call my name
 風が吹いていた。
 ほころび始めたばかりの金木犀の甘い香りが、やわらかく鼻先をくすぐる。

 レルム村の北、村全体を見渡すことができる小高い丘の上。
 木の枝と小石を組み合わせてイオスが作った小さな墓標の前に、はそっと、手にした白百合の花束を捧げた。
第20夜 告白/独白 〜彼女の理由〜

 偵察という名目の下、ゼルフィルドの修理に必要な部品を調達するため聖王都を訪れたルヴァイド、イオス、の三人――正確にはテテを入れて三人と一匹――は、ルヴァイドの希望により、廃墟となったレルム村を訪れていた。


 何故彼の地にと問う部下に対し、ルヴァイドはこう言った。――けじめをつけたいのだ、と。


 黒の旅団が火を放ち、全てを失った村。だが、累々と積み重なっていた筈の遺体や焼け落ちた建物の残骸は、いつの間にか綺麗に片付けられていた。
 森の中にぽつりと開けた荒野のような村の跡地。今そこにあるものは、数軒の粗末な小屋と数え切れない程の墓標だ。
 ひそやかに、けれど確かに、朽ちた村に人の手が入っている。誰かが村人達の魂を弔うためここを訪れているのだろう。
 だが、丘の上から見渡す限り、今はどこにも人の気配は感じられなかった。

 聖王都から復旧部隊が派遣されている様子は無い。やはり、村の唯一の生き残りである「彼女達」がここに来ているのだろうかと――お日様のような優しい笑顔を思い出し、急に胸に湧き上がったせつない懐かしさをは慌てて振り払った。


 それはもう、抱く必要の無い感情だ。


 余計なものを吐き出すようにふうとため息をついた少女の肩に大きな手が置かれた。

「疲れたか?
……すまないな。お前にとって、ここは辛い場所なのだろう?」

 が顔を上げると、気遣わしげな瞳でこちらを見ているルヴァイドと目が合った。
 おそらく、自分が召喚された夜に見た惨劇の記憶や、聖女達との関係を心配してくれているのだろう。
 いいえ、とは迷うことなく首を横に振った。

「そんなことないです。
その……不謹慎な言い方かもしれないですけど、ここは私にとって、始まりの場所でもありますから……」

 ね? と言ってイオスを見る。
 突然話を振られたイオスは、思わぬ不意打ちに一瞬だけ頬を赤らめて。やがて、そうだな、と頷いた。


 例えどれだけ血塗られていたとしても。二人にとって、ここは世界が繋がったかけがえのない場所だ。

 
 多くは語らず、ただそっと微笑み合う部下二人の様子に、なるほど、とルヴァイドが瞳を細めた。
 詳しく聞いてはいないが――雰囲気から察するに、どうやら彼等はようやく落ち着くべき処に落ち着いたらしい。
 せめて今だけは、ルヴァイドも若き恋人達を静かに祝福してやりたかった。

 否――別にもう、大手を振って彼等を後押しすることも出来るのだろう。
 あの男……レイムは、全てを知っているのだから。もはや隠すことなど何もないし、その必要もない。


(隠すこと……か)


 今度は自分自身が長く嘆息して。ややあって、ルヴァイドはゆっくりとに向き直った。

「そういえば……。
まだ、俺のことを、お前に話していなかったな」
「……え?」

 何のことだろうとが首をかしげる。
 そんな少女の頭をポンポンと撫でて、ルヴァイドは言った。

「俺が、あの顧問召喚師に逆らえない理由だ」
「……あ……!」

 ようやく合点が行って、は慌てて立ち上がり、背筋を伸ばして表情を引き締める。
 だが、緊張する少女に対しルヴァイドは困ったように笑った。

「そんなに固くならなくてもいい。
俺の理由も……皆と変わらぬ」

 そう言って、ルヴァイドは少女から視線を外し、遠い目をして遥か彼方の空を眺める。
 だが、語り始めるかと思われたルヴァイドは、そのまま口を閉ざしてしまった。

 その過去を。その理由を。言葉にすることにどれだけの痛みを伴うのだろう。
 ルヴァイドがどれ程の闇を背負っているのか、そのことをすでにじゅうぶん承知しているとイオスは、ただ黙って上官の言葉を待った。

 黙する三人の頭上を、どこからともなく現れた鳶が一匹、綺麗な弧を描きながら飛んでゆく。
 その鳴き声が西の空の向こうに消えた頃、ようやくルヴァイドは静かに口を開いた。

