスがそんな言葉を知っているのだろう。

  未知の恐怖感にの心臓がどくんと跳ねた。

「も、もしかして……アメリカのこと、ですか……?」
「そうそう、それ!」
「じゃあやっぱり、そうなんですね!」

  おっかなびっくり返って来たの答えに、トリスとアメルがにわかに色めきたつ。
  わけがわからず目を白黒させるに、興奮に頬を赤く上気させたトリスが言った。

「あのね
私達の仲間にと同じ世界から来た人がいるのよ!」

「え……ええっ――……!?」


  異世界リィンバウムに、同じ世界の人間がいる。

  突如降って湧いた嘘のような話に、はただ驚いてその場に立ち尽くし――イオスはきつく口の端を噛み締めた。