call my name

 深紅に染められたレイムの長い爪が地図の一点を指す。そこは、アルミネスの森と呼ばれる未開の地だった。
 かつてこの世界が悪魔の軍勢に攻め込まれた際、天使が悪魔達を封印したという伝承を孕む森。幼子におとぎ話として語られるその場所に、デグレアが求める至宝があるのだと顧問召喚師は語った。

 ――機械遺跡。彼の口から出たその言葉にルヴァイドが苦渋の表情を浮かべた。

「……そこには昔、一度調査隊が派遣され……何も見つけられなかったと聞いたが」
「ええ、よくご存知で。
……ああ、その時の戦いで、確か貴方のお父上のご友人も帰らぬ人となったのですよねえ?」

 面白そうに口先で哂うレイムをルヴァイドはきつく睨みつけた。

 ルヴァイドの脳裏に、かつて幼い自分をまるで実の息子のように可愛がってくれた父の親友の姿が蘇る。
  ――森へと向かった彼の人が帰らず――そのすぐ後なのだ。父レディウスが処刑され、ルヴァイドの運命が狂い始めたのは。

「以前から元老院議会はあの森の奥深くにかつて悪魔と戦った時に使った強力な兵器が眠る、機械遺跡と呼ばれる場所があるということを掴んでいました。
ルヴァイドの言う通り、十数年前にも調査隊が派遣されたのですが、その時はまだ場所も定かではなく、森を彷徨った挙句多くの者が周囲に潜んでいた悪魔に殺されてしまいました。
ですが、今回ようやくその在処がはっきりとわかったのです」

 蒼の派閥がひた隠しにしてきた情報を入手しましてね、とレイムはいやらしく哂う。

「議会からの命令を伝えます。
黒の旅団はアルミネスの森へと向かい、機械遺跡内部へ侵入、そこにある兵器の存在を確認すること。
……名誉ある素晴らしい任務ですよ。遺跡の兵器を手に入れることはデグレアの悲願です。その強大な力さえあれば、聖王国も間違いなくこの国に屈することでしょう」

 異存はありませんね? と目を細めるレイムに、ルヴァイドは厳しい表情を崩さないながらも迷いなく頷いた。
 かつて一小隊が壊滅させられた場所への任務だ。とても危険だが、これを成功させれば旅団の地位は飛躍的に良くなるだろう。
 
 異を唱える者がいないのを確認して、最後にレイムは隅に控えていたを呼んだ。
 そばに来た彼女の手にひとつの羽を握らせる。

「森には天使の結界が張られています。
この羽を使えば結界を壊すことが出来ますので――その役目はさん、貴女にお願いしましょう」

 レイムが手渡したものは、手のひら程の大きさの黄金色に輝く羽だった。
 もとはとても美しい――鳥か何かの羽なのだろうが、根元から中程までが赤黒く染まっている。 ――血であろうことは容易に想像がついた。
 いわくありげなそれに、は一瞬瞳に怯えの色を宿すものの、余計な揉め事を起してはいけないとただ黙って頷く。
 だが、ふと彼女は、沸き上がった疑問を口にした。

「……あの。どうして私、なんですか?」

 進軍に必要不可欠な大事なものを何故自分にと怪訝そうに眉根を寄せる少女に、レイムはそれは嬉しそうに微笑んで見せたのだった。


「貴女だから任せるのです。
……大丈夫ですよ。貴女にはその資格があるのですから」



 不可思議なレイムの態度に、は背筋が粟立つ様な悪寒を覚える。
 だが、彼女にその言葉の意味を考えるだけの猶予は与えられなかった。
第21夜 ゲイルとマリオネット
 不穏にざわめく梢。
 次第に深くなる森は、まるで侵入者を押しつぶそうとするかのように枝を濃く高く伸ばし、外界の様子も、太陽の光さえも遮ってしまう。
 ――訪れた者に帰り道を与えない。そんな意志を感じさせる禁忌の森――それがアルミネスの森だった。