「……俺の父も、デグレアの軍人だったのだがな。
まだ俺が子供の頃に、反逆者として元老院議会に処刑されたのだ」

 ルヴァイドの言葉に、やはりそうなのかと、はちいさく唇を噛む。

 彼が亡き父の恥辱を雪ぐため、家名を挽回するために戦っているという噂はの耳にも届いていた。
 よって、ルヴァイドの告白は予想していた通りの内容だったのだが、いざ当人からそれを聞くと、鉛を飲み込んだように胸が重くふさがれた。

 赤茶の瞳に深い憂いの色を滲ませて、ルヴァイドはあらぬ方角を見つめながら続けた。

「もちろん、父が国に反逆を企てたなど、俺は信じぬ。何か裏があるのだと……おそらく何者かによって罠にかけられたのだと、そう思っている」

 きっぱりと言い切ったルヴァイドに、は静かに頷く。
 ルヴァイドの父親だ。彼の人がどれ程立派な人物であったか、それは血を受け継ぐルヴァイドを見ていれば容易に想像出来ることだった。

「今でもはっきりと覚えているよ。
縄を打たれ連行される前、父は最後に、俺に言った。
自分の汚名を晴らしてくれと。そして……残された母を、護れと。
だが……母は、市中を引きずられた挙句、斬首された父の姿を見て……狂ってしまった」

 はっとが息をのむ。
 何か余計な声をあげそうになって、は口許をきつく手で押さえた。

「母は、もともと身体が弱くてな。そこに父の件が重なって、精神を病んでしまったのだ。
記憶がおかしくなった母は、少女の頃に戻ってしまった。俺のこともわからなくなり、ただ、父の帰りを待っている」

 目を閉じると、思い出す光景がある。
 少年だったルヴァイドが扉を開けると、そこはむせ返るような花の香りで満ちていた。
 部屋の入口で立ち尽くす彼に、腰まで花に埋もれたその女性はあどけなく問いかけた。


 ――ねえ、レディウス様はいつお戻りになるの?

 ――戻られたら、今度こそお式を挙げるのよ。 お花をたくさん飾りましょう。とても素敵よ。

    ところで……



 ――あなたは、だあれ?



 ……何度、母とともに死を選ぼうとしたかわからない。
 けれど、夜、眠る母の上に短剣をかざす度、父の最後の言葉が脳裏に甦った。
 母を護らなければならない。そして、父の汚名を晴らさなければならない。
 それだけを支えに、ルヴァイドは数多の迫害に耐え、仇である議会に膝を折ってまで軍に入ったのだった。

「すべては父と母のためと、そう思って日々を過ごしてきた。
母が俺を見なくても、生きていてさえくれれば、いつかはと……そう思っていた」

 だが、と。ルヴァイドはきつく口の端を噛みしめた。

「旅団結成の話が出た頃、レイムが俺の屋敷を訪ねてきたことがあった。
その時、レイムの顔を見た母の口から出た言葉が……父の名前だったのだ……」


 ――レディウス様。

 ――おかえりなさいませ、あなた……!


 幸せそうに笑いながらレイムのもとへ駆けて行った母。
 その身体を優しく抱き止めたレイム。

 何故かはわからない。
 あろうことか、運命に翻弄されたルヴァイドの母は、狂気の果てにあの銀の顧問召喚師に亡き夫の姿を重ねてしまったのだった。


 あの忌まわしき日、ルヴァイドの目の前で重なった二つの影の記憶は、今でも悪夢となって夜な夜なルヴァイドを苦しめている。






「そ、それで、今、お母様は……?」

 ルヴァイドの口から聞かされたあまりに衝撃的な真実に、ふるえだした手を懸命に握り締めて。はおそるおそるルヴァイドに問う。

「デグレアで暮らしているよ。
父の……いや、父だと思い込んでいる、レイムの帰りを待ちながら、な」

 今度こそ、は零れそうになる涙を必死に堪えなければならなかった。
 あまりにも。……あまりにも、残酷すぎる。

「あの男が父のふりをして時折訪れることで、長い間床に伏せていた母は生きる気力を取り戻した。皮肉なことに、俺が息子であることも思い出した。
もし再び良人を失ったら、母は今度こそ狂気の果てに死んでしまうだろう。
それが恐ろしくて……俺は、レイムに逆らえないでいる」

