敬愛する上司の変わり果てた姿に、旅団員達は皆激突するように鉄格子へと飛びついた。
「ルヴァイド様! ルヴァイド様ああっ!」
デグレアが誇る精鋭部隊である黒の旅団。その総指揮官ともあろう人物が、まるでぼろ雑巾のようにぬめった石畳へと投げ出されたのだ。その姿が彼等に与えた衝撃は計り知れないものがあった。
――清廉なる騎士、ルヴァイド。他国への妄執に縛られ堕ちてゆくこの国に残された、最後の騎士。
例えそれがどんなに非道な戦場であろうとも。この人の背中を追いかけることが出来る限り、旅団員達は底なしの迷いに囚われることなく前に進むことが出来るのだ。
だから、ルヴァイドは決して大地に伏せてはならないのだ。そんな思いをこの人にさせてはならないのだ。
ルヴァイドが屈してしまったら、旅団を支える最後の存在意義が消えてしまう――……!
「ルヴァイド様!」
血の滲むような必死の呼びかけが数度地下牢へとこだましたところで、死んだように倒れ込んでいたルヴァイドがようやく顔を上げた。
たった数日で別人のようにやつれてしまった頬には赤黒い血がこびりつき、むきだしになった手首と足首には惨い拘束の痕が刻まれている。
ルヴァイドが、抵抗出来ない状態で残酷な拷問を受けていたことは誰の目にも明らかだった。
あまりのことに声も出ない部下達の顔ひとつひとつをゆっくりと見渡し、ルヴァイドが青ざめた唇をふるわせた。
「皆、無事か……?」
自身が立ち上がれないほどに傷ついていても、未だにまず部下を気遣う指揮官の姿に、レイムが血色の瞳を愉しそうに細めた。
「おやおや……そんなになってもまだ指揮官の誇りは健在ですか。
まったく、いいざまですねえルヴァイド。裏切り者の末路にふさわしい」
ここまできてまだ上官を愚弄し続けるレイムに、額に青筋を浮かべたイオスが我慢ならないとばかり鉄格子を揺らした。
「黙れレイム! 裏切り者だとか反逆罪だとか、ふざけるのもいい加減にしろ!
これ以上ルヴァイド様を侮辱するのは許さないぞ!」
生半可な兵士が見たらそれこそ恐怖のあまり腰を抜かすであろう殺気に身を包み、怒りと憎しみの炎を紫の双眸にたぎらせて、イオスは鉄格子の向こうにいる顧問召喚師を睨む。
そんなイオスに、レイムは呆れたように肩をすくめて両手を上げ、長い長いため息を吐いた。
「まったく……この期に及んでまだそんな悠長なことを言っているのですか。
いいですか、どう考えても今のあなた方はただの裏切り者でしょう?
違うと言うのなら――聖女はどうしたのです? 私が与えた任務は?
それを放棄してよくも堂々と戻って来られたものですねえ!?」
突然声を張り上げたレイムの威圧感に全員が凍りつく。
だが、一瞬の後、最初に我を取り戻したのはだった。
「な――何を言っているんですか!
だってレイムさん、言ったじゃないですか! 私に旅団を止めてくれって、議会にかけあうからって……!」
鉄格子にしがみつき、は必死の形相でレイムを見上げる。
すがるような視線を受け少女を一瞥したレイムは、嘆かわしいとでも言いたげにゆるく頭を振った。
「ああ、そうですねえ。確かにお願いしました。
いくらなんでも皆殺しまでする必要はないと思ったのですよ。
相手はこれまで何度も旅団を退けてきた集団です。殺すことに拘ってあんな場所で手こずりでもしたら、それこそ聖王都や金の派閥に気づかれて厄介なことになります。
――ですが――……私は、聖女の捕獲を止めろとはひとことも言っていませんよ」
「――っ!?」
嘘、と叫びたかった声は、かすれて言葉にならなかった。
突きつけられた現実に、の喉が一瞬にして干上がる。
どうして、何故。頭の中にめぐるのはその二つだけだ。
言葉を失い、ただふるえながらぱくぱくと口を動かすだけの少女を見下ろすレイムの紫の唇がゆっくりと三日月形に歪んで行く。
愉しげなその表情を見て、もようやく全ての真実を理解した。
自分は。この男に、騙されたのだ。
――任務放棄をそそのかし、こうして黒の旅団を拘束する口実を作るために――……!
