「ど、どうしてレイムさんがここに……!?
それに、何でと……どうなってるの……!?」
公園で顔を合わせる仲だった旅の吟遊詩人。やわらかな微笑みとともに紡がれる美しい歌に、トリスとアメルは時間も忘れて聴き惚れたものだった。
その彼が――レイムが、どうして今ここにいるのだろう。そして、何故旅団の少女を――の名を親しげに呼ぶのだろう。
訳が分からず、ただ落ち着きもなくレイムとを交互に見やるトリスを、吟遊詩人はくすりと笑った。
すっと背筋を伸ばした彼は、周囲を取り囲む人間達の顔をゆっくりと見渡した後、トリスとアメルに向かい、優雅に一礼する。
「改めて、自己紹介をさせて頂きましょうか。
私の名はレイム。趣味で吟遊詩人の真似事をしておりますが、本職はデグレアの顧問召喚師でしてね」
「な……っ!?」
レイムの口から飛び出た言葉に、トリスとアメルが顔面を蒼白にして絶句する。
「デ、デグレアって……黒の旅団の仲間ってこと!?
あたし達の、敵……!?」
「そ、それじゃあ……レイムさんはずっと、あたし達のことをだましていたんですか……!?
嘘ですよね? うそですよね、そんなこと……!」
懇願するように声を震わせるアメルをレイムの笑い声が一蹴した。
「はははは! 騙すだなんて人聞きの悪い。
私は一度だって嘘などついていませんよ? デグレアに協力していることも、聞かれなかったから答えなかっただけですしねえ……」
「そ、そんな……」
突然過ぎるレイムの変貌を目の当たりにし、ショックのあまり地面に崩れ落ちてしまうアメル。その横で、トリスが吼えた。
「あ、あなた……っ! 一体何が目的でこんなことを!」
――博識な吟遊詩人。赤の他人であるからこそ、仲間には相談できない胸の内を語ることも出来た。自分とは違う見解になるほどと頷かされ、そこから新天地を切り拓いたこともあった。
信じていたからこそ、裏切りが許せなくて。トリスの双眸が怒りの炎に燃え上がる。
だが、焼けつくような視線を受けるレイムの紫の瞳は、研ぎ澄まされた貴石のようにひややかだった。
「貴女達を……まあ、正確にはアメルさんを、ですね。監視していたのですよ。
個人的にも、貴女達がどういう人物であるのか、どんな力を持っているのか、興味がありましたしねえ。
――無能な部下のせいで、余計な仕事が増えてほとほと困りましたが…… 何も知らずに近寄ってくる貴女達とお話するのはとても楽しかったですよ?
ふふっ、ありがとうございます……あっははははは!」
「――っ!
レイムさ……レイム、あなたというひとは……っ!」
天に向かって嘲笑するレイムに思わず殴りかかろうとしたトリスを、飛びついてきたバルレルが羽交い絞めにして止めた。
「よせニンゲン! あいつにこれ以上近づくんじゃねえ!」
デグレアの顧問召喚師と名乗る男。目の前の人間が纏うただならぬ雰囲気に嫌なものを感じたバルレルは、暴れるトリスを問答無用で後方へと下がらせる。
「離してバルレル! 許せないわよこんなの!」
泣き叫び暴れるトリスの瞳がイオスの背に庇われ震えている を捉えた。
「! あなたは知ってたの!?
