call my name
「――だーかーらーお前はァッ! どうしてそうやっていつもいつも……ッ!」

 良く晴れた昼下がり。吸い込まれそうな青空の下、緑の芝生を舞台にイオスとテテの取っ組み合いが始まる。
 もはや黒の旅団名物にもなりつつある、特務隊隊長と護衛獣との小競り合い。 争いの原因である少女は、お弁当の包みを片づけながらころころと笑った。


 イオスさんとテテは、本当に仲がいいですねえ――とかなんとか言いながら。


 デグレアの城下町が見渡せる丘の上。 忙しい日々の合間をぬってのピクニック。
 愛妻弁当をお腹に収めた男二人は、食後の運動とばかり丘の上を転げまわる。
 身体を動かすたび、視界を緑と青が交差する。見上げた先、目を射る太陽の光はまぶしいけれど、それは意外なほどに優しくて、逆に目に染みた。

「……おいこら、ちょっと休戦だ。おとなしくしろ、この馬鹿護衛獣め」

  イオスの上に馬乗りになり、得意げにぴょんぴょん飛び跳ねていたテテの襟首をむんずと掴むと、イオスがふうとため息をつく。
 そばにやってきたは、彼等の髪や帽子についた葉っぱをつまみながらくすくすと笑った。

「もう、イオスさんもテテも、すごいことになってますよ」

 ひとしきり笑いながら二人にくっついた実のかけらやら何やらを取ってやったは、気になる花があると言って少し離れた茂みへと歩いて行く。
 そんな彼女の後姿を、イオスは芝生に寝転がったままぼんやりと見つめた。


 ――太陽の下、幸せそうに微笑んだ少女の瞳の色は、明るい月夜のようにやわらかな黒だった。……今は。
 召喚術を使ったり、感情が昂ったりすると、あの両の瞳は背筋が凍るほど美しい赤へと染まるのだ。


 ……レイムと契約を結んだ召喚獣たる証として。


 あれから。イオスは、を軍医オーレイヴに預け、何日にも及ぶ精密な検査を受けさせた。
 事情を知る召喚師達と共に、ありとあらゆる魔力のチェックも行った。
 ――卑劣な罠に落ち、レイムと契約させられてしまった彼女の身に一体何が起こっているのかを知り、彼女を救い護らなければならないと、イオスは必死になって解決の糸口を探したのだ。

 結果、の身体には二つの変化が見つかった。
 瞳の色と、そして魔力の強さである。

 元々は質の良い魔力を有しており、また本人が進んで召喚術の勉強を重ねたことにより、彼女は今や黒の旅団の中でも指折りの召喚師として活躍するまでに成長していた。
 だがそれは、あくまで一般兵士としての基準の話である。一見急成長を遂げたように見える召喚術の才能も、多くの召喚獣がそうであるように、異界に呼ばれたことにより体内で無意識のうちに防衛本能が働き、魔力が刺激され高まっていることに起因するのだと、そう「ごく一般的に」説明がつく程度のものだった。


 けれど。今の彼女は、常人では考えられない程の桁外れの魔力をその身に宿していることがわかったのだ。


 サプレスとメイトルパ、それぞれの世界で最高位と謳われる召喚獣、レヴァティーンとゲルニカ。蒼や金の派閥の中でも師範クラスの召喚師がやっと呼べるか呼べないかというレベルの召喚獣を呼び出す少女の姿に、イオスを始め、同席した召喚師達は戦慄を覚えた。

 地下牢で、レイムはに、彼女の魔力が自分に次ぐものになったと言ったが、それは本当のことだったのだ。

 元々、レイム自身が常軌を逸した魔力を持つ召喚師である。その部下達――キュラー、ガレアノ、ビーニャ――がそうであると噂されるように、もまた、レイムから魔力を分け与えられたのだろう。あれ程の高位召喚師ともなると、そのような常識外れの技も可能らしいのだ。
  だが、イオス達には、これ以上どうすることも出来なかった。……レイムの持つ力はあまりにも大きく、知識という常識ではもはや太刀打ち出来ないのである。

 ――もっとも、そんな稀有な存在だからこそ、閉鎖された国家であるデグレアにおいて、貴族でも何でもない、ろくに素性も知れぬあの男が顧問召喚師という地位にまで昇りつめ、議会の代行者を気取っているのだが――……。


 視線の先にいる少女は、地面に膝をついて遅咲きのコスモスに鼻を近づけ、やわらかな秋の香りを胸一杯に吸い込んでうっとりとした表情を浮かべている。
 やがてイオスが見ていることに気付いた彼女は、恥ずかしそうに一瞬顔を赤らめたものの、嬉しそうに笑った。
 その笑顔に、イオスも片手をあげて応える。

 ……自分の無力さはもう嫌という程思い知った。
 それでも、 彼女がまだこうして自分に微笑んでくれるこの奇跡を、何としてでも護りたい。

 レイムがに与えた力。旅団を傘下に置いた理由。
 肝心なことは何一つわからないままだが、レイムが――この国が、自分達を使って何かとんでもないことに足を踏み入れようとしていることだけは確かだった。
 おそらく、今までとは比べ物にならないような恐ろしい任務が待っているのだろう。
 だが、黒の旅団には戦う以外術はない。
 そして、これ以上彼女と旅団を傷つけさせないため、誰よりも自分が奮い立たなければならないのだ。


