call my name
 絨毯の上に転がった小びん。こぼれた砂糖菓子。
 投げ捨てられたマフラーに、逆さまになった籐のバスケット。手足のちぎれたぬいぐるみ。

  そして見上げた先には――怒って真っ赤な顔をしたご主人様。

「――テテっ!」

  頭上から降り注ぐ厳しい声にぎゅっとくちびるを引き結ぶと、テテはひとり外へと飛び出していった。
閑話3 叶わぬ恋とは知りながら
 やみくもに兵舎の中を走りぬけ、中庭の噴水前に来たところで、テテはようやく足を止めた。
  乱れた呼吸が落ち着くと、噴水の縁によじのぼりぺたんと腰を落とす。水面を覗き込むと今にも泣き出しそうな顔をしている自分がいて、テテは両の手のひらでごしごしと顔をこすった。



  ――ファナンのお祭に行くためデグレアを留守にしていたご主人様が帰ってきたのは昨夜遅くのこと。久しぶりに会ったご主人様は兵舎に着くなりすぐに自分の所に来てくれて、ただいまと言って抱きしめてくれた。
  出発前よりも顔色の良くなったご主人様に、テテもほっと胸をなでおろす。色々不安要素はあったが、やっぱりご主人様には外の空気が必要だったのだ。だから、これでよかったのだ。

  ――と、ここまでは良かった。

  一晩明けた今日、ご主人様はファナンで買ってきたたくさんのお土産をテテの前で広げて見せた。
  怪我の治療に役立つ薬はもちろんのこと、テテが大好きなお菓子や寒い時に首に巻くおしゃれなマフラーなどなど。まるで魔法のように次から次へと並べられる品物の数々に、テテは好奇心で瞳をきらきらと輝かせながらそれらに見入った。
  そして何より、お土産のひとつひとつについてその時のお祭の様子を交えていっしょうけんめい説明してくれるご主人様の姿が本当に可愛くて、「あいつ」と一緒でもずっと自分のことを考えてくれていたのだということが一番嬉しかったのだった。

  だが、最後のひとつ。リボンを結んだ籐のバスケットが出てきたところで事態は一変した。

  バスケットの中には赤や青、ピンクといった様々な色をしたテテのぬいぐるみが入っていた。自分にそっくりな姿をしたぬいぐるみにテテは目をまるくして驚いたのだが、そんなテテをよそに、ご主人様はぬいぐるみのひとつを手にとってほうっとせつなくため息をついたのだ。

「これね、イオスさんが射的でとってくれたんだよ」

  せっかく幸せいっぱいだったご主人様とふたりきりの時間に水を差す憎いあんちくしょうの名前に、テテの口がむっとへの字に曲がる。親近感さえ抱いていた目の前のぬいぐるみ達がテテの中で急にエネミー認識へと変わってしまったが、まあ、このくらいは我慢出来た。
  ……しかし。次のご主人様の発言でテテは絶望のどん底へと突き落とされた。

「あのね、テテ……。
もしかしたらね、私とイオスさん、……両思いかもしれないの」

  ……あまりのことに、テテは目の前が真っ暗になった。
  おそるおそる見上げると、ご主人様は心ここにあらずといった様子でぼんやりと宙を見つめていた。
  ――その瞳にテテの姿は映っていない。

「その、ちゃんと告白されたわけじゃないんだけど、でも……何ていうか、その……たぶんね、まちがいないみたいなの。
で、でもね……。私、これからどうしたらいいのかなあ、って……」

  夢見るようにうっとりと、でもどこか切なそうに憂いを帯びた表情で、ご主人様は再びため息をつく。

  この瞬間、とうとう、テテの中でずっとこらえていたものが爆発した。

  頭にかっと血が昇って何も考えられなくなる。とにかく何もかもが嫌で、テテはテーブルの上に並べられていたお土産をめちゃくちゃに床へと蹴落とした。
  驚き悲鳴をあげるご主人様の静止の手すら振り払い、バスケットの中からぬいぐるみをひっぱりだして思い切りふんずける。がぶりと手足にかみついて力いっぱいひっぱる。叩きつける。ひっかく。

  暴れて暴れて暴れ疲れて、ようやくテテが我に返った時には、ご主人様は怒りのあまり目に涙を浮かべ、ふるふると両の拳をわななかせていた。

  そうして冒頭の状態になり――結果、今へと至る。



  回想を終えると、テテはがくりとうなだれた。
  手元を見れば、そこにはひとつだけ持ってきてしまったピンク色をしたテテのぬいぐるみがあった。愛らしかったぬいぐるみはさんざん暴れたせいであちこちの縫い目がやぶれて綿が飛び出し、見るも無残な姿になっている。
  せっかくのご主人様のお土産を台無しにしてしまって、本当に悪いことをしたなあと思う。だが、テテはどうしても我慢出来なかったのだ。
  さっきのご主人様の言葉を思い出して、テテの瞳にじわりと涙が浮かんだ。


