「に、日本といえば?」
「ハラキリフジヤマスシゲイシャ……」
「ア、アメリカといえば?」
「自由の女神、ホワイトハウス、ハリウッド、ラスベガス……」
「日本の首都は?」
「ト、トーキョー……」
「ステイツの首都は?」
「ワ、ワシントン……」
「……これで最後だ。宇宙飛行士の名言といえば……?」
「「ち、地球は青かった……!」」
最後の回答が綺麗にハモる。
ファナン食通の間でいまひそかに話題となっているシルターン屋台「あかなべ」。そこで向かい合う少女と中年の男――と、レナード。
ひとしきり質問を繰り返した二人は、じいっと互いの顔を見合わせて動かなくなる。
皆が固唾を呑んで見守る中、沈黙を打ち破ったのはレナードの明るい叫び声だった。
「グレイト! グレイトだぜ嬢ちゃん! お前さん本当のジャパニーズだな!」
「おじさまも本当にアメリカの方なんですね! うわあ、地球だ、同じだあ……!」
感激のあまりを抱きしめたレナードに、店の入り口でひとり彼等の様子を窺っていたイオスの眉がぴくりと上がる。だが、思わず一歩前へと踏み出しかけたイオスの足は、の心底嬉しそうな笑顔を前にこれ以上進むことは出来なかった。
レナードにぐりぐりと頭を撫でられそのまま胸へと顔を押し付けられて、は息苦しそうにしながらも逃げようとはしない。
むしろその表情はこぼれんばかりの興奮と喜びに溢れており……初対面の相手に対して全く警戒心を見せない、まるで親に甘えるかのような彼女の様子に、イオスはそっと瞳を伏せて店へと背を向けた。
瞼に隠れる前、紅玉の瞳に落ちたのは刹那の陰り。
予想外の遭遇に直面し、はイオスの不自然な態度に気付く余裕など無い。
ようやく熱いハグから解放されたは、頬を上気させてレナードを見上げた。
――トリスに言われるがまま連れられてきたここ、あかなべ。
いきなり同郷の人間がいると言われても、は正直半信半疑だった。
召喚されてからこれまでずっと、この世界で認知されている異世界はロレイラル・シルターン・サプレス・メイトルパの四世界であり、他の世界は出所も存在も解明されていない全くバラバラの世界、多々在るその曖昧な世界をまとめて「名も無き世界」と呼ぶのだと教えられてきたからだ。
事実、イオスはもとよりデグレアの誰ものいた世界のことなど知らなかった。だから、自分は召喚獣の中でも特に異端なのだと思っていた。
だが、現れたレナードは、間違いなくと同じ「地球」から来た人間だった。
自分は決してひとりではない。同じ世界の人間がちゃんと同じリィンバウムで生きている。その事実がはたまらなく嬉しかった。
「私、ずっとリィンバウムには地球から来た人なんていないと思っていたんです。本当に、夢みたい……!」
「そうか、嬢ちゃんの周りには全然いなかったんだなあ。
俺も実際会ったのは嬢ちゃんが初めてだが、他にもいるらしいぜ? ええと、どこの街だったか……西の方の、サ……サイ……?」
「――サイジェントですね。
ちょうど貴女と同じくらいの若者がいるんですよ。確か元の世界ではニッポンのコウコウセイだったとか」
カウンターの内側で話を聞いていた店主・シオンが助け舟を出す。
それを聞いて、たまらずはがばりと身を乗り出した。
「こ、高校生!? 今高校生って言いましたか、店長さん!?」
「ええそうですよ。
もともと私はサイジェントに店を持っていましてね。その若者とも顔なじみだったものですから話は色々と」
「す、すごい……高校生もいるんだ……!」
驚きの連続に、もはや足に力の入らなくなってしまったはへなへなと木の椅子に座り込む。
だが、その顔には幸せそうな笑みが浮かんでいた。
「ひとりぼっちじゃ、なかったんですね……わたし……!」
