call my name (恋獄=レンゴク)
  帰路についた旅団。途中、召喚術の眠りから目覚めたイオスは、周囲の不安に反して、激昂することも暴れ引き返そうとすることもなかった。
 を前にしても表情ひとつ動かさない。口も開かない。
 ただ彼は、静かに少女の横を通り過ぎた。


 ――まるで、そこに彼女など存在していないかのように。


 イオスの瞳に自分が映らない。そのことを知った時、の世界から色が消えた。

 ……このまま何もかも見えなくなってしまえばいい、とは思った。
 もう、涙も出ない。

 全ては彼を思うが故、無我夢中で行ったことだった。 けれど、彼はそれを許してはくれない。

 残酷すぎる現実が、ただ果てのない悲しみとなって少女の存在そのものを飲み込み、消し去ろうとしていた。
第18夜 恋獄
 デグレアに戻った黒の旅団だが、顧問召喚師への面会は叶わなかった。
 レイムは元老院議会の面々に呼び出され、長い協議に入っているという。
 依然拘束されたままのルヴァイドの件や、突然態度を一変させたレイムの真意を直接問い質せないことは気になったが、議会と話をしているということは、彼がに告げた内容は偽りではなかったのだ。
 少女の無垢な願いを利用し自分達が罠にはめられた可能性を危惧していた旅団員達はようやく肩の力を抜く。

 だが、それでも旅団の中には重苦しい空気が張り詰めたままだった。
 兵舎の一角、黒の旅団専用の会議室にて、イオスが今後の対応を指示する中、皆は痛ましげな瞳で隅に控える少女を見やる。
 イオスの怒りをかってしまった少女は、護衛獣を胸に抱き、うつむいたまま身じろぎひとつしない。
 あまりに哀れなその姿に、旅団員達はなぐさめの言葉すらかけることが出来なかった。

 レイムが戻るまで一時待機とし、解散を告げたイオスは無表情のまま部屋を後にする。
 自分に向けられる皆の気遣わしげな視線を痛いほどに感じながら、部屋に取り残されたは、きつく唇を噛みしめた。





◆◆◆





 ――夜。そろそろ皆が眠りにつこうかという時刻に、はイオスの私室の前にいた。
 暗闇を照らす蝋燭の灯りが風に揺られ消えそうになるたびに、何度もくじけそうになる。けれど、どうしても今日中にきちんとイオスに謝らなければと思ったは、勇気を振り絞って顔を上げた。

「……ついて来てもらっちゃってごめんね、テテ。
ここからは、ひとりで頑張るから……」

 ずっと胸に抱きしめていた護衛獣を床に下ろすと、少女は泣き出しそうな表情を浮かべた。
 ご主人様を助けてあげられないことが悔しくて、でもどうすることも出来なくて、テテは帽子の端をつかみ、ぺたんとその場にしゃがみこんでしまった。
 まるですねた子供のようなその態度にはくすりと笑う。しばらく護衛獣のまるい頭を撫でてから、は再びドアの前に立ち、決意を込めて深く息を吸い込んだ。

「……イオスさん。です」

 ノックをし、扉越しに声をかける。
 だが、何度呼びかけても中からの返答はない。

 ……気配はする。やはり、無視されているのだ。

 再び逃げ出したくなる衝動を懸命にこらえて、は震える唇を開いた。

「……イオスさん。……失礼します、ね……」

 おそるおそるドアを開ける。
 何の明かりも灯されていない暗闇の部屋を、が手にした蝋燭が照らし出す。
 部屋の奥、窓際に置かれたベッドの端に腰掛けたイオスがいた。
 うつむいた彼は、が部屋に入ってきても顔すら上げようとはしない。全身で少女を拒否するイオスの威圧感に、はとても彼に近づくことなど出来なかった。

 ……いつもなら。優しく立ち上がって、どうした? と自分を迎え入れてくれた筈なのに。 そんな過去の残像が動かないイオスの姿と重なって、は泣きたくなった。
 けれど、泣いている場合ではないのだ。
 蝋燭を近くのサイドボードに置くと、は部屋の入口に立ったまま、か細い声で話を始めた。

「あの。
……草原でのこと、本当に、ごめんなさい……」

 精一杯の少女の謝罪にも、イオスは顔を上げなかった。

「勝手なことをして、本当に申し訳なかったと思っています。
でも、私は……イオスさんや旅団の皆に、これ以上辛い思いをして欲しくなかったんです。
イオスさんだって、ずっとこの任務のことで傷ついていて……だから、少しでも傷つかない方法があるのなら、それにすがりたかったんです。それを、わかって欲しかったんです……」