どうして、どうしてこんなこと――……!」
涙を流すトリスのまっすぐな視線に貫かれて、 は金縛りにあったかのように動けなくなる。
少女はただ、違う、と何度も首を横に振ることしか出来なかった。
どうして今ここにレイムが現れたのか、自身も何一つわからないのだ。 ましてや、レイムがトリス達と接触を持っていたなどとは夢にも思わなかった。
「ちがいます……! 違うんです、私は……!」
「ああ、さんは何も知りませんよ。
……知らない割に、随分と敵である貴女方と親しくしていたようで。まあ、それに関してはちゃんとお仕置きもしましたし……例えば、敗軍の長を勝手に助けるとか、そんなことはもう二度と出来ませんよねえ……?」
責められる少女を庇うように見せかけて、レイムの言葉がの胸を抉る。
その意味を察知したシャムロックが思わず一歩前へと踏み出したその時、厳しい表情をしたルヴァイドがレイムの真正面へと立ちはだかった。
「どういうことだ、レイム。何故貴様がここにいる……!?」
低く轟く声に満ちる怒り。指揮官の右手が腰に差した剣の柄に伸びていることに気付きながらも、レイムは余裕たっぷりに微笑んで見せた。
「今回ばかりは失敗されては困りますからね、様子を見に来たのですよ。
ですが、どうやら忠実に任務を遂行していたようで、恐れ入りました。誉めてあげますよ? ……ねえ、 さん?」
再び名前を呼ばれ、 の背筋をぞっとする悪寒が駆け下りる。
明らかに何かを企んでいる様子のレイムに、ルヴァイドが眉間の皺を深めた。
「……遺跡の中の様子は確認した。議会が望んでいるのはこの召喚兵器……ゲイル、なのだろう?」
そう言って、ルヴァイドは辺りに散らばる血と油を纏った機械の塊に視線を落とす。
「だが、これらは人の言葉を聞かぬ。どれ程強力な兵器でも、使うことが出来ぬのでは何の意味もない!
求めても無駄だ。我々はそれを議会に――……」
「使う方法ならありますよ」
あっさりと言い切ったレイムに、その場にいた全員が我が耳を疑う。
その言葉の意味に真っ先に反応したのはネスティだった。
「ど、どういうことだ!?
お前は一体この遺跡の何を知っている!?」
色めき立つネスティをしげしげと眺めて。レイムはすっと双眸を細めた。
「……無様な姿ですねえ、ネスティ=ライル。
クレスメントに利用され捨てられて、今は人間の召喚師に縛られている。
人の施しを受けなければ生きられない、 哀れで醜い融機人の末裔……」
「な……っ!?」
隠し続けてきた真の名と、そして己の一族が辿ってきた道を――かつて何度も罵声として浴びせられた通りの言葉を――言い暴かれ、ネスティが言葉を失う。
「な……なんで、お前が、それを……」
知っているのか。
最後の言葉はネスティの喉の奥で干上がり音にならなかったが、それでも誰もが切れた言葉の先を理解する。
――この瞬間。黒の旅団を含め、皆がはっきりとこの顧問召喚師が明らかにおかしいことを悟った。
機械の肌を露わにしたネスティを見ても、レイムは驚くどころかネスティが告白したばかりの本名と彼の正体をあっさりと告げた。
そればかりか、ゲイルを使う術があるなどと大それたことまで口にする。
何かが、おかしい。
この男は――……。
「レイム……。
貴様一体何を企んでいる……!」
ルヴァイドの糾弾に、レイムはとても満足そうに――まるでこの瞬間を待ち望んでいたかのように、哂った。
一歩一歩踏みしめるように遺跡へと向かい歩きながら、レイムはゆっくりと口を開いた。
「かねてより、中央エルバレスタ地方の支配を望むデグレアは、数多の召喚師を抱える聖王国に対抗する手段として、このアルミネスの森に眠ると噂される『兵器』を狙っていました。
そして、最近になってようやくわかったのですよ。この機械遺跡には召喚獣を改造して創られた召喚兵器・ゲイルが封印されていること、そして……このような罪深きものを生み出した罪人は、かつて調律者と呼ばれ崇められたクレスメントの一族と、機界ロレイラルから亡命してきたライルの一族であり……その末裔がまだ生き残っているということをね」
驚愕に歪むマグナとトリス、ネスティの顔を真っ直ぐに見つめながら言い放つレイム。
赤の他人である筈のこの男の口から何の淀みもなく紡がれた「真実」に、ネスティの拳が震えた。
「……何故だ。
どうしてお前がそんなことを知っている!? どうして……っ!」
融機人に受け継がれる罪の記憶とともに、ネスティだけが知っている筈の史実。それを何故、何の関わりもないレイムが知っているのか。
混乱するネスティを、レイムは顎を上げて見下した。
「……あなた方、蒼の派閥は、もう少し上層部の機密保持をしっかりした方が良いのではないですか?」
「――っ!?