草原で任務中止を告げた時、「ありえない」と叫んだイオスの声が耳の奥に甦る。
あの時自分は、信じてくれないイオスに泣いてすがった。話を聞いてくれない彼を無理やり大地に伏せさせた。
――だが、本当は、イオスの判断こそが正しかったのだ。
何も知らない自分は、ただ愚かにもレイムに利用され。結果、一番護りたかった人を、人達を、自らの手で顧問召喚師へと捧げてしまったのだ。
この悲劇を産んだのは、間違いなく――自身だった。
「……あ、あああああっ……!」
もはや言葉にならない悲鳴を上げ、はずるずるとその場に崩れ落ちた。
「!? しっかりしろ、!」
慌ててイオスが少女の肩を抱くが、はショックのあまり焦点の定まらない瞳でただがくがくと震え続けることしか出来ない。
哀れな細い身体をきつく抱きしめ、イオスは再びレイムを見上た。
「……どうせお前は最初からこうなることを狙って、わざと彼女を僕達の許へ寄越したんだろう……!?」
一番最初にイオスが睨んだ通り、やはりレイムは彼女を利用して旅団を陥れることが目的だったのだ。
だが、そこがイオスにはどうしてもわからなかった。
「一体こんなことをして何になるんだ……。
任務遂行を強いながら、どうして貴様自らそれを邪魔するような真似をする!?」
失敗を責めるレイム。だが、失敗するよう裏で糸を操っていたのもレイム。
顧問召喚師の行動はあまりに矛盾が多すぎる。
「何故なんだ! どうして貴様は……っ!」
怒りのあまり声を詰まらせた特務隊隊長に対し、レイムは不快そうに眉をひそめた。
「……私にとってもね、これは最後の賭けだったのですよ。
あなた方が本当にデグレアに忠誠を誓っているのかを試す、最後の賭け」
「な……に……?」
「ですが、旅団は見事に私の期待を裏切ってくれました。
私が直接下した命令よりも、使者の代行印すら持たないさんの言葉を信じてしまったのですから。
まったく、これはとんでもない大罪です。まさに国への冒涜ですよ」
使者の代行印とは、命令の変更や撤回を前線に告げる役目を担う者が主から預かる印章のことだ。
直接元老院議会の声が届かない遠い戦場では、裏切り者が嘘の命令をばらまき自軍を混乱させる可能性もある。よって、印を持つ者の命令のみを、真実議会が下した命令として認識することになっているのだ。
軍の規律でも、代行印を持たない使者の言葉を受け入れてはならないとされている。
痛いところを突かれ、イオスはぎりりと唇を噛んだ。
確かに、あの時はレイムの代行印を持っていなかった。もし軍法会議にかけられれば、レイムの言う通り、旅団は国の勅命よりひとりの少女の言葉を選んでしまった裏切り者となるのだろう。
――だが、そんなものは詭弁だ。印を渡さなかったのも間違いなくレイムの意思だ。
やはりこの男の意図が読めない。
レイムは一体、この先旅団をどうしようと言うのだろう。
袋小路に追い込まれているイオスを捨て置き、レイムはさて、と顔を上げた。
「さあ……こうなってしまった以上、誰かに責任をとってもらわねばなりませんねえ……」
そう言いいながらレイムはちらりと後ろに控えるキュラーに視線を流す。主にせかされたキュラーがぱんぱんと両手を打ち鳴らすと、石畳を這っていたルヴァイドが急に声を上げて苦しみ出した。
「っく、うあ、うあああああああっ……!」
両手で頭を抱え、ルヴァイドは苦悶の叫びとともに床の上を転げまわる。
「ルヴァイド様!? ルヴァイド様ああっ!?」
尋常ではないその様子に、牢の中の旅団員達が半狂乱で上官の名前を叫ぶ。
部下達の叫びが響き渡る中、背中を折り、全身を震わせ、しばらくの間じっと何かに耐えていたルヴァイドは、 苦痛の叫びを飲み込むと、床に肘をつき、ふらつく上半身を無理矢理に起こした。
「大……丈夫、だ……」
脂汗を滴らせながら声を震わせるルヴァイドにキュラーが鼻を鳴らした。
「ほう。気丈なものですねえ、ルヴァイド。ワタクシの術を抑え込むとは、さすが」
「キュラー! 貴様一体ルヴァイド様に何をしたあッ!?」
「お黙りなさいイオス。
これは罰なのですよ。――数々の失敗と、砦で我々を欺いたことに対する、ね……」
レイムの言葉に、イオスがはっと双眸を見開いた。
驚愕をたたえる瞳の中に一抹の恐怖を見つけ、レイムはにやりとほくそ笑んだ。
「あなた方は、ローウェン砦を落とした際、我々に無断で敵将を逃がしましたね?
