call my name
「ほら、新しいの買ってきたからもう泣くな」
「ううっ……な、泣いてなんかないです……っ」
「……あのな、どう見たってべそかいてるじゃないか。
まったく、買った直後に落っことすなんて本当にもう」
「……ごめんなさい。
せっかくイオスさんが買ってくれたのに……」
「……別に、君が好きなら、こんなりんご飴くらい100個でも200個でも買ってあげるけどな」
「……」
ー? 顔赤いぞ? どうしたのかなあ?」
「も、もうっ! 誰のせいだと思ってるんですかー!」

  手にしたりんご飴そっくりに、は頬をまんまるに膨らませる。
  そんな彼女をイオスは大いに笑った。

  ――こんな他愛もないやりとりも、今はただ愛しくて仕方がない。

  露店をひやかしたり、ピエロの曲芸に見入ったり。
  祭のファナンを、イオスとはしっかりと手をつないで歩き回った。
  何かの拍子に手が離れてしまっても、ふたりはもう迷わない。すぐまた手のひらを重ねることが出来た。

  むしろ、今は手をつないでいることの方が自然なくらいで、自分に起こった変化には驚く。

  こうして手をつなぐことが一時はあんなにも辛くて仕方がなかったのに、もうこの手を離すことなんて考えられなかった。
  恥ずかしくないと言えば嘘になる。でも、イオスの手から伝わってくるあたたかな気持ちが腕から胸へと届き心を満たすこの幸せを前に、そんな感情はあまりにちっぽけなものだった。

  手をつないでもらうと、安心する。それは、やっと見つけた自分だけの場所。
  あんなに心を苛んでいたトライドラのことも何もかも今だけはなりをひそめて、ただイオスへの想いだけで頭のてっぺんからつま先まで、自分の全てを包むことが出来た。

  イオスの手をしっかりとにぎって、はもう一度祭の風景を見渡す。

  建物の窓という窓から垂れ下がった色とりどりの布が風に揺れる。虹色の紙ふぶきが舞い上がる。
  空の青。髪に挿した花の赤。互いの頬を染める淡い桜色。

  今まで自分は目が見なかったのではないかと思うくらい、イオスと手をつないで見るファナンの街はまぶしいくらいにあざやかに煌めいていた。


  そして、何より綺麗だったのは、今自分が独り占めしている色。夏の太陽に輝く金の髪。


  ――隣で輝くこの金の色を、は生涯忘れまいと懸命に瞳に焼きつけた。



  彼と手をつなぐだけで。世界はこんなにも美しい。





◆◆◆





  西の空が水色からオレンジ、茜、紫と群青へと移り変わっても、ファナンの喧騒がやむことはなかった。
  むしろ日没後が本番だとばかり、街はいよいよ活気を増す。夜に控えている海上花火大会を前に、人々は麦酒のジョッキ片手にさらに浮き足立っていくのだった。
  人々の熱気に、ランタンや提燈の灯りが蜃気楼のように揺れる。そんな地上を、空に昇った月が静かに見守っていた。

  ――どんな願いすらかなうのではないかと錯覚してしまうような。それは、不思議な不思議な祭の夜。


「ね、イオスさん! さっきのマフラー、絶対ぜったいテテに似合いますよねっ!」
「ああ、うん、そうだなー……」

  露店で買った包みを手にほくほくとご満悦な少女に対し、イオスが苦笑を浮かべた。
  せっかくイオスが気を利かせて年頃の娘が喜びそうなアクセサリーやら洋服やらを並べる店にいくつも立ち寄ったというのに、彼女はそれらには目もくれず、さっきからずっとデグレアに残してきた護衛獣へのお土産探しにばかり夢中になっているのだ。

「それにしたって、テテ用の買い物ばかりじゃないか。
自分のぶんはいいのか? せっかく色んな店があるのに」

  呆れたように告げられた言葉に、はうーんと首をひねってしまった。
  イオスと過ごしているこの瞬間だけでもう胸がいっぱいで、とても物欲まで頭がまわらない。それに、イオスが買ってくれた赤い花以上に欲しいと思えるものなんて見つからないような気がした。

  何やら難しい顔をして考え込んでしまったに、まったくこの子は、とイオスが肩をすくめた。
  まあ、そんなところも彼女らしくて。召喚獣用の帽子やらお菓子やらを嬉しそうに買い込むその笑顔がとても可愛いものだから、イオスは何も言えなくなってしまうのだが……。とはいえ、さすがに勿体無い気がしてイオスはもう一度念を押す。