異世界リィンバウム。幸いにも黒の旅団という恵まれた環境におかれ、何不自由なく日常を過ごしているだったが、それでも心のどこかにどうしても埋められない隙間があった。
自分だけが皆と違う。世界でただひとり違う。同じ世界を知る人間が誰もいない。それは、自分の存在が限りなく不安定であることを意味していて、時折、本当にあの世界……日本での過去があったのかさえわからなくなることすらあった。
日本という国や、地球と言う場所が存在するのかさえも、己の記憶でしか証明できないという心細さ。
世界で唯一人という途方もない孤独は、人の心から確証や自信を奪い取ってしまうものなのだ。
時が経つにつれ、過去が曖昧になってゆく――それは、ゆっくりと心を蝕んでいく、恐怖。
けれど、レナードがいたことで、は己の故郷と過去が確かに存在するという証を、自分は決して出所のわからない曖昧な存在ではなかったという自信を取り戻せたのだ。
少女が抱いていた不安が痛いほどよくわかるレナードは、の小さな肩に力強く手を置いた。
「大丈夫だ、嬢ちゃんはひとりなんかじゃねえよ。ちゃんと地球の仲間がいるんだ。
そうだ、いつかそのサイジェントの連中にも会いに行ってみようぜ! な!」
「――はいっ!」
異世界での生活に差し伸べられた一条の光。
同じ世界の仲間を得られた喜びに、目の端にうっすら涙を滲ませながら、は万感の思いを込めてしっかりと頷いた。
曇り空からのぞいた青空のように、きらきらと輝く少女の瞳が宿しているのは、この異世界でも生きていけるのだという、勇気。仲間がいるという心強さだ。
の顔に浮かぶのは幸福の笑み。
――この時、屋台の外でひとり腕組みをして耳を傾けていたイオスがどこか寂しそうに嘆息したことに気付く者はいなかった。
◆◆◆
「ところでさ。ねえ、お腹空いてない?
大将……シオンさんのこれ、ものすごーく美味しいから食べてみて欲しいんだけど」
「ふふっ、感動の出会いを祝して一杯ご馳走させて下さいな」
夢中になって地球の話をしていたとレナードの間にトリスの声が割って入る。驚くに対し、遠慮せずにどうぞと笑ったシオンがカウンターに丼を置いた。
「あ、あの、そんな……」
突然のことに恐縮しつつも、そういえばこのお店は何を出すのだろうと好奇心に勝てず出された丼を覗き込んでしまったの瞳に映ったのは、どこか見覚えのある琥珀色の液体と灰色の麺。加えて、湯気の向こうに漂うあまりに懐かしい香りに、は驚いて店主・シオンの顔を仰いだ。
「えっ――こ、これって、まさか、お蕎麦ですか……!?」
「あれ!? 、お蕎麦知ってるの?」
てっきりが初めての料理に驚くだろうとばかり思っていたトリスが意外そうな表情になる。
しかし、シオンは物知り顔で口の端を上げた。
「やっぱりご存知でしたか。
これはシルターンの料理なのですが、どうやら貴方達の世界にも同じものがあるようですねえ。
ほら、さっきお話したサイジェントの若者もね、これを食べて懐かしがっていたものですから」
貴女のお口にも合うかと思いましてと言われ、は丼とシオンを交互に見ながらこくこくと頷く。
ふんわり鼻孔をくすぐる鰹節の匂いも、上に乗せられたやわらかそうなおあげも、が元の世界で大好きだった蕎麦そのものだ。
久しぶりに見た大好物に、の喉がごくりと鳴る。そういえば、時刻はちょうどお昼時だ。
「さあ、さめないうちに食べてみて下さい」
「あ、あの……じゃあ、い、いただきます」
目の前には抗いがたい誘惑。あまりの懐かしさと空腹を刺激するそれに、少女は断る術を持たない。
シオンに勧められるがまま、はこれまたずいぶん久しぶりとなる箸を手に取る。
そのまま吸い込まれるようにちゅるりと一口麺をすすった彼女は、広がった記憶どおりの味に目を大きく見開いた。
「ほ、本当に、お蕎麦……!