  ――両思いかもしれない――


  ……ご主人様があの金髪、イオスのことを好きなのはテテも知っていた。というか今までさんざん話を聞かされてきた。
  ついでに、金髪がご主人様のことを好きなのもわかっていた。というかお互いの気持ちをわかっていないのは金髪とご主人様くらいのものだ。全てははっきりしない金髪が悪いのだ。
  金髪のせいで悩むご主人様がかわいそうで仕方なかった。けれど一方で、テテはご主人様とイオスの想いが通じてしまう日が来るのをずっと怖れていた。


  ――あの金髪にご主人様を取られるのが嫌だったのだ。


  大好きなご主人様。可愛いご主人様。
  召喚された時、必死に助けを求める声がテテの心に響いた。あの時から、テテはたとえ故郷を捨ててでもずっとこのひとを護っていこうと決めたのだ。
  自分より大きいけれど、人間だけれど、ご主人様はとっても傷つきやすい女の子だ。あのひとは、テテにとってご主人様であると同時に世界でたったひとりの大切なお姫様なのである。だから、いつもそばにいて護ってあげなければいけないのだ。自分は男の子だから、大好きな女の子を護るのは当然だ。

  ……そう、大好きなのだ。
  ご主人様がイオスに想いを寄せるのと同じように、テテもご主人様に恋していた。
  けれど、テテがどれだけ大好きでも、テテは言葉を話せないからご主人様に想いを伝えることが出来ない。人間の姿をしていないから、この恋が叶うことは決してない。

  わかっていた。……それでも嫌だった。

  自分はこんなに好きなのに、いちばん好きなのに、お嫁さんにしたいくらい大好きなのに、ご主人様のいちばんはいつだってテテではなくて「あいつ」なのだ。

  あいつなんかより自分の方が絶対にご主人様のことが好きだ。リィンバウム一、いや全ての世界をひっくるめても自分が一番である自信があった。

  けれど、それでも――……ご主人様はイオスを選ぶのだ。

  ご主人様の望みなのだから、それがご主人様が幸せになる道なのだから応援してあげなければとも思った。悔しいけれど、金髪と一緒にいる時のご主人様の笑顔は最高に可愛いのだ。

  でも、いざあのふたりが恋人同士になるかもしれないとわかると、やっぱり我慢出来なかった。
  もはや理屈ではない。とにかく嫌なのだ。嫌なものは嫌なのだ。自分だってご主人様が好きなのに!

  やだやだやだやだと、テテはだだっ子のように噴水の水を両足でばしゃばしゃと跳ね飛ばす。
  身体に水がかかるのもお構いなしに、テテは持て余す想いを水面にぶつけ続けた。

  やだやだやだ。
  あいつのところになんかいかないで。
  ずっとずっと、じぶんだけのごしゅじんさまでいて――……!





「……テテ! やっと、見つけた……!」

  駆け寄ってくる足音とともに聞こえた懐かしい声に、テテははっとしてばたつかせていた足を止める。
  おそるおそる振り向くと、そこには肩で息をしているご主人様の姿があった。
  心配そうに揺れる黒い瞳。おそらく自分を探し回ってくれたのだろう。思わずいつものようにあの細い足元に飛びつきたい衝動に駆られたが、自分がやってしまったことを考えるともうご主人様に会わす顔がなくて、テテはすぐさまくるりと背を向けた。

「……テテ」

  名前を呼ぶ声はいたわりに満ちていて怒りは感じられない。
  それでもテテは振り向けなかった。

「テテ。……ごめんね。
やっぱり、私がテテを置いてお祭に行っちゃったこと、怒ってるんだよね……」

  どうやらご主人様はテテの癇癪を誤解したらしい。気落ちした声でごめんねと繰り返す少女に、テテは背中を向けたままふるふると首を横に振った。

「……違うの? そのことで怒ってるんじゃないの?」

  やっぱり振り返らないまま、テテはこくん、とうなづく。

  ――お祭りのことはもういいのだ。あれは自分がご主人様に元気になってもらいたいと思ったから、金髪と一緒なのもやむを得ないと目をつぶったのだ。
  問題はそこではない。だが、それをご主人様にわかってもらう術はない――……。

  今ほど、テテは自分が人間の言葉を話せないことを悔しいと思ったことはなかった。


  ざあざあと中庭に響く噴水の水音。
  もうどうしたら良いのかわからなくてテテは途方に暮れる。鼻と胸の奥がつんと痛い。
  流れ落ちる水の勢いにこのまま心まで押しつぶされてしまいそうだった。