派閥の情報を盗んだのか!? 一体どうやって!?」
「そんなこと、答える訳がないでしょう。まったく、どこまでも愚かな人ですねえ……」
機械遺跡、そしてクレスメントとライルに関わる真実は、蒼の派閥の中でも上層部のほんの一握りの人間しか知らない、絶対の機密事項だ。
少なくとも、ネスティが知る範囲の人間で、デグレアに情報を流すような者がいるとは思えない。
……長きに渡り、この身を盾にして懸命に隠し護り続けてきた秘密が、予測もつかないような手段で外部に漏れている。 その恐ろしさにネスティの気が遠くなる。
なす術もなく立ち尽くす融機人の末裔を口の端で嘲笑い、レイムは続けた。
「しかし、調査を続けるうちに、この遺跡にはある封印が施されていることがわかりました。
豊穣の天使アルミネが暴走し悪魔の軍勢をこの地に封じた後、ゲイルのせいで異界の神達に見放されたとして、人の召喚師達はクレスメントとライルの一族を糾弾しました。
贖罪として、彼等はクレスメントから魔力を取り上げ、その力を使いこの遺跡が余人の手に渡らぬよう封印することにしたのです」
「な……んだって……!?」
初めて聞く話に、ネスティが双眸を見開く。
――アルミネが崩れた後しばらくの記憶はネスティの中でもかなり曖昧だ。この間に一族が受けた仕打ちがあまりに酷いものであり、当時のベイガーがその記憶を後世に受け継ぐことを拒んだためと伝えられているが、よもや敵国の顧問召喚師から記憶の断片を聞かされるとは夢にも思わなかった。
それが虚実か真実なのかさえ、ネスティにはわからない……。
「結果として封印は成功しました。
ですが、クレスメントの魔力を封印のための器として無理矢理注ぎこまれた人間はそれを受け止めきれず……どうやら多数の犠牲者が出たようです」
そう言って、レイムはちらりと遺跡の外壁を見やる。
その視線の先に赤黒い染みを見つけ、 ははっと息をのんだ。
――結界を解いた時に見えた、干からびた人間とそれを囲む人達。あれは、まさか――……!?
「さらに、遺跡の封印には誰も予想しなかった制約が施されてしまったのです。
――この封印は、『異界の魔力を持った人間』にしか解けないという制約がね」
「……どういうことなのだ、それは……」
顧問召喚師が語る情報を一片たりとも聞き逃すまいと耳を傾けていたルヴァイドが怪訝そうに眉をひそめる。
「クレスメントの魔力をクレスメントではない人間が使ったせいで、封印を受け止めた遺跡は混乱しました。
もともとクレスメントの魔力は類稀なるもの……本来リィンバウムの人間が持つ筈のない強大な魔力でした。
それはどうやらサプレスの恩恵の強い魔力だったようで……その力をただの人間が使った結果、遺跡は、封印を施した者を『クレスメントのような高い魔力を持った、異世界の人間』だと解釈したのです。
だから、クレスメント本人でも、ベイガーでもない、ましてや天使でも悪魔でもない……高い魔力を持った異界の『人間』にしか、遺跡の封印を解くことはできなくなってしまったのですよ。
だから、必要だったのです……この世のモノではないニンゲンがね」
ここでひとつため息をついて。レイムは、何かを懐かしむかのように遺跡の壁に手を置き、ざらりとした表面を愛おしそうに指の腹で撫でる。
まるで遺跡を封印する鎖のごとく壁に絡まる蔦からひとつ葉を毟り取った彼は、声もなく泣き続けるアメルへと視線を合わせると、見せつけるようにその葉をぐしゃりと握りつぶし、地面へと落とした。
――無残な姿で散った葉が、何故かまるで自分の首のように思えて。ぞっとしたアメルが思わず両手で我が身を抱きしめる。