店長さん、これ、すごく美味しいです!」
それは間違いなく、の大好物そのものだった。
まさかこの異世界で蕎麦が食べられるとは夢にも思わず、はすっかり舞い上がってしまった。
――同郷の人間。故郷の味。
二度と触れられないと思っていた数々に出会うことが出来て、閉ざされていた未来が急に開けたような、そんな高揚感でいっぱいになる。とにかく嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
「あ、あのこれっ! イオスさんにも……っ!」
興奮のあまりいてもたってもいられず、は丼と箸を手にガタンと音をたてて立ち上がる。
――例えば、ものすごくきれいなもの、とか、笑いが止まらなくなるくらいおいしいもの、とか。そんなものに出会ったとき、人はこの喜びを誰かと分かち合いたいと切に願う。
今この瞬間、真っ先にの脳裏に浮かんだのは――もちろん、イオスの姿だった。
彼に大好きなふるさとの味を知って欲しいとすっかり夢中になってしまったは、少女の突然の変貌にただぽかんと口を開けているレナードとシオンを置き去りに、一目散にイオスのもとへと向かった。
「――イ、イオスさんっ!」
店の外にしつらえてある木製のテーブルセットにひとり腰掛けていたイオスは、いきなり飛び出してきた少女に驚いて顔を上げる。
さらに彼は、息を切らせて駆け寄ってきたが手にしている物を見て目をまるくした。
「……? な、何で丼なんか持って…・・・」
「あのねイオスさんっ! こ、これ、お蕎麦っていうんです! 私の世界にもこれと全く同じものがあったんですよ! 味も本当に一緒なんですっ! ね、ね、すごいでしょう!?」
「おい、ちょっと、落ち着いて……」
いつになくらんらんと目を輝かせるの勢いに、気おされたイオスは思わず身を引いてしまうのだが、当のはそんなのお構いなしとばかり早口でまくしたてた。
「元の世界でね、私、これ大好きだったんです!
すごく美味しいですからイオスさんも食べてみて下さいっ!」
ねっ! と言って、は麺をすくった箸を丼とともにずいっとイオスの口許へと差し出した。
「…………」
少女の行動に、イオスはぴしりと音を立てて固まるしかなかった。
石のようにひきつった頬がぴくりと震える。
「…………」
しばらくの間、差し出された箸との満面の笑顔とを交互に見つめていたイオスは、ややあって盛大に肩を落とした。
もはや今日何度目になるであろう長いながいため息をつきながらもう一度を見上げる。相変わらず喜色満面な彼女にもう一度はあぁと嘆息して、とうとう観念したイオスはぱくりと箸に口をつけた。
ちゅるりと音を立てて麺をすする。ゆっくりと味わってから蕎麦を飲み込んだイオスは、再び期待をおさえきれない眼差しで自分を見下ろしているに視線を合わせた。
「……確かに、美味い、な」
「――っ、そうでしょう!? でしょうっ!?」
願った通りの答えにが笑み崩れた。
――自分が大好きな自分の世界の味を、イオスも美味しいと言ってくれた。
世界の違いなんて飛び越えて同じ想いを共有出来たことが嬉しくて仕方がなくて、は天にも昇る心地に包まれる。
(なんか、すごく……幸せだなあ)
そんな想いが頭をかすめた。
――ひとりうっとりと自分の世界に酔いしれていると反比例するかのように、イオスは次第に能面のように白い顔になってゆく。
そのままたっぷりと時間をかけて、右手に箸、左手に丼という出で立ちのままとろけそうな表情を浮かべているの姿を眺めていたイオスだったが、やがて彼は静かに口を開いた。
「ところで、?
――君は今、自分がどういう状況で、どういう人達の前で、どういうことをやったのか――わかっているのかな?」
腕組みをしてにっこりと笑いながら、けれど瞳だけはまるで悪戯をした子供を諌める時のような色を宿して、イオスは座ったままじっとの瞳を見つめる。
「……え……?」
言われている意味がわからず、少女はきょとんとしたまま全身の動きを止めた。
「なにを、って……」
自分は、ただ。
――どういう状況で?
(トリスさん達に案内されて、この屋台に来て、レナードさんに会って)
――どういう人達の前で?