 父レディウスを殺した元老院議会。
 その議会に――議会の代弁者である男によって生かされている母。
 あんな母の姿は見たくなかった。それでも、偽りの夢の中でもいい、せめて生きていてほしいと願ってしまうのは、血の繋がる者として、どうすることも出来ない感情だった。

「何としてでも父の汚名を雪ぎたい。それを生きている母に伝えたい。
……利用されているだけとわかっていても……俺には、他に生きる術がないのだ…… 」

 最後、語尾をわずかに震わせて。ルヴァイドはに背を向ける。
 風に翻るマントと逆光に隠されて、ルヴァイドの表情はわからない。
 も、そしてある程度の事情は知っていたものの、レイムとルヴァイドの母との関係は今初めて聞いたことになるイオスも、上官の背中にかける言葉が見つからなかった。


 沈黙の末、ルヴァイドがようやく振り返る。
 彼が纏う気配は、いつも通りの落ち着いた威厳に満ちたものだった。

「すまないな。
お前達を護ってやるべき立場の俺が、誰より酷くあの男に縛られている。
我ながら、嘆かわしいほどに愚かで、情けない」

 本来なら自分が旅団の長たる資格はないのだと、そう自嘲するルヴァイドに、は何度も首を横に振った。

「違います、そんなことないです……!
ルヴァイドさまが悪い訳じゃないんです。お願いですから、ひとりで何もかも背負わないで下さい。
そうじゃなきゃ……ルヴァイドさまがいてくれなきゃ、私達は……!」
の言う通りです、ルヴァイド様。
僕達は、貴方の背中を追いかけて行くと決めた。貴方は旅団の道標なのですから……どうか最後まで、僕達に貴方を信じさせて下さい。
貴方の下で戦える……その誇りこそが、黒の旅団に残された最後の糧なのですから」

 まっすぐな瞳で必死に言葉を探す部下二人の姿に、ルヴァイドは驚いたように数度目を瞬く。


 やがて彼は、ただ一言、ありがとうと告げた。






◆◆◆




 

 気がつけば、午後の太陽が少しずつ傾き始めていた。
 デグレアと違い、温暖なこの地方は秋と言ってもまだ風もつめたくない。それでも、昼間の時間は確実に短くなりつつある。油断をすればすぐに日没を迎えるだろう。

「そろそろ行くか。
日が完全に落ちるまでに、街で宿をとらねば」

 そう言って二人を促すルヴァイドに、イオスがあっと声を漏らした。

「申し訳ありません、ルヴァイド様。
少しと話があるので……先に行って頂けませんか」

 すまなさそうにそう言って、イオスはちらりと横にいる少女を見やる。
 突然降ってわいた話に、心当たりのないはきょとんとするばかりだ。

 何やらばつの悪そうな顔をしているイオスの様子から、おそらく二人だけで話したい内容があるのだろうとすぐに悟ったルヴァイドは、これといって追及することもなく、ひとつ頷いて了承した。

「わかった。では、街道沿いの休憩所で落ち合おう。
五の刻までには来いよ」
「はい。
……勝手を言ってすみません。ありがとうございます」

 咎めることもなくただ静かに身を引いてくれた上官に感謝しながら、イオスはルヴァイドに一礼する。
 その後ろ姿が完全に見えなくなったところで、イオスはようやくの方へと身体を向けた。

「あの、イオスさん? どうかしましたか?」

 一体何だろうと、少女は不思議そうに首をかしげる。
 あどけないその表情に、あの雨の日の陰りはない。

 ――絶望し、一度はイオスの手さえ離した彼女が、今こうして自分の隣にいる。それが嬉しくて切なくて、イオスの胸をしめつけた。

「イオスさん……?」

 こちらを見つめたまま何も言わないイオスに、痺れを切らしたが再び問いかける。
 はっとしたイオスは、慌ててぼんやりしていた思考を呼び覚ました。

「あ、ああ、ごめんごめん。
うん……何ていうか、ちょっと二人きりになりたくてさ」
「え?」

 イオスの口から飛び出した言葉に、の頬がぽっと上気する。
 変わらぬその反応が嬉しくて、イオスが笑み崩れた。

「だって、せっかくおおっぴらに国を出れたって言うのに、ずっとルヴァイド様が一緒で、二人でゆっくり話す暇もなかったじゃないか。
――ああそうだ、こいつもついでに連れてってもらえば良かったなあ〜?」