「本当に欲しいものはないのか? 年に一度だぞ。何か思い出になるようなものとか……」
「お、思い出……」

  思い出、とか、記念、とか。基本的に女の子はそういう類の言葉に弱い。
  もちろんも例外ではなく、急に何か買わなければいけないような気がして、慌てて彼女は辺りの露店を見回した。
  どうしようと焦る少女の瞳に、ふとある店が飛び込んできた。

「……あ」
「ん? あの店が気になるのか?」

  何やらのお眼鏡にかなうものがあったらしく、イオスは彼女の手をひいて、どれどれとその露店を覗き込む。

  人だかりが出来ているそこは射的の露店だった。たくさんの的が並べられており、打ち抜いた的に応じて景品がもらえる仕組みだ。
  なかなかに豪華な景品の数々に、やれ当たったとか外れたとか賑やかな叫びをあげる挑戦者達をかきわけて、イオスが景品が陳列されている棚を見やった。

「欲しい景品があるのか? どれ……って、……あ」

  景品を見た瞬間、説明を聞かずともの望みがわかってしまって、イオスは脱力する。
  隣にいるは、間近で見たお目当ての品にごくりと喉をならす。くぎづけになっている彼女に、イオスは思わずため息をついた。

  ――の視線の先にあるものは、景品棚の中でもひときわ目立つ、大きな籐のバスケットだった。
  持ち手の部分にこれまた大きなリボンが巻かれているそれには、様々な色をしたテテのぬいぐるみがいくつもぎっしりと詰め込まれている。

  愛らしい外見とわんぱくな性格で、テテは子供達にも人気のある召喚獣だった。裕福な召喚師の屋敷で子守役にと喚ばれることも少なくないし、こうして姿をかたどった品も出回っている。もっとも、テテはあくまで召喚獣であり、モデルを得るには召喚師を通さねばならないため、人形などは高級玩具の扱いだった。

  よく出来た可愛いぬいぐるみセット。そこには「一等」の文字が堂々と鎮座していた。


  ――確かに掘り出し物だが、ここまできてやっぱりテテなのかと、イオスはの思考回路が恨めしくなる。


「……今君が何を考えているか当ててやろうか、
「……う……」
「テテを真ん中に、あのぬいぐるみをいっぱい並べたら可愛いだろうなあとか、どうせそんなとこだろう?」
「そ、そぉんなことっ!? な、ないですよっ!?」

  ぬいぐるみが欲しいなどとばれたらまた子供扱いされると焦ったは必死に否定するのだが、不自然に裏返る声が必要以上に真実を物語っていた。
  はあ、と再びイオスの口からため息ひとつ。

「わかったわかった、あれでいいんだな?
――すみません、一回」
「あいよ兄ちゃん、毎度あり!」

  イオスに呆れられたと思い込みひとり落ち込んでいたは、彼が店の親父に小銭を渡しているのを見て、驚きぽかんとイオスを見上げた。

「え、あの、イオスさん……?」
「何びっくりした顔してるんだ。あのぬいぐるみが欲しいんだろう?」
「う、ええと、そ、そうですけど」

  今更否定しても仕方がないので素直に認めるだったが、でも、と表情を曇らせた。

「でもあれ、一等ですよ? すごく難しそうですし、お金無駄になっちゃう……」

  ぬいぐるみを得るのに必要な一等の的は、さすがに何とも撃ち難そうな場所に置いてある。
  無理ですよ、と首をふる少女に、思わずイオスが鼻白んだ。
  ――そんなことを言われるなんて、まったくもって心外である。
  あのなあ、と、露骨に呆れた表情でイオスが少女の瞳を覗き込んだ。



