call my name


 デグレア軍の屋外訓練場。ずらりと並ぶ人垣の中央で、彼は改めて対峙する人物の姿を見やった。

 今日はデグレア全軍合同の模擬試合である。自分の対戦相手はあの特務部隊・黒の旅団の新入り召喚師だという。
 深く被ったフードのせいでその表情を窺い知ることは出来ない。小柄な身体を覆い隠す不自然に大きなローブ、場数を踏んだ兵士特有の威圧を感じさせないその佇まいから、まさかまだ子供なのではないのかと――実際、あの部隊は二十歳にもならない少年達が多数在籍している―― 一瞬仏心が沸いたが、たとえ年若くとも精鋭の集まりである旅団員だ。油断はならないと、彼は渾身の魔力を込めてサモナイト石を天に掲げ、叫んだ。

「永劫の獄縛を――パラ・ダリオ!」

 宵闇色の煙の中から現れた霊界の骸が紫の閃光を放つ。
 衝撃は手応えとなって彼に術の成功を伝える。

 だが、目のくらむような光の渦が消えた後、視界の先に先刻と何一つ変わらぬ姿で立つ旅団員を見つけ、彼は我が目を疑った。
 結界として設置されている反魔の水晶にも傷ひとつない。

「ば、馬鹿な……!?」

 彼が最も得意とする召喚術は確かに相手を直撃した筈だった。
 霊界サプレスにおいてかなりの高位召喚獣であるパラ・ダリオ。デグレア軍の中でもこの術を使いこなせる召喚師はまだ数少ないのだ。
 そんな術を真正面から浴びて無傷などありえない――……筈、なのに。何故。


 自分が見ている光景が信じられずただ呆然と立ち尽くす彼の目の前で、今度は相手がゆっくりと右手を上げる。
 その小さな手のひらに握られたサモナイト石が、彼の目を射抜くように煌いた。





◆◆◆




  喧騒を離れ、周囲に人の姿が見えなくなったことを確認して、は目深く被っていたフードを首の後ろへと退けた。
  女であることがばれないようにと着込んだ厚手のローブは重く、これを着て動き回るとさすがに暑苦しい。
  つめたい秋風が緊張で火照った頬に心地良い。ニ、三度深呼吸をして、少女はようやく肩の力を抜いた。
  そんな彼女にずっと寄り添っていたイオスがいたわりの声をかけた。

「大丈夫か? 本当に怪我はない?」
「はい、大丈夫です」

  実は訓練場からここに来るまでの間でもう五回も繰り返されている問いなのだが、は茶化すことなく真面目に頷き、彼を安心させるために笑ってみせる。
  そもそも、今回の試合は、周囲の反対を押し切りが無理を言って参加を決めたものだった。
  レイムにより与えられた強大な魔力を制御するため、はここしばらくの間必死に召喚術の訓練を重ねてきた。その成果を模擬試合ではあるが実戦という形で試してみたかったのである。

  度重なる押し問答の末、少しでも危険を感じたらすぐに降参すること、場合によっては本人の意思に関係なくルヴァイドが試合を中断させる等の条件の上に、ようやくは出場を許された。
  旅団の紅一点である彼女が悪目立ちしないようにと、名前や身分を偽って出場する準備を皆が整えてくれた。試合中もずっと、ルヴァイドや旅団の仲間達の心配する視線を痛いほど感じていたは、自分の我侭を改めて反省し、頭を下げた。

「ごめんなさい。心配かけてしまって……」

  素直に謝られ、イオスはまいったなと苦笑する。これでは叱るに叱れない。

  今回の出場を、勿論イオスは最後の最後まで反対していた。必要もないのにわざわざ彼女を危険にさらすなど言語道断だからだ。
  だが、レイムとの誓約により授けられた新たな魔力をなんとかしてコントロールしようと彼女が必死になって訓練を重ねていたこと、そして旅団内での訓練では彼女も相対する自分達も互いを気遣って本気になれず、彼女が本当に試しておきたい高度な術を使えないという現実を知っていたイオスは、結局の一途な願いの前に折れるしかなかったのだった。