 ――震える声で告げられる言葉を、イオスはただ黙って聞いていた。

 自分に対する怯えと、それ以上に悔恨の想いが含まれる彼女の声。おそらく彼女は、泣き叫びたいほどに己の行いを後悔しているのだろう。それはイオスにもわかっていた。

 けれど。イオスも、この状況をどうしたら良いのかわからなかった。

 ――草原でが必死に自分を止めようとした時、イオスは耳を貸さなかった。
 だがそれは、イオスなりに彼女と旅団の行く末を想ってのことだった。
 あの顧問召喚師が哂いながらどれだけ非道な手段を取れるのか、イオスは痛い程よく知っている。 旅団を大切に想うが故、はあっけなくレイムの甘言に堕ちるだろう。利用されるだろう。だからこそ、 彼女が「少しでも傷つかない方法があるのならそれにすがりたかった」と言うように、イオスも「少しでも疑わしい、傷つく可能性がある方法」に身を委ねることは出来なかった。

 ……己の手を血で穢してでも。イオスも、護りたかったのだ。

 旅団を。……彼女を。

 まだ何一つ解決してはいないが、油断はならないものの、どうやらレイムの心変りは真(まこと)のものであるらしい。
 だから、結果的には、イオスはただ彼女を疑い、闇雲に傷つけてしまったことになる。


 それでも。……あの状況で、他にどうすれば良かったのだろう。
 イオスにはわからなかった。


 は、ひたすら謝り続けている。
 ……イオスがその首筋に刃を当てたことさえ、彼女はイオスが悪いなどとは微塵も思っていないのだろう。
 いくら手加減していたとはいえ、あの時槍の矛先は確かに彼女の首に食い込み、血を流していた。咄嗟に自分を眠らせたの判断はある意味正当防衛なのだ。だから、そこまで一方的に謝る必要はない筈なのに――少女はただただ自分が悪いのだと己を責め続け、謝り続ける。

 自虐とも取れるその態度が、か細いその声音が、イオスの癪に障った。

 先の見えない不安、やり場のない怒りと後悔が、彼女の謝罪で滅茶苦茶に掻き乱される。イオスの心が罪の意識でずたずたに引き裂かれる。

 いっそ罵られた方がよっぽど楽だ。

 それでもはただ謝り続けるのだ。


 繰り返される謝罪をどこか遠くの物音のようにぼんやりと聞き流していたイオスだったが、ふと彼女が口にした言葉にはっと意識を引き戻された。


「……傲慢だってわかっています。
でも、イオスさん達はずっと辛い思いばかりしてきたから……。かわいそうで、見ていられなくて、だからどうしても、何とかして助けたかったんです……!」


(――な、に?)

 涙混じりの声で告げられた少女の独白。
 精一杯の想いと謝罪。だが、その言葉はイオスの胸に深く深く突き刺さった。

(……かわいそう?
……助けたい?)

 の言葉をイオスは頭の中で何度も反芻した。
 ……これは一体どういうことだろう。

 彼女が自分や旅団を何より大切に想っていることはわかる。
 けれど。彼女に、……こんな小さな異世界の少女にそこまで哀れに思われるほど、自分は無力なのだろうか。
  彼女の瞳に、自分はそこまでみじめな存在として映っているのだろうか。


 ――必死で護ろうとしていたのに。どうして、彼女にそんなことを言われなければならないのだ……!


 すっと血の気が引くように、イオスの全身の熱が消えてゆく。
 心の中で保っていた何かが、粉々に砕けて割れたような、そんな気がした。


 ようやく顔を上げたイオスだったが、その表情にかつての輝きは無い。
 その瞳には、ただ底知れぬ闇だけが広がっていた。







◆◆◆






「……助けたいだって?
いつから君は、そんなに偉くなったんだ」

 ふいに響いた冷たい声にははっと顔を上げる。
 いつの間にか、ベッドから立ち上がったイオスが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
 そのあまりに鋭い眼差しに、はぞくりと背筋を震わせる。