……知らないとでも思っていたのですか? この私が」
やわらかな絹で首を締めあげ、わざとゆっくり息を奪うように、レイムは旅団の罪を暴いてゆく。
「そのことを議会に隠すのにどれだけ骨が折れたか、少しは私の苦労も考えて頂きたいものです。
……にも関わらず、旅団はまたしてもデグレアを……私を裏切った。
もはや私にも庇うことは出来ません。 数々の失敗に裏切り……あなた方はあまりに罪を重ねすぎた。
ですから、裏切り者には罰を与えなければなりません」
「――っ、ぐあああ……っ!」
レイムの言葉に呼応するかのように、ルヴァイドが再び苦しみ出す。
その時、ガシャンと音を立てて鉄格子が軋んだ。
「やめて! やめて下さいっ!
ルヴァイドさまは、旅団は何も悪くないんです! シャムロックさんを助けたのは……!」
しゃがみこんだまま、は顔中を涙で濡らし、狂ったように鉄格子を揺らす。
だが、真実を叫ぼうとしたを息も絶え絶えにルヴァイドが遮った。
「違……う。あの敵将を助けたのは、確かに俺の責任だ……」
潔く罪を認めるルヴァイドに、レイムはそうですか、と頷く。
「それでは、もっとお仕置きが必要ですね」
「――ぐあああああああああっ!」
「やめてええええっ! 違うの、あのひとを助けたのは私なんです! 悪いのは全部私なんです! だからやめて、お願いやめてええっ!」
自分のせいで苦しむルヴァイドを見せつけられ、が金切り声で泣き叫ぶ。
それを聞いて、レイムはふう、とため息をついた。
「――そんなに喚かなくてもよろしい。
最初からわかっていますよ、そんなことは」
「……え……?」
言葉を失った少女の前に、かつん、かつんと靴音を響かせてレイムが歩み寄る。
茫然とするを、レイムはひややかに見下ろした。
「……まったく、困ったものですねえ。
貴女が来てからというもの、黒の旅団はすっかり腑抜けになってしまいました。
これだけの精鋭達を手玉にとるなんて……。可愛らしい顔をして、なんと恐ろしい姫君でしょう」
責めの矛先をに向けたレイムが、しゃがみこんだままの少女へと手を伸ばす。
尖った爪が彼女の頬へと触れる直前、はっとしたイオスがはじかれるようにの身体を後ろから抱き寄せ、レイムの手から庇った。
花の染料だろうか。禍々しい赤に染められたレイムの指先が獲物を逃して宙を掻く。
一瞬だけその瞳に剣呑な色を宿したレイムだったが、次に彼はにっこりと笑った。
「でも、いいのですよ。
今では、私は貴女のことを誰よりいちばん信用していますから」
鮮やかな笑みを口許にたたえて不可思議なことを口にするレイムに、イオスもも眉をひそめた。
――また、この男は一体何を言いだすのだろう。
怪訝そうな表情で黙り込む二人を、レイムは満足げに見つめる。
血色の瞳が、怯える少女の瞳をまっすぐに捕らえた。
「貴女はもう、決して私を裏切ることなどないのです。
――そう、裏切れない」
「……どういうこと、ですか……?」
レイムの瞳に浮かぶのは、先程までの冷酷さや愉悦とは打って変わって、まるで愛おしいものを見るかのような、慈愛の情。
それが何故自分に向けられているのかわからず、の背筋をぞくりとしたものが這い上がった。
身体の芯がとらえどころのない恐怖にひんやりと浸食されていく。
ゆっくりとふるえ出したに優しく微笑んで。レイムは、言った。
「だって貴女は、私と誓約した、私の召喚獣ではないですか」
その言葉は、イオスとから全ての思考を奪った。
時間が止まったように、まばたきも――息すら出来ない。
イオスに抱かれながら。真白に染まった視界の中、少女の耳の奥に、聞こえる筈のない鎖の擦れる音が響いた。