 お邪魔虫が残っていたかと、イオスはの足下にいるテテを見下ろす。
 むっと顔をしかめた護衛獣は、うるさいとばかりイオスのすねを軽く蹴ると、これみよがしにご主人様の足へと抱きついた。

「も、もうっ……!
そんなこと言っちゃ駄目です。に、任務なのに……!」

 赤くなった顔を見られたくなくて、はぷいとそっぽを向く。
 そんな彼女のふくれ面をひとしきり笑っていたイオスだったが、ふいに真剣な面持ちになると、少し熱くなっている少女の両頬をそっと手のひらで包み込んだ。

「――この前。本当に、ごめんな……?」

 唐突に謝られて、は再びきょとんとイオスを見上げる。
 仰ぎ見た彼の瞳に宿る痛ましげな視線に、はああ、とゆるく微笑んだ。
 イオスは、先日に手をあげたことを未だに気に病んでいるのだ。

「もう、イオスさんたら、謝りすぎです。これで何度目ですか?
あれは馬鹿な事をした私が悪かったんです。私の方こそ、本当にごめんなさい……。
だからもう、そんなに気にしないで下さい。ね?」
「いや、そういう訳にはいかない。
本当に、何度謝っても足りないよ。……たぶん、一生後悔すると思う」

 絶望的な表情でため息をつくイオスがなんだか可笑しくて、申し訳ないと思いながらもはつい笑ってしまう。

「一生って……。
じゃあイオスさんは、後悔しながら、一生私のことを考えていてくれるってことですか?」
「当たり前だ。
まあ、後悔というより、愛を持って、だけど」
「――っ!?」

 からかったつもりが即座にやりこめられて、の顔がさらに熱くなる。
 そんな彼女を、今度はイオスが笑う番だった。

「も、もうっ! 知りません……!」

 可愛らしく口を尖らせる少女を、ごめんごめんと言いながらイオスが胸に抱き寄せる。
 一瞬抗議しかけただったが、優しいイオスの腕に包まれて、それ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。
 代わりに、はそっとイオスの背中に手を回した。


 しばらくの間、二人は無言でお互いのぬくもりを確かめ合う。
 やがて静かに少女の身体を離したイオスは、まっすぐに彼女の瞳を覗き込んだ。


「――。君に聞きたいことがある」
「……え?」

 触れる手の優しさとは対照的に、有無を言わさぬ厳しさを含んだイオスの視線に射抜かれて、ははっと息をのむ。
 イオスが、続けた。

「レイムは一体、君の何を知っているんだ?」
「……あ……」

 彼が地下牢での出来事を言ってるのだとすぐにわかって、の瞳に動揺が走った。

 ――あれだけ取り乱したのだ。いずれ聞かれるかもしれないと覚悟はしていたものの、いざ真正面から問いかけられると、どうしたらいいのかわからなかった。

 一瞬にして全身を強張らせ言葉を失ってしまった少女を見て、イオスの顔が後悔で歪んだ。

「ごめん。
だけど、どうしても気になって……。
君が苦しんでいるのに、何も出来ないのが悔しいんだ。だから…・…」
「イオスさん……」

 彼が、心の底から自分を心配してくれているのだとわかって、混乱していた少女の心がゆっくりと凪いでゆく。
 何度か深呼吸を繰り返して。気持ちが落ち着いたのを確認してから、はゆっくりとイオスを見上げた。

「そんな、謝らないで下さい。
別に、大したことじゃないんです。ただちょっと、あの人に私の過去を覗かれてしまったみたいで……嫌なこと、思いだしちゃっただけで。
だから、そんなに心配してもらうようなことじゃないんです。旅団の皆が抱えているものに比べたら、本当に何でもないことで、だから……」
「――

 つくり笑いを浮かべてなんでもないと繰り返す少女を、イオスの厳しい声が制した。

「僕にまで、そんな嘘をつくんじゃない」

 偽りだと言い切られ、が絶句する。
 少女の顔に張りついていた薄い笑顔が一瞬にして霧散した。
 目を大きく見開いたまま再び身じろぎひとつ出来なくなってしまったの頭にイオスの大きな手が触れる。
 繰り返し繰り返し、優しく髪を梳いてやりながら。イオスは、まるで小さな子供に言い聞かせるかのように、凍り付いた少女の瞳の奥を見つめ、言った。

「君が涙を流すほどに悲しかったのなら、それは本当に辛かったことなんだ。
辛さは、誰かと比べるものじゃない。……君はいつだって、そうやって自分を誤魔化していないか?」
「――っ!?」