「……最初はね。アメルさん、貴女がそうではないかと思ったのです。
奇跡と呼ばれる癒しの力。もしや貴女は、遺跡の封印を解くことが出来る、異世界の人間ではないかと……。だから、我々は貴女を狙っていたのです。
ですが、まさかアルミネのなれの果てだったとはね……! これは傑作ですよ……!」
語りかける声音は、アメルもよく知るやわらかな響きなのに。自分を見つめるレイムの紫の瞳の奥に確かな殺意の色を見つけ、アメルはひっと喉の奥で悲鳴を上げる。
蛇に睨まれた蛙のように怯えきったその表情をしばし楽しんだ後、レイムは言った。
「奇跡にも等しい制約の条件を知り、残された召喚師達は、おそらくもう二度と現れぬであろうその人間……封印を解く者を『鍵(クレファ)』と呼びました。
――その『鍵』になれる、人間がね。私自身も思いもよらなかった身近に、いたのですよ」
そう言って、レイムはゆっくりと視線を移す。
驚く人々の顔を順に巡り、最後のひとつを捕える。
「ねえ……そうですよねえ?
、さん……?」
紫の呪縛に捕らわれたは、びくりと全身を震わせた。
(な……んで……?)
――クレファ。何度否定しても遺跡が呼び続けた、謎の言葉。
その言葉の終着点に、レイムはを選んだのだ。
この森に来てからの全てが、には何ひとつ理解出来なかった。
……一体。何が、起ころうとしているのだろう。
白昼夢。謎の名前。この地にまつわる過去。レイムが語る史実。
リィンバウムの人間ではない自分には、全て関わりのないことの筈なのに。どうして今、レイムの視線は、ただ真っ直ぐに自分だけをここに縫いとめているのだろう。
知らない。わからない。どうして。どうしてどうしてどうして――……!?
の喉が干上がる。空気を吸うだけでちりちりと痛む。
どぷり、と。自分の足が、底なし沼へと向かう闇色の渦に浸かり始めたような錯覚を覚えながら。血の気を失った少女の唇がわなないた。
「ど……どういう、こと、ですか……。
なんの、ことを、言って……」
「いい加減にしろ、レイム!
おかしなことを言うんじゃない!は僕が召喚した異世界の人間だぞ! こんな遺跡になんて何の関係も――……」
怯え立ちすくんでしまった少女を庇うように抱き寄せたイオスが、勝手にしゃべり続けるレイムをきつく睨みつける。
だが、自分自身の口から飛び出たある言葉にはっと息を飲んだイオスは、そのまま声を失った。
怒りの表情が一瞬にして絶望へと転じる。の肩にくいこむ指が、遠目から見てもはっきりとわかるほどに震え出した。
「……レイム。
貴様、まさか……!」
ようやく真実を悟った愚鈍な駒を、それはそれは面白そうに瞳を細めて見つめて。レイムは、言った。
「異世界から来た人間が、イオス……貴方を助けるために力を望んでいた。そんな可哀想な彼女を放っておけなくて、私は誓約を交わし、私の魔力を分け与えました。
……貴女は優秀ですよ。さん。あれだけ大量の魔力を注ぎこまれて、普通の人間なら受け止めきれずにその場で全身が裂けてもおかしくなかったのに、貴女は私の力をあますことなく飲みこみ、立派な『力ある異界の人間』――クレファとして、生まれ変わってくれたのですから……!」
森にこだまするレイムの高らかな笑い声。突き付けられた真実に打ちのめされ、はがくりと地面に膝をついた。
――最初から。最初から、レイムはただこうして自分を利用するためだけに、あの空中庭園で甘言を囁いたのだ。
まんまと騙された自分は、旅団を窮地に追い込み、今やこんな訳のわからない場所を暴くためだけのレイムの道具に成り果てている――……!
