call my name
 陽の光の一切入らぬ部屋だった。
 少しでも気持ちを和ませられればと贈った花も絵も人形も、何ひとつその心には届かなかった。
 カーテンを開け、太陽の光を浴び、瞳に光を取り戻して欲しかった。けれど彼女はそれを嫌がった。現実の光ではなく、泡沫の闇を望んだ。

 暗く陰鬱な部屋。それでも彼女は幸せそうに笑っていた。

 耳元で何事か囁かれ、彼女はまるで恋する少女のように恥じらい長い睫毛を伏せる。
 ここで、ようやく視線を感じた彼女は、扉の前にいる息子の姿に気付いて聖母のような微笑を浮かべた。

「まあルヴァイド。どうしたの、こちらへいらっしゃいな。
ほら、お父様が帰ってきたのよ――……」

 そう言って、彼女――ルヴァイドの母は、横に立つ男、レイムをうっとりと見上げる。
 齢を重ね、目許に刻まれる皺は隠せなかったが、それでも彼女はとても美しかった。――恋をしているからだ。

 女のやわらかな巻き毛をいたわるように指で梳きながら、レイムは立ち尽くしたままのルヴァイドを見やった。

「拒否権などないでしょう。
私が見放したら――この人はまた壊れてしまうのですよ」

 ねえ、と言って、レイムは女の手を取り、その甲に口付ける。

 ――遠い昔。父レディウスがそうしていたように――……。


 やがて、ルヴァイドの視力を奪うかのように、目の前に鬼の手がかざされる。

 殺してくれと。そう思った。


 こんな茶番を見せられるくらいなら。




 ――いっそ、殺してくれ――…….。
第17夜 ビショップ・ブラッド

「何度も言わせないで下さい。――皆殺しですよ」

  にこやかに言い放たれたデグレア軍顧問召喚師の言葉に、黒の旅団は皆一様に声を失った。

 議会閉会の日。兵舎の一室にて、結果を……旅団にとっては良い方向に運ぶであろう結果を持って帰還するはずのルヴァイドを待っていた彼等の元に現れたのは、敬愛する上司ではなく、薄笑いを浮かべたレイムだった。

「聖女を捕らえ、ここに連行すること。あれに同行している者達は反乱分子となる可能性がありますので全員残さず始末すること。……簡単な命令ではないですか」

 中止をほのめかされていた聖女捕獲任務の再開。さらに皆殺しの命令。
 予想外の、そしてあまりに残忍なそれに、イオスの唇が震えた。

「ど、どういうことだ。……一体どうして……!?」
「……あなた方が何を勝手に期待していたのかは知りませんが。
元老院議会の、そしてこの国の悲願である中央エルバレスタ地方の支配に、あの娘の力は大いに利用出来るのですよ。
同行している者達も、最初はただの雑魚かと思っていましたが、意外にも力を増しているようですからね……派閥との繋がりも厄介ですし、不穏の芽は早く摘むに限ります。
それに、いっそ殺して良いと言われた方が貴方達もやりやすいでしょう?
ああ、聖女も別に五体満足でなくても構いませんよ。手足の一本や二本欠けていても実験に支障はありませんから」

  微笑を絶やさずにレイムは朗々と残忍な言葉を並べる。
  あまりのことに、ふらつきそうになる足元にぐっと力を入れて、やっとの思いで顔を上げたイオスがレイムを睨み付けた。

「お、お前からの指図は受けない。
我々の上官はルヴァイド様だ。ルヴァイド様から真実を聞かされない限り、僕達は――……」

  動揺を押し殺した低い声で異を唱える特務隊隊長を前に、レイムの瞳がひややかなものへと転じた。

「ルヴァイドなら来ませんよ。
これまで旅団が犯した数々の失敗の責を問われ刑が科せられました。現在ゼルフィルドと共に地下牢に幽閉されています」
「なっ――……!?」

  レイムの口から飛び出したとんでもない事態に、その場にいた全員がガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
  ルヴァイドが投獄されるなどありえないことだ。皆殺しの命令といい、何かがおかしい。
 狂った言葉の数々に、 とうとう堪えきれなくなった黒の旅団員達は殺気も露に顧問召喚師へと詰め寄った。

「ど、どういうことだ! どうしてルヴァイド様が!?」
「答えろ、レイム!」
「理由を言ええっ!」

  部屋中に怒号が響き渡り、あまりの気迫に窓硝子が軋んだ音を立てて揺れる。
  罵声を受けてなお薄笑いを絶やさぬレイムに、業を煮やしたイオスが掴みかかった。

「ルヴァイド様を解放しろ!
貴様一体何を考えて……ッ!」
「――ああ全く、煩い屑どもですね!」

  絞め殺さんばかりの勢いで襟首を掴むイオスに、それまで黙っていたレイムが声を張り上げる。
  顧問召喚師の一喝とともに、イオスは魔力によってその場から跳ね飛ばされた。
 目に見えぬ風の刃、魔力によるかまいたちがイオスの腕を切り裂き、イオスの身体とともに鮮血が宙に舞う。

