call my name

 ずっと――会いたいと恋焦がれていた少女が目の前にいる。

 の姿を目にしたシャムロックの胸に熱いものがこみ上げる。だが、自分が彼女に何をしたのかを即座に理解した彼の頭から一気に血の気が引いた。

「す――すみませんすみませんさん! 怪我はっ……!?」

 森の入り口で悪魔達と戦ったばかりで気が昂っていたとか、視界の悪い森の中で確かめる術もなかったなどと、そんなことは言い訳にならない。
 あと少しで、自分は世界で一番大切な相手に対して取り返しのつかないことをするところだったのだ。

さ――うわっ!?」

 だが、思わず駆け寄ろうとしたシャムロックに、突然先刻彼が放った短剣が投げ返される。
 テテが、主人を縫いとめる短剣を引き抜き力任せに投げつけたのだ。怒りで顔を真っ赤にした護衛獣は、ヴヴ、と威嚇の唸りを発しながら、の前で短い腕を精一杯広げている。
 そして間髪入れず、槍を手にしたイオスが無言のままシャムロックへと踊りかかった。

「――っ!」

 問答無用で振り下ろされたイオスの槍をシャムロックの長剣が薙ぎ払う。相手が思わず背後に飛びずさった隙に、イオスはの元へと駆け寄り、背中に少女を庇った。


 ――まるで――目の前の男にだけは、決して彼女の姿を見せたくないとでも言うように。


 溢れ出す殺気を隠そうともせず、シャムロックを睨み付ける二対の瞳。確固たる意思を宿すそれらを前に、ふう、と嘆息したシャムロックは、構えていた剣を下ろすと、改めてへと視線を向けた。

「……怪我はありませんか?
悪魔の残党と間違えて思わず剣を投げてしまったんです……本当に、すみませんでした」

 彼の鳶色の瞳にも、威嚇し続けるイオスとテテが確かに見えている筈で。にも関わらず、シャムロックはそう言ってに向かい頭を下げる。
 決して安全とは言えない状況下で、己の身の安全よりもまず謝罪を優先するその真摯な態度に、の胸が強く締め付けられた。
 短剣を投げられた時の恐怖など、一瞬にして霧散してしまう。

 相変わらず――なんて真っ直ぐなひとなのだろう。

 イオスの背中に庇われ、同時に前に出ないよう彼の手で強く押しとどめられながらも――はシャムロックに応えずにはいられなかった。

「だ、大丈夫…です。 私の方こそ、盗み聞きみたいな真似をしていて……その、ごめんなさい……」

 任務の一環であるならば、それは盗み聞きではなく立派な偵察行為であり、本来彼女が謝る必要などどこにもないのだが――……。が変わらず少女らしい心を持ち続けてくれていることに嬉しさを覚えたシャムロックの口元が優しくほころんだ。

「……ずっと、心配していました。
草原で、貴女が泣きながらデグレアへ戻って……どうなったのかと、無事なのかと、ずっと気がかりで。
でも……その様子なら、大丈夫そうですね」

 迷うことなく少女を背に護るイオスの様子を見る限り、彼が彼女を傷つけるかもしれないという自分の心配は杞憂に終わったのだとシャムロックは確信する。
 よかった、と。敵を前にしてなお、シャムロックはただのためだけに、心からの安堵の笑みを浮かべた。
 清らか過ぎるその笑顔に、一瞬の鼓動がとまった。

「シャムロック、さん……」

 あまりのことに、胸がつまってまともに息が出来なかった。声が上擦る。
 まさか、シャムロックがそこまで自分のことを気にかけてくれていただなんて夢にも思わなかった。
 むしろ、あれから自分は、ただイオスのことだけで頭がいっぱいで、必死で、シャムロックのことを想い返すゆとりもなかったことが急に申し訳なく思えてくる。


 それどころか、自分はもう二度とシャムロックやトリス達とは合い入ることのない道を選ぶことを深く心に誓っていて――……。


 だが、そんな彼女の揺れる想いを見透かしたかのように、イオスの厳しい声が少女を現実へと引き戻した。

「――黙るんだ、。こんな奴と口をきく必要はない」

 胸を抉るつめたい声に、自分がこの事態を招いたのだと思い出したははっと身を固くする。
 彼の言うとおり、自分にはシャムロックと話をすることなど許されないし――その資格もなかった。