 ――と、ここまで考えて、イオスはふうと自嘲のため息をもらした。


「……だからどうして、彼女だけを護るって、言い切れないんだ……僕は」

 イオス自身も彼女を傷つけた。イオスを想い、彼女はレイムに傷つけられた。
 それでも、自らの命と世界を賭けてまで、はイオスに尽くしてくれているというのに。何故自分は、彼女だけを護るために生きると断言出来ないのだろう。
 ――自分が介入したことで、人ひとりの人生を変えてしまった。これからの一生を全て彼女に捧げても足りないだけの罪を犯したことを、イオスはじゅうぶんに承知している。 もう二度と誰にもを傷つけさせないと――恋人として生涯彼女を守り抜くと、日没のレルムであの小さな身体を抱きしめた時、イオスは固く心に誓ったのだ。

 それなのに、どうして――自分にとっての護りたいものが、彼女の存在だけではないのだろう。

 最近、イオスはよく嫌な夢を見る。
 と、ルヴァイドをはじめとする黒の旅団の仲間達。各々の首に刃が突き付けられていて、片方を助けた瞬間、残された側が血の海に沈むという悪夢だ。

 どちらかしか選べない。以前の自分ならそんな状況などありえないと断言出来たのだろうが……あれだけのことがあった今、イオスはこの夢を笑い飛ばすことが出来なかった。

 彼女も、ルヴァイドも、仲間達も皆等しく護りたいなどと呑気に構えていたら、絶対にレイムには敵わない。そうやって自分が油断していたせいで、はレイムとの誓約に囚われたのだ。
 もちろん、最初から全てを諦めるつもりなどない。そんな選択を迫られる未来に辿り着かないために、自分も、旅団の皆も、あの地下牢から這い上がってきたのだ。

 護りたいものと共に、全員が生き残るために。

  だが、レイムのあの嘲笑が耳に蘇るたびに、いざという時に自分はどうするつもりなのか――その覚悟を決めておかなければならないのではないかと、そんな結論に達してイオスは気の狂いそうな焦燥感に苛まれるのだった。

 答えはひとつの筈なのに。本当に護りたいものは彼女ただひとりの筈なのに。
 いざとなったら、誰を――たとえ旅団を犠牲にしてでも彼女だけを護るのだと――そう決めきれない自分の愚かさに、イオスは吐き気を覚えた。

 ……捨てる覚悟を決めるには、黒の旅団という存在は、イオスにとってあまりに大きかったのだ。

 表に出すわけではない。ただ心の奥底に決意を秘めるだけなのに。
 最後の最後で、そのわずかな勇気が、出ない、なんて。


(……最低だ)


 だけにありとあらゆるものを犠牲にさせて。自分はその上にあぐらをかいて、周りのもの全てを都合のいいように繋ぎとめようとしている。
 ……甘いことを言っていられる状況ではないと、身に染みてわかっている筈なのに。この期に及んでまだ果ての日が来ることを考えるのが怖いだなんて、愚の骨頂だ。

 見上げた空までがそんな自分を責めているようで、このままその青さに押しつぶされてしまいそうだった。



 愛している。護りたい。二度と誰にも触れさせない。
 この想いは真実なのに。何故決めることが出来ない。何故。何故――……!




 ――と、その時、脇腹に小さな衝撃を感じて、イオスは現実へと引き戻される。
 見れば、まだまだ暴れ足りないらしいテテが、戦闘再開とばかり、喧嘩相手の脇腹を足でつついているのだった。

「……お前なあ、人が真面目に考えている時に……」

 呆れ返ってテテの襟首を掴んだイオスだったが、上半身だけを起こした彼は、やおら真剣な面持ちで彼女の護衛獣と真正面から向き合った。

「テテ。
……お前は、自分の故郷とと、どちらかしか選べないのだとしたら……迷わず彼女を選べるか?」

 猫掴みにされじたばたともがいていたテテは、突然の問いかけにわずかに首をかしげたものの、すぐにこくりと頷く。
 小さな瞳に宿る固い決意にゆらぐ気配は一切ない。
 それを見て、イオスはふっと笑った。


「そうか。
ならば、テテ――の護衛獣としてのお前に言っておく。
今後、もし、僕が彼女と他の何かを天秤にかけるようなことがあったなら……

――その時は迷わず、僕を殺せ」


 驚きに見開かれる若草色の瞳に映る自分に向って言い聞かせるように、イオスは告げる。
 意味を測りかね、口元を歪めるテテを、イオスは唐突に草原へと放り出した。
 受け身を取る余裕もなくまるいお尻から着地してしまったテテは、そのままころりと一回転してしまう。
 一体さっきから何なのだと、身勝手極まりない仕打ちに怒り飛びかかってくるテテを、ひょいと立ち上がったイオスは軽やかなステップでかわした。


「……ばぁか。
あるわけないだろ、そんなこと!」


 笑いながらそう言って、イオスはのもとへ走り出す。
 その背中を、頬をぷうっと膨らませたテテが必死に追いかけるのだった。


 まぶしい太陽の光に視界を奪われ、笑うの姿が霞む。
 その笑顔をもう一度よく見たくて、イオスは懸命に目をこらした。
閑話4:シエルの果て、アビスの手前
 辿り着いた青空の果てにも、どうかあの笑顔がありますようにと。
 我儘だとわかっていても、今のイオスは、ただそう祈ることしか出来なかった。