(だから、トリスさん達の前で)
――どういうことを?
(お蕎麦があって、美味しくて嬉しくて、イオスさんにも食べて欲しかったから、お箸で――……)
お箸を。
イオスの、口に――……。
「――っああああああああああああっ!?」
耳をつんざくようなの悲鳴が澄み切ったファナンの空にこだまする。
動揺のあまりの手から零れ落ちた箸をイオスが鮮やかにキャッチした。
「……人前で餌付けの真似事をされるとは、さんはいつからそんな大胆な女性になったのやら……?」
あからさまに張り付いた笑みを浮かべながらそれはそれは嘆かわしそうに語るイオスに、は一瞬にしてつま先から頭まで真っ赤に染まった。
「わ、わたわた、わたし……っ!?」
「まーったく、こんな公衆の面前で、あーん、なんて、ねえ?」
「いやああああああああああああっ!」
ようやく自分が何をやったのか自覚したは、丼を持ったままただおろおろするしかない。
ふと痛いほどの視線を感じて頭を動かせば、そこには屋台からと同じように赤く染まった顔を突き出してこちらを窺っているトリス達の姿。
興味津々な野次馬達と目が合って、の混乱に拍車がかかった。
「あ、あのっ、わたし、わたしはただ、イオスさんにお蕎麦、たべてほしくてっ……!」
恥ずかしさのあまり視界が滲む。頬が燃えるように熱くて、ろれつがまわらなくて、もうどうしたらいいのかさえわからなかった。
いくらお蕎麦が嬉しかったとはいえ、どうして自分はこんなことをしてしまったのだろうか。許されるのなら今すぐこの場から逃げ出したかった。
「わたし……っ!」
すっと瞳を細めてこちらを見上げるイオスの呆れ返った表情が何よりつらくて、は言葉を詰まらせる。
今にも泣き出しそうに顔を歪ませるに、イオスはとうとう天を仰いだ。
(……手をつなぐのはあんなに嫌がったくせに、どうしてああいうことを無自覚でやるかな……)
ただでさえ、今は聖女達に同行しているなどというとんでもない異常事態なのである。
正直な所、派閥の少女――トリス――に呼び止められた時、イオスはそんなもの無視して一刻も早くを連れて立ち去りたかった。
けれど、同じ世界の人間がいるという言葉にが抗えるはずもない。それに、の召喚主である以上、彼女が望むのならば会わせてやるべきだと思ったのだ――たとえ、それが敵側の人間であったとしても、だ。
彼女はやむを得ずデグレアに所属しているのだから。イオスにとっては敵であっても、にとっては違うのだから……と……。
けれど、イオスはデグレアの軍人として、聖女一行と同じ屋根の下に入るわけにはいかない。と同じ行動は許されないのだ。
だからこうして、ちくりと痛む胸を抱えながらもひとり外で待っていたというのに――。
夢中で駆け寄ってきた彼女の気持ちが嬉しくないと言ったら嘘になる。
けれど、今ここでにやけた顔をさらすわけにもいかなくて。
とことんトラブルメーカーな彼女に、正直ちょっと呆れ返っているのも事実だったりして。
泣きたいのはこっちだと言いたいのをぐっと堪えて、さてどうしたものかと思案しながらイオスはけだるげにのけぞらせていた首を正面へと戻す。
だが、に声をかけようとしたイオスの瞳が、ある一点でぴたりと動かなくなった。
「イ……イオス、さん……?」
こちらを向いたままみるみる厳しい表情を浮かべるイオスに、怒られるのだと思ったは思わず肩をすくめる。
だが、いくら待ってもイオスの声は聞こえなくて。やがて彼が自分ではなくずっと後方を見つめていることに気付いたは、ゆるゆると後ろを振り返った。
……振り返って。そこによく知った人物の姿を見つけて。
祭のファナンに、本日二度目の甲高い悲鳴が響き渡る。
――の瞳にうつったもの、それは。
「……え、ええと……。
とりあえず、お、お元気そうで何よりです、……さん」
屋台を前にひとり佇みながら、こちらも引きつった笑みを浮かべているシャムロックが、そこにいた。