 怯えるように身を縮ませ、自分の一歩後ろに下がりうつむいてしまった少女の姿に、イオスは僅かに唇を噛む。
 一瞬だけ後悔の色を滲ませたアメジストの瞳は、けれどすぐに氷のような冷たさを取り戻した。
 研ぎ澄まされた槍の矛先を、イオスは迷うことなくシャムロックの心臓へと向ける。

「……ここにいるというだけで、お前達はデグレアの敵だ。 邪魔者は排除する」

 感情のこもらない声でそう告げると、イオスは一歩前へと出る。
 イオスの態度に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたシャムロックも、一度下ろした剣を再び構え直す。
 固唾を飲むの目の前で、今にも二人が武器を合わせようとしたその時、遺跡の方から鋭い剣戟の音と何かを言い争うような声が聞こえた。


  ――この状況では疑う余地もない。間違いなく、黒の旅団とトリス達が衝突したのだろう。


 いつまでもひとり単独行動をとることは許されない。ただちにルヴァイドのもとへ戻らなければならないと、久しぶりに目にした宿敵を前に我を忘れかけていたイオスに最後の理性が強く警告した。

「――くっ……!」

 今すぐにここで切り殺せないことが心底悔しいとでも言うようにシャムロックを睨み付けると、イオスはの手首を掴み、上官が戦っているであろう遺跡の方向へと走り出す。


「……さん……」


 一瞬だけ、切なげに二人の後姿を見つめて。シャムロックもすぐに彼等の後を追い、仲間のもとへと駆け出した。





◆◆◆





「デグレアは、この遺跡の中に何があるのかわかっているのか!?」
「……ほう。まるで、自分は全てを知っているとでも言いたいようだな」

 ルヴァイドに冷静に言い返され、焦りからか額に油汗を浮かべたネスティが言葉に詰まった。

 互いに入り口を見つけられず彷徨っていた機械遺跡の前で、黒の旅団と聖女一行は久しぶりの、けれど決して望んではいなかった再会を果たしていた。
 動揺しつつもアメルを護るように円陣を組みこちらを伺うトリス達を見やるルヴァイドの瞳がすっと細められる。

「さて。……この場で我々の姿を見た貴様らを生かしておくわけにはいかない」

 無用な争いは避けたかったがな、と諦めたように吐き出された呟きは、誰の耳にも届かぬまま森のざわめきへと吸い込まれる。
 すっと剣を引き抜いたルヴァイドに、堪えきれなくなったリューグが叫んだ。

「――させるかよっ!」

 先手必勝とばかり高く斧を掲げ、リューグは敵将へと突進する。だが、鋼の戦斧はルヴァイドに触れる前に鮮やかに弾き返された。
 獲物との間に割り込んできた人物の姿に、リューグはぎりりと唇を噛む。

「……イオス……!」

 真横の茂みから疾風のように飛び出し、美しい銀色の弧を描きながら槍を振るったイオスは、そのままルヴァイドを庇うように上官の前で攻撃の構えを取る。
 緊迫する空気。一触即発の状況の中、必死に打開策を探していたトリスが、イオスの後ろにそっと控える黒髪の少女の姿を見つけて紫紺の瞳を見開いた。

「――!」

 懐かしくも優しいトリスの声に、はびくんと肩を震わせる。けれど彼女は、トリスの呼びかけに対し顔を上げるような愚かな真似はしなかった。
 ――彼女の顔を見たら、もはや感じてはいけない罪悪感に苛まれることがわかりきっていたからだ。
 だが、そんなを追い詰めるように、トリスは彼女だけが唯一の突破口とばかり呼びかけた。

「ねえ、教えて! どうしてあなた達がここにいるの!? アメルを狙っていたデグレアが今度は機械遺跡に目をつけたってこと!?
一体あなた達は何をしようとしているの!? ねえ、――……!」
さん! あたし、あなたとは戦いたくないんです! あなただって本当はそうでしょう? だから草原ではイオスをとめてくれたんでしょう?
お願いです、どうか手を引いてください……!」

 トリスの後を追うように、アメルが懇願する。
 やわらかく、そして高く澄んだ彼女達の声が、の脳裏に、敵だとわかっていても優しく接してくれた思い出を呼び起こす。
 片手で数えられる程度の邂逅でも。すべては忘れたくても忘れられない、優しすぎる時間。