……君は一体、僕を誰だと思っているのかな?」


  手にしたおもちゃの銃を意味ありげにちらつかせてそんなことを言うイオスに、はきょとんと黒い瞳を何度も瞬いた。

  しばらくの間、銃と妙に自信ありげなイオスとを交互に見比べていただったが、ようやく彼の言わんとしている意味に気付いて、少女は「あっ」と小さな声をもらした。


  ――そうだった。今ここにいる人は、ただの一般人ではない。

  ――そう。彼は。


「……特務部隊黒の旅団のナンバー2、特務隊隊長、イオスさま、です……」
「その通り」

  少女の答えに、イオスはフフンと満足げに顎を上げる。

「確かに、僕の専門は槍だけど」

  ほれぼれするほど格好良く銃を構えたイオスが言った。

「銃は、その次に得意なんだ」

  横にいる少女にウィンクまでしてみせて。狙いを定めたイオスが引き金をひく。

  ぱあん! と小気味よい音が響いて。


「おおあたりいいいいいいぃーーー!」


  わあっという大歓声とともに、一等賞を告げる鐘の音が祭の夜空に高らかに響き渡った。






◆◆◆





「イオスさん、ありがとうございますー!」

  両手で抱えるほどもある大きなバスケットを手に、はくるくると回りながらイオスの前を歩く。
  こぼれんばかりの笑顔を見せる彼女に、イオスもつられて笑ってしまった。

「わかったわかった。ほら、ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ」

  ぬいぐるみを取ってもらえたことが嬉しくて仕方のないはすっかり舞い上がっている。

「え? なんですか――って、きゃ!」

  案の定、足元にあった小石に気付かずつまづいた彼女をイオスが素早く抱きとめた。

「やっぱりな。だから言っただろう」
「あ、ご、ごめんなさい……」

  まるで後ろからイオスに抱きしめられるような格好になってしまって、耳元で聞こえる低い声にの心臓が大きく跳ねる。
  これからどうなってしまうのだろうと身を強張らせただったが、イオスはすっと少女の身体から手を離し、再び手をつなぐにとどまった。

「……あ」
「……うん? どうかしたか?」
「い、いえっ! な、なんでもないです……」

  何故だろう。イオスの手が身体から離れた瞬間、安堵とともに奇妙な落胆を覚えて、は慌てて首を横に振る。
  一体自分は彼に何をして欲しいと思ったのだろうか。心に芽生えた予想外の願いに動揺したは、おかしな考えを振り払おうと急いで別の言葉を探した。

「あ、そ、それにしても……。
どこの世界でも、お祭ってだいたい似たような雰囲気なんですね。りんご飴も射的も私の世界とおんなじで、何だか懐かしかったです」
「……そう、か。
どうだ? 異世界の祭は楽しかったか?」

  イオスの問いに、は満面の笑顔でうなづいた。

「はいっ!
私、元の世界でこんな風にお祭を見たことってなかったので……本当に、楽しかったです」

  楽しかったです、ともう一度繰り返して、はそっと瞳を伏せる。
  長い睫毛が少女の顔に影をつくる。だが、そこにはもっと別の陰りがあるような気がして、イオスが足を止めた。
  突然立ち止まったイオスにはあれ? と首をかしげた。

「イオスさん? どうかしましたか……?」

  不思議そうに己を見上げる少女を前に、イオスは気まずそうに視線を彷徨わせる。
  ずいぶんと長い間ためらってから、イオスはようやく口を開いた。


「……なあ、
君は、元の世界に、戻りたいのか……?」


「――え……」

  それは、あまりに唐突過ぎる言葉だった。
  とっさに言葉の意味が理解できず、は呆然と身体の動きを止める。
  金縛りにあったかのように動けなくなってしまったを見て、イオスがしまった、という表情になった。

「や、――ご、ごめん。悪かった。き、聞くまでもないよな。
約束したし、戻りたいに決まってる……」
「……え、ええと……。
ど、どうして、いきなり……そんなこと……?」

  うろたえるイオスの態度が胸に痛くて、はきゅっと唇を噛む。
  幸せな夢から急に覚めてしまったような、悲しい冷えが彼女の足元をすくった。
 にとって、これはいちばん避けたい話題だった。

  ――世界すら違う自分達。イオスへの恋が、やはりかなわぬものだと思い知らされるから。帰そうとしているか否かで、彼の気持ちがわかってしまうから。

  許されるのならば、それはずっと保留にしておきたい問題――……。


  だが、の問いかけに対し、イオスは少し違った答えを返した。

「いや、その、な……。
時々、君の気持ちがわからなくなるんだ……」
「私の、気持ち、ですか?」

  思いがけない言葉にが顔を上げる。
  不安げな色を宿す黒曜の瞳と目が合って、イオスはためらいつつも先を続けた。

「例えば、さ。
昼間のあのレナードって男のことや、屋台の料理にはあんなに喜ぶのに、今みたいにひどく寂しそうに元の世界のことを話したりするだろう?
それが……ちょっとな、故郷が恋しいっていう寂しさとは違うような気がして……」
「……」
「僕の勘違いだったらごめん。本来は召喚した僕がこんなことを言える立場ではないのもわかってる。
でも、ずっと気になっていたんだ。君が、元の世界のことをどう思っているのかって…・・・」
「……」

  硬い表情をして、は貝のように口を閉ざしてしまう。
  気まずい沈黙にイオスはどうしたものかと再びためらったのだが、聞くのならば今しかないと、ついに最後の迷いを振り払った。