 そんな彼女に、イオスはゆっくりと近付いて行った。

「……そもそも君は、自分が何をやったのか、本当にわかっているのか?
勝手にレイムに接触して、それがどれ程危険なことかも考えずに」

 淡々と言葉を紡ぎながら、イオスは一歩、また一歩と少女に歩み寄る。
 ――イオスの怒りは解けていない。本能的に何かとても危険なものを感じて、は無意識のうちに後ずさる。
 怯えるその瞳は、剥き出しにされてしまったイオスの獰猛な心を煽るのにじゅうぶんだった。

「……何も知らないくせに。
助けたいと思うほど、僕は、みじめで、哀れか?」

 イオスの言葉にははっと両目を見開いた。

「ち――違います! そういう意味じゃ……!」

 だが、イオスは少女に否定の暇(いとま)を与えなかった。

「……君なんて……」

 の細い手首を掴むと、華奢な身体を乱暴に壁へと押しつける。
 その顔が苦痛に歪むのにも構わず、イオスはの手首をきつく握りしめた。

「こうして、掴まえてしまえば。
……君なんて、何も出来ないくせに――……!」

 恐怖に表情を凍り付かせるに、イオスはいきなり乱暴に口づけた。

「やっ、――ん……!」

 愛情もいたわりも何もない、ただ怒りの捌け口としてだけの冷たいキス。両の手首を押さえつけられているせいで抵抗すら許されず、突然の出来事に混乱したの瞳に思わず涙が浮かんだ。


(何で……!?)


 ……ほんの数日前の夜、イオスは想いを告げると約束して、優しく抱きしめてくれたのに。今のイオスは全くの別人だった。
 イオスはもう、自分に憎しみしか抱いていないのだ。恋する人からの残酷な仕打ちが少女の心を打ちのめす。

「い、やっ……!」
「……ッ」

 無理矢理口内を犯す舌から逃れようとして、は反射的にイオスの口の端を噛み切ってしまう。
 ようやく離れたイオスの唇に滲む赤い血を見ての顔が青ざめた。

「あ、ご、ごめんなさい……」

 思わず謝ってしまっただが、唇をぬぐったイオスはクッと歪んだ笑みを浮かべた。

「――上等だ」

 餌を前にした肉食獣のような残忍な瞳。それを見たの中の何かが強い警鐘を鳴らし、咄嗟に少女は廊下へと逃げ出す。
 だが、いきなり飛び出してきたご主人様に何事かと驚き駆け寄るテテの目の前で、 少女は再びイオスによって部屋に引きずり戻された。
 バタンと大きな音をたててドアが閉まる。護衛獣を廊下に締め出し後ろ手に鍵をかけたイオスは、怯え抵抗しようとするをいとも簡単に抱き上げるとその身体を乱暴にベッドの上へと投げ出した。
 一体自分に何が起こっているのかが理解する前に、イオスは少女の身体に覆い被さり、細い両の手首を頭の上で押え付け抵抗を封じる。

「イ、オス、さ……んんっ!」

 恐怖に震える唇を深く塞ぐ。
 やがて銀糸を伝わせながら唇を離したイオスは、怯える少女の瞳を見下ろしながら――再び、哂った。

「思い知らせてあげるよ。
――君が、どれだけ無力かを」

 なす術もなく組み敷かれたを嘲笑うようにそう言って、イオスは少女の胸元へと手をかける。
 イオスがこれから何をしようとしているのかようやく理解したの頭からざあっと音をたてて血の気が引いた。

「や――やめて下さい! イオスさん、お願い、やめて……!」
「……煩いな」

 両足をばたつかせ必死に逃げようとするを縛める手に力を込めたイオスは、再び少女の唇に貪るような口づけを落とす。
 肌蹴た襟元から素肌に忍び込む冷たい指の感触に、はひっと息をのんだ。

「イオスさん! やめて、やだ、いや……!」

 ――イオスのことは好きだ。だがこんな形で抱かれるのを望んでいたわけではなかった。
 好きだからこそ、こんなことをされるのがどうしようもなく悲しくて、は気を失いそうになる。


 ……ただ、彼を助けたかっただけなのに。自分はそんなにも許されないことをしてしまったのだろうか。


 首筋に走る真新しい傷。イオスが刻み込んだそれに、まるで噛み付く様なキスをされて、痛みと恐怖での瞳から大粒の涙が零れおちた。

 ――それでも。がどれだけ泣き叫んでも、身体を暴こうとする冷たい手は止まらない。



「い……や……! 嫌、いやあああっ!」


 これは一体何の代償だろう。




 どこかで何かが千切れる音がした。

 滲む視界の向こう、見上げた窓に映る闇夜に


 ――月は、出ていない。