「――ッ!」

 会議用の机にしたたかに身体を打ちつけ、椅子を巻き添えにして倒れ込んだイオスに、部下達が血相を変えて駆け寄った。

「イ、イオス隊長! お怪我はっ……!?」
「……大丈夫だ。騒ぐな……」

 歯をくいしばり、痛みと屈辱に耐えながら、イオスは片手を上げて興奮状態の部下達を制する。
 ゆっくりと立ち上がった彼は、もう一度銀の髪を持つ顧問召喚師と真正面から対峙した。

「……理由を言え、レイム。
何故だ。一体何のためにデグレアはこんなことをする。一体何のために、ルヴァイド様が囚われなければならないんだ……っ!」

 口の端に血を滲ませながら、悔しさのあまりかすれた声でイオスが叫んだ。


 ――レルム村の壊滅が告げられたあの日の出来事が今再び繰り返されようとしていた。

 やっと解放されると思っていたのに、悪夢は上官の拘束というさらなる悪夢を引き連れて、またもや自分達を血に咽ぶ闇の中へ引きずり込もうとしている。

 ルヴァイドの命令ならば従おう。けれど、今あの人はここにいない。
 自分達はルヴァイドの指揮の下に動く軍隊だ。相応の理由がなければルヴァイド以外の命令を受け入れることなど出来なかった。


 怒りを通り越し絶望すら垣間見せるイオスの紫の瞳が、まるですがるようにレイムを見つめる。
 だが、そんなイオスの訴えをレイムは嘲笑とともに一蹴した。

「だから言っているでしょう。全てはこの国の発展のため。
けれど、国に忠誠を誓うなどと口にしておきながら、結局貴方達は納得しないのでしょう?
そうやっていつまでも愚かな迷いを抱き続けているから――だから、こうなるのですよ」

 レイムの物言いにただならぬものを感じた旅団員達は、皆一瞬にしてはっと表情を強張らせる。
 その反応を見て、レイムの唇が満足げに歪んだ。
 まるで品定めでもするかのように、レイムは凍りついた彼等の顔をひとつひとつ眺めてゆく。やがて、まだ年若い旅団員――イオス直属の部下であるアルとカイトの前でぴたりとその動きを止めた。

「……アルさん、カイトさん。
貴方達のお兄様とお姉様、もうすぐご結婚なさるそうですね。
何という幸せな運命でしょうか……兄と姉が結ばれ、もともと親友同士であった弟二人は晴れて本当の家族となる……。
ああ、よかったですねえ。嬉しいでしょう? ずっと欲しかった暖かくて賑やかな家族がようやく手に入るのですよ?」
「に、兄さんに何をした!?」
「姉上には手を出さないという約束だろうっ!」

 早くに両親を亡くした彼等にとって各々たったひとりの肉親である兄と姉の名を出され、アルとカイトが血の気の失せた顔で顧問召喚師に追いすがる。
 必死なその様子にレイムはますます笑みを深めた。

「勘違いして貰っては困ります。
そもそも貴方達は、国に、元老院議会に、……この私に逆らえる立場なのですか」

 鋭利な刃物のように胸をえぐるレイムの言葉に、部屋がしんと静まり返る。

 レイムの言葉通り。黒の旅団員は誰一人として逆らえる術を持たなかった。
 だからこそ、今までどんな任務も受け入れてきたのだ。


 ――特務部隊、黒の旅団。精鋭中の精鋭である彼等は、一方で全員がありとあらゆる形の手枷足枷を嵌められていた。
 彼等を捕らえる鎖の先には決して失いたくない命がある。

 そして、鎖の采配を握っているのは――……。



 皆の沈黙を確認したところで、レイムは再びイオスへと視線を戻した。

「ルヴァイドの件は、旅団全員への枷であると同時に、イオス……貴方への最後の警告です。
逆らったら、次は誰が囚われるのか――わかっていますね?」
「……やめろ」
「可哀想にねえ。
事故で召喚されたあの人には何の罪もないというのに、貴方のせいで彼女の命が危険にさらされるかもしれないのですよ?
全く、何て不憫な――……」
「やめろおおっ!」

 ダン! とイオスが机に拳を打ちつける。
 そのまま口を閉ざしたイオスの態度を命令承諾の意思として受け取ったレイムは、手間がかかって困るとでも言いたげにやれやれと肩をすくめてみせた。

「こうでもしないと貴方達はいつまでたっても本気にならないでしょう。
皆、貴方達黒の旅団の活躍に期待しているのですよ。
だから、今度こそ――期待を裏切らないで下さいね?」

 御武運を、と言い残して。
 元老院議会の代弁者である顧問召喚師は、やわらかな微笑みとともにその姿を消した。

 





◆◆◆






 金縛りにあったかのように動けなかったイオスは、レイムの足音が聞こえなくなった所でようやく鉛のように重い息を吐き出す。それから彼は、よろめくように窓辺へと歩み寄った。