「いいよ、謝らなくて。 でも、本当にこれっきりだからな?」

  たしなめるように額を人差し指で軽く押され、はこくんと頷いた。

「はい。でも、これで実戦で召喚する時のタイミングとか力の加減がわかったので、もう大丈夫だと思います」

 次の戦いの時には必ず役に立ってみせます、と。そう嬉しそうに微笑む少女を前に、イオスは曖昧な笑みを浮かべた。

「……駄目だよ。君に出番を取られたら僕達の立場がないだろう?
お姫様は後ろで護られているのが仕事なの。無理しない」

 茶化すような物言いながらも、今後も彼女を前線に出すつもりはないというイオスの確固たる意志を告げられ、は何も言えなくなってしまう。
 ――彼の気持ちが嬉しいような、けれど何かを言い返したくなってしまうような。思わず喉元まで出かかった複雑な感情を、は慌てて飲み下した。
 親に叱られた子供のようにきゅっと唇を引き結ぶ少女の様子を見て、イオスは優しく彼女の頭を胸に抱き寄せた。

「大切な女の子を正々堂々護れるのが恋人の特権だろう?
僕の生きがいを取られちゃ困るんだけどなあ」

 耳元で甘く囁かれ、の頬が薔薇色に染まる。

 だがその時、背後で砂利を踏みしめる音がして、はっとした二人は慌てて身を離した。
 反射的にはフードを深く被り直す。
 振り返ると、そこには先刻と試合をした男が、仲間の兵士に支えられて立っていた。どうやら救護室へと向かう途中らしい。
 イオスが無言のままを自分の背後へと隠すように前に出る。相手方も、ここでようやく二人の存在に気付いたようで、即座に表情を凍りつかせた。

 和やかだった場の空気が一変し、皮膚を切り裂くような緊張が辺りを支配する。
 男達が滲ませる怒りと憎しみの矛先が自分なのだということを感じ取り、はごくりと喉を鳴らした。

 ――の放ったサプレスの魔臣・ガルマザリアの槍に貫かれ――最も傷は致命傷ではなく、即座に治癒の術が施されているため命に別条はない―― 一瞬にして競技場の床に膝をつくことになった件の男が、仲間に何事か囁かれ、ゆるゆるとその顔を上げる。
 イオスとの姿をとらえた彼は、血の滲む顔を歪ませ悔しそうに歯ぎしりをした後、吐き捨てるようにこう言った。

「……化け物……!」

 男の言葉に、はびくんと大きく肩を震わせる。
 満身創痍の仲間の言葉に耐え切れなくなったのか、横にいた男が叫んだ。

「あんな召喚術、ありえないだろう!? なんで師範でもなんでもないお前みたいなのがあんな召喚獣を呼べるんだ!
だからお前等旅団は気持ち悪いんだよ! 得体が知れないことばっかりしやがって!
この、議会の犬め……!」
「――っ!?」

 あまりの暴言に、咄嗟に拳を握り締めたイオスの服の裾をが強く掴む。
 うつむいた彼女が何度も首を横に振るのを見て、イオスは嘆息した。
 湧いた怒りをゆっくりと吐き出した彼は、侮蔑の眼差しで彼にとっては遥かに格下となる「一般兵」の彼等を見やった。

「……つまらないことを言っている暇があったら、さっさと仲間の手当てをしてやったらどうだ」

 抑揚のない声で言い放たれた言葉にぐうの音も出ない二人は、悔しそうにイオスを睨んでから救護室の方へと去って行った。
 あと少しでその後ろ姿が木立の影に消えると、ようやくがほっと胸を撫で下ろしかけた――その時。

「う、うわああああああああッ!?」
「つめてええええええッ!」

 いきなり頭上から冷水をかけられて、全身ずぶ濡れになった彼等が盛大な悲鳴をあげる。
 一体何事かと呆然とするの横で、イオスはやれやれと肩をすくめた。

「なんだ、ずいぶん元気じゃないか……」

 大げさなことを言って、とイオスが呆れたように呟く。

「あれじゃあ怪我も大したことないぞ。
――気にするな、。ああいうのを負け犬の遠吠えと言うんだ。よく覚えておけ」
「え? あ、は、はい……」

 勝利者が味わう面倒な洗礼だよと口をとがらせるイオスに、は戸惑いながらもなんとか頷く。
 彼女が落ち着いたのを確認したイオスは、今度は出来たばかりの水溜りの先にある茂みへと声をかけた。