 ギャア、とひときわ大きく響いた鳥の鳴き声に、はびくりと肩を震わせる。すると、気配に気づいたのか前を歩いていたイオスが振り返った。

「大丈夫か? 
「あ、は、はい。大丈夫です。すみません」

 慌てて取り繕ったように首を横に振るものの、すでに彼女が怯えきっていることを見抜いたイオスは小さく息を吐いた。

 ――無理もない、と彼はぐるりと周囲を見渡す。

 陽の光もろくに届かない薄暗い森。レイムに渡された地図を頼りに、藪を掻き分け、遠くに獣の咆哮を聞きながらの進軍なのだ。
 しかも、探しているものは得体の知れない遺跡と兵器である。遥かな昔に封じられたものを無理やり掘り起こそうとしている上、過去に壊滅した部隊があるというこの任務にどこか嫌な予感を抱いているのは、イオスも――顔色を見るに、おそらく旅団員全員が同じだった。
 ましてや、はレイムから結界を解くという不思議な羽を託されている。あの時イオスも、上官であるルヴァイドや自分ではなく、何故わざわざ彼女を選ぶ必要があるのだととレイムに詰め寄ったが、顧問召喚師はただ笑って「魔力が強い方が適しているのですよ」とだけ答えた。
 そう言われてはぐうの音も出ないイオスだったが、あの血染めの羽にどこか忌まわしいものを感じずにはいられない。そんなものを持たされている彼女が不安に陥るのも当然だと思った。

 横を歩く少女は、慣れない獣道に時折足を取られながらも懸命に前を見つめている。だが、瞳にうっすらと滲む赤は、気丈に振舞いつつも彼女が緊張と恐怖に張りつめている何よりの証拠だった。

「……。槍の先がちょっと……」
「え?」

 矛先がどうとか呟きながら、イオスは足を止めて彼女が持つ銀槍に触れ何かを確かめるような仕草をする。
 よくわからないながらも何かイオスが気になるものを見つけたのだと、も黙ってその場に立ち止まり、結果他の旅団員達は二人を追い越してルヴァイドの背中へと付き従う形になった。
 そうしてとうとう全員が先に行ってしまい。急がないと遅れてしまうかも、とが少し焦りだしたところで、彼女は突然イオスに抱き寄せられた。

「――っ!? イ、イオスさ……」

 まさかこんな場所で抱きしめられるとは夢にも思わず目を白黒させる少女の耳元に、イオスがそっと囁いた。

「――大丈夫。絶対に、護るから」
「……あ……」

 耳に染み込む甘く優しい声に、はふっと全身の力が抜ける。
 まるで嘲笑のようにも聞こえていた樹と風が奏でる不気味な喧騒が遠のいて、の心からは嘘のように恐怖が取り去られていった。

 ――大丈夫。
 ずっとイオスが一緒にいてくれるのだ。
 レイムに渡された羽も、彼の役に立つためのものだと思えば何も怖くはない。薄暗い森も、未知の遺跡も、彼がいち早くしがらみに囚われる日々から解放されるための手段なのだと思えば、むしろ待ち望んでいた場所にさえ思える。

「……はい」

 彼の胸にきつく顔をうずめ、そのにおいとぬくもりを思いきり吸い込んで。顔をあげたは、幸せに満ち足りた顔で微笑んだ。






◆◆◆






 
「――これが『結界』か」

 木々がひしめきあうように枝を絡ませ、とうとう完全に行く手を阻んだ森の袋小路。レイムが地図に示した通りの場所に天使が張ったという結界があった。
  一見、茂り過ぎた緑が邪魔をしているだけのただの行き止まりに見えるその空間にルヴァイドが手を伸ばすと、小さく火花が散り向こうの景色が僅かに歪む。すぐ目の前にある筈の木に触れることが出来ない、侵入者を拒む見えない壁の存在を全員が認識した。

「……
「はい」

  ルヴァイドに呼ばれ、はレイムに渡された羽を手に前へと出る。
  結界を前にごくりと喉を鳴らす少女の肩に大きな手が置かれた。

「異変を感じたらすぐにやめるんだ。無理はするな」
「はい。……大丈夫です」

  自分を気遣ってくれるルヴァイドの気持ちが嬉しくて、は優しい指揮官を安心させるべく笑顔を作る。
  彼の、そして後ろで心配そうに見守ってくれている皆のためにも、必ず結界を解かなければならない。
  大きく深呼吸をして。決意を固めたは挑むように結界の先を見据えた。

  透明の壁を感じる虚空に羽を押し当てる。即座に押し戻される――拒もうとする大きな力を感じたが、後ずさりそうになる両足を叱咤し、その場に留まった少女はレイムに教えられた通りの言葉を口にした。


「≪クレファ≫が戻りました。
――道を、開けなさい……!」


  その声を聞いた「森」は、突然ざわめきを止めた。
  あれほど鳴き狂っていた鳥達、獣達が、嘘のようにその口を閉ざす。
  静寂の中、結界がぐにゃりと歪む。――開く! と誰もが固唾を呑んだ次の瞬間、耳をつんざくような金属音が響き渡り、全員が倒れこむように地面に膝をついた。