 ――誤魔化している。
 イオスのその言葉がの心を大きく揺さぶった。


 あの牢でレイムが嘲笑ったもの。それは、の弱さをあらわにするだけの、つまらない過去だった。
 誰かに話しても仕方のないような、ほんの些細なこと。だから、言わなかった。心の奥底に埋め込んで閉じ込めて、何もないふりをすることは、彼女にとって一番楽に自分を救える方法だった。


 言葉にしなければ、――忘れることも出来たのだ。


 向こうの世界でも、こちらの世界でも。誰にも話さなかった、自分の想い。


 けれど、誰かに話してみたい、楽になりたいと思っていたことも事実だった。

 だが、その気持ちに素直になって良いのかどうか、にはわからない。
 小さなことに囚われている自分の醜さがじゅうぶんわかっていたからこそ、はこの過去をイオスには知られたくないとも思う。
 自分などよりずっと多くの困難を経験してきた彼には、もしかしたら呆れられてしまうかもしれない。……それが、どうしようもなく怖かった。


  殻にこもり偽るという唯一の自衛手段を失い、こぼれてゆく感情に溺れ、少女はなすすべもなくただ途方に暮れる。
 

「で、でも……。
でも本当に、笑っちゃうくらい、どうしようもないことなんです。
私が弱いからいつまでも気にしているだけで、だから本当に……!」
「――

 動揺し、あふれる感情を抑えきれずにふるえだしてしまったの肩をイオスが優しく抱いた。

「大丈夫だから、怯えないで。
僕は、君のことが好きだから……だから、聞きたいんだ」

 はっとが顔を上げる。
 イオスを見つめるその表情は、まるで見つからないと思っていた目的地を見つけたかのような、驚きと戸惑いに満ちていた。
 彼女が己の心を口にすることを恐れているのだと感じ取って、イオスはどうしたらを安心させてやることが出来るのだろうと、懸命に言葉を探した。


「君が苦しんでいるんだ。黙ってなんかいられないだろう?
その理由を知って、苦しみを共に背負い、僕の力で消してあげたいと思う。
今更と責めてくれてもいい。それでも、もう絶対にレイムに君を傷つけさせたくない……護りたいんだ。
だから……頼む。辛いかもしれないが、話してくれないか?
……僕達は――恋人同士、だろう……?」


 イオスのこの言葉が決定打となった。


 ――恋人。今、イオスは確かにそう言った。
 自分だけを見つめてくれる、真剣な瞳。慈しみ、護ってくれる、優しい腕。


 光届かぬ地下牢に引きずり込まれたせいで消えかけていた大切なこと。想いが叶い、自分とイオスは確かに恋人になれたのだということを、は改めて認識する。
 あれは一夜の夢ではなく、現実なのだ。だからこうして、イオスは何のためらいもなくまっすぐに自分を見つめてくれている。
 

 わたしを、愛してくれるひと。
 それこそが、自分がずっと望んできたものではないのか――……?



 瞳を閉じて、は何度も何度も、かみしめるようにイオスの声を胸の中で反芻する。



 ――彼ならば。自分を好きだと……愛していると言ってくれた彼ならば。
 こんな自分を、肯定してくれるのだろうか。認めてくれるのだろうか。



 イオスなら――……。



 長い時間をかけて、の心からようやく迷いが消える。

 やがて彼女は、ゆっくりと瞼を開いた。


「……わかりました。
それじゃあ、イオスさん……。私の昔話、聞いてくれますか?」

 そう言って、はするりとイオスの腕の中から抜け出す。
 吹き抜けた風が、髪を結う赤いリボンを儚く揺らした。
 見上げれば、そこには高く澄んだ青空があって。この優しい空と、イオスが隣にいる今ならば、笑って話せるかもしれないと――。覚悟を決めた少女は、忘れるために封じていた過去の記憶を口に乗せた。


「私、ね。
元の世界に、帰る場所がないんです」
「……え……?」


 唐突に耳を打ったの言葉に、イオスが驚いて目を見開く。
 自嘲なのか、そうして誤魔化さずにはいられないのか――少女は、うふっと笑って肩をすくめ、言った。

「父と母に、家に帰ってくるなって言われているんです。
……私は、価値のない子供だから」



 私は、あの人達にとって、いらない存在だったんです――……。



 掠れるような呟きが、梢の揺れる音に重なる。
 やわらかな秋の日差しが、少女の顔に寂しい影を落とした。