  ――イオスには、どうしてもひとつ、に確かめておきたいことがあった。


「ずっと前に言ってただろう?
こっちに来る前に、すごく辛いことがあったって……。それと何か関係あるのか?
聞いてもいいのなら……一体何があったのか、話して欲しいんだが……」


  まだこの世界に来たばかりの頃。満月の浮かぶ小川のほとりで彼女が告げた言葉が、イオスはずっと気になっていた。

  あの時確かに彼女はこう言った。「もうこんな世界嫌だって思った」と。
 を知れば知るほどにわからなくなる。争いもなく平和だったという彼女の世界で、一体何がそんなに彼女を傷つけたのだろう。
  この優しい少女を絶望させるような出来事。それこそが、彼女が時折見せる寂しそうな横顔の理由のような気がしていたのだ。

  召喚したあの夜以来、一度も帰りたいと口にしない彼女。
  召喚主である自分には言えないという部分もあるのだろうが、それにしても、何かがひっかかった。

  一体に何があったのか。イオスは知りたかった。


  だが、イオスが決死の覚悟で告げた言葉に、はひどく間抜けにぽかんと口を開けた。
  それこそ鳩が豆鉄砲を食らったかのように、ただイオスの顔を穴が開くほど見つめたまま、動かない。

「……おい。。……聞いてるか……?」

  いつまでたってもうんともすんとも言わない少女に対し、業を煮やしたイオスが問いかける。
  不安そうな彼の声に、はようやく我に返った。

「あ、ご、ごめんなさい!」

  まさかイオスがそんなことを気にしていたとは夢にも思わず、は驚きのあまりばくばくと跳ねる胸をぎゅっと押さえる。
  ひどく動揺している彼女の様子に、やはり聞いてはいけないことだったかとイオスは後悔した。

「いや、こっちこそごめん。
思い出したくないほど辛いことなら無理にとは言わないから……」
「あ、いいえ、そんなことは、ないんですけど……」

  心底申し訳無さそうに声のトーンを落とすイオスに、は慌てて大丈夫ですと首を振る。
  あー、とか、うー、とか、言葉にならない小さなうめきを繰り返して。はそろそろとイオスを見上げた。

  ――自分がここに来る前に経験したことを、彼が知りたがっている。
  イオスの様子から、おそらく彼はもっと深刻なものを予想しているのだろう。だから、真実を告げたらひょっとして呆れられるかもしれないとも思った。

  でも、それでも――彼が、あのことを知ったら、一体どんな顔をしてくれるのか。
  それを見たいという誘惑にかられてしまうのは――今、自分が彼に恋している証拠。

「ええと……話すのは、別に構わないんですが……。
ほ、本当に、知りたい、ですか?」
「――ああ。知りたい」

  震える声で尋ねたに、イオスは間髪入れずにうなづく。
  真摯にだけを映すまっすぐな瞳。

  ――知りたいと願うのはむしろ自分の方だとは思った。
  愚かだとわかっていた。それでも少女は――誘惑に、勝てない。

  じっとイオスの瞳を見る。
  自分はこれから、きっとイオスの予想を飛び越えるような馬鹿なことを口にするのに。彼があまりに真剣で、何だか急に笑いがこみあげてきてしまった。
  固まっていたかと思えばいきなり表情を崩した少女に、イオスが怪訝そうに眉をひそめる。

「……おい。……?」
「ご、ごめんなさい。
でも、うん……そうですね、確かに私、とっても辛かったので、召喚されたあの瞬間に帰されたりしたら、ものすごく嫌ですね……」

  告げられた言葉の内容と、くすくすと笑う少女とのギャップに戸惑いつつも、イオスは黙って耳を傾ける。
  相変わらず真剣な顔をしているイオスを、うふっと肩をすくめたがいたずらっぽく見上げた。


「笑わないで下さいね?

――イオスさんに喚ばれたあの時――私ね、ずっと好きだった人に告白して、ふられたところでした」




「…………は?」

  が思った通り。あまりに予想外の言葉だったのだろう、たっぷりの沈黙の後、イオスはこれ以上ないすっとんきょうな声を上げる。

  唖然とした表情で口を開けたまま、それきり石のように固まってしまったイオス。
  初めて目の当たりにする、心底驚いた時のイオスの姿。そこには、いつも彼が絶やさず纏っている不可侵のヴェール、おいそれと本心を覗かせないあのポーカーフェイスも見当たらなくて。

  自分の過去が、それほどまでにイオスを驚かせたのだという事実が、不謹慎だとわかっていながらも
――恋する少女にはどうしようもなく、嬉しかった。