 揺さぶられそうになる心を必死に繋ぎとめようと、は手にした槍をきつく握り締める。

 自分だって、出来ることなら彼女達とは争いたくない。それどころか、友達になりたいとさえ――本当に、心から、そう思っていた。

 だが、それでは駄目なのだ。
 二つを同時に選ぶことは出来ない。自分が甘いことを考えた結果、旅団が科せられた運命を決して忘れてはならない。


 ならば、自分が今ここで成すべきことは――……。


「――ッ!? ニンゲン、オンナ、下がりやがれっ!」

 うつむくから漂う気配を敏感に嗅ぎ取ったバルレルが叫ぶ。
 はっと数歩後ろへ飛び退いたトリスとアメルの目の前で、地面が盛り上がり、鋭利な切っ先を持つ水晶の柱がいくつもそびえ立った。
 一瞬置いて、が自分達に向けて攻撃の召喚術を放ったのだと理解した二人の少女の顔いっぱいに驚愕と嘆きが滲んだ。

――……!」
「それ以上しゃべらないで!
私は黒の旅団の兵士です! デグレアの邪魔をするのなら、私は貴女達と戦います……!」

 自分と彼女達との間に、まるで超えられない壁のように召喚術で亀裂を生み出して。の叫びが森へと吸い込まれる。
 二度と覆らない決断を宣言するその声は――けれど、掠れ擦り切れそうに、震えていた。

さん……」

 懸命に涙をこらえる瞳には、強い決意の炎がゆらめく。だが、小さな白い手ですがるように槍を握り締めるその姿はあまりに痛々しくて、誰かが支えてあげなければ今にも梢を揺らす北風にさらわれてしまいそうに見えて――……。シャムロックが思わずよろめくように一歩前へと出た、その時だった。



「――声紋チェック完了。調律者、クレスメント一族のライブラリと一致。同時にベイガー、ゲイル・アルミネの存在を確認。
最終プロテクトチェック、魔力の波動により鍵の存在を確認。<クレファの赦し>が認められました。
シールドオールクリア、当研究施設内部へ転送いたします」



 突如響き渡った無機質な音声。聞き慣れないそれに、何事かと全員が目を見張る。
 一体どこから聞こえたのかと皆が必死に周囲に目を凝らす中、急に何人かの姿が白い光に包まれ始めた。

「うわあっ!? 何だこれ!?」
「ちょっと、浮かぶ……きゃああああっ!?」

 身体を包み持ち上げようとする得体の知れない力に、マグナとトリスが悲鳴を上げる。

「え、や、やだ……なに……!?」

 何が起こったのかわからず、ただ呆然と彼等の姿を見ていただったが、一瞬遅れて自分も同じ光に囚われていることを知る。
 まるで罪人を捕える鎖のように全身を這う光の束を前に、胃のせり上がるような恐怖に襲われる。今すぐここから逃げなければと思うのに、何故か両足は金縛りのように動かない。

「やだ、いや……!」

 次第に透けゆく主人の足に抱きついたテテが渾身の力を込めて引っ張るのだが、そんな護衛獣の努力を嘲笑うかのように光は輝きを増す。
 やがて、全身に絡みついたそれがひときわまばゆく輝いて――……。


「――!!」


 咄嗟に彼女を抱きすくめたイオスとともに、光に包まれた彼等の姿が――忽然と、消えた。







◆◆◆






 目のくらむような光がようやく消え、きつく閉じていた瞼をおそるおそる開ける。
 霞が晴れたその先に見つけたありえない光景に、は我が目を疑った。


「え……な、何、ここ……」


 そこは全く見覚えのない、広い部屋だった。
 くすんだ灰色の壁、所々に錆の浮かぶ金属の床。辺り一面を数え切れないほどのケーブルが這いまわり、全ては正面に置かれた大きな機械――コンピューターのようなもの――に繋がっている。
 部屋に照明はなく、その機械が所々に浮かび上がらせている電光色の文字やラインだけが、唯一の灯りとなって辺りを青白く照らしていた。

 例えるならば、元の世界で観たSF映画に出てくるような部屋。とてもリィンバウムとは思えないその場所に、の背をひやりとした汗が伝う。

(森にいたのに、どうして……? みんな、は……!?)