「な、なんだ、この音は……っ!?」

  息をも奪うような圧迫感を伴う悲鳴のような音が襲い掛かる。鼓膜が抉り取られるように痛み、とても立ってなどいられない。
  痛みのあまり周囲の風景が波打つような幻覚に苛まれながら、イオスは必死に護るべき少女の姿を探した。

「…………!」

 だが、イオスの瞳が捉えた光景は。
 崩れ落ちた男達の中でただひとり、まばゆいほどの白い光に包まれながら、しっかりと大地に立ち続けている少女の姿だった。






◆◆◆





  灰になった植物の残骸が点在する、焼け崩れた大地。そびえ立つ鉄の壁を前に、しゃがみこんだ人々が絶望の言葉を吐いていた。


(駄目だ、魔力を全て吸い取られている……)
(おのれ調律者(ロウラー)……! 力奪われてなお我等の邪魔をするか……!)
(遺跡はどうなったのだ、封印は!?)
(封印は成功している。だが……)
(なっ……!? これではもう解くことが出来ぬではないか!)
(どういうことですか!? 二度と過ちを繰り返さないため、我々はここを封印……)
(甘いな、アフ……よ……)


  罵り合う人々の姿が霧散し、残されたのは干乾びた死体と鉄の塊――外壁のあちこちに血がこびりついた建物。
  それを、やがて生まれた蔦が深く深く覆い隠して行く。
  まるでその建物を護るように伸び続ける蔦に、数多の呪いの言葉がぶつかっては消えていった。


  ――手に入れるのだ。余人の手に奪われる前に。この手に。

  ――呼ぶのだ。鍵を。



  ――クレファを――……!




  ふいに背後から伸びた長い腕に身体の自由を奪われた。
  抵抗する彼女の首筋ををつめたくぬめった舌が這い上がる。



  ――サア。カエシテモライマスヨ。ワタシノ、チカラヲ――……!



  それは、彼女の命を啜り喰らう、悪魔の声。




「い――いやあああああああああああああああああああっ!」




「――!」



  思い切り叫んだその時、誰かに名前を呼ばれた。






◆◆◆






  泣きながら瞼を開けると、目の前には額に脂汗を伝わせながら自分の名前を呼んでいるイオスの顔があった。

「――! !! 大丈夫か!?」
「……え? わた……し……?」

 何か、とても怖ろしい夢を見ていた気がする。けれど、あれが何だったのかよくわからない。
 頭の中がぐちゃぐちゃで気持ち悪くて、そもそも何故結界の前に立っていた筈の自分が地面に腰をおろしているのか、どうして泣いているのか、は何一つわからなかった。

 何が、起こったというのだろう。

 イオスに抱きかかえられたまま、状況がわからず混乱する少女に、横にいたルヴァイドが答えた。

「結界を解いてすぐ気を失ったのだ。ほんの数分だが……大丈夫か?」
「……はい。……すみません……」

 慌てて涙を拭うの頬を気にするなとでも言うように撫でたルヴァイドが立ち上がる。
 彼の視線の先を辿ると、さっきまで道を塞いでいた木々が消滅し、遥か向こうに建物のような影が見えた。
 ようやく落ち着きを取り戻したは、慌ててイオスを見上げた。

「イオスさん。もしかして……!」
「ああ。おそらくあれが機械遺跡だろう。お手柄だよ、
酷い音がしたし……辛かっただろう? 本当に大丈夫か? 立てる?」
「はい。大丈――……」


「――イオス!」


 を助け起こそうとしていたイオスに突如ルヴァイドの鋭い声が飛ぶ。
 はっと目を見開いたイオスは、すんでのところで彼等に向かい飛んできた何かを槍で薙ぎ払った。

 的を外し、地面へと刺さったそれは――錆付いた鉄の刃。

「なっ……!?」

  一体どこから、と顔を上げた旅団員達は、さっきまでそこにはなかった筈のものを見つけ息を呑む。
  いつの間にか、彼等の周りをぐるりと異形の集団が取り囲んでいた。


  獲物を狙う血走った瞳。紫に爛れた肌。黒い翼。
  ――サプレスの悪魔だ。


「……成程。これが、十七年前に将軍の部隊を壊滅させた、悪魔か……!」


  ぎり、と唇を噛んで。勢いよく右手を上げたルヴァイドが叫んだ。


「総員戦闘開始! 悪魔達を殲滅し、遺跡へと向かう!」
「――はっ!」


  答えと同時に火を噴いたのはゼルフィルドの銃口。
  その爆音を合図に、旅団員達は目前の敵へと向かい大地を蹴った――……。