「……っ、あああああっ!」
レイムへの怒りと恐怖、そして愚かな自分への憤りに耐えきれず、ふるえる両手の先を森の土へと食い込ませたの口から絶望の呻きが漏れる。
「レイム……貴様、きさまああああっ!」
猛り狂ったイオスが我も忘れてレイムへと槍の矛先を向ける。だが、迫り来る切っ先を前にレイムは逃げるそぶりも見せず、やけに芝居がかかった手つきでゆっくりと指を鳴らした。
次の瞬間、彼の足元にはついさっきまで確かにイオスの傍にいたはずのの姿があった。
「なっ……!?」
瞬きをする間の出来事にイオスが槍を振りかざした姿勢のまま硬直する。当のも、一瞬にして変わった景色に驚き顔を上げて――そのまま髪をレイムに鷲掴みにされた。
「い、痛……!」
「ふふっ、驚きましたか?
……貴女は私の召喚獣ですからねえ。こうして手元に呼び寄せるなど造作もないことなのですよ……?
貴女は、私の『クレファ』なのですから」
無理矢理顔をレイムの方へと向けさせられ、真正面から言い放たれた言葉の意味に、の瞳が凍りつく。
「――っ!を離せ!」
「レイム! 何のつもりだ!」
「さんっ……!?」
衝撃から現実へと戻ったイオス、ルヴァイド、そしてシャムロックが捕らわれた少女を助けようと駆け出すのだが、突然何かにぶつかったような衝撃音と火花が散り、彼等は一様に後方へと吹き飛ばされた。
いつの間にか、レイムを囲むように薄い紫の光がドーム状に広がっている。魔力の結界であることは誰の目にも明らかだった。
「! ああっ!」
捕らわれたままの少女を助け出そうとイオスが結界に飛び込むのだが、先程以上の力で弾き飛ばされる。その額が切れ鮮血が宙に舞うのを目の当たりにし、が叫んだ。
「イオスさん! イオスさんっ!」
恋人の元へ駆け寄ろうと足掻く少女の頭を哂いながらぐいと引き寄せて。レイムは、の顔を乱暴に遺跡の外壁へと押し付けた。
「……ねえ、さん。
どうして封印を解く者が『鍵』と呼ばれるか、わかりますか?」
「……え……?」
頬に押しつけられるひんやりとした壁。目の前にある赤黒い染み。鼻を突く乾いた血臭が少女に何かを警告する。
慌てて逃げ出そうとしたは、全身が嘘のようにまったく動かないことに気がついた。
おそるおそる、視線だけを目の前の壁から横へとずらすと、レイムが両眼を尖った三日月のように歪ませて――哂っている。
その悪魔のような形相に、は声にならない悲鳴を上げた。
「い、いや……!」
自由を奪われた少女の頭上から、レイムの声が降り注ぐ。
「鍵とは、扉を開けるもの。
扉を開けて――その先にあるものを、使用者に差しだす、媒体です。
……この遺跡はね。創り出した者に良く似て酷く貪欲で、封印を施した人間からクレスメントの力を全て吸い取り、自身の中に隠してしまいました。
鍵を使えば、それを取り戻し、ゲイルを意のままに操ることも可能になるのです」
レイムがの頭を押さえつける手に力を込める。壁にこすれた額の皮膚が裂け、少女の鼻筋を一滴の血が伝い落ちた。
ざわり、と首筋を撫でられて、の身体が震え出した。
――どこかで、こんな光景を見た気がする。
捕らわれた自分の耳元で、次に悪魔はこう囁くのだ――……。
「さあ。返してもらいますよ、ワタシノ、チカラヲ――……!