 ここは何処なのか、自分の身に何が起こったのか、何一つわからない。
 ただ怖くてこわくて、まるで初めてリィンバウムの地を踏んだあの夜のような途方もない不安に押しつぶされそうになった所で、きつく肩を抱かれた。

! 大丈夫か……!?」
「――っ! イオスさん……!」

 彼の存在を確認し、確かなぬくもりにはほっと胸を撫で下ろす。足元には、よほど怖かったのかぎゅっと目をつぶってふくらはぎに抱きついているテテもいて、は護衛獣のまるい身体をきつく胸に抱きしめた。
 少し落ち着きを取り戻してから改めて周囲を見渡すと、部屋の中には自分達の他にトリスとマグナ、二人の護衛獣であるバルレルとハサハ。そしてネスティとアメルの姿があった。
 どうやら、ここにいるのは自分達だけらしい。状況がわからないのは彼等も同じようで、まだこちらに気付く余裕すらないように見えた。

「もうっ、一体なにが起こったっていうのよ……!?」
「静かにしろトリス、騒ぐんじゃない。
ここは……遺跡の内部だ。さっきの光は転送を行う装置の照射で、害はない……」

 うろたえる妹弟子をたしなめるネスティの語尾が僅かに震えている。

「転送って……あの光が俺達を遺跡の中に運んだっていうのか?
さっきのあの声は何なんだよ!? みんなはどこへ――……
……ああ、だ、駄目だ。出ないと、今すぐここから出ないと……! いやだ、ここは嫌だ……!」
「ど、どうしたんですかマグナさん……!? 落ち着いて下さい、ハサハちゃんが怖がってます……!」

 顔面を蒼白にしたマグナが、普段の温厚な彼からは想像もつかない程にひどく取り乱している。
 突然の主人の変貌に、マグナの腕に抱きついていたハサハが泣き出しそうに顔を歪めたのを見て、慌ててアメルが小さな身体を支えてやった。
 そんな仲間達を尻目に、ひとり達の存在を察知していたバルレルが低く呟いた。

「――おい、テメエら。言い争うのは勝手だけどな、どうやら招待されたのはオレ達だけじゃないみたいだぜ?」

 バルレルの声にようやく後ろを振り向いた彼等は、視線の先につい先程まで争っていた敵の姿を見つけ、揃って息をのんだ。

「……イオス、……!」

 こちらを見つめる十二の瞳。少数とはいえ、敵陣の真っただ中に放り込まれたことを知ったイオスは、を背中に庇い、聖女一行をきつく睨み返す。
 だが、室内を支配した緊張は、再び響いたあの声によって引き裂かれた。



「ようこそ、調律者(ロウラー)よ、そして鍵(クレファ)よ」



 それは人の女の声に似た、けれど抑揚というものが全くない、不思議な「音」だった。

「だ、誰なの!?」

 自分達の他にも人間がいるのかと、トリスが慌てて周囲を見回す。だが、声の主はどこにも見当たらない。

「探す必要はありません。
私は当研究施設のナビゲーターシステム。調律者達によって作成された、『ゲイル計画』の運営並びにデータ管理のプログラムです」

 皆の注目を集めようとするかのように、部屋中の四方八方から聞こえていた声が、今度はたった一箇所からのみ響く。
 それは、部屋の最奥に鎮座している――細く青白い光の筋をまるで血管のように纏う、巨大な機械からだった。

「なっ……!?」

 機械が、自分達に話しかけている。
 にわかには信じられない現象に皆が絶句する中、壁に埋め込まれた大きなスクリーンに次々と見慣れない文字が浮かび始める。
 光る緑と青、走るように流れる数字と記号の羅列。意味のわからないその画面に、何を感じたのかトリスとマグナの顔がみるみる青ざめてゆく。

「遥かな昔、偉大なるクレスメントの一族が去り、この遺跡は鍵により封印されました。
ですが、あなた方の来訪により、再び永き眠りから目覚めたのです」


 驚愕する人間達を置き去りにして。遺跡はただ、無情に語り続ける。


「さあ、二人のロウラーよ、ご命令を。 そしてクレファよ、封印を司る鍵として、承認を」


 繰り返される言葉。
 その中のある断片を、 はつい最近、どこかで口にした気がした。