「――テテが何に怒ってるのか、私にはわからないよ……」


  やがて沈黙を破ったのは少女のそんな一言だった。
  ぽつりと呟かれた言葉。拒絶ともとれる物言いに、テテのエメラルドの瞳からとうとう大粒の涙が溢れ出した。
  ご主人様に嫌われてしまったと思ったテテは、悲しみのあまり今すぐ目の前の噴水に飛び込んでここから消えてしまいたくなった。

  きっともう、二度とご主人様のあの陽だまりのような笑顔は見られないのだろう。額を寄せて笑いあった優しい日々の思い出が涙の向こうに滲んだ。

  ――嫌われてしまったのだ……。



「――でもね。
わからなくても……それでもね、やっぱり私は、何があってもテテのこと大好きだよ」

  絶望に打ちひしがれていたテテは、予想外の言葉に驚いてうつむかせていた顔を上げる。
  慌てて振り向くと、視線の先のご主人様はテテと同じように両の瞳からぽろぽろと涙をこぼしていた。

「テテはもう、私のこと、嫌いになっちゃったの?」

  びっくりして涙の止まってしまったテテの瞳に、顔をくしゃくしゃに歪めている少女の姿が映る。
  全身をふるわせ、小さな手のひらでぎゅっとスカートの裾を握り締めて、ご主人様が泣いていた。

「私が悪かったのならあやまるから……。
だからお願い、私のこと、き、嫌いにならないで……」

  黒曜とエメラルドの瞳が交差する。
  大粒の涙を宙に舞わせて、少女が叫んだ。


「テテに嫌われちゃったら、わたし、この世界でいきていけないよ……っ!」


  ――次の瞬間。テテは無我夢中でご主人様の胸に飛び込んだ。


  勢いよく抱きついてきたテテを受け止めた衝撃ではその場にしりもちをついてしまう。だが、石畳に座り込んだままの格好で、は護衛獣のまるい身体を力いっぱい抱きしめた。

「ごめんね、ごめんね、テテ……!」

  あたたかな腕の中で、テテはいっしょうけんめい首を横に振る。
  悪いのはわがままをぶつけてしまった自分なのだ。ご主人様は何も悪くないのだ。
  あんなにたくさんひどいことをしたのに、それでも自分を大好きだと言ってくれたご主人様に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、でもどうしようもなく嬉しくて、頭の中がぐしゃぐしゃで、テテの瞳に再び透明な涙が盛り上がった。

「ゆるしてくれる? まだ、これからも、ずっと一緒にいてくれる……?」

  涙声で問うご主人様に、テテは何度も何度もうなづく。
  ――やっぱり、何があってもこのひとと離れてはいけないのだと、テテは心からそう思った。

  自分は護衛獣なのだ。
  もう二度と、こんな風にご主人様を泣かせたりはしない――……!


  大好きだから。


「ありがとう、テテ……う、うわああああああああん……!」


  中庭でふたり抱き合ったまま、とテテは子供のようにわんわんと泣き続けた。







◆◆◆






  中庭でひしっと抱き合うご主人様と護衛獣。感動的な仲直りの光景を、少し離れたところで見守る集団があった。
  テテが出て行っちゃったんですうぅー! と取り乱したが泣きながら兵舎中を駆けずり回ったせいでテテノワール捜索騒動に巻き込まれた黒の旅団の面々だ。
  皆がやれやれと胸を撫で下ろしている中、何やら難しい顔をして考え込んでいたルヴァイドがふいにイオスに向かってこう言った。

「……イオス。つくづくお前は人間で良かったな」
「ど、どういう意味ですか」
「いや、もしテテが人間の姿をしていたらとっくにを取られていたと思わんか」
「――ッ、放っといて下さいッ!」
とテテの絆にいたく感心している上司にイオスが真っ赤な顔をして抗議する。

  やがて、いまだ抱き合ったまま離れようとしない一人と一匹の横に落ちている手足のちぎれたぬいぐるみを見つけたイオスは、疲れきったようにあーあと肩を落とすのだった。


「……せっかく取ってやったぬいぐるみをダメにされて、さらには上司にまでコケにされて、
……僕の立場って一体……」


  イオスの問いに答えるものは誰もいない。
  とりあえず、今この瞬間、世界は間違いなくご主人様と護衛獣、抱き合うふたりのためだけにあった。



  ――この後しばらくの間、はいつにも増してテテを片時もそばから離そうとしなかった。
  常にご主人様の胸に抱かれべたべたに甘やかされて、護衛獣は悔しそうに顔をしかめる某隊長を尻目にすこぶる上機嫌だったという。

  ……別に、ご主人様と金髪はまだ完全にくっついた訳ではないのだ。今回の一件でご主人様の自分への愛情が揺るぎないものであることは証明出来たのだし、まだまだいくらでも勝機はあるじゃないかと彼がひそかにほくそ笑んだかどうかは――また別のお話。





閑話3 END