 震える指でカーテンを引く。窓の外には、目にしみるほどに眩しく澄んだ青空が広がっていた。
 見下ろした先、中庭の芝生の上では、とテテが咲いたばかりのコスモスを前に何やらとても楽しそうに笑っている。
 陽だまりの中にいる少女の姿を、イオスはただぼんやりと見つめていた。


「……隊長」


 背後の闇の中から己を呼ぶ声に、一瞬意識を飛ばしかけていたイオスはすぐに現実へと引き戻された。
 ――呆けている場合ではない。事態は一刻を争うのだ。
 ルヴァイドがいない以上、作戦の総指揮は全て隊長である自分が執らなければならない。
 すう、と乾いた肺を空気で満たして、イオスは振り返らないままに告げた。

「――明朝、夜明け前に発つ。各自準備に入れ」
「イオス隊長。
その、ちゃんには……」
には悟られないようにしろ。
……今だけは、頼む……」
「――はっ……」

 背中を向けたままのイオスの懇願に、部下達は静かに頭を垂れる。
 これ以上は誰も口を開かなかった。――開けなかった。


 運命は決まってしまったのだ。
 逃れる術は、ない。


 一人、また一人と部屋を去っていく皆の絶望に満ちた気配を感じながら、イオスは最後にもう一度笑うの姿をその瞳にやきつけようと外を見やった。

 揺れる花を胸に抱いて。少女は煌めくように笑っている。

 闇の中にいる自分。光の中にいる彼女。
 今はまだ手の届く距離にいる愛しい少女。けれど、もはや自分が彼女に触れることは許されなかった。

 ……全てが終わったら。真実を知った時、少女は嘆き悲しみ涙を流すだろう。
 もう二度と、自分にあの笑顔を向けてくれることはないだろう。


 それでも。もう後戻りは出来ないのだ。


 ……きっと。最初から全て夢だったのだろう。
 血塗られた手を持つ自分に、やはり幸せな未来など訪れるわけがなかったのだ。

 自分は、ここに囚われた、軍人なのだ。


「……短い夢だったな……」


 知らず、イオスはぽつりと呟いていた。

 心躍る夢だった。
 楽しかった。幸せだった。



 ……愛していた。



 ――そんな夢物語は終わったのだ。



 目頭が熱くなる前に、イオスは勢いよくカーテンを閉じる。
 闇の中、顔を上げた彼の瞳には、火のレルムで全てを葬り去った時の、あの怜悧な意思の光だけが宿っていた。






◆◆◆






 静まり返った兵舎の中をは必死に走っていた。
 扉という扉を全て開ける。けれど、どこにも見知った仲間達の姿が――イオスの姿がなかった。

 一昨日の夕方。イオスに頼まれて、は軍医オーレイヴの別荘へと薬草探しの手伝いに向かった。
 本当はそのまま一週間程度滞在する予定だったのだが、何故か奇妙な胸騒ぎを覚えたは、いてもたってもいられずオーレイヴの静止を振り切ってひとり戻ってきたのだ。

  そうして帰宅した彼女を待っていたのは――人の気配の消え失せた兵舎の建物だけだった。


「イオスさん! イオスさん――・・・…!」

 私室にも食堂にも訓練場にも、どこにも、誰もいない。喉が焼けるような痛みに襲われるほど大きな声で何度も何度も名前を叫んでも、彼が返事をしてくれない。

 ――誰もいないのだ。


 まるで廃墟のような兵舎の中に、ただの声だけがこだまする。


 最後の望みを賭けて飛び込んだ屋上庭園でも誰の姿も見つけられず、とうとうはその場にしゃがみこんでしまった。
 力を失ったご主人様を、胸に抱かれた護衛獣が心配そうに見上げる。

「どうして……?
みんな一体どこにいっちゃったの……っ!?」

 急な任務が入ったのなら何か置手紙くらいあるだろう。こんなにも忽然と姿を消すなど明らかにおかしかった。

 ――自分がいない間に、確かに何かが起こったのだ。

 けれどそれを知る術がない。手がかりもない。
  何ひとつわからないままいきなり孤独な空間にひとり取り残されて、胸がはりさけそうな悲しみにの瞳に涙が滲んだ。


「……イオス、さん……!」


 議会は終わった筈だ。だから、ようやくあの約束が果たされると思っていたのに。


「イオスさん……どうしてっ……!」


 ひとりにしないという約束。想いを告げ合うという約束。
 全てを置き去りにして、一体彼はどこへ行ってしまったのだろうか――……。




 髪を乱す秋風にも構わずひとり泣いていたは、ふいに背後に感じた気配にはっと顔を上げた。

「――イオスさんっ!?」

 彼が戻ってきたのかと。期待を込めて振り返った先には、しかしイオスの姿はなかった。
 代わりに佇んでいたのは、美しい銀髪を風に揺らすひとりの男。

「どうしたのですか?」

 ゆっくりと、彼はに歩み寄る。


「……どうしたのですか? さん」


 ――迷い子をあやすように優しく。レイムはそっと、少女の肩に触れた。