それはどういう意味なのかと考える前に。壁に押し付けられた額から火のような熱が流れ込んできて、の思考は遮断された。
「あああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
少女の身体を紫の炎が包む。全身を焼かれる痛みにが絶叫した。
その声を糧とするかのように、レイムを中心に湧きあがった黒い風が轟音とともに吹き荒れ森を揺らす。嵐のように圧倒的な力を前に、周りにいた皆がなす術もなく地面へと突き倒された。
風と、耳を覆いたくなるような悲鳴の中――レイムだけがただ、哂っていた。
魔力の陽炎がの身体を通してレイムの腕へと吸い込まれてゆく。満ち足りてゆく感覚に、レイムは歓喜に震えた。
「そうです、この力……! ああっ、ようやく、ようやく私の元に……!」
壊れたマリオネットのように力を失い、ただ悲鳴だけを上げ続ける少女の頭をレイムはさらにきつく壁へと押し付ける。
額から流れ出た真新しい血が、灰色の壁を絵の具を塗りたくったように鮮やかに染めていた。
「さあ、すべて戻しなさい……! これは私のものです。返しなさい、クレスメントよ――……!」
感極まったレイムが叫んだその時、バチン! と何かが爆ぜるような音とともに、レイムの目の前に飛び込んできたイオスがを抱きかかえ、そのままもんどり打つように結界の外へと転がり出る。
を奪われた途端、それまで吹き荒れていた風が嘘のように消滅し、レイムは忌々しそうに舌打ちをした。
無理矢理結界に飛び込み魔力の炎に晒されたせいで、イオスの衣服は一瞬にしてあちこちが焼け焦げ、破れた隙間から覗く皮膚には決して浅くはない赤い傷が刻まれている。
だが、自身の痛みなど感じないかのように、イオスは狂ったように腕の中にいる少女の名前を叫んだ。
「! しっかりしろ、――……!」
しかし、イオスがいくら呼びかけても、の瞼は固く閉ざされたまま開かない。
かすかに上下する喉元から、かろうじて生きていることだけはわかるものの、無残に焼け爛れた額から流れる血が少女の顔を赤くあかく濡らし続けていた。
「――レイム!」
突然有無を言わさず斬りかかってきたルヴァイドの大剣を、レイムの魔力の刃が受け流す。
それでもなお自分へと剣を向ける総指揮官の姿に、レイムはふっと笑った。
「……どういうつもりですか、ルヴァイド。この私に逆らうとでも?」
レイムの言葉にも憤怒の形相を崩すことなく、ルヴァイドの剣先は真っ直ぐにレイムの心臓へと向けられたまま動かない。
上官に呼応するように、黒の旅団員達も静かに顧問召喚師を取り囲む。
――もはや彼等にとって、レイムは敵以外の何者でもなかった。
「貴様はを利用してその魔力とやらを手に入れたかっただけだろう。
私利私欲に走ったその行為こそ、デグレアへの裏切りではないのか……!」
怒りを押し殺したルヴァイドの低い声がレイムを糾弾する。
だが、四方を殺気立った旅団に包囲されてなお、レイムの笑みが消えることはなかった。
「ハハッ、何を言い出すかと思えば……。
私はこの力とゲイルを使って、より一層深くデグレアにお仕えするつもりですよ?
その証拠に……ほぅら」
すっとレイムが手を上げると、指先から放たれた紫の光が虚空で三体の醜き悪魔の姿へと変わる。
呼び出された悪魔達は、手にした三又の矛とともに真っ直ぐにトリス達の輪の中へと墜落した。
「うわああああああっ!」
串刺しにされる寸前で、調律者達はからくも悪魔の攻撃から逃れる。
敵の少女に降りかかった惨劇をただ呆然と見つめていた彼等は、ここでようやく我を取り戻す。
仲間達を振り返り、フォルテが大声で叫んだ。
「――逃げるぞ!」
フォルテの声にはっとしたロッカとリューグが、いまだショックから立ち直れないアメルとトリスを無理矢理地面から引き剥がし走らせる。泣いているハサハに諭され、マグナもよろめきながらその後に続いた。
「だ、駄目だ! このままでは遺跡がデグレアに……!」
「それどころじゃねえだろ! 過去の遺物と自分の命とどっちが大事なんだ!