「……出て来い。犯人はお前だろう」

 え? と驚くの目の前でがさがさと茂みが揺れ、ぴょこんと顔を出したのは――なんと彼女の護衛獣であるテテ。

 ご主人様へ無礼なことを言った輩に天罰を下した彼は、ちょっとばつが悪そうに少女を見上げた。
 叱られる、という護衛獣の予想の通り、ようやく事態を把握したがフードを跳ねのけ、まじまじと護衛獣を見つめる。
 その目の端がみるみるうちにつり上がっていくのを目の当たりにし、盛大に落ちるであろう雷を覚悟したテテはぎゅっと帽子の両端を握りしめた。

「こ……こら、テテっ! 駄目じゃないあんなことしたら……!」
。今日はいいにしてやれ」

 だが、そんな彼女をなんとイオスがたしなめる。
 もテテも、まさかこのタイミングで彼が制止に入るとは夢にも思わず、二人揃って目をまるくした。
 呆気にとられるをよそに、イオスは至極真面目な顔でびっくり眼(まなこ)のテテを見下ろした。


「おい、テテ。
……あとで酒おごってやる」


 一瞬の沈黙の後、目を合わせた二人の男の顔に浮かぶのは――何故だかとてもそっくりな笑み。

 悪戯を成功させた子供のように笑い合う彼等を前に、結局もつられて笑み崩れてしまうのだった。
 





◆◆◆






 大理石の壁に、僅かなすきま風に揺れるランプの灯りが淡い影を落とす。
 皆が寝静まった夜更け、城に仕える女官達専用の大浴場でひとり湯に身体を沈めたは、ふう、とため息をついた。
 表向きルヴァイドの身内を名乗っている関係上、には貴賓室が与えられており、そこには備え付けのバスルームもあるのだが、彼女は広々と気持ちの良いこちらの浴場を好んだ。

 熱い湯が少女の身体をじんわりとほぐしてゆく。その心地よさに身を委ねながら、瞼を閉じたは今日の出来事を思い返していた。

 あの試合の後、他の旅団員達からも「怖くなかったか」「怪我はないか」と再三心配された。周りから見れば彼女は間違いなくパラ・ダリオの直撃を受けていたのだから無理もないだろう。
 相手の男が呪文を唱え始めた時、恐怖を感じなかったと言えば嘘になる。けれどあの時、は自分でも驚くほど冷静に具現する霊界の骸と自分に向かってくる光の渦を眺めていた。

 ――途中でわかったのだ。相手の召喚術は、自分に傷ひとつつけられないだろう、と。
 感じる魔力が、彼女にとってはあまりにも――軽かったのである。


 この世界に来て――……否、生まれて初めて、は自分の目の前にいる相手を「弱い」と思った。


 そんなことを考える自分に驚く。
 なんという奢りだろうと、必死でその考えを振り払おうとする。
 そもそもこの力は望んで勝ち得たものではない。恐ろしい鎖に縛られていることの証なのに何を浮かれているのだと、は己の愚かしさが滑稽にさえ思えた。

 レイムとの誓約により与えられた魔力。どう考えても自分には分不相応のものだ。

 訓練を始めたばかりの頃は、召喚術を使おうとすると、いつも耳の奥底で見知らぬ誰かの声が聞こえるような気がしていた。呪文を詠唱する声も、どこか自分のものではないような気がしていた。


 まるで――自分の中に別の誰かがいるかのように。


 最初、彼女はそれをレイムの声なのだと思った。誓約という楔が間違いなく自分の中に打ち込まれているのを感じ、は恐怖のあまり何日も眠れぬ夜を過ごしたのだ。
 訓練を重ねるにつれその声は聞こえなくなり、気持ちもだいぶ落ち着いた。今でははっきりと自分自身の声と意思で召喚獣をコントロールしている自信がある。
  だが、もとが異物である以上、今後どうなるかはわからない。驚くべきこの魔力は本当に自分のものになったのか、裏に何かあの男の罠が仕組まれているのか、それすらもわからないのだ。
 危険であることは間違いなかった。イオスの言うとおり、前線などには出ず、余計な力は使わず、今まで通りに過ごすことが最も安全な方法だった。


 けれど同時に、もう一人の自分が囁くのだ。


「……だけど本当は、喜んでいる……この力を」


 自分の唇から漏れた呟きに、彼女ははっと口許を抑える。
 だが、それが今のの本音だった。

 今日の戦いで、ははっきりと感じたのだ。
 今の自分なら、旅団の――イオスの役に立つことが出来る、と。

 あの時、本当はサプレス最高位の召喚獣であるレヴァティーンを召喚することも出来た。広い屋外競技場に立ち昇るゲルニカの炎を見るのも悪くなかった。
 だが、それでは大騒ぎになると――今日、は「手加減をして」ガルマザリアを呼び、あの男に勝利したのである。
 自分ではさしたる苦もなく振るった力。それなのに目の前の男があっさりと地に伏した瞬間――彼女を支配したのは、背筋が震えるような快楽だった。

 蔑まれるだけの人生を送ってきた少女は、初めて人を屈服させる悦びを知ったのだ。

 倒れた男の身体から流れ出る真っ赤な鮮血を見た時、フードの下で、彼女は一瞬だけ――哂った。
 恐怖の前に、恍惚の笑みを浮かべてしまった。


 ……なんということだろうと、は窓から身を投げたくなるようなたまらない自己嫌悪に駆られる。
 イオスには言えない。死んでも言えない。絶対に知られたくない、知られてはいけない感情だった。
 けれど、これで彼女は確信したのだ。――今の自分は、強い。


 もちろん、実戦では今日のように簡単にはいかないことも理解している。いくら強い召喚獣を呼べるようになったとはいえ、自分には判断力や瞬発力、精神力などまだまだ戦いにおいて必要なありとあらゆるものが不足しているのだ。
 だが、それでも、もう今までの自分とは違う。
 イオスは、自分を護ってくれると言った。それはとても嬉しく幸せなことだったが、本当はもイオスを護りたかった。
 戦場で、ただ彼の無事を祈るだけではなく、その背中を追いかけて――時には追い越して、イオスの力になりたかった。
 そうすれば彼のそばにいる理由が出来る。自分が彼の横に在って然るべき存在になりたかった。

 ずっと願っていたその望みを――今の自分ならば、実現することが出来る。

 ……愚かだとわかっている。得体の知れない力を注ぎ込まれて、けれどその力の虜になっていることがどれほど危険かも理解している。
 それでも――は、もうこの力を手離すことなど考えられなかった。



 イオスを――護れるのだ。この手で。



 力さえあれば、世界に刻み込んで、自分に、彼に、皆に示すことが出来る。
 彼の隣は自分だけの居場所なのだと。永遠に。



 この力さえあれば――……。



 ふと窓の外を見上げると、漆黒の夜空には白い月が冴え冴えと輝いていた。
 浴槽から上がり、はランプの灯を静かに消す。淡いオレンジ色に染まっていた室内が、窓から差し込む月明かりにぼんやりと浮かび上がった。

 もう一度湯につかり直して、は湯の中に沈んだ己の身体を見つめる。

 月明かりに照らされた白い肌。この身体を、イオスは綺麗だと言ってくれた。何度も口づけて、愛していると抱きしめてくれた。

 あの奇跡の夜を思い出し、はぎゅっと自分の身体を抱きしめる。
 告白をやり直し、改めて恋人同士となった今でも、イオスはあの夜以降一度もの肌の奥深くに触れようとはしない。
 それが彼の精一杯の誠意であり優しさなのだとわかっていたが、はもう一度、彼に抱きしめて欲しかった。

 彼のそばにいたい。彼を護りたい。
 生き抜いて――すべてを終わらせて、ずっとこのまま、彼に自分だけを見つめていて欲しい。

 そのためなら、はたとえそれがレイムとの誓約であろうとも――受け入れる覚悟があった。

 彼のそばにいられるのなら。そうして永遠に彼に愛してもらえるのなら、たとえ悪魔に魂を売っても構わない。


 
 力にとり憑かれてしまった愚かな自分を自覚しながらも、揺るぎない決意を秘めた少女の瞳は濡れたように紅く輝いていた。


閑話4:シエルの果て、アビスの手前


 水面にたゆたう白い月。
 奈落の底を覗きこんだら、こんな風に揺れる月が見えるのかもしれない。少女はふとそんなことを思った。