ここにいたら全員死ぬぞ! てめえはあの遺跡に詳しいんだろ、どれだけ危険かわかってんだろうが!」
遺跡に執着するネスティを叱り飛ばし、フォルテは放り投げかねない勢いでネスティを後方へと突き飛ばす。その身体を受け止めるように彼の腕をつかんだレナードが、有無を言わさぬ力でネスティを引きずり駆け出した。
皆が森の出口へと向かい走り出したのを確認し、フォルテは最後の一人の背中を怒鳴りつける。
「――シャムロック!」
フォルテの声に少しだけ振り返ったシャムロックは、冷や汗の伝う顔を苦悶に歪めた。
「先に行って下さい……! 私は、私はさんを……!」
「――馬鹿野郎ッ!」
ふらり、と前に出たシャムロックの頬にフォルテの拳が飛ぶ。容赦のない鉄拳を打ち込まれ、シャムロックがたたらを踏んだ。
その胸倉を間髪いれずにフォルテが掴む。
「いい加減にしろ! ――お前は誰に仕えてる! ……今お前の目の前にいる人間は誰だ!」
至近距離で浴びせられた言葉に、シャムロックははっと顔を上げる。
「で、ですが……! このままでは、このままでは……!」
「だったら今すぐこの場で選べ! リゴール陛下も俺も捨ててあっちに行くのか、こっちに残るのか!」
「――っ……!」
憤怒の形相のフォルテに詰め寄られ、シャムロックは言葉を失う。
もう一度だけイオスに抱えられている の姿を見た彼は、少女が息をしていること、そして駆け寄った彼女の仲間達が懸命に治癒の召喚術を施し続けていることを目に焼きつけると、拳を震わせきつくきつく唇を噛んで――フォルテとともに、仲間の後を追い走り出した。
木立の影へと消えてゆく逃亡者達の背中をまるで喜劇でも観るかのように愉しそうに眺めていたレイムが、やれやれとでも言うように笑みを深めた。
「今はまだ生かしておいて差し上げますよ。
更なる絶望の舞台を用意して……そこでじっくり嬲り殺すその日までね……!」
誰にも聞きとれない声でそう呟くと、レイムはいまだ剣を下ろそうとしないルヴァイドに視線を戻した。
「さて……いいのですか、ルヴァイド?
貴方がつまらない反逆行為を犯している間に、助けられる命がひとつ消えてしまうかもしれませんよ?」
他人事のようにのうのうと言い放ったレイムが動かした視線の先では、イオスと旅団員が必死に治癒の召喚術をかけながら繰り返し繰り返し少女の名を呼んでいる。
流れ出る血こそ止まったものの、幾重にも赤い筋の残る白い顔は、一刻の猶予もないことを如実に物語っていた。
「さっさと国に戻って治療すれば、別に死にはしませんよ。
役立たずのあなた方より、さんはよっぽど貢献してくれましたよ――道具として、ね」
「き……さまああああっ……!」
怒りが頂点に達したルヴァイドが、剣を持つ手をぶるぶると震わせる。
そんな指揮官に優雅に一礼したレイムの姿が蜃気楼のようにゆらめいた。
「私は一足お先に議会にゲイル発見の旨を報告しておきますよ。
あなた方のお手柄と反逆もしっかり伝えておきます。
……ではまたデグレアでお会いしましょう……本当に、どうなるのか楽しみですねえ……あっはははははは……!」
耳障りな嘲笑とともに、レイムの姿が虚空へと消える。
残されたのは、壁に飛び散った少女の血と、嘆きだった。
灰色の世界を鮮やかに彩る、赤。護りたかったものが壊されてしまった、現実――……。
「……、あああああああああああああああああああああああっ!」
イオスの絶叫を捕えた闇色の森が、彼の嘆きを弄ぶようにいつまでも、いつまでもその声を響かせ続けた。
第21夜 END